→ 済州43事件の遺族への賠償金問題の解説、疑義や批判、時系列順、

   


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シネ・ヌーヴォ · フォローする
2014年4月26日 ·
済州島4・3事件 年表
1945年
8.15 朝鮮解放
9. 1 済州島建国準備委員会(建準、委員長呉大進)結成
9.22 済州島建準、済州島人民委員会(委員長呉大進)に改編
9.28 米軍済州上陸、日本軍58軍司令官遠山登中将、降伏文書に署名
10.27 済州島を含む全羅南道一円に軍政実施
11. 5 保安隊による漢拏団襲撃事件を名目に、米軍政が済州島人民委員会急襲、154名を逮捕
11.10 米第20連隊第59軍政中隊入島。本格的な軍政業務開始
11.20 ソウルで開かれた全国人民委員会代表者大会に済州代表として呉大進ら4名が参加
12. 9 朝鮮共産党済州島委員会結成
1946年
8. 1 済州道制実施、2郡1邑12面行政体制
8.27 コレラによる済州島の死亡者369名にのぼる
10.29 南朝鮮過渡立法議員選挙において済州道では全国で唯一左派系人物2名を選出
11.16 国防警備隊第9連隊摹瑟浦に創設
11.23 朝鮮共産党済州島委員会を南朝鮮労働党(南労党)済州島委員会に改編
1947年2.17 済州島3・1闘争記念準備委員会(委員長安世鴻)結成
2.23 民主主義民族戦線(民戦)済州島委員会結成
3. 1 済州島民戦の主催で第28回3・1節記念式開催、3万名が参加。参加者の示威に警察が発砲し6名が死亡
3.10 全島が官民ゼネストに突入。13日までに166機関・団体の41,211名が参加
3.15 応援警察隊220名が来島
11. 2 西北青年会済州道本部(委員長張東春)結成大会
1948年
1.22 警察が南労党朝天支部を急襲、106名検挙
3. 6 朝天支署で朝天中学院学生金用哲が拷問致死
3.14 摹瑟浦支署で青年梁銀河が拷問致死
4. 3 南労党の武装隊が済州島内の12警察支署、右翼団体幹部宅などを襲撃
4. 5 済州警察監察庁内に済州非常警備司令部設置
4.16 済州島人民遊撃隊総責金達三の名義で「5・10亡国単独選挙反対の武装蜂起声明」発表
4.17 米軍政、第9連隊に鎮圧作戦出動を命令
4.28 金益烈第9連隊長、金達三と会談。72時間以内の戦闘中止など3条件で合意
5. 1 西北青年会員らによって済州邑吾羅里で放火事件発生
5. 5 ディーン軍政長官、済州島事態の鎮圧政策を協議するための最高首脳会議招集。警備隊側は和平を、警察側は討伐を主張し激しく対立
5. 6 金益烈第9連隊長解任。後任連隊長として朴珍景中佐赴任
5.10 南朝鮮単独選挙実施。全国200選挙区中、北済州郡甲・乙選挙区のみ投票率が過半数に至らず
5.15 第11連隊が済州へ移動。第9連隊を合同させ第11連隊再編(連隊長朴珍景)
5.24 ディーン軍政長官、済州道2選挙区について選挙無効を宣言
6.18 第11連隊長朴珍景が部下に射殺される
6.21 米軍政、後任第11連隊長に崔景禄中佐を、副連隊長に宋堯讃少佐を任命
7.15 第11連隊から元第9連隊の兵力を配属解除し、第9連隊を再構成(連隊長・宋堯讃)
7.24 第11連隊が済州島から撤収。済州島討伐作戦は第9連隊に委ねられる
8.11 済州道民保団創設
8.15 大韓民国政府樹立
8.21 南朝鮮人民代表者大会(海州)に済州島から金達三6名が参加(8.25金達三が済州島パルチザン闘争の成果を報告)
9. 9 朝鮮民主主義人民共和国政府樹立
10.11 済州道警備司令部(司令官金相謙)設置
10.17 宋堯讃第9連隊長、海岸から5キロ以上地域の通行禁止を布告
10.19 済州島への出動を命じられた麗水第14連隊の反乱事件発生(~10.27)
金相謙司令官罷免、宋堯讃第9連隊長が司令官兼任
10.24 武装隊、李徳九総責の名義で韓国政府に宣戦布告
第9連隊の将兵100名余りがスパイ容疑で連行、のち処刑11. 1 警察フラクション事件、20名処刑
11. 9 西北青年会、金斗鉉済州道総務局長を拷問のうえ殺害
11.13 軍警討伐隊、涯月里下加里・召吉里で住民約80名を集団銃殺。この日を起点に焦土化作戦開始
