2015.02.28 氷川渉 講演会


https://youtu.be/a8xABk5PUt0


文字お越し

 
どうも、はじめまして。でない人もいっぱいいてると思いますが、氷川渉ということで、本日は反差別の困難さについて同和教育を体験している者からということで、題で始めたと思います。

副題としてネトウヨは当たり前の現象であるって、これをお話しいただいたのは半年ぐらい前でして、人権問題とか語るのも、政治的な運動をリタイアしてもう二十数年たってますし、シンパとして共産主義運動にかかわってたのももうかれこれ15年以上前の話になったし、政治的なことを言うのももうしんどいなというのがあったんですが、去年ちょっと縁があって、左翼批判の本でありサイケンに何かヒントになったらええかなと思う、指導という名の欲望という本を書いたときに、書いてアップして、ここののら猫の手さんに目を付けられたというか、そういったことがありまして、ここでこの内容面白いから紹介してくれということで、結局4時間ぐらい講演するはめになって、ヒーヒー言いながらやって、そこそこ面白かったということで、今回ちょっと混迷する差別問題かいわいについて何かしゃべって、和らげてくれたらええかなというような趣旨で講演してくれと言われました。

本当は受ける気なかったんですが、みんな運動されてる方もおられるということで分かると思うんですが、どうも仲間内で固まって異常亢進していくようなところが運動かいわいであって、なかなか冷静に引いて見れる人がちょっと少ないんかな。それがまず残念だなというのが1つ。それからやっぱり差別は、正直大阪で生まれ育っとったら差別というのは全く無縁ではありえないですよね。それで何か言える機会が持てる人間というのもそんなおらんし、じゃあその話乗りますわ、何かこじれてるのが少しでも良くなればいいですねという感じで受けました。

ですけど正直ちょっと緊張しています、いろんな方が来られてるっていうの分かりました。
右や左や反レイシズムにシンパシーありそうな人とかいろんな人おられるんで、皆さんが納得できるような話は、はっきり言って無理ですし、差別というのは困難って書いてますが、僕正直、後でまた触れますけど、そんなんなくならへんのとちゃうかというあきらめが心のどこかにあります。そういったことですけど、じゃあ何でそんなことに関心を持ちだしたかっていうの、その前にこの話せんと駄目ですね。

差別に憤りつつも反差別にかかわりたくないわけと書いて、私一遍だけ何かの加減でそういった運動の現場とか見たことありますが、まあ見ただけです。

差別に対する憤りは人一倍あるかなと自分で自分のこと分析しています。差別とは人間の尊厳を損なって、ひいては人類を損なう行為かなと思っています。差別に対する怒りは到底正当かなと思っています。その意味でカウンターの怒りがバッと出て、何抜かしとるんじゃ、ボケとか言うてるのをネットなんかで見て、これはこれで正しいかなと個人的に思っています。

だけど同時に、これ地元で子どものころ部落解放同盟地元にいまして、彼らが何やってたかというの正直見てます。差別をなくする運動ということが、そういったものも含めていろいろ失敗していってるのも見とるんですよね。これについては言われたら嫌かなと思う人もおると思うんですが、運動側の問題が個人的に多いかなと判断しています。これは今もずっと昔も子どものころからそう思ってます。身近では部落解放同盟が被差別当該に嫌われる。要は運動を支配して、地域を支配するようなことをしてるんですよね。これ言ったらいろいろ言う人おるかもしれませんが、そんな話ばかりなんです、きょうは。差別をほんまに受けた人っていうのは打ちひしがれてます、基本的に。差別されるのも当然嫌やけれど、それに対して抗議する元気もないぐらい打ちひしがれてます、そういうのを見てます。それに対して運動体、はっきり言って地元の人少なかったです。大阪で言うたら矢田とかそういったところから、僕の住んでた町に来るわけですよ。その人たちも政治絡み、社会党系や新左翼系やいろいろおるんですが、そういった人たちが運動団体のメンバーとして地域に来て引きずり回して、地域に根差して生きてきたし、先祖代々、そういう人たちの生活とかを無視して運動優先でやるとどういうことになるか、そういうのを見てます。はっきり言って、みんな嫌がって同和対策事業って、要は途転工事や思たらいいと思います、僕は。そういったもので、そうはいってもお金はできますよね。そしたら皆その差別地域から出て行くんですよね。そういうの見ていきます。そうすると結局運動は細っていきます。というのを見てきました。


