のら猫の手  きょうは2011年(間違いで2012年)10月9日、佐藤悟志さんと。私の目の前に居るのは佐藤悟志さんです。私は佐藤悟志さんの大ファンの1人、のら猫の手と申します。私は去年の10月10日に、去年の2010年(間違い)、2011年の10日10日に佐藤悟志さんに質問をさせていただきました。そしてまたこの約1年後に、再度佐藤悟志さんと取材をさせていたたくことができるようになりました。本当に感謝しています。本当にありがとうございます。約1年ぶりなんですけど、これから佐藤悟志さんに政局のことをいろいろ語っていただきたいなと思います。今さっきまで打ち合わせをしていて大体の下準備はできていましたけど、大体こういうことを語っていただこうということは下準備ができておりますので、それを基本としながらも佐藤悟志さんは本当にタブーなしに、本当に自分の好きなように語っていただくということになっております。どうぞよろしくお願いいたします。


佐藤  取りあえず何か質問をしていただいたらいいんじゃないかと。

のら猫の手  大変厚かましい問題なんですけど、私は佐藤さんに対してたくさん聞きたいことがあるんですけど、でもそれはかなり過激なことやったり、ちょっとタブーに触れることではないかなと思ってさすがに遠慮してしたんですね。ですので、佐藤さんには一応これだけ質問事項があるんですけど、それを語っていただくのは佐藤さんのご自由ですので、これはパスっていうのがあればパスしていただいても構いませんし、じっくり語っていただきたいということがありましたら、いくらでも遠慮なく語っていただいたらいいなと思っております。でもやっぱりこれはかなりきつい質問なので本当にどうしようかといろいろと迷っていたんですね。それでもさっきも打ち合わせして、やっぱり語っていただきたいなと思うことがたくさんあるんです。箇条書きがたくさんありますけども、今からその箇条書きを1つずつ挙げていきますので、これは語ってもいいけどこれは語りたくないということありましたら、もう佐藤さんのご自由ですので、それを基本に語っていただきたいなと思うんですね。
佐藤  基本的にあんまり1人でしゃべるのは苦手なので、会話をしていただければしゃべりやすい。



佐藤悟志氏は、
★ 反陰謀論者
★ 陰謀論者よりは在特会支持
★ 橋下支持


取材者、のら猫の手は
★ 権力者共闘謀議仮説論(世間一般では「陰謀論者」)
★ 在特会への嫌悪と権力者共闘謀議仮説論(統一協会の手先、アメリカの特定勢力の手先、正体は実は在日、実は男色人脈)
★ 橋下への嫌悪と権力者共闘謀議仮説論(統一協会の手先、アメリカの特定勢力の手先、正体は実は在日、実は男色人脈)



