→  リンチ事件 済州4.3事件人脈 歴史と時系列順





1988/04/03(日)14:00~
在日本韓国YMCA アジア青少年センター、東京都千代田区神田猿楽町2丁目5−5、JR水道橋駅
「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」
主催:四・三事件を考える会


立教大学
集合的記憶における済州4・3
2022/05/10
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3. 済州 4・3 を周知するための在日済州人の努力と成果

3.1. 東京での済州 4・3 真相究明運動の開始と作家・金石範(キム・ソッボム)

東京での済州 4・3 真相究明運動の始まりは、1988 年 4 月に開催された「済州 4・3 事件を考える会」の「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」がきっかけとなった(1988 年 4 月 3 日午後 2 時、東京水道橋、韓国YMCA)。

その中心には、1984 年、『火山島』で、第 11 回大佛次郎賞を受賞した在日済州島出身作家の金石範が 1988 年 3 月 29 日付けの朝日新聞に 3 千字に及ぶ「ウネリ-タブー打破、立場を求められる知識人」の解題があった。この解題により、集会は在日済州人をはじめ、日本人も大勢参加することで、約 500 人の聴衆が集まることとなり、これが集会を成功させるのに大きく寄与したといえる。
金石範は、『看守朴書房』(1957.8)、『カラスの死』(1957.12)、『火山島』(1976~1997)などの小説を執筆し、さらに 1998 年の毎日芸術賞受賞もあり、こうした活動を通じて日本社会に済州 4・3 の真相を知らせた。また、金奉賢(キム・ボンヒョン)·金民主(キム・ミンジュ)による『済州島人民の《4・3 武装闘争史》資料集』(1963)などが出版され、済州 4・3 が日本社会で次第に注目され始めた。日本の毎日新聞によると、金石範は 1951 年に対馬を訪れるが、この時、ある女性から性拷問の体験談を聞いて現実以上に圧倒され、それを基点に済州 4・3 をテーマにした『カラスの死』(1957)を執筆したという。この作品は、日本社会での済州 4・3 を知らせる礎となった。
一方で、金石範は、2015 年に韓国で開催された第 1 回済州 4・3 平和賞の受賞者に選ばれたが、李承晩を批判する発言をしたということで保守派の国会議員から批判を受ける。同年の 10 月には『火山島』が韓国で出版され、出版記念会に出席しようとした際には、入国を拒否されるなどの困難を経験した。これは、いまだに韓国社会で深刻に残存しているイデオロギー対立を代表する例といえる


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1993/04/03(土)

済州島「四・三事件」45周年追悼の集い(KCC会館)
「済州島のメーデー」上映
パネルディスカッション
・金石範(キム・ソクポム)(作家)
・金民柱(キム・ミンジュ)(元在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部)
・文京洙(ムン・ギョンス)

主催:「済州島四・三事件45周年追悼の集い実行委員会」
賛同:済州島「4・3事件」を考える会



和解学の創成〜正義ある和解を求めて〜|早稲田大学
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「済州4・3」70周年、大阪での取り組み25年から見えてきた家族の記憶

済州四・三事件70周年犠牲者慰霊祭実行委員会:大阪市生野区在住

張征峰(チャン・チョンボン)


済州島四・三事件45周年追悼の集い(1993.4.3)

1993年4月大阪市生野区のKCC会館ホールで『済州島「四・三事件」追悼の集い』を催した。東京の済州島四・三事件を考える会と共に準備した。当時同胞でも関心を持つ人は少なかった。当時事件に関する情報も圧倒的に不足していた(正確に言えば、済州島4・3事件を暴徒の事件と決めつけ、事件をタブーとした権力作用がつい最近2000年1月、「四・三特別法」制定、公布まで続いてきた)。事前に京都新聞が取り上げてくれた。金石範氏、金民柱氏、文京洙氏のパネルディスカッションだったが、論議が尽きずフロアからの体験談等も相次ぎ予定の時間を大幅に過ぎ進行に四苦八苦した。大阪では初めての公開的な追悼集会になった。以降も毎年学習会が継続、50周年からは予算や事務局体制が整備され、今では1世を中心に参加者が500名を越す大規模な慰霊祭となっている。

なぜ「済州4・3」に関わろうとしたのか。当時事件を十分に認識していた訳ではない。知らないから関わった。それまで済州に関心がなかった。韓国民主化運動には関心があったが、済州の歴史を知ろうとしなかった。辺境の地・済州島とみなす差別意識が自分のなかになかったとは決して言えない。

最近知ったが、私が幼少の頃、北朝鮮への帰国運動が始まると、父が帰国を決めてしまった。母方親類が北の状況は良くないと察知し、猛反対で乗船しなかった。以降も下請工場製造業を家族全員で担ったが生活は困窮。民族差別が当たりまえの日本社会で家族を背負って生きる在日1世の父の不安、やるせなさ、とりわけ仕事上のストレスは家族への暴力へ向かわせた。生活苦のなか、故郷の土地を済州の家族に譲渡し、学用品など仕送りする父に、私たち家族への愛情はないのかと母、子ども同士で非難したりもした。

幼少の記憶はトラウマになっている。当時の済州は1世である尊敬できなかった父のイメージと重なる。

事件に関わるきっかけは外登法運動に関わる中知り合った新幹社の高二三さんらの熱心な働きかけが大きい。大阪は同胞が多く、生野区は済州出身者が多い。事件のことを知りたい。45周年の節目で集いを催すことで、得体のしれない闇に包まれている事件のタブーを解きたいとそう思った。

2001年父親の葬儀の通夜で父方の親類が「あんたのお父さんは当時は警察官で、「済州4・3」の前の年にあった三一節集会でデモ参加者へ警察官が発砲等したので武装隊から警察官への報復があるからと兄弟が日本に逃がした」と教えてくれた。父は武装隊が1948年4月3日蜂起する前に妻と2歳の娘、父母、兄弟を置いて解放前から行き来していた大阪へと逃れた。朝鮮籍であったこともあり1978年頃、民団の母国訪問墓参団に参加するまで済州に帰郷できなかった。

済州島から逃れたが、大阪で郷里、済州市三陽里の親睦会には熱心に活動をした。南北分断が深化するなか、帰れない済州。親睦会は父にとって済州だった。

生前、恐る恐るなぜ警察官になったのかと尋ねたら、「1945年8月は光州市で日本軍として解放を迎えた。警察官を募集していたので応募したら採用された。公務員だし安定して生活ができると思った。」とだけ言った。

1998年1月大阪で「済州4・3」を描いた映画『レッド・ハント』(※注)が上映された。体験者の証言が続くのだが父の兄・張五林が突然登場。1947年3月1日観徳亭広場での集会、デモに参加していた。「一番後ろの方を歩いていたもんだから…。銃で撃たれて…。弾は首のところを貫通したんだ。これが弾をうけたときの傷じゃ。」と首の傷跡をみせた。1986年初めて済州島を訪ねた際に観徳亭を案内してもらったが、傷のことも事件のことも話してもらえなかった。映画の後立ち上がれなくなった。父は2001年に亡くなったが、最後まで事件前後のことは一切語らなかった。私が「政治難民」の子どもである事実を知ったのは本当に最近のことだ。

25年を経過した今、沈黙をかかえて亡くなった父ら死者と対話しながら、記憶を頼りに、国境をこえて、か細く頼りないが、済州との関係を紡ぎ直す歩みのなかにいる。


昭和18年12月当時、日本軍人(左が父:21歳頃)

在大阪三陽張氏親睦会(1966.4.17.)