   
   

次ですね、しばき隊登場時には喝采を送りました、心の中で。なんでか言うたら、ほんまにひどい発言とか人を損なうようなブログを見とったら腹立ちますわな。それに対しても、何ぬかしてんじゃ、ボケって言うてる一団が出たときは、それはそれでいいと思いました。

ところが運動体として難しいのは、それを継続していくと原理原則になっちゃうんですよね。
それって昔の被差別の部落の運動体である部落解放同盟がやっていた糾弾闘争の闘争と一緒やないかと僕は思たわけです。それで、こりゃこんなんばっかりやっとったら、運動してる人らはええし、その前の人らもええけれど、さらにその人の人らはどない思うんやろなと正直思たんですよ。こりゃ昔の糾弾闘争と同じわだちにはまってもうとる、こりゃあかんでと思ったし、今も実は思っています。これも面白い話があって、これレジュメ書いたの半年ぐらい前なんですがその後変わってきて、発展的解消というかしばき隊がクラフとか、ちょっと十分分かってないんですが、いろんなかたちで形、姿変わっていっとるみたいですけれども、彼らは運動成功して在特会が登場できなくなった。登場できなくなったからそんなんやる必要がない的に言うてるみたいですけれど、そこら辺ちょっと分からないですね、僕今、定点、ずっとウォッチし続けきれてるわけやないんで。そうなんですけど、そういったことで、これ解同と同じことになってるんちゃう? とかってネットで指摘したら、かなり運動やってる人たちに罵倒されて、これはますますあかんと思たんですよね。だからそういったこともあって、反差別運動には直接的には、まあ地域的な問題もあるんですが、ちょっとかかわりたくないなと正直思ってます。

ちなみに反原発運動にも距離をおいてます。これも似たようなとこあります。というのは、原子力問題というのは、賛成反対いろいろ、僕は基本的にあっていいと思うんですが、廃棄物問題が解決できない限り1人のエンジニア、職業的エンジニアなんですが、としては、原発はそれが解決せん限りはやっちゃいけない技術やと思てます。ですが同時にもう廃棄物できてるんですよね。廃棄物の処理は絶対せなあかん。そしたら今後原発を動かして増える廃棄物の処理の量がどんだけで、今ある廃棄物を処理する施設をつくって、さらにオンする分の増し分っていう概念あるんですが、その増し分がどんだけかっていうのを考えたら、ほんまに止め切って得策なのかどうかは議論がありますよねって、僕はエンジニアとして思うんですよね。ところがそういったことを言うこと自身がもう原発推進派というふうに言われて罵倒されるんです。そんなん見とったら反原発派の主流にもあんまりくみしたくねえなということで距離をおいてます。



   
   


人権問題にえらい関心、実は人並み以上にあるかなと思うんですが、その背景、自分史ということで説明します。65年、大阪市内の田んぼに囲まれたとある町に生まれました。72年に順調に小学校に入りました。そこは入ったときはともかく、3年ぐらいから同和教育をかなり熱心にやるようになりました。実家は被差別部落と川を挟んで300メートルほどのところにあります。同級生には当然被差別当該の子もいましたし、在日の方もクラスにもいたし地域にもすぐに当たる、そういう環境です。昭和49年かな、皆さんはイシカワカズオさんってご存知でしょうか。狭山差別裁判でその判決、テラオ不当判決っていういい方しますが、それがあったのが昭和49年。その辺からすごく同和問題盛り上がってるって言ったらいい方悪いから、うんと盛んになったんですよね、それはそれでいいんです。そういった勢力、部落解放同盟は学校教育に露骨に介入していきました。僕はそれの初見者です。どのぐらいのことがあったかといったら、例えば、僕は今でもソラで今から歌う歌うたいます。西から東に無実を叫び、これ小3で歌わされたんですよ、すごいでしょ? で、どんなふうになったかというと、それで何か落書きがあってひどいことになると授業停止、全校集会。授業ないんですよ、文部省に決められたカリキュラム化を消化しなきゃいけない、先生。でもそんなもんすっ飛ばしてそういうことやるんです。そんなのもあって、そういった同和教育に対する違和感というのはかなりあったし、子どものころに。で、イシカワ青年取り戻そうの最後の歌、僕らまだ小学校3年、4年やったけん言わんけど、5年、6年の年長は何て言ってたか、イシカワ青年死刑でいいよとか言うてたんですよ、ひどい話でしょ? でも子ども心にうんざりしてたんですよ。これおとなになったら哲学用語で過剰やとかそういうの分かってそういうので批判できるけど、子どもはそういうかたちで表出します。