のら猫の手  私がたくさん気になった点は、さっきも佐藤さんと打ち合わせでいろいろしゃべってたんですけど、佐藤さんは陰謀論者の駄目な点っていうことを語っていただいて、それがちょっと胸に応えましたので、そういうのをまた語っていただきたいなと思いました。
それと前々から佐藤さんは、私は佐藤さんに対してすごい不思議だなと思っておりましたのは、私が大嫌いな在特会とか新風とか、ああいうネット右翼関係のガラの悪い連中に対してものすごく同情的だし、中には友好的な方もいらっしゃいます。それでいて悪の手先とは思えない繊細で知的で上品な方だなとか思っております。そのことについてもまた語っていただきたいなとか思いました。
それともう1つ不思議だなと思うのが、今有名な方で安田浩一さんという方が在特会を徹底批判なさっています。でも安田浩一さんが批判しているのはガラの悪い在特会のことばかりで、でも在特会に対して同情的な外山恒一さんや佐藤悟志さんみたいなタイプのことは取り上げてないなというのが、それがちょっともう1つ物足りないなとか思いました。いつか安田浩一さんには在特会に対して同情的な佐藤悟志さんとか外山恒一さんみたいに、在特会に同情的だけど知的で繊細なタイプの方々のこともいつか語り合っていただきたいなと思っております。
それと私の周りではテレビを見ている方々と、私がインターネットで知り合った方々とは全然文化が違うんですよ。もう文化断絶がありまして、テレビや新聞を見ているような方々は「橋下とか前原とか小泉進次郎くんとか、大変な中よう頑張ってるね」っていう好意的な意見があります。
私が相互フォローをしているインターネットで知り合った方々は、もう橋下を徹底批判なんですよ。中田も松井も徹底批判で、あいつらは悪の手先やって徹底批判しています。
ところが唯一佐藤悟志さんだけが橋本、中田、松井を支持しておりまして、それでいて悪の手先と思わない…。
佐藤  別に中田さんや松井さんは支持しないよ。
のら猫の手  でも、なんか知的…。
佐藤  徹ちゃんぐらい、徹ちゃんはもともと、もともと支持してたね、弁護士時代から。
のら猫の手  それでいて悪の手先とは思えないし繊細で知的な方です。
それとあともう1つ、私がインターネットで相互フォローしてる方々は、小沢や国民の生活第一を支持して橋下や創価や統一を徹底批判してるんですけど、逆に佐藤さんだけが、私の知ってる人で唯一佐藤さんだけが、国民の生活第一大嫌いと批判しております。本当にいろいろなものがあります。ですので本当にこういうのかなりきつい質問なんですけど、もしよかったら語っていただきたいなと思っております。
佐藤  いや、別にきつくないですけど。普通の質問じゃないでしょうか。最初にとっかかりとしてなんかよかったのは橋下問題、橋下維新でしたっけ?維新は何が問題なんですか。
のら猫の手  私個人的なことを言いましたら、私、島田紳助とかやしきたかじんとか、あの派閥が大嫌い。あいつらはなんていうかヤクザ人脈で統一教会人脈で、ほんまに在日のごろつきの人脈でっていうのがまずあります。それとガラの悪さと、強者にこびて弱者にこびへつらってっていうような感じですごいイヤだなとか。ああいう系統があってあいつらが大嫌いやったこと。その猛プッシュで橋下が来たっていうのがあったので、ものすごい嫌悪があったこと。
それと橋下の言動とか見てたら、強者にこびて弱者に高飛車っていうような、そういういやらしさがピンと分かるんですね。本当にヤンキー的などうかつ的ないやらしさがあるので大嫌いっていうのと。
それとあとヤンググローバルリーダーズ、ダボス会議、世界国際会議のヤンググローバルリーダーズというのが選ばれる連中というのが、国際的な弱肉強食のああいう傾向のイヤな連中が多いじゃないかっていうのがあって、ああいう人脈なのかとか、腹が立ったりとか。
佐藤  ヤング何とかリーダーズっていうのに橋下が選ばれたの?
のら猫の手  はい。ヤンググローバルリーダーズっていうのに選ばれてるんですけどね、多分ハゲタカ外資の手先だろうなとか思っています。それと橋下のブレーンが統一教会人脈です。それにマッキンゼー&カンパニー人脈でもあって、それも外資の手先で弱肉強食で・・・ 世界経済フォーラム(World Economic Forum)
→WIKIPEDIA
佐藤  大前研一とかあのへんの
のら猫の手  大前研一のグローバル何とかかんとかいって…。
佐藤  竹中平蔵あたりの。
のら猫の手  はい、あの辺りがハゲタカ外資の手先で、日本の極少数だけが特権階級として生き残って、あとはもう後進国の労働条件並の過酷な、ああいう地獄の生活に叩き落とされるんじゃないかという恐怖があります。だから植民地のトップであとは残りの大多数が後進国の低賃金、過酷労働の地獄のような生活に転落するんじゃないかと恐怖があります。
佐藤  そうね、まず第1に最初の陰謀論というか真相究明系の人々の問題点というか、厳しいなというふうに僕が感じるところは、一言で言ってしまうと弱者だということですよね。
例えば統一教会系であるというような問題について言えば、統一教会系でない政党というのはあまりないんですよ。自民党は当然そうだし民主党もそうだし、逆に言っちゃうと統一教会系でない政党というのは、公明党と共産党と社民党ぐらいですかね。そこはそれぞれ固有の宗教を持っているのでそれ以外の信者は入れないんですが。それ以外の大衆政党というか市民政党というか、基本的に何教の人でも入れますよみたいな開かれた政党には、どこでも大体統一教会入ってるんですよね。それは統一教会でも排除されないから入ってるわけで、そういうところにはもっと言っちゃうと創価学会も入ってるだろうし、幸福の科学も入ってるだろうし、誰でも、なんかモルモン教とか、よく分かんないですけど、宗教の人たち、みんな入ってる。
ところがそれっていうのは、むしろ今の一般的な自由社会に於いては当たり前の組織の形なわけですよ。なぜかといえば●普通の公立高校でも公立学校でも会社でも、企業でも大学で、どんな宗教の人でも入っていいということになってるわけですよ。どういう宗教だから入ってはいけませんとかっていうようなのはオウム真理教を除いてはないので、どこの宗教、●、政党でも会社でも団体でも、逆に言ってしまうと統一教会の影響を排除するっていうことは信教の自由を侵害することになるのでできないわけですね。しかもなおかつ、内心では嫌だなと思うことは当然ありますよね。内心でイスラム教徒は嫌だなとかっていうことは当然あるんだけれども、ただ表だってそれを理由に排除するっていうことはできないわけですよ、僕らの普通の社会においてはね。そうすると当然統一教会でも●どこでも入ってこようとするので、排除しなければ入ってきちゃうわけですよね。そのときに課題となるのは、僕らは相手の宗教とか所属する血縁とか民族とかなんとかっていうことを関わりなく、一緒にやっていかなければいけない。一緒に、例えば会社で仕事をしたり学校で勉強したり、あるいは地域で共同生活したりということをしなければいけないわけですよ。

逆に言っちゃうとそこで、あいつは統一教会だとか、あいつは幸福の科学だから一緒にできませんみたいなことを言っていると、逆に就職もできず、学校にも行けず、社会生活も営めず、家に引きこもってニートをやってっていう、ネットで2ちゃんねらーになるとかっていうぐらいしか先行きがない。結局そういう人たちが陰謀論者になって陰謀にはまっていって、「ユダヤの陰謀だ」みたいな、「911はユダヤの陰謀だ」とか「311は地震兵器だ」みたいなそういう妄想に取りつかれて、そういうものをインターネットを通じて発信していくというような生活に陥らざるを得なくなってくるわけですね。それはどっちが間違ってるかといえば、それは統一教会の方が間違ってるんじゃなくて陰謀論者の方が間違ってるんですね。もちろん人々は統一教会のようにいろんな団体に行っていろんな人と話をして、一緒に仕事をしたりするような、そういう中で影響力を拡大していくというようなことをできた方がいいし、できなきゃ駄目だし。できないから就職できないんですよ、皆さん。っていうふうに断言しちゃいますよね。

もちろん僕は基本的に宗教団体の人とか、ヤクザもそうですけどね、あとはオカルト、あるいはセクト、過激派というような人たちは、基本的にそういうのに所属してる人は信じられないし信じられませんよね。なぜかといえば、彼らはどんな運動をやっていても基本的には組織の命令が第1であり、組織の指令が第1で、あるいは親分の言うことは絶対なので、例えば反原発デモとかで一緒にやっていたとしても、ある日突然親に、佐藤を殺してこいといわれたら殺してくるしかないのが宗教の世界でありヤクザの世界でありセクトの世界なわけですよ。そういう人たちとは普段いくら一緒に志を同じくしていろんな運動をしていたりしていても、安心したり信用はできないわけですよね。

