→ リンチ事件 済州4.3事件人脈 参考資料、




在日ベッタリ媚びへつらう言論人が「在日は強制連行の被害者」を主張してきた。

ヘイトスピーチ反対活動界隈のるまたん(大学講師)主催の読書会(2013年)に一回だけ行って見たけど、在日強制連行何十万人説は絶対的ドグマで洗脳押し付けもええとこで。
私が反論をしても、闇夜のカラスもあらまー。も在日強制連行説を押し付けてきてウンザリ。あの界隈は在日のことになると異常。

逆に、ネトウヨが、「在日は済州島大虐殺や朝鮮戦争やらの難民で密入国者やのに強制連行されたとかふざけやがって!」と怒りを燃やすほうについひきづられるけど。

親日の帰化人のH S Kim氏が是々非々で在日の歴史を解説してくれたのでよかった。彼のなら素直に受け入れられる。

親日の帰化人のH.S.Kim 氏は、戦前の合法の移民で慶尚道のテグ出身だから余裕があるのかもしれない。親日で。反日在日を徹底的に批判してくれてる。だからこそ、彼が言う在日擁護は素直に聞ける。信用を築き上げている。


古くからの在日でも、全然違う。
★ 戦前からの合法的な移民の在日と、(H S KIMとか)。
★ 戦後からの済州島大虐殺や朝鮮戦争を逃れてきた密入国や書類が揃ってない偽造の外国人登録書を裏から仕入れたのと。


つい先日(2018年)、在日のための文化応援活動を長年してきた方が「チョン・カプスとか」「済州島大虐殺事件の人脈にひどいのが集まってる」「雑誌航路とかあの界隈はね」
済州島からの難民を全員をひとまとめで差別してるのではなくて、被害を政治利用してる活動家にタチ悪いの目立つんやろな。


別に差別するわけやないけど。戦前からの合法移民か、戦後の戦争難民で非合法の密入国か、最近の合法でのニューカマーかで、かなり反日ぶりが違うんではないかなあ?
慶尚道出身か、済州島出身かでも、反日ぶりがかなり違うんではないかな? 反日はどこから来るんかの研究分析が今後は重要。


古くからの在日で、朝鮮戦争難民、経済難民、済州島大虐殺事件で密入国だから書類が揃ってなくて、戸籍の密売と偽造。
密入国書類の偽造を手伝ったのが、日本の共産党人脈。だから共産党人脈には多大な恩義がある。

偽造密入国者、その子孫は、日本に帰化をしたくても、その書類をそろえるのが大変。


知人の行政書士関係者によると「一昔前なら、偽造密入国者やその子孫でもなんとかごまかしてもらってでも帰化できたけど。朴クネ政権と安倍政権になってから、偽造密入国者の帰化や偽造密入国が厳しくなってきだした。だから偽造密入国者やその子孫は、朴クネ政権と安倍政権への恨みがすごいとか」




在日は朝鮮学校と呼ばれる労働党の学校出身者が多いので共産党労働党支持者が多く、来日韓国人より反日従北が多いみたいですね。
朝鮮学校側の従北ですよ。






 
 
古くからの在日でも、全然違う。
★ 戦前からの合法的な移民(慶尚道出身者が多かったとか)。
★ 戦後からの済州島大虐殺や朝鮮戦争を逃れてきた密入国や書類が揃ってない偽造の外国人登録書を裏から仕入れた。

ニューカマーの韓国人は、書類が揃ってる。

来日して短期滞在の旅行してくる韓国人は、在日とは別物。
従北ではないのが多い。
韓国を見捨てて逃げた在日を嫌ってるのが多いとか。

文在寅政権で日本に逃亡せざるを得ない韓国人は主に日米韓同盟と言ってる保守系。古くからの従北在日とは全くの別もの。

戦前からの合法的な移民で、慶尚道のテグ出身のHS KIMの例。
















 
 HS KIMによる解説だと、




2017年で朝鮮系オールドカマーが約70万人
 ★約37万が帰化済みの韓国系・朝鮮系日本人
 ★約30万人が在日韓国人。
 ★約3万人が在日朝鮮人。
そしてニューカマーが約15万人