そういうのがあって、ちなみに家内も同じ町の人間で、僕のことすごいまじめやなと言うんですよ。なんでかというと同和教育今でも覚えてるし、そういった批判できるっていうのはすごいまじめやと。おまえ、どないなってんの言うたら、そんなん頭の中のスイッチ切っとったわ。それ多分9割5分はそうやったと思います。僕まじめやったんやと思います。1人の仲のよかった、ものすごい勉強できる女の子も、僕みたいにまじめに聞いて先生に質問して、先生がすごいアホなことを言うて、ちょっと細かいこと忘れたんですが、同和教育問題で。中学校行ってグレましたね。それ心のトラウマなってるのか知らへんけど、よう分かりません。いろいろあったんですわ。そういうのが嫌で、こんなん中学校になっても続くんかいとか思ったんですよ。っていうのは、78年の話になりますが、地域の解放運動の成果もあって新しい新設校が地域にできると。それはもう解放同盟の息掛かりの学校なんです。そんなとこ行くん嫌やと正直に親に言いました。同和教育、そんなもん授業つぶれて、他人のやったひどいことやねんけど、それで連帯責任おかしいです。左というと、連帯責任とか高野連とかがいうたら昔すごく批判してたのに、同和問題に関してだけは連帯責任。こういうすごく矛盾してるというかなんというか、そういったことがあって、そんな地元の学校行くの嫌やと。

それである私立中学に行きました。そこはカトリックの学校で、なかなか宗教教育もそれなりに一生懸命。グラティナプレナ・ドミヌステクム、これは天に召しますわれらの父よのラテン語ですが、そんなんソラで言えるぐらい、宗教そこそこまじめに教えてくれるというところで、そこでまずキリスト教というものをある程度カトリックの立場から学んでおります。で、きょうもこの話ちょっと言おうかな思った、新約聖書っていうたらキリスト教、これは何かと言うたら、ユダヤ教というのがその前にあってそれは裁きの神、神様というのはすごく理不尽なものである。それに対してかなり人間主義的に解釈されたのが僕はキリスト教やと思ってますけど、すごいこと言うてるんですよ、キリスト。この言葉ここで最初に言おうかな思たのが、ルカ伝の12章の49やったかな、さっきネットで調べとったんですけど、あなた方にあらかじめ言っておく。私は世に平和をもたらすために来たのではない。むしろ火を投入れるために来たのである。それは分裂である。イエスって愛の神様は正しいんだけれど、その愛っていうのはそんな簡単なことやないでって。人の教えとか神様の教えとか、多分神様の教えって言った方がいいですね、そんなもんで人が仲良くやるっていうのは簡単なことやない。むしろ分裂をして戦って戦ってからこそ到達できるもんやないかなという言葉で、すごく今でも印象に残ってるんですよね、この言葉、ルカ伝の。そんな教育を受けました。




 
 