ただ、だからといって、じゃあそういう人たちを排除するというふうな、公然と●運動でもなんでもできるかというと、それはそれでまたあつれきになるわけですよね。創価学会お断りですっていう看板を掲げたりすれば、なんでだっていってもめるわけだし、当然。そこで宗教で差別するっていうことはなかなか難しいわけで、そうすると我々は信頼はせず、なおかつ共同して仕事はするみたいな、そういう、言ってみれば大人な態度を身に付けていかないといけないわけで、それは例えばユダヤの陰謀にしても、世界にはユダヤの陰謀が満ち満ちて金融資本主義の暴挙なり悪徳なり、あるいはグローバリズムだのハゲタカ外資だのがさまざまな陰謀をめぐらすっていうことはあり得るんですけれど、それぞれの個別の課題に対して、例えばそれに反対していくとか批判していくということは可能だし、やっていかなければいけないんだけども、だからといってそういう人々を例えばユダヤ人、ユダヤの陰謀に加担しているからといって議論を停止していきなり排除していくというようなことをしているとなかなか、世の中は単にレッテルを張り合って排除していくというだけの世の中になってしまって、グローバルコミュニケーション自体がなかなか難しくなっていってしまうし、それは端的に政治的な引きこもりへの道であって、ヒキニートへの道であって、あまり生産的ではないでしょう。

もちろん統一教会も批判されてしかるべきことをやっているんだけれども、それはやっていることに対して批判をする。例えばあんなに北朝鮮を批判していたのに突然手を結んで勲章をもらって喜んでいるじゃないかという、文鮮明が、もう死んじゃいましたけどね、
のら猫の手  はい・・・死んじゃったの?
佐藤  最近死んじゃったらしいですけど。
のら猫の手  はい・・・
佐藤  という批判を具体的にしていくというのは可能ですけどもね。
例えば橋下と統一教会と関係があるんじゃないかっていうような、漠然としたっていうか大ざっぱな批判をしていると何もできなくなってしまう。何となれば、大人というのは大体統一教会と関係があるし、創価学会とも関係があるし、幸福の科学とも関係があるし、共産党とも関係があるんですよ。大人って社会人なわけですからね。例えばのら猫さんとも仕事をしていたのもそうだと思うんですけどね。例えばお客さまに統一教会の人が来たり共産党の人が来たりすることあると思うんですけど、だからといって、いや、お宅には売れませんとか、社長がお断りですと言って断ることはできないわけですよ、何か商売をしていたり仕事をしていたりすればね。それは共産党の人であろうと統一教会の人であろうと、提供すると宣伝しているサービスは提供しなければいけないし、それはお客さまの立場に立って考えなければいけないのが社会人なわけですよ。だとしたら、そういう人たちも含めて一緒に世の中をどう形成していくか、何か建設的なことをやっていくかっていうことを考えなければいけないのであって、あいつは統一教会と関係があるみたいなことを言いまくってたら、そんなこと言ったらフリーメイソンだってライオンズだって、それなりに社会的な地位があったりする人ってみんな関係してるわけだから、そんなことを言って敵視してると何もできなくてヒキニートになってしまいますよっていうことですよね。陰謀論は最大の問題だと思うよ。

そういうことを言ってから、差しさわりのないことを言ってると、「人類は滅亡するので宇宙船に乗って逃げましょう」みたいなおかしな詐欺、ペテンに引っかかるはめになる。



  佐藤悟志の陰謀論徹底批判



のら猫の手  はいはい、ネット上でそんな詐欺の大騒ぎがあったらしいんですけど。
佐藤  僕もチラッとしか聞いてない、よく分かりませんですけどね。でもそんなものは詐欺に決まってると断定していいんじゃないですか。
のら猫の手  それも周りがワーワー言ってるんですけど、その教祖様自体の声明が全然ないので、ですので名前を出すのはちょっと遠慮しましたけど。
のら猫の手がblogにその騒動についてまとめました
→「終末カルトに注意!(参考資料)」
佐藤  そうなんですか、それはよくは知らないですが。
のら猫の手  その教祖様自体が「いえ、これは信者が勝手に暴走したことなんです」とか言えばいいものを、それをこの教祖様自体も全然何も言わないから不思議だなみたいな、よう分からない事件があるんですよ、本当に。
佐藤  そうですか、でもそういうのは別に誰が悪いとかいうんじゃなくて、常識があれば引っかからないことですから引っかかる人が悪いんですよね。そんな人はお金払って社会勉強しましょう。
のら猫の手  それとかあともう1つ、私リチャード・コシミズさんのところを退会するときに、その会員さんでメールアドレス知ってる方全員にメールを出したんですよ。そうしましたらその中の1人にウツで生活保護の方もしらっしゃいまして、退会メールを出しましたら、その方が「僕はここに残ります、金融ユダヤ人どもが人工アセンションを仕掛けているから、それを阻止するには僕たちがここに残って結束して戦うしかないんです」。
佐藤  人工アセンションってなんだっけ?
のら猫の手  いや、知らないんですよ。
リチャード・コシミズ
学習会09.04.19
『ヤメカルト2』
→YOUTUBE
→DVD通販