金時鐘(キム シジョン)

李信恵がリンチ事件報道後、金時鐘(キム シジョン)との写真をアップ。噂では「李信恵は、屈服させた相手を写真撮影してアップする」とか。



https://ameblo.jp/sapporo-mmm/entry-12155044450.html
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★重大情報!日本共産党が、在日韓国朝鮮人の日本密入国に関与
2016-04-29 08:26:25

テーマ:慰安婦


「在日密入国者と日本共産党の関係」を知る上では超弩級の資料です。
金さんが「林」名義の外国人登録を入手したのは、購入ではなく「組織の支援」のようです。

http://ameblo.jp/nadesikorin-fight/entry-12154966801.html

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おはようございます雨 

なでしこりんさんのブログから、軽くまとめてみたら 共通点が。。どこかで見たような。。Σ(・ω・ノ)ノ!

.1950 年前後に登場した在日朝鮮人の文学者金石範と詩人の金時鐘

共通点・・・済州島・密航・共産党に入党・北朝鮮・

詩人キムさんは「林」名義の外国人登録を入手。。。



「組織の支援」(共産党)で、.「林」名義の外国人登録を入手した詩人キムさん。。

文学者金石範・詩人の金時鐘。。共に、日本共産党に入党し政治活動。

・文学者キムは、密航して日本共産党に入党。その後、北朝鮮の地下組織で活動

・詩人キムは、共産党の手引きで外国人登録証を入手し、「林」姓を入手。

 

●金石範

済州島出身の両親のもとで1925 年に大阪で生まれる。本名は愼陽根。
解放までに何度か済州島に渡るが,解放前年に大韓民国臨時政府がある中国・重慶への亡命を胸に秘めて故国に戻るも,結局果たせずに大阪に舞い戻る。

1946 年夏,大阪に「密航」。日本共産党に入党して活動。

1948 年4 月済州島人民蜂起。その後、「密航者」が大阪に集まりはじめる。

1952 年日本共産党を離脱。仙台で北朝鮮直結の地下組織で活動。

極度の神経症を患って任務を放棄する。



●詩人・金時鐘

1929 年元山生まれ。
母方の縁で,政治犯の流刑の地で名高い済州島に移り住む

1948 年4 月以後,済州島4・3 事件に関わる

1949 年6 月、父が手配してくれた「密航船」で神戸沖(須磨付近)で上陸し

         日本共産党に入党。組織の支援で外国人登録証を入手。

1950 年5月26 日,『新大阪新聞』の募集欄「働く人の詩」に最初の日本語詩を掲載。

             筆名は「工員 林大造」
北の共和国は「正義」そのもの。共和国・金日成を信じた金時鐘は,社会主義祖国をみ
ちびきの星として,在日朝鮮人同胞社会のなかで精力的に詩作をしていく

http://human.kanagawa-u.ac.jp/kenkyu/publ/pdf/syoho/no52/5208.pdf

(略)


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古くからの在日でも、全然違う。
★ 戦前からの合法的な移民(慶尚道出身者が多かったとか)。書類が揃ってる。
★ 戦後からの済州島大虐殺や朝鮮戦争を逃れてきた密入国や書類が揃ってない偽造の外国人登録書を裏から仕入れた。その子孫も先祖の書類があやふやで帰化申請が困難。

ニューカマーの韓国人は、書類が揃ってる。

来日して短期滞在の旅行してくる韓国人は、在日とは別物。
従北ではないのが多い。
韓国を見捨てて逃げた在日を嫌ってるのが多いとか。

文在寅政権で日本に逃亡せざるを得ない韓国人は主に日米韓同盟と言ってる保守系。古くからの従北在日とは全くの別もの。


戦後からの済州島大虐殺や朝鮮戦争を逃れてきた密入国や書類が揃ってない偽造の外国人登録書を裏から仕入れた。その子孫も先祖の書類があやふやで帰化申請が困難。
そういう密入国者に偽造書類をあっせんしてきたのが共産党。だから、密入国者やその子孫には共産党に恩義があるのが多い。