それから83年大学入って学生運動とかかわりました。かかわり方は寮に入ったんですよね。寮に入ったら廃寮化攻撃っていうのがありまして寮つぶれるかもしれない。守るためには学生運動やらなあかんなと。自分大したことできへんけれどかかわらなあかん。そこでちょっと象徴的なことありました。何かっていうと、学生運動やってる仲間と、当時やから赤いヘルメット被って京都の集会場行ったんですよね。そして、昔の京都っていったら社会党系の運動が結構まだ生き残ってまして、それで行ったら部落解放同盟おったんですよね、当然おるんですけれど。それはそれでいいんですけれど、そのとき大阪で大学に入って寮におった仲間が次から来なくなったんですよ。何でかっていったら、部落解放同盟の連中おるようなところの集会俺は行きたくないと。僕はいろいろあって結局運動にちょっと残っとったんですけれど、そんなことがありました。どんだけ解同が嫌われていたかっていうことですわ。それとまあ、その寮には新左翼系の諸君がいっぱいおったんですよね。そういった人たちに違和感を持ったんですよね、正直。っていうか、持つが故に書いてますが、あの人らが信仰してるマルクスやレーニンって何者じゃ思ってそういった本を読み出したら、いや、あいつらと違ってご本尊はやっぱり偉いなと思った。それで左翼理論を学ぶようになった。でも同時に、当時価値相対主義の時代ですよね。そういった時代で、当時やったらガタリ、ラカン、デリラ、そういった人たちの本もペラペラと読んで、なんかいまいちちゃうなとか思いながらも、1つ気付かされたことがあるんです。それは、現代思想というもの、それ自身がどうも差別的やないかと。その背景にあったのが多分同和教育ですわ。ということで、大学時代にそういったことをいろんな思想触れるうちに深めていったのかなと思います。




 
   
       
       
       
       
   


特に差別性が強いのは、左翼思想やないかなと、これ今も思ってます、正直。
左翼思想のどこが差別性があるんか言ったら、僕は理性主義やと思てます。これ多分啓蒙の弁証法とか、アドルノ、ホルクハイマーのあの2人とか、あるいはミシェル・フーコー辺りが多分言うてたの、僕が自分なりに感じたことだと思うんですが、理性的に物事をし分けて考えるということは、物事に序列をつくることである。そのターゲットが物質とかやったらまだしも、人間に向かうことも人間の理性の中にあるんですよね。そんなのが序列化されるということが、すなわち差別の源やないかと当時思って、今も実は思てるんですよね。下の方ちょっと皮肉で書いたのは、これは労働者と比較して、労働者は解放するというのがマルクス主義ですけれども、じゃあ農民とか小商人とか、日本で言うたら別の言葉やったら百姓ですね、いろんななりわいしてる人たち、そういった人たちは労働者と比べて劣っとんのかいというのを思って、今も思ってます。その辺で論理的にマルクス主義っていうのはすごく注意せなあかんなと思ってます。特にもっとすごいのが、これ自分のブログではエスニッククレンジングを推奨するエンゲルスっていうことで挑発的なブログ書いたことあるんですが、これマジャール人の闘争でしたかね、共産主義者の方、突っ込み入れていただいて結構です。確かマジャール人の闘争やったと思うんですが、文明史的に遅れた民族なんか滅んでもいいよ的なこと書いとるんですよ、エンゲルスは。これは反差別かいわいじゃちょっと知られた話みたいで、そのことで批判する人もいますし、もっと言うたら、マルクスのユダヤ人問題によせても読みようによっては完全にユダヤ人差別です。そういったところで、じゃあ、その点の左翼の差別的な所はなんで出るかっていうのをよく考えとかなあかんし、扱いというのは注意せなあかんなと僕は思っています。

そのことを触れたら、やっぱりご存知の左翼の人おるんですよね。時代の限界性って彼らは大体8割は言うんですよ。白井朗という人はその辺をすごく突っ込んで、党派の中ですごく立場がなくなったとかっていう嫌な話も聞きました。そういうの突っ込む人もおるんですよね。僕は時代の限界性やなくて、左翼思想の本質かなと思ってるんですよ。こんなえげつない書き方してますが、左翼思想は差別思想であるというふうに実は思ってます、異論ある人もおるでしょうけれど。でもそういった意味での差別はほんまにあかんことかな、仕方のないことじゃないんかなという思いもだんだん年とって思うようになってきたんですよね。