※注:『RED-HUNT 日本語版シナリオ』(東アジアの冷戦と国家テロリズム事務局:1998年刊)P4


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済州四・三 75周年大阪慰霊祭
済州島四・三事件をめぐる主な大阪での取り組み
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1993年
4月 済州島「四・三事件」45周年追悼の集い(KCC会館)
    「済州島のメーデー」上映
    パネルディスカッション(金石範・金民柱・文京洙)
    主催:「済州島四・三事件45周年追悼の集い実行委員会」
    賛同:済州島「4・3事件」を考える会


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1997年




立教大学
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集合的記憶における済州4・3
―在日済州人の済州 4・3に関する記憶を中心に―


(略)



3.2. 「済州島 4・3 事件を考える会」と済州 4・3 事件50周年記念事業

済州 4・3 真相究明運動は、40 周年追悼集会後、10 年近く停滞期に入ることになる。 この要
因について、曺東鉉(2018)は、済州島出身の一部の知識人などが、済州人としての枠を越える
ことができなかった点にあると述べている。
また、当時北朝鮮系列の団体により結成された左派の「在日本朝鮮人総連合会(略称:朝鮮総
連)」と民族運動を統一的に行う目的で結成された右派の「在日本大韓民国民団(略称:民団)」の
2 つの組織と対峙する心構えの無さ、大衆運動に対する拡がりの無さがあったという。また、済
州 4・3 の 50 周年を迎え、当時東京では朝鮮総連と民団の活動を支持しない人々によって「在日
同胞のための文化運動」である「在日論」などが唱えられており、済州 4・3 真相究明運動が展開
できない状況だったという。



1997 年、済州 4・3 運動をしていた何人かの知識人たちが集まり、在日済州人だけの問題と
いう認識から抜け出し、済州 4・3 の大衆化を目指した「済州島 4・3 事件を考える会(東京)」を
中心に「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」を組織することになった。同委員会メンバ
ーを表 2 に示す。

表 2. 「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」メンバー

《共同代表》
金石範、李哲、玄光洙、金民柱、金日、安守栄、韓泰淑、李修吾、梁石日、文京洙

《事務局》
高二三、曺東鉉、高熙卓、韓聖炫 , 金重明、金民柱(不参加)

(出典:「済州四・三運動にかかわってきた二十年をふりかえって―東京での四・三運動の歴史と現在―」『済州島四・三事件 70 周年記念国際シンポジウム』から抜粋)

「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」は、在日済州人に限られた済州 4・3 運動を誰もが参加できる市民運動として飛躍させる契機を作り、さらに民謡と追悼コンサートなど多様な文化芸術を加えながら日本社会で済州 4・3 の大衆化のために努めてきた。また、日本でも済州4・3 のような歴史を隠蔽する動きがあるなか、朝鮮半島でも同様な動きがあったことを日本社会に知らせていることから、「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」の活動がもつ済州 4・3 の意味は大きいと考えられる。

以下は、済州 4・3 事件 50 周年に因んで取り組んだ行事である。

 「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」の推進により行われたイベント
○ 1997 年 10 月 「四・三を語る夕べ」、作家金石範と梁石日氏の白熱の討論
○ 1998 年 3 月 ブルース・カミングスを招聘、講演(『済州島四・三事件と米軍政』)の出版

記念パーティー
○ 新幹社、『済民日報』四・三取材班による『四・三は語る』翻訳本(『済州島四・三事件』)
○ 4 月 4 日(土) 50 周年追悼コンサート(御茶ノ水・カザルスホール 500 名収容)
また、済州 4・3、50 周年記念事業を土台に大阪ピロティホールでも公演が開かれた。 この公演は、約 1100 名の人々が参加する大衆的な行事として開催された。

済州 4・3 運動をめぐっては、「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」と葛藤のあった
朝鮮総連と民団を参加させるため、大阪実行委員会は民団を、東京実行委員会は朝鮮総連を、そ
れぞれに対して交渉を重ねることで朝鮮総連及び民団も同行事を支持するという意志を示し、そ
の結果両団体も 70 周年の追悼式に参加することになった。これまでの両団体の方針の壁を乗り
越え、済州 4・3 が目指す和解と治癒の道を共に歩む根拠を提示した一つの例として挙げられる。




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1997年、呉光現が40才になってから、「済州4・3」運動に関わるようになってきたとか。




 
 


2000年10月、
在日本済州島四・三事件遺族会発足式(KCC会館) 
会長:康実(カン・シル)


康実(カン・シル)は、李徳九(イ・ドック)の姉の息子とか。

李徳九(イ・ドック)は、南朝鮮労働党の済州島支部の主導者で、済州四三事件を主導したけど、(1949年6月6日)、警察との抗争の末、銃殺され、警察の壁にはりつけでさらされた。



康実(カン・シル)の死後(2015年)、呉光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン)が二代目会長を引き継いだ。




 




2012/04/23(月)18:30(開場18:00) 日暮里サニーホール 入場券:2,000円(前売り1,800円)

Ⅰ部:パネルディスカッション「済州島四・三事件と朝鮮半島をとりまく現在(いま)」
   鵜飼哲(一橋大学教授)、桜井泉(朝日新聞記者)、文京洙(立命館大学教授)

Ⅱ部:ライブ 趙博(パギやん)

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 TEL:03-5689-4070 shinkansha@sapphire.bforth.com




図書出版「新幹社」
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済州島四・三事件64周年記念追悼集会
毎年4月の恒例の行事となりました。
今年も済州島四・三事件64周年記念追悼集会を開催します。
ぜひ、たくさんの方々に参加していただきたいと思います。
みなさんのお越しをお待ちしております。

済州島四・三事件とは・・・朝鮮現代史における民族最大の悲劇の一つ。一言で言えば、1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、その武力鎮圧の過程で3万人近くの島民が犠牲となった事件。
韓国の歴代政権は、その存亡を賭けて事件を闇の中に封じ込めた。沈黙の圧力の中でも、日韓の双方で一部の作家や知識人が四・三の真実を問い続けてきたが、四・三事件についての論議が本格的に起こり、真相究明運動が始まったのは、87年民主化運動以後であった。
日本でも87年に「済州島四・三事件を考える会」がつくられた。

済州島四・三事件64周年記念追悼集会 
日時:4月23日(月)18:30(開場18:00) 日暮里サニーホール 入場券:2,000円(前売り1,800円)
Ⅰ部:パネルディスカッション「済州島四・三事件と朝鮮半島をとりまく現在(いま)」
   鵜飼哲(一橋大学教授)、桜井泉(朝日新聞記者)、文京洙(立命館大学教授)
Ⅱ部:ライブ 趙博(パギやん)
   