リチャード・コシミズ
『2012年アセンションはやって来ない』
2010
→AMAZON


RKファンの中にはアセンション人類破滅を信じ込んでいるのがいたのでしょうね。
だから、RKはそのファンを心配をして、アセンション否定をしたのでしょう。そういうところは立派です。
佐藤 知らないんですか。
のら猫の手 「2012年地球が破滅する」みたいな、そんな意見がネット上であちこちに出回ってまして。
そしてリチャードさんは「それは金融ユダヤ人どもが仕掛けている陰謀で、それは人工的な核兵器でそういうのをやるんでないか」とかいう説を言いまして…。
佐藤  「人工的な核兵器」って、核兵器はみな人工でしょ。
のら猫の手  (RK氏は)「(悪い権力者が)核兵器で人工的なアセンションを起こすんじゃないか? でも僕たちがこうやって拡散することでそれを阻止することができるんだ、頑張ろう」っていう説なんですけど。
佐藤  「核兵器で人口を減らす」とかそういう陰謀?。それはウツで生活保護の人が対抗できるんですか、それは。どうやって対抗するんですか。
のら猫の手  どうするんでしょう?
佐藤  核戦争から逃れたとして、ウツで生活保護の人がどうやって生活していくの?核戦争の後で多分生活保護ないと思うんだけど。
のら猫の手  いざとなったら、交通費なかったら駆けつけもできないし大変ですね。だからちょっとどうかなとか思いますとかね、そんなこと思いました。だから2012年起こらなかったらリチャードさんたちは「僕たちがこうやって拡散したお蔭で阻止できたんだ、よかったね、みんな」っていう話になるんでしょうね、きっと。
佐藤  ただでも多分、その実感としてそういうものが存在すると感じられるというのは、推測しうるというのは、要するにウツで生活保護の人なんかは毎日が人工アセンションみたいなものでしょ?仕事もなくて引きこもって生きていたら、日々お前は要らないと言われているようなもんなわけだから●、体感的、本人的、日々人工アセンションなわけだから。それを全社会的に拡大して考えたり、そういう目にあっているのは自分だけじゃないんだと思いたいという、そういう願望は分かりますけどね。だからそういう陰謀論にはまってしまったり受け入れてしまってる。それはだから陰謀が実際にあるということの証明じゃなくて、むしろ単にそういうものにはまっている人たちが、端的に弱者であるということの証明だよね。
のら猫の手  でも真相究明派でも、今の真相究明派のことを擁護しますけど、やっぱりメジャーなマスコミでテレビや新聞や雑誌やラジオ番組が特定の権力べったりで偏向しているから、それに対して対抗する言論が出てきたら、そうしたらすごい喜んでそこでこういういいコミュニティーができてしまうっていうのがどうしてもあるんですね。ですので今は私も実感として分かるんですけど、テレビや新聞ばかり見ている人、インターネットで真相究明派とでは全然文化の断絶が激しいんですよ。もう文化戦争みたいな感じで。
佐藤  まあそうなるだろうね、っていうか、それこそユダヤ教の起源とかも似たようなもので、その全社会的に差別されたり抑圧されているような人たちが、いや自分たちこそが正義であり自分たちが抑圧されていくことの方が不当なんだというふうに言って、自分たちを自己正当化するために各種の様々な宗教とか、ユダヤ教とかも含めて、キリスト教とかも含めて発生したわけですよ。そういう人たちは、つまり現在の社会の主流的なものメジャー的なものに乗っかれないし排除されているわけだから、そういうものに対して恨みつらみを述べ、そういうものがいかに悪いものかっていうことを主張を支えてくれるようなイデオロギーやら宗教やらにはまってしまって、それが生きがいになってしまうというのが当然あるわけですよね。例えばマスコミとかテレビとかっていうようなものは、当然メジャーな価値観を反映しているわけだから、そういうものに対して、それを悪罵を投げつけて悪態をついて批判したりするしかなくなるであろうということは当然分かりますよね。例えば、それこそテレビとかっていうのはメジャーな価値観、つまり美しいものとか強いものとか利口なものとか甲斐性があるもの、力のあるものを称賛するメディアなわけだから、当然美しくもなく強くもなく賢くもなく、根性もなく愛嬌もないような人々は排除されるわけですね。そういう人々が、そういうテレビだマスコミなりに悪罵を投げつけて、そうじゃないものにすり寄っていくというのはあり得るわけで。ただでもそれは、そういう反主流派的な言説や言論が正しいということを証明するものでは全くなく、つまりそういうものにはまってる人たちが単に弱者であるということを証明する以上のものではないですね。
のら猫の手  それはちょっと違うんじゃないかなとか思いますけど、やっぱり今のテレビや新聞とか、やっぱり特定の権力のあれの方に変更しているなという気はしますし、それは違うんだというふうに思ってる方々がインターネットを中心に、その受け皿が形成されてることはされてるんですね。ただそのインターネット上での受け皿もまたちょっとおかしな方向になってるなという気はしますから、だからどちらもちょっと今おかしいなとは、両方ともおかしいんですよ。
佐藤  なぜそうなるかっていうのはすでに明らかなんだけれども、まず第1に特定の権力とは何かっていうことですよね。何ですか、特定の権力に変更しているという場合の特定権力とは。
のら  小沢が異常にバッシングされて、あれもちょっと不当だなとか思うし、逆に橋下や前原を異常にキャンペーンされてるような気がします。小泉進次郎も異常にキャンペーンされているような気がします。
佐藤  全社会的に見れば、もちろん橋下がはやっているということはあるけれども、むしろメディア的には叩かれてる方が多いと思いますよ、新聞とかでは。あまり持ち上げている新聞は見たことがないというか、むしろネットとかで持ち上げてる方、庶民的な人気とかの方が強くて、それをむしろメディアの側が困惑して、なんでこんなに貧乏人は橋下を支持するんだみたいなことをブツブツと愚痴をこぼすみたいなことをやってる方が多いんじゃないかしら。
のら  私はそこら辺がちょっとややこしいんですけど、っていうかここら辺はちょっとよく注意しなきゃいけないなと思うんですけど、橋下とかあの辺りは異常にマスコミが猛プッシュして洗脳してるんじゃないかなという気がして。
逆にインターネット上では、私がツイッターで相互フォローしてる方々は「小沢が検察にいじめられてる」って同情的で、「植草も国策捜査だ」とか「小沢も国策捜査だ」と、「鈴木宗男も国策捜査だ」ってすごい同情を浴びてるんですね。
で、また別の第.3の勢力が出てきまして、「いや検察も悪いけど小沢も悪い」とか「植草も悪い」とか「鈴木宗男も悪いんじゃないか」とか、いろんな意見が交錯してますのであれですけど、「悪対悪の戦いじゃないか」っていう説も出てきまして、いろんな意見が出てきてるんですね。
佐藤  だってぶっちゃけた話、例えば小沢はバッシングされ、確かに小沢バッシングの過程っていうのは一定あって、それは法的に問題だという気はしなくもないけれども、ただ単的にいえることは小沢一郎そのものは非常に古典的にベタな権力者なわけでしょ?それこそマスコミだとかテレビだとかっていうようなものを一時期は完全に支配する、自民党の幹事長としてキングメーカーをやっていたわけで、それこそまさしくマスコミを牛耳る特定権力の代表者だったわけですよね。その彼が今は正義の味方で特定権力を批判する、民衆の味方であるなんていうことがあろうか。ないんじゃない? 
例えば、植草とかにしたって鈴木宗男とかにしたって、あれはじゃあ庶民なのか、一般市民なのかっていったら違いますよね。あれだって権力者だし、鈴木宗男なんて官僚の●自殺させるぐらいの力を持った権力者だったわけですし、植草だって一時期はメディアをもってもてはやされる寵児として、新進系の学者として世間をにぎわせてたわけじゃないですか。その人間が国策捜査で捕まったのか知らんけど、権力者であったことは間違いないわけで、別に庶民でも一般市民でも無力な弱者じゃなかったわけで、その人が仮に逮捕されたからといって
のら  「悲劇のヒーロー」なんて・・・
佐藤  「不当なんじゃないか」とも言い難いよね。
のら  だから検察とかにやられた方々に対して「国家権力の秘密を暴いたから、それで国策捜査された悲劇のヒーローじゃないか」っていう感じで、すごい・・・。
佐藤  手鏡で(笑)
のら猫の手  だから小沢一郎とか植草さんとか鈴木宗男とか佐藤優(さとう まさる)とか、あの辺りの逮捕された方々に対して、「ひょっとして悲劇の・・・」「極悪検察ににらまれた悲劇のヒーローじゃないか、アンチヒーローじゃないか」とかいって支持を集めてるんですけど、「その彼らも悪者ではないか」という説も出てきて。だから「悪対悲劇のヒーロー」っていう構図で捉えるんじゃなくて、言ってみたら「悪A対悪Bの戦いじゃないか」とか、そういう説も出てきましたけど。
佐藤  そうなんじゃない?だって端的に彼らが一般市民になるわけじゃないんだから、権力内の抗争で勝った側と負けた側があるっていうだけの話で…。
のら猫の手  言ってみたら山口組対稲川会との戦いとか…。
佐藤  いきなり固有名詞が出ちゃいましたけど大丈夫ですか。
のら猫の手  ヤクザのA組とヤクザのB組との戦いみたいな…。
佐藤  だから源頼朝と源義経の相争うみたいな、義経は悲劇のヒーローかも知らんけど、しょせんは現状内ゲバでしょ?っていうそれと同じで、むしろ1人とか、いってみれば義経に幻想を見て悲劇のヒーローとしてもてはやされるというのは分かるけれども、それは事実として彼が悲劇のヒーローになったかどうかということではなくて、むしろそういう悲劇のヒーローに依存したいという、それを語る側の弱者ぶりを証明しているに過ぎないんだよね。本当に彼らが悲劇のヒーローであるかどうかっていうのは、例えば事実とかからしか生まれないわけで、それこそ例えば植草先生が無実の冤罪で引っかけられたなどということ、それこそ証明されてないし、実際には手鏡持っていたわけだし見てたわけでしょ?
のら猫の手
 それは分からないです。