まず1つその根拠ですが、近代批判っていうのが、ものすごく人類史的にあって、今イスラムの人たちがかなり強烈なことを過激派というかたちで表出しちゃっててとても心が痛いんですが、近代批判はいいんですよ。イヴァン=イリイチとか有名な人いますし、あの人らのやり方は、ただし、そうはいっても西洋文明の延長線かなと。それはそれでいいんですけれど、その近代のこういった差別性が指摘する人たちというのは偉大な人たちおるなと思うんですけれども、往々にして野蛮を擁護してしまってる。文化大革命を竹内好さんっていう中国学者は擁護しちゃいました。それで今馬鹿にされてるようなことになったり、まあ、しゃあないかなと思うんですけれど、そういうことありますね。理性主義の成果というのはすごくでかいので、それと裏腹の差別の問題というのは、すごく注意深く扱わないと多分あかんのやろなと思ってます。


それから同和教育でかなりうちの小学校進んでるというか、イケてること言ったんですが、能力差別っていうのもあると。今でもよう分かってないんですけれど、でもそれって絶対いるじゃないかと。専門職って世の中おるじゃないですか、専門職の世界って素質のあるなしで全然世界違います、成果が。極端な話書いてますが野球のピッチャー、あれです。球がほうれて、ある程度スピードがあってコントロールできんとできるもんじゃないです。これも一種の、おまえはピッチャーやれる、おまえはできへんっていう、そういったのも僕は広い意味で差別や思ってます。くだらんこと言ってるなと思う人もおるかもしれませんが、そういうことで。



テオドール・ルートヴィヒ・アドルノ=ヴィーゼングルント
Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund
1903-1969
→WIKIPEDIA

マックス・ホルクハイマー
Max Horkheimer
1895-1973
→WIKIPEDIA


ミシェル・フーコー

マルクス主義

エスニッククレンジング

エンゲルス

マジャール人の闘争



白井朗
WIKIPEDIAには彼についての説明がないので、とりあえず彼の著書にリンクをはります。

















イヴァン=イリイチ
イヴァン・イリッチとも表記される。
Ivan Illich
1926-200
→WIKIPEDIA



 
   

次はスラヴォイ・ジジェク。これは僕が世界の哲学者の中で今1番尊敬してる人ですけど、この人がこんなこと言ってます。
差別がないということは愛の欠落である。要は無差別ということは物事に区別を入れないということ。それは人間にはできないこと、非人間であると言ってるんですよね。

これを言い替えたら人間を人間たらしめてるものは、差別ゆえである、ということですね。ここでかいらいと言ってまた別の人の名前。また後で詳しく言いますが、ハンナ・アーレントという、すごい苦難に満ちた人生を送られた女性おられるんですが、この人の差別っていう概念に多分由来しとるかな。『全体主義の起原』やったか何やったかちょっと忘れたんですが、区別イコール差別であるとはっきり言うてます。彼女に言わせたら、こういった差別は当然ある、人間であるから。ただ、その中でも否定されるべき差別と仕方のない、けれど注意して見ていかなきゃいけない差別、こういったものがあると、確か言ってたと思います。ちょっとこの辺うろ覚えですみません。となると、問題はどのような差別は否定されるべきであるかと。差別全部がなくなったらええけど、多分それは人間社会ではなくなるでしょう。となると、どのような差別が否定されるべきであるかというふうな話になります。この話はずっとずっと後の方で、終わりごろまた繰り返したいと思います。

ちなみに差別の国際標準はここに書いてあるようなものでいいかなと。
あらゆる形態の人種差別、10個ぐらい人種差別でくくってますね、失礼しました、の撤廃に関する国際条約、ちょっと読み上げます。
この条約において人種差別は、人種を皮膚の色、世系または民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、ここでは区別って書いてますね、制限または優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権、および基本的自由を認識し享有し、または行使することを妨げ、または害する目的、または効果を有するものをいう。長ったらしいですけど国際的にはこういう約束ごと、これは日本も批准しとるはずですからそれに従って下のようなことを決めなきゃいけない。人種差別を助長し、および扇動する団体、および組織的宣伝活動、およびその他のすべての宣伝活動を違法であると禁止すべきものとして、このような団体、または活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であること。まあ、ぶっちゃけて言うたら、在特会は犯罪者として罰しなさいといってるようなものです、と僕は理解しています。でも、この話も後でまた触れますけれど、結論言うと日本の政府の対応は確かに僕は不十分だと思います。だから怒ってるということでもないんですけど、すごく難しい問題があるんで。でなきゃこんな反差別の困難さなんていう題にはしません。