・・・今回の記念行事では、四・三事件の歴史的評価と共に北朝鮮の金正日委員長の逝去や4月11日に行われる韓国国会議員選挙など、揺れ動く今日の朝鮮半島情勢について改めて考えるものである・・・

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 TEL:03-5689-4070 shinkansha@sapphire.bforth.com



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2013/02/09( 土) 午後1 時半~午後5 時
文京区民センター 3 ― A 会議室、東京都文京区

【講師】
◆ 李昤京(Lee RyongKyong)立教大学非常勤講師 政治学専攻
◆ ゲスト:金志修(Kim jisoo)東京在住 テキスタイルデザイナー「私が出会ったカンジョン」

【上映映画】
◆「JAM DOCU 江汀」ヤン・ドンギュ監督他 20 11 年12 月上映作品(韓国にて)。104 分。
◆「ニュース打破」6・7 回(2012 年3 月)、江汀特集
【済州島四・三事件65 周年記念連続学習会】
第2 回 済州島四・三事件と 江汀海軍基地問題 ー入 門 編

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
曺東鉉(チョ・ドンヒョン)
高二三(コ・イサム)、
高英姫(コ・ヨンヒ)
元日東
李昤京(リ・リョンギョン)
金良淑(キム・ヤンスク)

村上尚子
石井寛
渡辺一夫
田嵜晳(たざき あきら)(文芸春秋の編集者)

中野敏男
原田克子
木瀬慶子
栗原順子
山田修
麻生水緒


◆問い合わせ先:新幹社 〒112-0005 東京都文京区水道2丁目1-12
 TEL:03-5689-4070 FAX:03-5689-2988
 EM:shinkansha◎sapphire.bforth.com (◎を@にして送信)




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安渓 遊地
2013年2月3日 ·
 4月3日はどんな日でしょう。3月1日や2月28日とならんで忘れがたい日なのですが。
 李リョンギョン(昤京)さんからの情報をシェアします。
 下記内容の拡散と皆様のご参加をお願いします。
 今年は48年4月3日韓国の済州島で起きた「済州島四・三事件」の65周年に当たる年です。
 4月24日の65周年の集会を向けて学習会を開いております。
 第2回目は、済州島で暴力的に進められている 江汀海軍基地問題をテーマにします。
皆さんのご参加、お待ちしております。
ーーー
【済州島四・三事件65 周年記念連続学習会】
第2 回 済州島四・三事件と 江汀海軍基地問題 ー入 門 編
*2013 年2 月9 日( 土) 午後1 時半~午後5 時
*文京区民センター 3 ― A 会議室
*参加費:800 円
第2 回目は、「済州島四・三事件」の歴史的な経緯を認識し、済州島の現在おかれている問題を知るために、江汀( カンジョン) マウル(マウルは村や町の意)に建設中の海軍基地問題を取り上げます。韓国済州島西帰浦市にある江汀マウル、このマウルを包む豊かな自然と、睦まじく平和だったマウル住民の暮らしが、韓国政府による海軍基地建設の強行によって破壊されようとしています。海軍基地建設の反対闘争をテーマに8 人のフリーの監督がそれぞれの視点で描いた記録からなるオムニバス形式のドキュメンタリー映画「JAM DOCU 江汀」の一部と、現在の状況を分かるニュースや映像などを見ながら、江汀海軍基地問題はどこにあるのかということを考えます。済州島江汀海軍基地建設の持つ意味を、済州島四・三事件を体験してきた立場から、多角的に見据えたいと思います。
江汀海軍基地問題のことをあまり知らない方への学習会です。
【講師】
◆ 李昤京(Lee RyongKyong)立教大学非常勤講師 政治学専攻
◆ ゲスト:金志修(Kim jisoo)東京在住 テキスタイルデザイナー「私が出会ったカンジョン」
【上映映画】
◆「JAM DOCU 江汀」ヤン・ドンギュ監督他 20 11 年12 月上映作品(韓国にて)。104 分。
◆「ニュース打破」6・7 回(2012 年3 月)、江汀特集
◆ その他
【文京区民センター 最寄駅からのアクセス】
● 都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1 分
● 営団地下鉄丸の内線 後楽園駅 徒歩3分
● JR 水道橋駅 徒歩7分
◆主催:済州島四・三事件を考える会・東京
◆問い合わせ先:新幹社 〒112-0005 東京都文京区水道2丁目1-12
 TEL:03-5689-4070 FAX:03-5689-2988
 EM:shinkansha◎sapphire.bforth.com (◎を@にして送信)



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2013/04/24(水曜日)午後6時20分スタート(開場:午後5時半)
場所:日暮里サニーホール
「済州島四・三事件65周年記念追悼の集い」
オープニング 追悼の舞「四・三の風」金英蘭舞踊研究所
第一部 記念講演 危機の中の東アジア 現代日本の歴史認識を問う
高橋哲哉 東京大学大学院 総合文化研究科教授
第二部 合唱と民俗クッ
民俗クッ 済州神房(シャーマン)来日公演-死者への祈り-
混声合唱 日本と在日の新たな心のうた=「眠らざる南の島」をうたう会結成公演
「なぜ?」(組曲「生命の木、空へ」より(詞・曲/林光)
「朝露」(詞・曲/キム・ミンギ)
「眠らざる南の島」(詞・曲/アン・チファン)

主催:済州島四・三事件を考える会・東京


主催:済州島四・三事件を考える会・東京

曺東鉉(チョ・ドンヒョン)
高二三(コ・イサム)、
高英姫(コ・ヨンヒ)
元日東
李昤京(リ・リョンギョン)
金良淑(キム・ヤンスク)

村上尚子
石井寛
渡辺一夫
田嵜晳(たざき あきら)(文芸春秋の編集者)

中野敏男
原田克子
木瀬慶子
栗原順子
山田修
麻生水緒



連絡先:新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988
email:shinkansha@sapphire.bforth.com



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4/24開催「済州島四・三事件65周年記念追悼の集い」
【入場整理券(前売券)絶賛発売中】
今年は65周年の追悼集会です。売切れが予想されています。ご購入ご希望の方はなるべく早くお問い合わせください。
申し込み方法.
入場整理券(前売券)、ご購入の方は、新幹社までご連絡ください。(メール、FAX、電話)
入場整理券(前売券)と振込み用紙を発送しますので、届きましたらお支払いいただければと思います。
発送までに一週間ほどお時間をいただく場合もございます。ご了承ください。

新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988、
メール:shinkansha@sapphire.bforth.com

済州島四・三事件65周年記念追悼の集い
オープニング 追悼の舞「四・三の風」金英蘭舞踊研究所
第一部 記念講演 危機の中の東アジア 現代日本の歴史認識を問う
高橋哲哉 東京大学大学院 総合文化研究科教授
第二部 合唱と民俗クッ
民俗クッ 済州神房(シャーマン)来日公演-死者への祈り-
混声合唱 日本と在日の新たな心のうた=「眠らざる南の島」をうたう会結成公演
「なぜ?」(組曲「生命の木、空へ」より(詞・曲/林光)
「朝露」(詞・曲/キム・ミンギ)
「眠らざる南の島」(詞・曲/アン・チファン)
日時:2013年4月24日(水曜日)午後6時20分スタート(開場:午後5時半)
場所:日暮里サニーホール
主催:済州島四・三事件を考える会・東京
連絡先:新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988
email:shinkansha@sapphire.bforth.com
入場整理券:2,500円(前売り:2,000円)学生1,000円