佐藤  逆の電車に乗ってたんでしょ?限りなく怪しいというか、僕ら無関係の外部の人間が見てもいかにも怪しい、真っ黒ですねっていうわけで、それが国策で冤罪だというふうにはなかなか言い難いですね。そう思いたいという気持ちは分かりますけれども。
のら猫の手  私も考えが変わったんですけど。
 最初は植草さんが逮捕された後、副島隆彦さんが「権力者につぶされたんだ、かわいそうな人だ」とか言ってすごい応援してて、一緒に対談本も出しててね。そのうちに植草さんが「極悪な権力を批判したから僕ははめられたんです」という本を出して、延々と悪徳ペンタゴンっていう本を、悪徳ペンタゴンがどうのっていうそういう講演会やブログでいろいろやってて、そうなのかと思っていたんですよね。
 ところが最近注目しているジャーナリストの橘匠(たちばなたくみ)と津田哲也(つだてつや)っていう人が、「ああ、これじゃ擁護できないな」とか言って、「これでは擁護できる要素がありません」というふうにいろいろ言ってて、ああ、そうなんだとか思ってて、その1人が結構、真相究明究明の人なんですけど、その人でさえ「やっぱり植草さんは冤罪だとは言い切れない、擁護できない」とか言われてて、ああ、そうなんだと思って、ちょっとショックを受けたけど。
 最近は悲劇のヒーローだと思い込むのはちょっとやめておこうかなとか思うようになってきて、少しは距離おくようになってます。
植草一秀事件を検証する会『植草事件の真実』
ナビ出版 (2007)
→AMAZON

植草一秀『知られざる真実―勾留地にて―』
→AMAZON
イプシロン出版企画 (2007)