11.17 李承晩大統領、済州道全域に戒厳令宣布
11.中旬 安徳面東廣里の洞窟クンノルケに住民たちが避難しはじめる。以後、約2ヵ月間生活
12. 1 国家保安法公布
12.12 国連、韓国政府承認
12.18 旧左面タランスィ窟に避難していた住民10名が討伐隊により窒息死
討伐隊、表善面兎山里の砂浜で157名射殺(~12.19)
12.19 大同青年団・西北青年会など統合し、大韓青年団結成
西北青年会員250名、済州到着。25名は警察、225名は軍に編入
12.29 第9連隊にかわって、第2連隊(連隊長咸炳善)を討伐作戦に配置
12.31 済州道地区の戒厳令解除
1949年
1.17 討伐隊、朝天面北村里住民約400名を集団虐殺(~1.18)
3. 2 済州道地区戦闘司令部(司令官・劉在鴻)設置、宣撫工作へ徐々に転換
4. 9 李承晩大統領来島
5.10 国会議員再選挙実施
5.15 済州道戦闘司令部解散、西北青年会員で構成された第2連隊第3大隊撤収
6. 7 李徳九武装隊総責、射殺される
6.29 駐韓米軍の撤収完了、軍事顧問団500名は残留
8.13 第2連隊撤収
1950年1.26 米韓軍事相互防衛協定締結
6.25 朝鮮戦争開戦
6.29 治安局長、済州道警察局長に国民保導連盟ら「不純分子」の拘束を指示
7.16 松岳山ソッサルオルムの旧日本軍弾薬庫で、摹瑟浦警察署管内の予備検束者218名を集団射殺(~7.20、8.20)
1951年
7.10 休戦会談開会
1953年
1.29 遊撃戦特殊部隊のムジゲ(虹)部隊が漢拏山作戦地域に投入(5.1作戦完了)
7.27 休戦協定調印
1954年
4. 1 漢拏山を部分開放、海岸に疎開していた山間部落民に帰村許可
9.21 漢拏山禁足地域を全面開放
1956年
5.18 慕瑟浦住民集団虐殺事件(1950年)の遺族が探し当てた遺体132体を共同で埋葬し、埋葬地を「百祖一孫之地」と名づける
1957年
4. 2 最後の遊撃隊員・呉元権が捕獲される
8.- 金石範が4・3事件を題材とした小説「看守朴書房」を『文芸首都』に発表
1959年
5. 8 「百祖一孫之地」に遺族が慰霊碑建立
1960年
4.19 4・19革命
5. - 済州大学生7名が「4・3事件真相糾明同志会」を組織
6. 6 国会調査団、犠牲者遺族らから聴き取り1961年
5.16 5・16軍事クーデター
5.17 「4・3事件真相糾明同志会」の2名が検挙。済州新報社の慎トゥバン専務ものちに拘束
6.15 警察が「百祖一孫之地」の慰霊碑を破壊
1972年
10.17 維新クーデター、非常戒厳令布告
1978年
9. - 玄基榮が小説「順伊おばさん」を『創作と批評』に発表、のち国家保安法違反容疑で拘束
1980年
5.18 光州民主化運動
1987年
3. - 李山河が長編叙事詩「漢拏山」を『緑豆書評』に発表、のち国家保安法違反で拘束、懲役1年判決
6.29 民主化宣言
1988年4. 3 ソウルと東京で集会など40周年記念行事
1989年
4. 3 済州島の社会運動諸団体で結成された「4月祭共同準備委員会」が、初めての追悼行事として「41周忌4・3抗争追慕祭」を開催
済州新聞社が「四・三の証言」連載開始。のち、済民日報が「四・三は語る」として継承
5.10 済州4・3研究所発足
1993年
3.20 済州道議会「4・3特別委員会」設置(1995.4『4・3被害調査報告書』刊行)
1999年
3. 8 「済州4・3真相糾明と名誉回復のための道民連帯」結成
12.16 「済州4・3事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」国会通過
2000年
8.28 「済州4 •3事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会」発足
2003年
10.15 4・3事件真相報告書最終確定
10.31 盧武鉉大統領公式謝罪
2006年
10.31 犠牲者遺骸発掘事業開始
2008年
3.28 済州4・3平和記念館開館
11.10 済州4・3平和財団出汎式
2014/04/19 藤永 壯