でも書類が揃ってる戦前からの合法的な移民には弱みがないから、共産党に媚びなくてもいい。
新規のニューカマーも書類が揃ってるから、共産党に媚びなくてもいい。






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金さんが「林」名義の外国人登録を入手したのは、購入ではなく「組織の支援」のようです。 尹健次さんの「在日朝鮮人の文学―植民地時代と解放後,民族をめぐる葛藤」という論文よれば、

.....「金時鐘は,1948 年4 月以後,済州島4・3 事件に関わったため,父が手配してくれた「密航船」で,1949 年6 月に神戸沖(須磨付近)で上陸する。すぐに日本共産党に入党して活動をはじめ,組織の支援で外国人登録証を手に入れる。」(140頁)
http://human.kanagawa-u.ac.jp/…/publ/pdf/syoho/no52/5208.pdf

.....他人に成りすました外国人登録証の入手は、日本共産党等の左翼団体等による組織的活動によってなされたものと思われます。 金さんは、その後「林大造」という名前で日本で生活し、この名前で公立学校の教員をするなど、活躍されます。 (辻本武先生が書かれた記事からの引用です。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112) 

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神奈川大学
http://human.kanagawa-u.ac.jp/kenkyu/publ/pdf/syoho/no52/5208.pdf

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在日朝鮮人の文学―植民地時代と解放後,民族をめぐる葛藤
尹健次(ユン・コォンチャ)

(略)
金石範と金時鐘

(略)

そうした金時鐘は,1948 年 4 月以後,済州島 4・3 事件に関わったため,父が手配してくれた「密航船」で,1949 年 6 月に神戸沖(須磨付近)で上陸する。すぐに日本共産党に入党して活動をはじめ,組織の支援で外国人登録証を手に入れる。強制送還されれば処刑の危険があった時代である。1950 年 5月 26 日,『新大阪新聞』の募集欄「働く人の詩」に最初の日本語詩が掲載される。筆名は「工員林大造」であった。

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辻本武 tsujimoto blog
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金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 ― 2015/07/28
 金時鐘さんが最近出した回想記『朝鮮と日本を生きる』(岩波新書 2015年2月)について、以前に少し触れました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

 金さんは南朝鮮労働党(南労党)の活動家として1948年の済州島4・3事件に関わり、日本に亡命=密入国した方です。 4・3事件では武装蜂起した側の立場に立った記述をしています。 この事件に関しては、拙論で少し論じたことがあります。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806

 それはともかく、金さんの今回の回想記を読んで、彼自身の法的身分関係について疑問を持ちました。 彼は1949年に日本に密入国するのですが、日本でどのような身分を獲得したのかが記されていないのです。

 金さんはその後日本共産党に入党したりして日本国内で活動し、また病気して長期入院し、在日女性と結婚したりしていますから、何らかの身分を持ったはずです。

 一番考えられるのは、当時は外国人登録証が売買されていた時代ですから、これを購入して他人に成りすましたのではないか、ということです。 当時の在日でこういう方は多いもので、例えば中公新書『オンドル夜話』の著者の尹学準さんは、1953年に密入国して当時のお金で3万円で外国人登録証を買い、「李継栄」という名前で暮らしてきたことを明かしています。

 金さんが尹さんと同じように他人に成りすましただろうと推定する根拠は、この本の288頁にある「あいさつ」文です。 その内容は次の通りです。

あいさつ  略啓   小生この度、外国人登録書名の「林」でもって韓国の済州島に本籍を取得しました。‥‥ ‘03年十二月十日

 ここから金さんの外国人登録名が「林」であることが分かります。 金さんの父は「金鑚国」(292頁)ですから、「金」が本名です。 とすると外国人登録の「林」は別人の名前ということになります。 おそらく「林」名義の外国人登録証を購入したことになるでしょう。

 当時は戦後の混乱期でした。 在日朝鮮人では寄留届(住民登録に相当)の転出を届けずに韓国に帰国した人も多く、その場合は公的書類上日本に所在していることになります。 こういった不在の人たちが外国人登録され、その外国人登録が売買されたのです。 それ以外にも全くの架空の人物の外国人登録(偽造ですが本物と区別がつかなかったといいます。 「幽霊登録証」などと言われていました)もあったそうで、これも高価に売買されたようです。