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2013/12/15(日)16:00~18:00
大阪教育大学天王寺キャンパス
場 所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館4階410演習室、大阪市天王寺区南河堀町4-88

報告者:高 暎 子(KO, Young-ja)済州伝統文化研究所 / 済州大学校耽羅文化研究所 研究員
【研究会のお知らせ:「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」】

国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会
国際高麗学会日本支部事務局人文社会研究部会代表 伊地知紀子(大阪市立大学)




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Noriko Ijichi
2013年11月22日 ·
【研究会のお知らせ:
「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」】

 12月15日(日)16時から、大阪教育大学天王寺キャンパスにて
上記をテーマに研究会を開催します。
 
 講師に、このプロジェクトの代表である、旧友の高暎子さんを済州からお招きします。
 高暎子さんは、大阪大学で島崎藤村の『破戒』をテーマとした論文で美学の博士号を取得後、フランスの社会科学高等研究院
に8年在籍された後に故郷である済州へ戻られ、現在、済州伝統文化研究所におられます。

 昨年度公刊した添付写真の報告書作成にあたっては、私もお手伝いさせていただきました。非常に興味深い日帝時代の済州島の写真と、
当時済州にいた日本人による済州島の絵画も掲載することができました。このたび、高暎子さんに解説していただく貴重な機会となります。

お気軽にお越しください。

*****
国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会のお知らせ

下記の通り、人文社会研究部会を開催致しますので、ご参加の程、宜しくお願い致します。
参加費は無料です。

タイトル:「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」

報告者:高 暎 子(KO, Young-ja)済州伝統文化研究所 / 済州大学校耽羅文化研究所 研究員

日 時:2013年12月15日(日)16:00~18:00

場 所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館4階410演習室
<住所>〒543-0054 大阪市天王寺区南河堀町4-88
<地図>http://osaka-kyoiku.ac.jp/campus_map.html

*本報告は、済州特別自治道の委託を受けた済州伝統文化研究所による「日帝下済州写真資料収集事業」(代表:高暎子)の成果である『日帝時代済州島写真資料発刊に伴う資料収集報告書』(2012年12月25日刊行)についてお話しいただきます。
この報告書に掲載された写真は、未だ済州では知られていない植民地期及びその前後の済州島の写真資料を収集したものです。
撮影者は日本人と朝鮮人双方です。また、当時済州島に居住していた日本人が解放後にかつてを思い起こし描いた絵画も掲載されています。
報告では、この事業の代表である高映子さんから写真や絵画の説明とともに、それらが映し出す済州島像を内の視点と外の視点との違いを読み解きながら解説していただきます。

国際高麗学会 日本支部事務局
人文社会研究部会代表 伊地知紀子(大阪市立大学)
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〒530-0047
大阪市北区西天満4丁目5-5 マーキス梅田506号
tel 06-6314-3775  fax 06-7660-7980
※事務室が移転しました。
isksj@ams.odn.ne.jp http://www.isks.org/
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呉 光現
行きますね。でも研究者でなくてもいい?


Noriko Ijichi
呉光現さん、もちろん!ぜひお越しください。お待ちしております。


呉 光現
あかん、手帳みたら精神科医の蟻塚さんと一献ですわ。すんまへん、行きたいけど、、、


呉 光現
彼はなかなかの人ですわ。本当は9月に一献する予定が台風で伸びました


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【研究会のお知らせ: 「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」】  12月15日(日)16時から、大阪教育大学天王寺キャンパスにて 上記をテーマに研究会を開催します。    講師に、このプロジェクトの代表である...

Noriko Ijichiさんの投稿 2013年11月22日金曜日





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Noriko Ijichi

2013年12月8日 ·

【再告知: 来週、15日(日)開催です】
16時から、お気軽にお越しください。
***
国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会のお知らせ
下記の通り、人文社会研究部会を開催致しますので、ご参加の程、宜しくお願い致します。
参加費は無料です。
タイトル:「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」
報告者:高 暎 子(KO, Young-ja)済州伝統文化研究所 / 済州大学校耽羅文化研究所 研究員
日 時:2013年12月15日(日)16:00~18:00
場 所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館4階410演習室
<住所>〒543-0054 大阪市天王寺区南河堀町4-88


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高 龍秀
もちろん参加しますよ❗️



金 文男
絵画教室の後、参加予定三十分遅れですが、いいですか?



Noriko Ijichi
>高龍秀会長!来てもらわないと〜。
>文男さん、ぜひぜひ、よろしくお願いします。


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【再告知: 来週、15日(日)開催です】 16時から、お気軽にお越しください。 *** 国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会のお知らせ 下記の通り、人文社会研究部会を開催致しますので、ご参加の程、宜しくお願い致します。 参...

Noriko Ijichiさんの投稿 2013年12月8日日曜日








 
 



たそがれの品川宿

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交遊録: 2015済州四三事件犠牲者慰霊祭「慰霊の旅」
3月 3rd, 2015 | Author: yasumaroh


3月2日FBより

参加者顔合せ食事会。
団長:呉光現さん(犠牲者遺族会会長)はじめ12名、いい集まりでした。
4/2~4/4 短期間ですが、ご遺族の想い・1948年という時代・島内親族内事態の悲嘆・本土⇔島という地政・・・少しでもそれを噛み締め、東アジアの構造的闇に迫りそれを開いて行く想いへと育めたら…‥と話しました。団長から少し事前レクチャーを受け、あとは楽しい食事会。いい旅になりそうです。

ー この写真に写っている友達: 福井 正敏、金 文男、呉 光現、Makiko Hashimoto、浅井 敏嗣、李 信恵、栗原 佳子、松浦茂、岸野 令子

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https://archive.md/kVmGr



その元ネタのFACEBOOKを探したけど、見つからない。その関係者のsnsをチェックしたけど、見つからない。
李信恵に遠慮して削除したのかな?


昔はFACEBOOKのアカウント名は「yasumaroh」だったけど、今は別名「橋本 康介(kophsuke.hashimoto)」に変更したみたいね。



福井 正敏、
金 文男(キム・ムンナム)(グラフィック・デザイナー、在日本済州四・三犠牲者遺族会)、
呉 光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン、表記のゆれあり)(聖公会生野センター総主事、在日本済州4・3犠牲者遺族会会長)
Makiko Hashimoto、
浅井 敏嗣、
李 信恵(リ・シネ)(ライター)、
栗原 佳子( 新聞うずみ火)
松浦茂、
岸野令子(映画の宣伝・配給会社、キノ・キネマの代表)




これと同じ写真を、金文男がFACEBOOKに2022年にアップしていた。2015/04/02~04/04までの旅行記は全然見当たらない。


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金 文男
2022年7月7日

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https://archive.md/wip/imNZA




 
 
 




李信恵は、一時期twitterをやめてたけど。
2015/04/02~2015/04/04の済州島犠牲者慰霊祭に、呉光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン、表記のゆれあり)主催のツアーで、秘密で参加したみたいね。