スラヴォイ・ジジェク

ハンナ・アーレント




あらゆる形態の人種差別の
撤廃に関する国際条約
→外務省のHPより
→外務省のHPより

→WIKIPEDIA
   
  前振りはまだ続きあるんですが、ちなみに僕は幼なじみがいっぱいおるので、部落差別や朝鮮人差別を目の当たりにすると血が瞬間沸騰します。どのぐらいするかというと、松山でこんな言い方をした人おったんですね、ある街宣を聞いてて、何気にフーンとか思って見とったら、ゴミはゴミ箱へ、朝鮮人は朝鮮へ、あのときは僕は本当に幼なじみのTくんの顔が思い浮かんで、頭ブチッと切れて、家内に、ちょっとあいつらしばき倒して来るわ言うて行ったら、嫁はんに暴力ざたはやめて言うて肩つかまれて止められて落ち着いたんですけれど、こりゃなんや、その言い方ないんちゃうかぐらいのやじ飛ばしましたけれどね。そういうことですごい、でもそれって多分Tくんの顔浮かんだからです。多分一般的な理性的な正義感ではないです、これは。幼なじみへの侮辱やと思ってからです。その意味で僕は、じゃあTくんがいなかったら、Tくんとの思い出がなかったら、消えてたら、あのとき頭に血上ったかなっていったら、多分上らんかったんかなと。そういう意味では僕は差別者やと思ってます、自分のことを、そういった意味でのね。同心円的な構造や内や外の概念が僕の感性としてはすごくしっくりきます。そういう意味では自分は自分的には心情的に右翼やなあと。まあ、左翼理論、よう自分では勉強して分かってるつもりですけれども、その辺では自分が右翼かなと思ってます、心情的に。

   
   
ということでここからが差別問題の本題です。

ちょっといきなり分野が違う話。

ハインリッヒの法則っていうのをご存知の方は、製造業の方やったら結構知ってはるかなと思うんですけれど、どんなものかって言ったら安全工学の基礎です。これは絶対に大事。
どんなものかと言ったら、ヒヤリするような事故が300個あったら軽微な事故はその上に29個ある。その上に重大な死亡災害、あるいは障害になってしまうような災害が1個あるという法則です。これは絶対に知っとかんとあかんことです。では実際の製造業ではどうするかっていったら、ヒヤリ、ハットというのどんどん出させます。ヒヤリするような事故や軽微の赤チン災害ですね。こういったものを徹底的に出して情報共有化して、こういうことをやったらこういう事故が起きる。だからこういう対策をしなければいけない、こういうことに注意しなければいけない、注意するだけやなくてものとして対策を取らなきゃいけない、要は情報をどんどん出させるんです、というのがあります。

ではこれを差別問題について当てはめてみましょう。
差別の表出というものは、これだけじゃないんですが、その下に嫌悪感があります。嫌悪感と恐怖感からこういったものが出ると。その下には、こういったものを醸成する違和感やとか疑問というものがあります。数は知りませんよ、そんな1対29対300かどうかは知らないです。でもこういったものは確実に僕はあると、経験的にも思うし、論理的にもそういったこと書いてるのがあるんで。で、違和感、疑問なんていうのは、自分たちと違う文化や、あるいは世界の人たちと触れたら絶対に生じるんですよね、これはもうどうしようもないです。ですけれど、ところが反差別団体やら人権団体やら、あるいはそれとくっついた左翼党派やらは何か知らんけど偉そうに、違和感や疑問を持つこと自身が差別につながりかねない感情を出すこと、つながりかねないって言うて否定するし、ましてや感情を出すことなんてまかりならん的なことをを言うてたし、今も言ってるし、僕も言われました。