副島隆彦、
植草一秀『売国者たちの末路』
祥伝社 (2009)
→AMAZON

副島隆彦、
植草一秀『国家は「有罪(えんざい)」をこうして創る 』
祥伝社 (2012)
→AMAZON

橘匠(たちばなたくみ)
「真相JAPAN」
→59号(2012.02.07)
2011年名古屋講演会、2012年大阪講演会

津田哲也(つだてつや)
佐藤  極悪ペンタゴンとか言って、ペンタゴンは極悪かもしれないけども、いかに極悪ペンタゴンが極悪だからといって、自分が痴漢をしてないことの証明にはならない、全く無関係だよね。むしろ逆に「痴漢が冤罪だ」というのであれば、痴漢冤罪闘争をきちんとやらなきゃいけないはずだし、あるいは冤罪で痴漢逮捕されないような司法とか、エージェントシステムを構築しなけりゃいけないという運動をきちんとやらなきゃいけないわけであって、そこでペンタゴンの悪口を書き並べたとしてもそれは関係ないし、そんなことしかできないのであれば、逆に、ああ、やったんだなっていうふうに思われても仕方がない。
のら猫の手  私は前までは植草さんって、権力批判をしたから悪徳権力につぶされた悲劇のヒーローなんだとか思ってたけど、最近はどうなんだろうっていう…。
佐藤
 それは●、革命無罪起訴っていうの?あるいは愛国無罪、最近のはやりだと。つまり「悪い日本に対してもやってるんだから車なんかいくら焼いてもいいんだ」っていう、「政治主張が正しければ何をやっても許されるんだ」という政治活動家のごう慢な発想が、どこでも蔓延しているというだけのことであって、それこそロビン・フッドでも水滸伝でもそうだけど、「極悪な権力者と戦っているから当然清廉潔白だ」ということにはならんわな。極悪な犯罪者が極悪な権力者から金を盗んでいるとぐらいあるわけだし、むしろ大体だし。
のら猫の手  タイガーマスクもそうですよね。
佐藤
 タイガーマスクはよく分かんないけど、例えば痴漢で捕まってる人は現に大量に居るわけじゃん。その人たちはじゃあみんな悲劇のヒーローなのか、権力を批判してるから痴漢で捕まったかといったら、そうじゃなくて単に痴漢で捕まってるわけでしょ?痴漢は大量に現にいるわけですよ。それこそ例えば、植草さんがその痴漢と違う、権力を批判している人だからそんな痴漢なわけはないということがあるのかっていったら、そんなことは全くなくて、むしろ今までの政治の歴史なり革命の歴史を考えてみれば、革命家だとか、●とか受賞していた人々がいかにろくでもない犯罪を犯してきたかという事例で満ち満ちているわけですよ、歴史というのは。もちろん立派に革命を行った人々が有名になって歴史に残るわけだから、そうでなかったろくでもない犯罪者の例なんていうのは、あまり語られはしないけど、実際には無数にあるわけで。それを考えてみれば、反権力だから冤罪であるということはもちろん言えないし。

のら猫の手  だから私もひ弱いおつむであまり競争能力がないから、副島先生や植草さんの言ってることもそうなのかなと理解できないし、逆に橘匠や津田哲也みたいに、これでは擁護できないとかいう批判も理解できないし、だからすごい難しいんですよ、はっきり言って。やっぱり私にはそういうのを判断する基準がないから、副島先生が言っているとかタ橘匠が言っているとか、そんなのでしか理解できないんですよ、難しすぎて。だから自分での判断の基準がないから、ちょっと自分でもおつむが弱くて情けないですど、すいませんとしか。
佐藤  それはやっぱり、人間というのは多面的で複雑なものなので、非常にすばらしい学者であって非常に革命的な発明をする天才であって、なおかつサイコパスとかあるわけですよ、変態とか。すごい変態だけどすごい立派な学者とか、そういうことは別にあり得ないことでなくて当然共存しうることなわけで。だからそれは犯罪事実のあるなしに●判断するしかなくて、その人の普段の政治主張とか、そのようなものではなかなか判断しがたいですよね。なんでこの話なんだっけ?
のら猫の手  だから陰謀論者は駄目な点とか語っていただきました。それとそれに関して私はちょっと佐藤さんと微妙に考えが違うと思うところはあるんですね。それはなんでか言うたら、心情的にはやっぱり真相究明派の方にまだ心情的に近くて、佐藤さんとはやっばり考えが違うなっていうのがあるんですね。やっぱりテレビや新聞はちょっと偏向してるなとかいうのがあるけど、でもそれに対抗する受け皿は社会のどこにもないなっていうのは感じてます。
佐藤  いや、だってそういう意味で言えば、真相究明派が本当に真相究明派なのかということが実は1番深刻な問題なんです。だって真相というのは事実であり権力が反権力かに関わるわけですよ。無関係に科学的にとか、物証によって証明されるものは事実真相であり真相なのであって、例えばテレビで言っているから真相ではないとか、ネットで言われているから真相だとかっていうようなことはあり得ないわけですよ。それは誰が言っているかということでしかないから。誰が言ってるから真相で誰が言ってることは間違ってるなんていうことは、事実や真相とは無関係だからね。ところが真相究明派の人々は結局、誰が言ってるから事実だとか、テレビが言ってるから間違ってるみたいなそういうことしか言えないっていうのは、実は真相を究明してるんじゃなくて単に特定の派閥に、あるいはセクトに寄りかかってその中でしか通用しない言説をみんなで言い合って、傷をなめ合ってるということでしかなくて、それは真相究明とはなんの関係もない単なる宗教活動でしかないよね。だって事実というのは誰がどう見ても事実なのであり、その真相究明派にとって都合が悪くても事実なんだもん。植草さんがどんなに、どんなふりをどんな言動をしていようと事実は事実だしというのが事実なわけで真相なわけですよ。真相究明派っていうのは、ただ単にテレビやマスコミで言われていることとは違うことが言いたい人々であるとしたら、それは真相ではなくて単なる反権力運動的なものでしかないよね、アナーキズムというかなんというか。





 のら猫の手の素朴な疑問


 知的で上品な方が、なぜ在特会に同情的なの?