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1945/08/15
 
   


日本、敗戦。




連合軍管轄期(ko.wikipediaでは「군정기」)
1945年8月15日 - 第二次世界大戦で日本敗北。朝鮮半島の日本統治が終わり、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソ連が、同以南を米国が管轄)。




 
   
1945年

9. 1 済州島建国準備委員会(建準、委員長呉大進)結成
9.22 済州島建準、済州島人民委員会(委員長呉大進)に改編
9.28 米軍済州上陸、日本軍58軍司令官遠山登中将、降伏文書に署名
10.27 済州島を含む全羅南道一円に軍政実施
11. 5 保安隊による漢拏団襲撃事件を名目に、米軍政が済州島人民委員会急襲、154名を逮捕
11.10 米第20連隊第59軍政中隊入島。本格的な軍政業務開始
11.20 ソウルで開かれた全国人民委員会代表者大会に済州代表として呉大進ら4名が参加
12. 9 朝鮮共産党済州島委員会結成



 
 
   

1946年

8. 1 済州道制実施、2郡1邑12面行政体制
8.27 コレラによる済州島の死亡者369名にのぼる
10.29 南朝鮮過渡立法議員選挙において済州道では全国で唯一左派系人物2名を選出
11.16 国防警備隊第9連隊摹瑟浦に創設
11.23 朝鮮共産党済州島委員会を南朝鮮労働党(南労党)済州島委員会に改編
1947年2.17 済州島3・1闘争記念準備委員会(委員長安世鴻)結成
2.23 民主主義民族戦線(民戦)済州島委員会結成
3. 1 済州島民戦の主催で第28回3・1節記念式開催、3万名が参加。参加者の示威に警察が発砲し6名が死亡
3.10 全島が官民ゼネストに突入。13日までに166機関・団体の41,211名が参加
3.15 応援警察隊220名が来島
11. 2 西北青年会済州道本部(委員長張東春)結成大会 
 
   

1947年2.17 済州島3・1闘争記念準備委員会(委員長安世鴻)結成
2.23 民主主義民族戦線(民戦)済州島委員会結成
3. 1 済州島民戦の主催で第28回3・1節記念式開催、3万名が参加。参加者の示威に警察が発砲し6名が死亡
3.10 全島が官民ゼネストに突入。13日までに166機関・団体の41,211名が参加
3.15 応援警察隊220名が来島
11. 2 西北青年会済州道本部(委員長張東春)結成大会


 
 
   
1948年
1.22 警察が南労党朝天支部を急襲、106名検挙


 
 
   

1948年


3. 6 朝天支署で朝天中学院学生金用哲が拷問致死
3.14 摹瑟浦支署で青年梁銀河が拷問致死


 
 
 1948年4月3日

1954年9月21
 

済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[4]。

南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された[5]。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた[5]。



4. 3 南労党の武装隊が済州島内の12警察支署、右翼団体幹部宅などを襲撃

 
 
   
1948年


4. 5 済州警察監察庁内に済州非常警備司令部設置
4.16 済州島人民遊撃隊総責金達三の名義で「5・10亡国単独選挙反対の武装蜂起声明」発表
4.17 米軍政、第9連隊に鎮圧作戦出動を命令
4.28 金益烈第9連隊長、金達三と会談。72時間以内の戦闘中止など3条件で合意