 日本での身分関係は以上のように推定できるのですが、今度はこの「林」名義で韓国の入籍(韓国は戸籍に代わり、家族関係登録簿となっている)したというのが、よく分からないところです。 おそらくは日本国内では家族含めてこの「林」名で生きて来られたので、今更もとの「金」では生活し難いと思われたのだろう、と推測します。

 ところで金さんが韓国で作成した家族登録簿(戸籍に相当)の父母欄には実父母の名前が記載されているのか、それとも「林」名という他人の名前が記載されているのか、気になるところです。

 金時鐘さんの身分関係について、彼の回想記から推測に推測を重ねました。実際のところはどうなんでしょうかねえ。

【関連拙稿】

金時鐘さんの法的身分(続)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

在日の密航者の法的地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269

韓国密航者の手記―尹学準        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877

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コメント
_ 辻本 ― 2015/07/28 19:48
> おそらく「林」名義の外国人登録証を購入したことになるでしょう。

 金さんが「林」名義の外国人登録を入手したのは、購入ではなく「組織の支援」のようです。

 尹健次さんの「在日朝鮮人の文学―植民地時代と解放後,民族をめぐる葛藤」という論文よれば、

「金時鐘は,1948 年4 月以後,済州島4・3 事件に関わったため,父が手配してくれた「密航船」で,1949 年6 月に神戸沖(須磨付近)で上陸する。すぐに日本共産党に入党して活動をはじめ,組織の支援で外国人登録証を手に入れる。」(140頁)    
http://human.kanagawa-u.ac.jp/kenkyu/publ/pdf/syoho/no52/5208.pdf

 他人に成りすました外国人登録証の入手は、日本共産党等の左翼団体等による組織的活動によってなされたものと思われます。

 金さんは、その後「林大造」という名前で日本で生活し、この名前で公立学校の教員をするなど、活躍されます。
_ 大森 ― 2015/07/31 23:07
『オンドル夜話』は私も読みましたが最終的に著者の登録はどうなったんでしょうね
尹学準氏のような大学講師も務めた著名人が成りすましのままで登録をつづけたとも考えられないしある時期何らかの救済策があったのでしょうか
_ pm ― 2015/08/02 01:15
尹学準氏については、「1976年に東京入国管理局に自首をし、収監され、保釈金により釈放される。その後、罰金3万円を支払い、特別在留資格が許可される。」とwikiにあります。
_ (未記入) ― 2015/08/02 05:05
高柳俊男「渡日初期の尹学準一密航・法政大学・帰国事業」という論文に下記の一文がある。

そうしたなかで尹学準は、密航に伴う法的な問題に区切りをつけた段階で、「わが密航記」(注2)という記録を書いている。密航の具体的な様子をはじめ、密航後のトラブルや不安な心理状態などが事細かに記されており、きわめて異例で貴重である。

注2 『朝鮮研究』190号、1979年6月号。特集は「密入国者」。
_ 健介 ― 2015/08/03 08:14
密航者に特別在留資格を与えるというわが国の行為が、そもそもいけない。ここに大きな問題があったとおもうがわからない。
 特別在留資格という概念の変質が元にある。
在留資格は一つに絞ることで。今後わが国はこれを変更して、遡及させることによって、国を保つことになる・
 少しばかり彼らの書いた文章を読むと、まるで泥棒が嬉々として、その成果を書いているような気がした。
 ここが朝鮮人ということでしょうか?
もっとも不正を得意げに話す人はいくらでもいるけれどもなあ。