 安田浩一は、下品な在特会を批判的には取り上げてるけど。
 でもまだ知的で上品で在特会に同情的な層にはふれてはいない。
 第一段階が在特会批判なら。
 第二段階として、次は知的で上品な方にも取材をしたらいいのに。





のら猫の手  でも逆に言いますけど、じゃあ次、これは聞きた、じゃあ逆なんで、じゃあこれは逆になんでひっくり返して言いますけど、佐藤さんの、私の周りで唯一佐藤さんだけなんですけど、在特会に対して同情的だなっていうのがあるんです。
それで安田浩一は在特会に対してすごい批判的なんですね。それに対して、だから安田浩一の書き方は「在特会に対して「負け犬」っていうふうな、「負け犬が社会への恨みで在日いじめをやってるんだな」というふうにとってるんです、解釈しています。
でもそれだけじゃ捉えられない現状があるのがあるんですね。例えば外山恒一や佐藤悟志さんは在特会に対してちょっと同情的で、しかも知的で上品なんですね。
外山恒一 『デルクイ 01─反体制右翼マガジン』
彩流社
2011
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安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』
講談社
2012
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佐藤  上品かどうか分かりませんけども。
のら猫の手  だから安田浩一は在特会の批判を第1段階としてやって、その次第2段階として次は在特会に対して同情的な外山恒一さんや佐藤悟志さんみたいなタイプを取材して、「なんで同情的なんですか」というふうに話を聞いていただいて、そこでじっくり語っていただけたらいいなとか思うんですけど。
佐藤  安田浩一はどう出てくるかは分からないけれども、そうはしないんじゃないかな、こういう仕事は。
のら猫の手  ああ、そういう仕事しないんですか。
佐藤  つまり彼にとっての結論的には、「差別排外主義者っていうのは貧乏で弱者でヒキニートで仕事がなくて、無職で引きこもりで人と目を合わせて話すこともできないような駄目人間、だから差別排外主義者なのよ」という結論が先にあるので。
のら猫の手

 でも逆に佐藤さんが陰謀論者のことをやっぱり「主流派に乗れないから陰謀論に走るんだろうから、ちゃんと社会に出て大人になって統一教会なり何なりと大人の付き合いをしろ」とか言ってたじゃないですか、逆に。




佐藤  それは言った。それは特定の誰それということではなくてそういう傾向があるっていうんですか、話だけれども。
例えば、のら猫さんとかいう人が「これこれこういう陰謀があったのではないか」という主張をしたときに、僕が例えばのら猫さん捕まえて「お前なんか無職でヒキニートで」とか言って、あなたの意見をつぶすとしたら、それは間違ってるわけですよ。さっきも言ったように事実は事実としてあるかないかが問題なのだから、そこで問われるのは、のら猫さんが言ってる陰謀説と、僕がそうは思わないっていう説のどっちが事実に近いかということで争われなきゃいけないわけですよね。
他と同様に、例えば在特会の主張が正しいかどうかというのは、在特会の主張の良し悪しによって問われるべきであって、だから在特会の人々が普段どんな生活をしているかとか、仕事があるかないかとか、収入があるかないかとか、人とコミュニケーションが取れているかどうかとかっていうことは。
のら猫の手  なんか私、微妙に同情しちゃったところが、安田浩一のあれをちょっとぱらっと見て、(在特会にたいして)かわいそうだなと思って、在特会(に対して)、私も同情したんですけど、(安田浩一が桜井誠の)福岡の実家まで行って、「高校生活がどうで」とか、そこまで出されるとちょっとかわいそうやなとか思いました。
佐藤  そんなん書かれたの?
のら猫の手  「彼女は居たけど彼女とはうまくいかなくて」とか・・・
佐藤  ひどいね。
のら猫の手  ちょっと同情しちゃったから。私だってもしそんな過激なことポンポン書いてるけど、でも実家まで来てね、いろいろ取材されたら嫌だしなとか思った。
佐藤  そんな「楽しいリア充な人生を送ってきたのかどうか」と突っ込まれれば、大体の人はそんな生活送ってこないわけで、「だからお前の主張間違える」とか言われたら、世の中の人の主張が大体「間違えてる」っていうことになっちゃうよね。
のら猫の手  だから私だって実家まで取材されたり、もと通ってた小学校、中学校、高校とかで聞き合わせなんかされたら嫌ですから。それはちょっと同情した、はっきり言って。
佐藤  だから僕が見るところでは、安田浩一さんがそういう主体をして本を出す動機というか理由は明らかで、彼が左翼だからです。
のら猫の手  左翼だから?左翼はそんなことして、右翼はそんなことしないっていうあれですか。
佐藤  いやいや、つまり在特会は右翼なんですよ。で、安田さんは左翼なわけ。左翼だから右翼を攻撃したいわけですよ。攻撃してへこましたいわけ。そのためであれば、例えば実家に行って取材をして暴露するとかっていうことも許されるというのが左翼というか安田さんの発想なのかな。
のら猫の手  右翼はそういうことはしないんですか、右翼もそういうことするけど。
佐藤  いやいや、違う違う。右翼もそういう右翼がいるわけですよ。
つまり安田さんのは在特会の悪口を言いたい動機が安田さん左翼だからなわけ。ただそこでどういう手法をとるかっていうのはまたその人のやり方にもよると思うんだけれども、基本的になぜ安田さんが在特会を批判するかと言ったら、安田さんが左翼だからなわけ。
で、それは僕は例えば、どちらかというと右翼だからね。
それはもちろん左翼を批判するし左翼を攻撃するんだけれども、そのときにその手法をやり口がどういうものかっていうのは、それはまた別な話なわけさ。