じゃあそれどないなるか言うたら、そういった感情を抑圧するんですよね、その人権大好きな人たちが。
抑圧したら、そりゃあ抵抗生まれますわ、人間の。それが高じっていったら嫌悪感になって左バネがぶっ壊れた現在ね。はっきりいって今左翼といえば笑いのネタにしかなってません、ネットの世界でも、現実でも。そういった左バネが壊れた現在は、露骨な差別としてどんどん表出されてるという悲しむべき展開になってるのかなというふうに思います。
ハインリッヒの法則

 
じゃあ自分が言われたのどうなったのかと、具体的な話しします。そういったわけで83年入学で留年してたころちょっと市民運動にかかわってたんですよね。その市民運動の集会というか仕事をする場所で、当時共産党の橋本議員っていうのが拉致問題を日本の国会で初めて取り上げられて、ちょっとした話題になったんですよね。それをそういった場で言うたら、その場には京都市の職労の社会党員がおったんですよ。その人のおる場で話題にしたら、そういうことを話題にすること自体が差別排外主義に加担するんやってどやされました。それから子どものころのそういった話で、部落に行けばあったと近所見ててよう分かりました、どんな構造か。それがいい悪いは別ですよ。でもそんなことに触れること自身が差別排外主義を招くんだと言われました。故郷で知ってる話を言うて差別やと、そんな感じですね。

はたまたもっとすごい、韓国という言葉は差別である。
北朝鮮という言葉は差別である。
何か今の人に説明するの難しいですけど、韓国のことは南朝鮮と言わんとどやされる世界が日本にあったんですよ、ホンマに。
北朝鮮という言葉が差別。これは心情的には分からないでもないです。共和国といいなさい、もちろん北圏の人ですね。
要は言葉の擁護で政治的な立場、うんぬんくんぬんの議論を差別にすり替えたら日本人がごめんなさいっていいやすいと。
そういったことが非常に恥ずべきことやというのを教えてくれたのは、実は左翼の仲間なんですけどね。その人は今もずっと北朝鮮の人権問題に携わっている人たちです、そんなことがありました。
でももっとすごいの、これ関西人やったら分かるんちゃうかな、小学校で学校の先生ね、別にどやされたわけやないですよ、朝鮮人(「せん」を強く発音する;関西弁のイントネーション)言うたら差別なんです。朝鮮人(「ちょう」を強く発音する;標準語のイントネーション)と言うたら差別じゃない。これ関東の人分かります? 分からんかもしれない。まあ、そういうのです。朝鮮人(「せん」を強く発音する;関西弁のイントネーション)言うたら差別なんです、朝鮮人(「ちょう」を強く発音する;標準語のイントネーション)と言うたら差別じゃない、そんな教育ありました。これも分からないではないけど微妙ですね。じゃあ関西弁そのものが差別語かいなって。ということをまとめますとどういうことになるか。ただそういったことがあると普通の人はこう思いますが、そんな理屈通そうとするのは屁理屈っていうふうに書いてますけど、理屈通そうとする連中がおるんやったら、そんなもんかかわるの嫌や、無視しようとなって、世間の人は生活のために差別問題なんかもう聞きとうもない。具体的には自分の親とかそうなんです。もう話題にしなくなります。表向きには無関心になります。でも表向きですわな、人間の心なんて。嫌なやつはやっぱり嫌やし、すごいやつはやっぱり尊敬するけれど、そんなのあんまり表には出しません。というわけで、実際話の通じる内輪の世界で嫌悪感をもって語られとった。身近の話、あんまり具体的には言いません。それと同時に差別はいけませんねと言うた手前をガンガン振りかざして他人を批判するような左翼団体に、被差別当該を含めてみんな嫌悪感を感じていった。これも歴史的事実を書いてるだけです。人情としてもそんなもんやろうと。

20世紀末はそんな感じでした。

1995年Windows発売、そしてみんなインターネットっていう世界をどんどん使うようになりました。


 Windows
   
さて、ちょっと1つ。

同和問題どうなったか、同和対策事業特別措置法の後継である地域対策特定事業にかかわる国の財政上の特別措置、地対財特法っていうんですか、要は同和利権の温床といわれとったものが2002年に終了しました。これでお金の出どころがなくなった部落解放同盟は力をなくし、今は300万のキョウダイのうちの3万人しか確か組織しえていない。それも公称やったと思います。要はどんだけ力なくしてんねんっていう話ですが、そんなふうになってきました。