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シネ・ヌーヴォ · フォローする
2014年4月26日 ·
済州島4・3事件 年表
1945年
8.15 朝鮮解放
9. 1 済州島建国準備委員会(建準、委員長呉大進)結成
9.22 済州島建準、済州島人民委員会(委員長呉大進)に改編
9.28 米軍済州上陸、日本軍58軍司令官遠山登中将、降伏文書に署名
10.27 済州島を含む全羅南道一円に軍政実施
11. 5 保安隊による漢拏団襲撃事件を名目に、米軍政が済州島人民委員会急襲、154名を逮捕
11.10 米第20連隊第59軍政中隊入島。本格的な軍政業務開始
11.20 ソウルで開かれた全国人民委員会代表者大会に済州代表として呉大進ら4名が参加
12. 9 朝鮮共産党済州島委員会結成
1946年
8. 1 済州道制実施、2郡1邑12面行政体制
8.27 コレラによる済州島の死亡者369名にのぼる
10.29 南朝鮮過渡立法議員選挙において済州道では全国で唯一左派系人物2名を選出
11.16 国防警備隊第9連隊摹瑟浦に創設
11.23 朝鮮共産党済州島委員会を南朝鮮労働党(南労党)済州島委員会に改編
1947年2.17 済州島3・1闘争記念準備委員会(委員長安世鴻)結成
2.23 民主主義民族戦線(民戦)済州島委員会結成
3. 1 済州島民戦の主催で第28回3・1節記念式開催、3万名が参加。参加者の示威に警察が発砲し6名が死亡
3.10 全島が官民ゼネストに突入。13日までに166機関・団体の41,211名が参加
3.15 応援警察隊220名が来島
11. 2 西北青年会済州道本部(委員長張東春)結成大会
1948年
1.22 警察が南労党朝天支部を急襲、106名検挙
3. 6 朝天支署で朝天中学院学生金用哲が拷問致死
3.14 摹瑟浦支署で青年梁銀河が拷問致死
4. 3 南労党の武装隊が済州島内の12警察支署、右翼団体幹部宅などを襲撃
4. 5 済州警察監察庁内に済州非常警備司令部設置
4.16 済州島人民遊撃隊総責金達三の名義で「5・10亡国単独選挙反対の武装蜂起声明」発表
4.17 米軍政、第9連隊に鎮圧作戦出動を命令
4.28 金益烈第9連隊長、金達三と会談。72時間以内の戦闘中止など3条件で合意
5. 1 西北青年会員らによって済州邑吾羅里で放火事件発生
5. 5 ディーン軍政長官、済州島事態の鎮圧政策を協議するための最高首脳会議招集。警備隊側は和平を、警察側は討伐を主張し激しく対立
5. 6 金益烈第9連隊長解任。後任連隊長として朴珍景中佐赴任
5.10 南朝鮮単独選挙実施。全国200選挙区中、北済州郡甲・乙選挙区のみ投票率が過半数に至らず
5.15 第11連隊が済州へ移動。第9連隊を合同させ第11連隊再編(連隊長朴珍景)
5.24 ディーン軍政長官、済州道2選挙区について選挙無効を宣言
6.18 第11連隊長朴珍景が部下に射殺される
6.21 米軍政、後任第11連隊長に崔景禄中佐を、副連隊長に宋堯讃少佐を任命
7.15 第11連隊から元第9連隊の兵力を配属解除し、第9連隊を再構成(連隊長・宋堯讃)
7.24 第11連隊が済州島から撤収。済州島討伐作戦は第9連隊に委ねられる
8.11 済州道民保団創設
8.15 大韓民国政府樹立
8.21 南朝鮮人民代表者大会(海州)に済州島から金達三6名が参加(8.25金達三が済州島パルチザン闘争の成果を報告)
9. 9 朝鮮民主主義人民共和国政府樹立
10.11 済州道警備司令部(司令官金相謙)設置
10.17 宋堯讃第9連隊長、海岸から5キロ以上地域の通行禁止を布告
10.19 済州島への出動を命じられた麗水第14連隊の反乱事件発生(~10.27)
金相謙司令官罷免、宋堯讃第9連隊長が司令官兼任
10.24 武装隊、李徳九総責の名義で韓国政府に宣戦布告
第9連隊の将兵100名余りがスパイ容疑で連行、のち処刑11. 1 警察フラクション事件、20名処刑
11. 9 西北青年会、金斗鉉済州道総務局長を拷問のうえ殺害
11.13 軍警討伐隊、涯月里下加里・召吉里で住民約80名を集団銃殺。この日を起点に焦土化作戦開始
11.17 李承晩大統領、済州道全域に戒厳令宣布