それが後々に、済州島の済州4.3記念館に、パネル写真として展示されているみたい。葛西リサが済州島へ旅行に行って見つけて2019年にFACEBOOKにアップしていましたよ。

 → 人物図鑑詳細情報 李信恵 2019年


李信恵は、自称、「慶尚道出身」と書いてるけど。
ずっと前に金杉からの電話で「彼女はもう間違いなく、済州島出身。慶尚道出身だなんて言ってるけど嘘ついてる」
金杉がそのための検証のためのブログを書いてたけど。批判されて、削除して逃げたよ。
私は、それ、構わない思うけどなあ。



私の推測ですけど、やっぱり、李信恵は、済州島43事件の関係者の超大物じゃないか?とにらんでいます。





 



関西済州特別自治道民協会 会報 2015年11月発行


逝去の報告
呉承明(常任顧問)、
康実(歴代会長)、
金致富(顧問)
逝去

当時の会長、金辰男(関西済州特別自治道民協会会長)



 
 
 



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姜 聖律
2015年4月19日 ·
参加者の献花。고이 잠드소서...
— 場所: 済州43事件67周年犠牲者慰霊祭・大阪

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2016/03/13(日)14時、
在日韓国基督教会館(KCC会館)5階、大阪市生野区中川西2-6-10、今里(地下鉄)駅2出口から徒歩約10分、今里(近鉄線)駅出口から徒歩約13分、鶴橋駅東口(近鉄線)出口から徒歩約16分
講師:徐仲錫(ソ・ジュンソク)(韓国・成均館大学名誉教授)
済州4・3事件68周年を迎えて・公開学習会「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」
コメンテーター 
(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)


主催者挨拶 : 呉光現(在日本済州四・三事件犠牲者遺族会会長)
講演「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」
講師 : 徐仲錫(ソ・ジュンソク)(韓国・成均館大学名誉教授)
通訳 : 裵姈美(ペヨンミ)(立命館大学コリア研究センター専任研究員)
開場との質疑応答
コメンテーター 藤永壮(たけし)



共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会/済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
Tel 06-6754-4356 fax 06-6224-7869
当日連絡先 080-3777-2566


その連絡先の住所が、聖公会生野センター。済州4・3事件の被害者問題で大阪といえば、必ず呉光現(オ・グゥアンヒョン)やね。


予告として
2016/04/24(日)14:00
大阪市立東成区民センター 小ホール
講演 金石範((きん せきはん、キム・ソクポム)(作家)、
慰霊の舞 張智恵(チャン・チヘ)(舞踊家)







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藤永 壮

2016年2月11日 ·

左肘の怪我はまだ完治せず、右手でしかキーボードを打てない状態が続いているので、情報発信は必要最小限になっていますが、私が関係しているイベントをいくつかお伝えします。
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済州4・3事件 68周年を迎えて=公開学習会のご案内
=「韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3」=
■ 日時:2016年3月13日(日)午後2時(受付開始 午後1時30分)
■ 場所:KCC会館5階(大阪市生野区中川西2-6-10)
  地下鉄千日前線・今里線 今里駅南へ10分
■ 講演:「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」 
  講師:徐仲錫(韓国・成均館大学名誉教授・韓国現代史)
■ コメンテーター:藤永壯(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)
 参加費:1000円
 現代史の悲劇である済州4・3事件も今年で68周年を迎えることになりました。
 保守化が進む日韓社会ですが韓国では歴史教科書の国定化が保守政権の元で進められています。このことは済州4・3にとっても大きな問題に発展する可能性を秘めています。すでに一部保守団体から済州4・3事件の犠牲者に対する再審査や4・3平和財団に対する攻撃がなされています。
 この中で韓国現代史研究家の重鎮である徐仲錫先生を招いて学習会を行うことになりました。多くの方の参加をお待ちしています。
徐仲錫(成均館大学校名誉教授)
1948年、韓国忠清南道・論山に生まれる。
ソウル大学校国史学科を卒業し、同大学院で博士号を取得。
東亜日報社『新東亜』記者、『歴史批評』編集主幹、歴史問題研究所所長、
済州4・3事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会委員等を歴任。
成均館大学史学科教授を経て現在同大学名誉教授。
共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会
   /済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
℡ 06-6754-4356 fax 06-6224-7869



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FACEBOOK
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2016年3月13日日曜日 14:00
韓国歴史教科書国定化問題と済州43
Kcc会館
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呉 光現
2016年1月22日 ·
チラシの表面です
済州4・3事件 68周年を迎えて=公開学習会のご案内
=「韓国歴史教科書国定化問題と済州43」=
現代史の悲劇である済州43事件も今年で68周年を迎えることになりました。
 保守化が進む日韓社会ですが韓国では歴史教科書の国定化が保守政権の元で進められています。このことは済州43にとっても大きな問題に発展する可能性を秘めています。すでに一部保守団体から済州43事件の犠牲者に対する再審査や43平和財団に対する攻撃がなされています。
この中で韓国現代史研究家の重鎮である徐仲錫(ソ・ジュンソク)先生を招いて学習会を行うことになりました。(趣旨は裏面参照)
多くの方の参加をお待ちしています。
■日時:2016年3月13日(日)午後2時(受付開始 午後1時30分)
■場所:KCC会館5階(大阪市生野区中川西2-6-10)
地下鉄千日前線・今里線 今里駅南へ10分
■講演:「朴槿恵政権下の済州43運動の課題」 
講師:徐仲錫(韓国・成均館大学名誉教授・韓国現代史)
■コメンテーター 藤永壯(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)
参加費:1000円
共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会/済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
℡ 06-6754-4356 fax 06-6224-7869  当日連絡先080-3777-2566 
予告   大阪・2016年済州43事件犠牲者慰霊祭
         2016年4月24日(日) 午後2時
         大阪市立東成区民センター 小ホール
         ・講演 金石範氏(作家)、慰霊の舞 張智恵氏(舞踊家)

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呉 光現韓国歴史教科書国定化問題と済州43

2016年1月22日 ·

チラシの表面です
済州4・3事件 68周年を迎えて=公開学習会のご案内
=「韓国歴史教科書国定化問題と済州43」=
現代史の悲劇である済州43事件も今年で68周年を迎えることになりました。
 保守化が進む日韓社会ですが韓国では歴史教科書の国定化が保守政権の元で進められています。このことは済州43にとっても大きな問題に発展する可能性を秘めています。すでに一部保守団体から済州43事件の犠牲者に対する再審査や43平和財団に対する攻撃がなされています。
この中で韓国現代史研究家の重鎮である徐仲錫(ソ・ジュンソク)先生を招いて学習会を行うことになりました。(趣旨は裏面参照)
多くの方の参加をお待ちしています。
■日時:2016年3月13日(日)午後2時(受付開始 午後1時30分)
■場所:KCC会館5階(大阪市生野区中川西2-6-10)
地下鉄千日前線・今里線 今里駅南へ10分
■講演:「朴槿恵政権下の済州43運動の課題」 
講師:徐仲錫(韓国・成均館大学名誉教授・韓国現代史)
■コメンテーター 藤永壯(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)
参加費:1000円
共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会/済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
℡ 06-6754-4356 fax 06-6224-7869  当日連絡先080-3777-2566 
予告   大阪・2016年済州43事件犠牲者慰霊祭
         2016年4月24日(日) 午後2時
         大阪市立東成区民センター 小ホール
         ・講演 金石範氏(作家)、慰霊の舞 張智恵氏(舞踊家)