僕が見るところで言えば、その安田さんの在特会に対する批判は広い意味でのヘイトスピーチでしかないと思うわけ。
で、一般的にはヘイトスピーチっていうのは例えば朝鮮人に対してとか黒人に対してとか出自とか民族に対して、それを理由に批判したり悪罵を投げつけたりするのがヘイトスピーチだと言われてるんだけれども、でも例えば、在特会になんて偏差値が低いとか頭が悪いとか仕事がないとかっていうんだって、それはなかなか、いかんともしがたいものだったりするわけじゃん、まあ、努力したらいいんだけどね。だからといって、そうなってしまった生育歴もあるわけで、そうならないという選択肢というのには、運の良し悪しもあるだろうし、っていう意味では、朝鮮人に生まれついてしまうみたいなことで、あまり変わらなかったりするわけですよ。ところが結局それを理由に「いかに在特が駄目な人の集まりだ」みたいなことを言いたてて、それで在特が主張してるのを否定するのは、「それはお前が朝鮮人だ」っていったら朝鮮人だからといって、相手の主張をつぶそうとするのとあんまり変わらないんじゃないですか。というのが安田さんに対する僕の批判メインというか大きな部分がありますよね。

あともう1つは、そういうヘイトスピーチだけではなくて、在特とか主張に関する安田さんへの批判が載ってるんだけど、私らの本には。ただその根拠は結局何かっていうと、「日本は侵略戦争を行って朝鮮人、中国人に迷惑をかけたじゃないか」と。「そういう歴史的な経緯があるんだから、在日の特権とかいって追及したりするのはよくない」っていう。いってみりゃ出たら左翼、在日の歴史的経緯論が根拠になっていて、それで本当に正しいのかというと実は怪しいわけですよ。だって歴史的経緯があるっていうのは、いってみればヤクザの占有屋が「俺たちが長く占有してるんだから俺たちのものだ」と言って居座るのと同じ話しで。いやそれは、そもそも例えば人権とか権利とかっていうのは、占有していた人もいない人も関係なく、それぞれ平等に公平に配分されるのが人権●であって、歴史的な経緯によって特定外国人だけが優理な扱いを受けるべきというのは、むしろ歴史論というか差別、端的に普通に特権だと思ってね。

のら猫の手  「特権」っていういい方はちょっとどうかと思うけど。
佐藤  だって別にそういう歴史的経緯は持たない、例えばアフリカ人とかエスキモーとか、別に朝鮮人や在日朝鮮人のような扱いを受けられないでしょ?格差があるわけでしょ?
のら猫の手  そこら辺はちょっと微妙やけど。
佐藤  言ってみりゃ純日本人であるというような扱いを要求したりされたりしているわけだよね。もともと昔は日本人だったという歴史的な経緯があって、それは認められるべきだというようなことで、在日朝鮮人に対する特別な扱いというようなものが形成されてきたんだろうけれども、それは言ってみれば政治的な妥協の産物なわけじゃん。原理的に在日外国人みんなに与えるべき権利なので、当然保障しますということで保証されてきたものではない。だとしたらアフリカ人にも当然保障されるべきなわけであって。そういう言ってみりゃ特別扱いの歴史的な経緯によって正当化するというのは、戦後、在日によって送られてきたことなんだけれども、そろそろそういう性質に、判断、特別扱い、いいんじゃないですかという風潮は今起こってるわけですよね。在特会運動というっていうのはそれにそういう民意というか、に対応して生まれてきたものなので、その主張には一理あるというか説得力あるわけですよ。
のら猫の手  ただまあ、外山恒一の名言なんですけどね、「在特会は正しいことをお行儀悪く言ってますね」みたいな感じで、「言ってることは正しいんですよ」とか言ってましたよね。

佐藤  つまりそれこそ最初においらがいったように、誰かが言ってることが正しいんだけど、端的にヒキニートでダメで弱者で頭悪いから世間ではそういう人が言うことというのはなかなか受け入れられないわけじゃん。やはり強くて賢くて、頭がよくてきれいな人の言うことの方が通るっていうのが世の中の常であって。そこでは真相究明の人系の人が言ってることじゃなくて、テレビやマスコミが言ってることの方が正しいんだっていうふうに世間の人々はみんな思ってしまうわけでしょ?一般の風潮としては。
のら猫の手  文化的な断絶はすごいあります。
佐藤  だからそういうものの反映として、在特会が嫌悪されたり忌避されたりっていうことはあるし、それはある意味しょうがないところはあるんだよね。ただ俺はそういう世間の風潮に、言ってみれば乗っかって、在特会をつぶして朝鮮学校を守ろうというふうに展開してるのが安田浩一であり左翼であり、朝鮮総連軍運動であると。
そのときに実は僕や外山恒一みたいな繊細なファシストが、なぜそれが言えないかと言えば、端的にそれが差別的な運動だから、だよね? 「弱者でヒキニートだから間違ってるんだ」という世間の風潮に乗っかって右翼の運動をつぶそうという、ヘイトスピーチ運動であれ、なおかつそれがその「人権だの反差別だの」の名のもとに行われているので、繊細な神経を持つ僕らファシストはとても辛い。乗れないどころかそれについつい反発してしまって文句を言ってしまうことがあるわけ。

僕の場合はさらにそれよりも、もともと例えば北朝鮮がらみの運動とかをやっているので、北朝鮮がいかに悪辣で、金正日体制がいかに犯罪で打倒すべき対象かということがまず全体にあって、それの片棒というかむしろ重要な手足となって働いている朝鮮総連と、その再生産機工である朝鮮学校は取りあえず排除しなきゃいけないというふうに思っているので、その観点から見てどっちが味方かというと、在特会の方が圧倒的に味方なんですよね、僕的には。味方すべき対象なので、もちろん下品でお下劣で頭悪くて困ってしまうんですけれども、そこは目をつぶるというか我慢をして付き合ってるわけですね、これが。

のら猫の手  そうなんだ、分かりました。ありがとうございます。
佐藤  いえ、どういたしまして、こんな話で。
のら猫の手  これ取りあえず第1部を閉めさしていただきます。
佐藤  ああ、そうですか。
のら猫の手  はい。これがあとまた第2部、第3部、第4部と永遠に続けたいと思います。佐藤さんの話すごい、もう100部でも200部でも続けたいです。ありがとうございました。取りあえず切らせていただきます。
佐藤 おつかれさまです。
(録音終了)