同和問題に関しては今はあんまり、会社の研修なんかでも人権問題で同和問題はそんなメインではなくて、今は外国人問題の方がメインだし、この間同和研修の資料見てて喜ばしいことやなと思ったのが、拉致問題が語られてます、人権研修で。そのぐらい変わっています。

同時に同和対策やって、昔はひどかったですよ、僕の生まれ育った町の被差別部落の地域でも、昭和45年ごろいうたら、共同トイレ、風呂なんてありません。水道は集落に何個かポツンってある。で、家に入るでしょ、友達、同級生、土間敷きなんですわ。昭和45年、1970年ですよ、ほんまに差別っていうのが見える形で残ってたんです。これは確かになんとかしなきゃいけなかった。だから同和対策事業っていうのは絶対に僕は必要やったと思うんです。それでものすごく住環境はようなりましたね。それでお金潤った人たちもいます。でもさっき言うたような理由で村出て行きました。ということもあって、地域の中に溶け込んでいったというのもあって、表向きは部落差別はかなり少なくなった。とはいえ、結婚とか何やそういったことがあったら、まだまだ差別があるなという嫌な話は伝え聞くこともあります。だから全くはなくなってるわけやないですね。部落差別というのはすごい後景化した。それと同時に朝鮮差別がものすごく出てきたかなと思います。利権問題また後で触れます。

で、韓国、朝鮮問題、今日特に関心がある人多いと思うんですが、ちょっと触れますと、正直子どものころ、皆さん同年代の方多いんで多分思い出していただいたら分かるんですけど、正直70年代、北朝鮮はもちろん、韓国遠い国でした、印象的にも。付き合いほとんどなかったです。

それが変わっていったのは、やっぱり80年代の尊敬すべき386世代の戦いとかで民主化があって、それと漢江の奇跡といわれるようなものすごい経済発展があって、日韓の交流がすごく経済的に盛んになってきたということですね。それが僕は80年代以降のことやと認識しています。ビジネスマンとしていくと、考え方や習慣が実は韓国は違うと。ですけれども当時はあんまり知られていなかったかなと思います。隣の国やし儒教圏やし近いんちゃうか的にいったら、なんか戸惑いを覚える人が大量に発生していました。これは現代につながる話なんですが、2000年ごろまでいろいろ身内も含めて行って、8割は韓国のこと嫌いになるんですよね、ビジネスで行った人は。そんな状況です。それは、でも、表にはなかなか差別や的なことがまだまだ文化的圧力があったんで言えなかった。一方メディアの方は韓国とつるんだらもうかっとったんでしょうね、多分、多分ですね。それと日韓友好っていうたてまえはきれいで受けもいい。マスメディアはリベラルが強いというのもあるんかなと思うんですが、日韓友好に注力していた。そういった中で、なかなかビジネスマンが向うで触れたことやぶっちゃけて嫌悪感とかは、メディアで取り上げることはまずなかったという、こういった状況が続いていた。20世紀が終わるころまではそんな感じかなと。

で、21世紀というか、正確には95年ごろからですけれども、ネットの時代になったらマスメディアによらない個々人の意見というものがガンガン流通するようになって、悪名高い2チャンネルなんてすごかったですね、はっきり言うて。そういった中で、普通の人の意見がネットで普通に流通して、それをみんな見えるようになったということで。


ここでちょっととめていただけますか。

386世代
→WIKIPEDIA

漢江の奇跡
(ハンガンのきせき、かんこうのきせき)
→WIKIPEDIA
 
 








主催者側からの解説

この後、氷川氏はオフレコで、会場にいるお客様限定で色々語りました。

韓国とのビジネスで色々と異文化ショックを受けた体験談です。

特定個人への陰口や誹謗中傷、プライヴァシー暴露など全然でした。



そして又、後半へ続きます。