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Noriko Ijichi

2016年3月13日 ·

☆金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞のお祝い会
今日は、済州4・3事件公開学習会をKCC会館にて。
徐仲錫先生(韓国・成均館大学校名誉教授)をお迎えし、
「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」というタイトルで
韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3についての学習会で
した。2017年が朴正煕生誕100年という節目にあたり、これ
に向けた動きを指摘しておられたのはなるほどと思いました。
いろいろ催しや集会が重なるなか、たくさんの方が来てくだ
さり、終了後は、このたび『朝鮮と日本に生きるー済州島から
猪飼野へ』(岩波新書)で「大佛次郎賞」を受賞された
金時鐘先生のお祝い会となりました。
東京から金石範先生も来られ、いつもの顔ぶれが集まり、
最初からリラックスした感じで始まりました。花束贈呈では、
金時鐘先生が花束を受け取るなり体のバランスを崩され、
「重い花束をもらった演技をしようと思って」とみんなを
笑顔にしてくださいました。
ご両親が、売れるものはすべて売り払い金時鐘先生を日本へ
送り出した後、看取るものもなく亡くなられた話しをされ、
金石範先生が「死者は生者のなかで生きている」と語られました。
困難な時代に済州4・3に向き合い、次世代へと引き継ぐ
課題をうんでくださったお二人を囲んでの心に染みる席でした。


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一枚目
金時鐘(キム・シジョン)
 
二枚目
「金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞 ?年3月13日」
金時鐘(キム・シジョン)
金石範(きん せきはん、キム・ソクポム)





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嘘みたいな本当の在日話

2016年3月14日 ·

兵庫県 Noriko Ijichiさんのウォールより(h)
☆金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞のお祝い会
今日は、済州4・3事件公開学習会をKCC会館にて。
徐仲錫先生(韓国・成均館大学校名誉教授)をお迎えし、
「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」というタイトルで
韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3についての学習会で
した。2017年が朴正煕生誕100年という節目にあたり、これ
に向けた動きを指摘しておられたのはなるほどと思いました。
いろいろ催しや集会が重なるなか、たくさんの方が来てくだ
さり、終了後は、このたび『朝鮮と日本に生きるー済州島から
猪飼野へ』(岩波新書)で「大佛次郎賞」を受賞された
金時鐘先生のお祝い会となりました。
東京から金石範先生も来られ、いつもの顔ぶれが集まり、
最初からリラックスした感じで始まりました。花束贈呈では、
金時鐘先生が花束を受け取るなり体のバランスを崩され、
「重い花束をもらった演技をしようと思って」とみんなを
笑顔にしてくださいました。
ご両親が、売れるものはすべて売り払い金時鐘先生を日本へ
送り出した後、看取るものもなく亡くなられた話しをされ、
金石範先生が「死者は生者のなかで生きている」と語られました。
困難な時代に済州4・3に向き合い、次世代へと引き継ぐ
課題をうんでくださったお二人を囲んでの心に染みる席でした。

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2016/03/13







2016/03/16




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姜 聖律さんは大阪コリアタウンにいます。
2016年3月13日 · 大阪市 ·
14:00から、韓国現代史研究の第一人者である徐仲錫선생님を講師にお招きして、済州4・3事件の公開学習会です。
東京から金石範선생님も来られました。