 
 
   
1948年




5. 1 西北青年会員らによって済州邑吾羅里で放火事件発生
5. 5 ディーン軍政長官、済州島事態の鎮圧政策を協議するための最高首脳会議招集。警備隊側は和平を、警察側は討伐を主張し激しく対立
5. 6 金益烈第9連隊長解任。後任連隊長として朴珍景中佐赴任
5.10 南朝鮮単独選挙実施。全国200選挙区中、北済州郡甲・乙選挙区のみ投票率が過半数に至らず
5.15 第11連隊が済州へ移動。第9連隊を合同させ第11連隊再編(連隊長朴珍景)
5.24 ディーン軍政長官、済州道2選挙区について選挙無効を宣言



 
   


1948年



6.18 第11連隊長朴珍景が部下に射殺される
6.21 米軍政、後任第11連隊長に崔景禄中佐を、副連隊長に宋堯讃少佐を任命







 
 
   


1948年


7.15 第11連隊から元第9連隊の兵力を配属解除し、第9連隊を再構成(連隊長・宋堯讃)
7.24 第11連隊が済州島から撤収。済州島討伐作戦は第9連隊に委ねられる



 
 
   


1948年


8.11 済州道民保団創設
8.15 大韓民国政府樹立
8.21 南朝鮮人民代表者大会(海州)に済州島から金達三6名が参加(8.25金達三が済州島パルチザン闘争の成果を報告)



 
 
   



1948年


9. 9 朝鮮民主主義人民共和国政府樹立



 
 
   


1948年


10.11 済州道警備司令部(司令官金相謙)設置
10.17 宋堯讃第9連隊長、海岸から5キロ以上地域の通行禁止を布告
10.19 済州島への出動を命じられた麗水第14連隊の反乱事件発生(~10.27)
金相謙司令官罷免、宋堯讃第9連隊長が司令官兼任
10.24 武装隊、李徳九総責の名義で韓国政府に宣戦布告
第9連隊の将兵100名余りがスパイ容疑で連行、のち処刑11. 1 警察フラクション事件、20名処刑


 
 
   


1948年


11. 9 西北青年会、金斗鉉済州道総務局長を拷問のうえ殺害
11.13 軍警討伐隊、涯月里下加里・召吉里で住民約80名を集団銃殺。この日を起点に焦土化作戦開始
11.17 李承晩大統領、済州道全域に戒厳令宣布
11.中旬 安徳面東廣里の洞窟クンノルケに住民たちが避難しはじめる。以後、約2ヵ月間生活



 
 
   

1948年





12. 1 国家保安法公布

12.12 国連、韓国政府承認

12.18 旧左面タランスィ窟に避難していた住民10名が討伐隊により窒息死

討伐隊、表善面兎山里の砂浜で157名射殺(~12.19)

12.19 大同青年団・西北青年会など統合し、大韓青年団結成

西北青年会員250名、済州到着。25名は警察、225名は軍に編入

12.29 第9連隊にかわって、第2連隊(連隊長咸炳善)を討伐作戦に配置

12.31 済州道地区の戒厳令解除



 
 
   
1949年
1.17 討伐隊、朝天面北村里住民約400名を集団虐殺(~1.18)



 
 
   
1949年


3. 2 済州道地区戦闘司令部(司令官・劉在鴻)設置、宣撫工作へ徐々に転換



 
 
   

1949年


4. 9 李承晩大統領来島



 
 
    1949年


5.10 国会議員再選挙実施
5.15 済州道戦闘司令部解散、西北青年会員で構成された第2連隊第3大隊撤収

 
1949/06/07




 
   済州4・3事件を主導してきた、南朝鮮労働党の中心的な活動家、武装隊司令官、李徳九(イ・ドック)(1920年~1949年 6月7日)、韓国の済州島で、警察と交戦、射殺されることで武装隊は事実上潰滅した。