11.中旬 安徳面東廣里の洞窟クンノルケに住民たちが避難しはじめる。以後、約2ヵ月間生活
12. 1 国家保安法公布
12.12 国連、韓国政府承認
12.18 旧左面タランスィ窟に避難していた住民10名が討伐隊により窒息死
討伐隊、表善面兎山里の砂浜で157名射殺(~12.19)
12.19 大同青年団・西北青年会など統合し、大韓青年団結成
西北青年会員250名、済州到着。25名は警察、225名は軍に編入
12.29 第9連隊にかわって、第2連隊(連隊長咸炳善)を討伐作戦に配置
12.31 済州道地区の戒厳令解除
1949年
1.17 討伐隊、朝天面北村里住民約400名を集団虐殺(~1.18)
3. 2 済州道地区戦闘司令部(司令官・劉在鴻)設置、宣撫工作へ徐々に転換
4. 9 李承晩大統領来島
5.10 国会議員再選挙実施
5.15 済州道戦闘司令部解散、西北青年会員で構成された第2連隊第3大隊撤収
6. 7 李徳九武装隊総責、射殺される
6.29 駐韓米軍の撤収完了、軍事顧問団500名は残留
8.13 第2連隊撤収
1950年1.26 米韓軍事相互防衛協定締結
6.25 朝鮮戦争開戦
6.29 治安局長、済州道警察局長に国民保導連盟ら「不純分子」の拘束を指示
7.16 松岳山ソッサルオルムの旧日本軍弾薬庫で、摹瑟浦警察署管内の予備検束者218名を集団射殺(~7.20、8.20)
1951年
7.10 休戦会談開会
1953年
1.29 遊撃戦特殊部隊のムジゲ(虹)部隊が漢拏山作戦地域に投入(5.1作戦完了)
7.27 休戦協定調印
1954年
4. 1 漢拏山を部分開放、海岸に疎開していた山間部落民に帰村許可
9.21 漢拏山禁足地域を全面開放
1956年
5.18 慕瑟浦住民集団虐殺事件(1950年)の遺族が探し当てた遺体132体を共同で埋葬し、埋葬地を「百祖一孫之地」と名づける
1957年
4. 2 最後の遊撃隊員・呉元権が捕獲される
8.- 金石範が4・3事件を題材とした小説「看守朴書房」を『文芸首都』に発表
1959年
5. 8 「百祖一孫之地」に遺族が慰霊碑建立
1960年
4.19 4・19革命
5. - 済州大学生7名が「4・3事件真相糾明同志会」を組織
6. 6 国会調査団、犠牲者遺族らから聴き取り1961年
5.16 5・16軍事クーデター
5.17 「4・3事件真相糾明同志会」の2名が検挙。済州新報社の慎トゥバン専務ものちに拘束
6.15 警察が「百祖一孫之地」の慰霊碑を破壊
1972年
10.17 維新クーデター、非常戒厳令布告
1978年
9. - 玄基榮が小説「順伊おばさん」を『創作と批評』に発表、のち国家保安法違反容疑で拘束
1980年
5.18 光州民主化運動
1987年
3. - 李山河が長編叙事詩「漢拏山」を『緑豆書評』に発表、のち国家保安法違反で拘束、懲役1年判決
6.29 民主化宣言
1988年4. 3 ソウルと東京で集会など40周年記念行事
1989年
4. 3 済州島の社会運動諸団体で結成された「4月祭共同準備委員会」が、初めての追悼行事として「41周忌4・3抗争追慕祭」を開催
済州新聞社が「四・三の証言」連載開始。のち、済民日報が「四・三は語る」として継承
5.10 済州4・3研究所発足
1993年
3.20 済州道議会「4・3特別委員会」設置(1995.4『4・3被害調査報告書』刊行)
1999年
3. 8 「済州4・3真相糾明と名誉回復のための道民連帯」結成
12.16 「済州4・3事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」国会通過
2000年
8.28 「済州4 •3事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会」発足
2003年
10.15 4・3事件真相報告書最終確定
10.31 盧武鉉大統領公式謝罪
2006年
10.31 犠牲者遺骸発掘事業開始
2008年
3.28 済州4・3平和記念館開館
11.10 済州4・3平和財団出汎式
2014/04/19 藤永 壯



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