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姜 聖律さんは呉 光現さんと大阪コリアタウンにいます。
2016年3月14日 · 大阪市 ·
済州4・3事件68周年 公開学習会「韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3」
○講演「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」徐仲錫선생님(成均館大学名誉教授・韓国現代史)
1.21世紀の歴史戦争
 極右反共の冷戦イデオロギーが支配する1980年代までの韓国では、現代史に対する研究も論争も存在しなかった。北朝鮮との接触・交流を禁じた国家保安法と反共法を法的土台として、1948年12月12日の国連総会決議にある「朝鮮半島における唯一合法政府」である大韓民国政府の管轄権は38度線以北にも及ぶと解釈し、解放直後の米軍を「占領軍」ではなく「解放軍」と位置付ける歴史観が唯一のものだった。
 1980年の光州事件を契機に、学生を中心に、反米・統一を志向する歴史観が拡散していき、87年の6月抗争を経て民主化の時代が訪れると、韓国現代史に対する自由な研究が花開いた。解放50周年の1995年には保守言論による李承晩の再評価という揺り戻しはあったが、盧武鉉政権の2003年に高校の選択科目として導入された「韓国近現代史」の8種類の検定教科書は、進歩・保守も含めて多様な内容となっており、これは、80~90年代の歴史研究の成果を反映したものだった。
 しかし、2008年に金大中・盧武鉉政権を「左派政権の失われた10年」と批判する李明博政権が登場すると、保守派の巻き返しによる歴史戦争が始まる。教育部主導の青年層に対する歴史講演会や、警察・国防部・経済界からの教科書修正要求、採択率60%を占めた進歩的な内容の教科書(金星出版)を「左偏向」と攻撃して採択の変更を要求するなどの攻撃が続いた。
 朴槿恵政権の2013年には、「教学社教科書」の問題が起きた。2000年代後半から活動を始めたニューライト系の学者が執筆した「韓国史」の教科書が検定を通過したが、基本的な歴史事実に誤りが多く、独立運動の記述を縮小して李承晩を称賛するなどの歴史歪曲が甚だしいため猛烈な批判を浴び、結局、採択は補助教材としての採択も含めて3校にとどまった。
 2014年からは、保守言論の朝鮮日報が検定の強化を主張したが、民主国家で教科書を国定化することについては抵抗も強く、教育部もあいまいな態度だった。しかし、2015年10月に、政府は、2017年度から中高校の「韓国史」教科書を国定化するという方針を発表した。これは、最高権力者である朴槿恵大統領が、父である朴正煕の業績を歴史に残したいという執念から断行したのである。国定教科書が使用される2017年は、朴槿恵大統領の任期最後の年であり、朴正煕の生誕100周年である。
2.国定教科書と済州4・3の記述
 過去の国定教科書を見ると、済州4・3事件は、「(北朝鮮の指令を受けた)共産主義者」が起こした「武装暴動」と記述されている。2001年版の高校教科書では、「鎮圧の過程で無辜の住民までも犠牲になった」という記述があるが、その背景や数字については明記されていない。
3.2017年国定教科書で済州4・3はどのように記述されるか
 一部の極右勢力は、4・3特別法や真相調査委員会の報告書を認めておらず、大統領の謝罪や4・3平和祈念館に反対している。また、4・3犠牲者の決定無効を確認する行政訴訟を提起するなどの妨害活動を行っている。また、国防部内では、いまだに済州4・3を、南労党などの左翼勢力が大韓民国の建国を阻止しようとした武装暴動・反乱と記述した歪曲された教科書を使用している。
 教育部は、国定教科書について、1948年8月15日の大韓民国の政府樹立を「大韓民国樹立」、1961年の5・16軍事クーデターを「5・16軍事政変」と書くと言及し、ニューライトの主張を一部取り入れた形になっている。
 今年3月に発行された小学校6年の国定歴史教科書は、独立運動の記述が縮小され、親日派についても簡略な記述にとどめ、「慰安婦」については、12.28の韓日政府間合意以前の試験本にあった「慰安婦」の用語と写真が削除された。また、歴代大統領の名前では李承晩が14回、朴正煕が12回も登場するのに対して、民主化された金泳三以降の大統領の名前はまったく言及されない。5・16クーデターや維新クーデターについては否定的側面を弱める一方で、産業化の進展などの肯定的評価を多くしている。5・18光州民主化運動の部分では、「戒厳軍」「発砲」などの単語と関連した記述が消えている。
4.歴史戦争と李承晩
 歴史戦争の核心は、「李承晩」である。1950年代のように李承晩を「建国大統領」「国父」として偶像化し、世宗大王や李舜臣と並んで銅像を光化門広場に建てようという動きがあるが、この中心を担っているのが、親日派、分断勢力、独裁協力勢力だ。
5.李承晩と建国大統領
 李承晩は、独立運動家としてまったく評価されていない。韓国の学生に独立運動家の名前を挙げさせると、金九や他の人物の名前を答え、李承晩と答える人はいない。彼もともと、3・1独立運動後に上海で樹立された大韓民国臨時政府の初代大統領だったが、1925年に弾劾を受けて追放され、米国に亡命した。
 解放後は、南朝鮮での単独政府樹立を主張して左右合作への協力を拒み、南北分断につながる単独選挙を推進した。4・3や朝鮮戦争で起きた民間人の大量虐殺に責任があり、1960年の4・19革命で大統領を辞任した。このような人物を「国父」と評価することは、3・1運動、臨時政府、4・19革命の精神を継承するとした憲法に違反する行為だ。
6.親日派と歴史戦争
 世界の人々は、なぜ韓国であれほど親日派が猛烈に非難されるのか理解に苦しむ。それは、韓国の近現代史が置かれた特異性のためであり、韓国の親日派は、インドの親英派、インドネシアの親仏派、フィリピンの親米派とはまったく別物だ。
 日本は、非白人で唯一の帝国主義国だった。彼らは、植民地朝鮮において、言論、出版、結社の自由を徹底的に否定した。その日本の皇民化政策に積極的に加担した親日派は、民主主義を否定する戦争犯罪者であった。
 韓国の二大祝日である3・1節と8・15光復節は、自由・平等・統一国家の象徴である。そのような価値観と対立する教学社の教科書採択率が低調だった理由はここにある。
○藤永壮教授(大阪産業大学・朝鮮近現代史)
 ニューライトの歴史認識について。経済学者が中心のニューライトは、日本の植民地支配が韓国の発展に寄与したという「植民地近代化論」を主張する。これは日本の右派だけではなく、リベラル派の一部にも影響を与えていることを憂慮している。このような植民地支配を肯定する歴史観は、韓国の従前の右派には受け入れ難いものだと思うが、その点はどうか。
(答)「オールドライト」には歴史観というものがない。彼らは、ニューライトが「偏向教科書」を批判するのを見て、最初は単純に感動していたが、ニューライトが批判を浴びるようになると、今は疑いの目をもって見ている。
 ニューライトの「8・15を建国記念日に」という主張は、1948年8月15日の大韓民国政府樹立を建国記念日とすることで、分断体制を肯定するものである。そしてこれは、分断に反対した4・3を、大韓民国の樹立に反対した反乱と評価することにつながる。
○会場からの声
 「和解と再生」というスローガンの中で、済州4・3の「抗争」という本質が見えなくなっていることを危惧する。武装隊として戦った人々の視線から済州4・3を見直す作業が必要ではないか。
 日本と韓国は、ともに歴史の清算と過去の克服に失敗した。これは、戦後、米国の反共政策が軍国主義者と親日派を利用したのだと見ることができるだろう。


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2017/10/08(日)15:00~
立命館大学 梅田キャンパス演習室2、京都市
高誠晩 氏(立命館大学)
『<犠牲者>のポリティクス ー済州4・3/沖縄/台湾2・28 歴史清算をめぐる苦悩』京都大学出版会。











 
 





2018/03/29~2018/03/31
韓国、済州島で、済州島四三事件をめぐるツアー、
団長は伊地知紀子
研究合宿ツアー団参加者は、伊地知団長の他、班代表の外村(東京大学)、宮本(立教大学)、松田(神戸学院大学)、加藤(早稲田大学)、坂田(苫小牧駒澤大学)、菅野(名桜大学)の計7名であった(以上、敬称略)。

現地では、伊地知団長の他にも、済州四・三研究所前所長・金昌厚さん、済州四・三研究所研究員・金兪廷さん、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員の高誠晩さんがアデンドしてくださった。

四・三慰霊祭前夜祭、在日コリアンのパンソリ唄者である安聖民さんによるパフォーマンス



早稲田大学国際和解学研究所


 
 




2018/04/03 文在寅(ムン・ジェイン)は、就任後初めての4・3事件犠牲者追念日である2018年4月3日の追悼式に2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)以来、大統領として12年ぶりに出席した。

2018/04/03 韓国、済州島での済州島四三事件慰霊祭に、日本から在日たちがツアーを組んで参加
呉光現らが中心的に企画。









早稲田大学国際和解学研究所
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和解としての「済州4・3」70周年=立場を認め合って

特定非営利活動法人聖公会生野センター総主事・在日本済州4・3犠牲者遺族会会長
呉光現

7「済州4・3」70年を迎えて
「済州4・3」から70年。未だにその名称が確定していない出来事だ。「事件」「蜂起」「抗争」「暴動」…。名前がないから仕方なく私たちは「済州4・3事件」と呼んでいる。

「済州4・3」は韓国の民主主義の発展と共に真相究明、名誉回復の措置がとられてきた。もちろん済州での闘いがあればこそであった。

2000年、金大中政権の時に特別法が制定され盧武鉉大統領の直接謝罪を受けたがその後の保守政権の9年間は「耐える」時期だった。韓国のロウソク革命で生まれた文在寅大統領は12年ぶりに4月3日に済州を訪れた。島民の前に立ち12年ぶりに謝罪をした。そして「済州4・3は大韓民国の歴史です」というスローガンのもと、彼の口からは在日作家金石範先生の名前も呼ばれた。そうだ、私たちの先達は「済州4・3」が暗黒の時代にあっても「済州4・3」の歴史を死に絶えることなく伝えてきたのだ。その金石範先生の名前が「済州4・3」で大統領の口から発せられた時、涙が押さえられなかった。

70周年を迎えて日本、特に大阪では1年前から準備を始めた。3月に国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」を開催。4月3日には100人規模で済州で慰霊祭に参加した。そして4月22日は大阪でこれまでにない規模で「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」を持つに至った。




 国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」(2018.3.10~11.)

「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」(2018.4.22.)

「済州4・3」70年慰霊の旅

2017年8月15日、大統領の光復節のメッセージは在日「朝鮮籍」の同胞の韓国入国を認めた。それに接した時「4月3日の済州島での慰霊祭には朝鮮籍の同胞も一緒に行く!」と決意した。結局は50名の募集に対して100名の規模での旅になった。そこには8名の朝鮮籍同胞もいた。86歳から21歳まで。1世から4世までである。私は在日の「韓国籍」「朝鮮籍」の意味のない分断を感じながら4日間を過ごした。大統領は知らなかったが朝鮮籍の同胞が彼と握手をして「私は文在寅大統領のファンになったわ」と喜ぶ80歳になろうとする女性の言葉が忘れられない。彼女は人生一貫として朝鮮総連・朝鮮籍を大切にしてきた人だ。初めて踏んだ父母の地済州島。どうしてもコヒャン(故郷)に行きたい、当然の思いであり、権利だ。ある人は旅の前に私にこう言った。「今回の済州島の旅は人生初めてで多分最後です。」彼女は82歳である。そこまでの決意を私はいかに受け止めるのか?記号でしかなく、しかし記号だけではない「韓国籍」「朝鮮籍」の存在が大きな心の壁にもなっていた。その壁を乗り越えるのは韓国の民主主義の発展だと思うのは私だけだろうか?

いみじくも南北首脳会談が4月27日に開催されたが過去の2回も韓国ではリベラル政権だった。朝鮮籍であろうとも自分のルーツにあるところに行くのに韓国の政情がいつもついて回るというバカなことは終わりにしなければならない。

今回の「済州4・3」の旅には事件を体験なさった方4名も参加した。若い方で78歳である。14,000名を越える位牌の前で食い入るように親族の名前を探していたハルモニ。自分のルーツのある村の位牌に同じ姓の犠牲者が延々とあるのを見て「親戚がいるのだろう」と思った在日4世の若者。3,000基を越える行方不明者の墓地の前にたたずんだ時「この墓には遺体が一つもないのだ」と思った。実は私の叔父も二人ここにいるのだ。

文在寅大統領の済州4・3追念式での演説(2018.4.3)

済州4・3平和公園内にある行方不明犠牲者の墓域

「済州4・3」運動に関わって
1997年、40歳の時。事件から50周年を迎える1年前になって、私は「済州4・3」運動に関わり出した。1世の両親を持つ猪飼野生まれ育ちの私にとって、심방(標準語では무당=巫堂。民俗信仰とも精神文化ともいえる韓国の宗教)は日常の世界だった。

初めて大阪で慰霊祭を開くことになった時、当事者は誰であるのか?と論議をし、思いを馳せた。当然在日1世しかあり得ないと思った。1998年3月21日、会場の生野区民センターには500名を越える人が集まった。そこには私のオモニ(母)をふくめて多くの済州1世の姿があった。慰霊祭は笑いと涙、そしてハンプリ(恨を解き放つこと)の群舞となって終わった。

大阪でも始まった「済州4・3」運動は様々な経過をもって、毎年4月3日に済州島で行われる慰霊祭に遺族たちが参加できるまでになった(「済州4・3の旅」)。4月下旬には大阪でも慰霊祭を開くことになっていった。

2000年には大阪で在日遺族会が結成された。50周年を契機とした運動は、韓国の動向とも連動しながら進められていく。

当初6人の2世、3世で始めたこの運動は、年を経るにつれて多くの人が参加するようになった。2003年、盧武鉉大統領が済州島民の前で公式謝罪したことを受け、2004年には生野、東成の総聯支部委員長、民団の支団長が共同代表を務めて、1,000人を越える規模で大阪の慰霊祭を開催した。これは「済州4・3」が、組織を越えたアクションになるということを示したエポックだった。

朝鮮半島を取り巻く情勢の悪化から、長らく総聯と民団の共同開催ができていなかった大阪での慰霊祭だが、70周年を迎えた今年は再び総聯と民団、そして関西済州特別自治道民協会が共に後援として名を連ねて開催することができた。こうして「一つ」になって実施できることに対し隔世の感があると共に、「済州4・3」で亡くなった方々に応えることができると思うと感謝に堪えない。



もう一つの現場大阪
「済州4・3」で日本に逃れてきた人は5,000人以上と言われている。大阪生野にはその多くの人が住んでいる。在日遺族会もその中から生まれた。しかし済州以上に「済州4・3」の暗黒を抱いてきた在日済州人は語ることすらできなかった。自分が話すとクニの親戚に迷惑がかかるのではと強く思っている人、大阪の慰霊祭の会場まで来るや身体が震えて中に入れなかったハルモニ(おばあさん)。拷問の体験を語り出す止まることなく当時の記憶をはき出すように叫び出すハラボジ(おじいさん)。語ってくれても決して録音、録画をさせてくれない方…、その先輩たちが経てきた歴史はまさに済州であり日本大阪である。

70年と言う歳月は短くはない。いつかは私たちも大阪で慰霊祭ができなくなる時が来る。その時に記憶だけが残されたらいつかは風化するのではと最近思うようになった。ある友人の言葉が私たちに一つの決断をさせた。大阪で「済州4・3」の慰霊碑を建立するのだ。「済州4・3」は大阪の在日朝鮮人の歴史の一つだ。植民地時代に日本に渡ってきたアボジ(父)も弟が犠牲になったのに一言も語らずにこの世を去った。今こそ私たちは「大阪は済州4・3のもう一つの現場だ」と声をあげたい。いつまでも大阪の「済州4・3」を残すために。



次世代への継承
「済州4・3」を逃れて日本に多くの人が渡ってきたが、当時、民族学校の教師だった人が「済州島から逃げてきた子どもたちは地獄を見たのだ。目が死んでいた」と語ったことを思う。日本では、1949年に朝連(在日本朝鮮人連盟)大阪が追悼集会をした程度である。それは在日の済州人社会で大きな苦しみを伴うタブーだったからだ。50年代から70年代は南北の対立が在日同胞社会でも先鋭的で、ましてや「済州4・3」について民族団体の言及はほとんどなかった。「済州4・3」を世に訴えていたのは済州出身の1世の総聯系の知識人しかいなかった。鋭く政治的にならざるを得ない時代が、亡くなった方々の慰霊すら許さなかったのだ。

40歳から「済州4・3」運動を始めた私も還暦を超える齢になった。昔なら어르신(老人)だが、いまだに若いと言われるのは時代の流れか?しかし、私たちも次世代を育成しなければならない。数年前から3世の青年が事務局に入り、「済州4・3」の旅に行けるようになった。より多くの若者を連れて行くため、昨年はクラウドファンディングを活用してさらに7名が参加した。

マッチにわずかな炎を灯すように「命」をつないできた「済州4・3運動」は、今こそ次世代と共に歩まねばならない。



そして一つになること
最後に「済州4・3」は大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も成立する前に起こったことを忘れずにいたい。朝鮮半島が二つに裂かれようとするまさにその時に命をかけて立ち上がった人々がいる。ぎりぎりまだ「二つ」になっていなかったのだ、その時は。私たちは「一つ」であることを「済州4・3」から改めて感じ、学び、そして在日から発信していきたいと思う。

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