李徳九(イ・ドック)の死体は磔、さらしものにされた。


この李徳九(イ・ドック)の甥が、康実(カン・シル)。
2000 年 10 月に大阪で在日本済州 4・3 事件遺族会が結成された。会長には李徳九の甥であり,母親をはじめ家族・親族に多くの犠牲者を出した康実氏が,副会長には本インタビューの証言者である朴榮萬氏が就任した。現会長は 2 代目呉光現氏。毎年 4 月に行われる大阪での 4・3 事件犠牲者慰霊祭を主催している

李徳九(イ・ドック)の姪が、在日本済州 4・3 事件遺族会の催しの特別ゲストとして招致された。

どちらかが、「李徳九(イ・ドック)の姉の子」と紹介されてたけど、李徳九(イ・ドック)の韓国語のNAMU.WIKIでは、兄が二人だけとかで、姉や妹の記載はない。

李徳九(イ・ドック)の兄の嫁の弟が後に済州島知事になったとか。ひょっとして、兄の嫁筋じゃないか?
それにしても、李徳九(イ・ドック)の兄の嫁筋が知事になれるっていうのなら、一族郎党への差別はないってことじゃないのか?




 
   
1949年


6.29 駐韓米軍の撤収完了、軍事顧問団500名は残留




 
 
   
1949年


8.13 第2連隊撤収


 
 
   



1950年1.26 米韓軍事相互防衛協定締結

 
 
1950/03/20



 
  済州4・3事件を主導してきた、南朝鮮労働党の中心的な活動家、金達三(キム・ダルサム)、慶尚北道保県山一帯で大韓民国の転覆活動をしてから韓国軍によって射殺。

 金達三(金達三、1923年 8月4日~1950年 3月20日)は本名は李承晉(李承晉)であり、南朝鮮労働党済州道党軍事部長兼遊撃隊司令官として4・3事件を主導した。1948年8月に月北して最高人民会議代議員および主席団に選出され、北朝鮮の人民共和国創建に参加し、金日成から国旗勲章2級を受けた。[1] 1949年8月には遊撃隊員300人余りを率いて38選を浸透し、慶尚北道保県山一帯で大韓民国の転覆活動をしてから6.25戦争直前の1950年3月20日に国軍に射殺された。現在、北朝鮮の平壌愛国烈士陵に彼の墓碑が建てられている。
 
1950/06/25

 
 
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争[2][3][4][5]。1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東とソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した[6][7]。

分断国家朝鮮の両当事国、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。

終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されておらず、緊張状態は解消されていない。休戦以来、北朝鮮は幾度となく大韓民国への領空、領海侵犯のみならず砲撃をも行い、韓国や日本などの国民の拉致や恫喝を繰り返している。
 
 
   
1950年

6.29 治安局長、済州道警察局長に国民保導連盟ら「不純分子」の拘束を指示
7.16 松岳山ソッサルオルムの旧日本軍弾薬庫で、摹瑟浦警察署管内の予備検束者218名を集団射殺(~7.20、8.20)




 
 
   
1950年

7.16 松岳山ソッサルオルムの旧日本軍弾薬庫で、摹瑟浦警察署管内の予備検束者218名を集団射殺(~7.20、8.20)



 
 
   

1951年
7.10

朝鮮戦争、休戦会談開会

 
   


1953年
1.29 遊撃戦特殊部隊のムジゲ(虹)部隊が漢拏山作戦地域に投入(5.1作戦完了)




 
 

1953/07/27


 
   

朝鮮戦争、休戦協定調印

1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。


 
     








 
   



1954年
4. 1 漢拏山を部分開放、海岸に疎開していた山間部落民に帰村許可


 
 
 1954/09/21


 

済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[4]。

南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された[5]。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた[5]。






1954年


9.21 漢拏山禁足地域を全面開放


 
 
1956/12/05


 
   南朝鮮労働党(南労党)の指導者として、韓国側から朝鮮戦争の開始に関わってきた朴 憲永(パク・ホニョンが、1953年に金日成に「米帝国主義のスパイ」罪に問われて処刑された。
 
   

1956年
5.18 慕瑟浦住民集団虐殺事件(1950年)の遺族が探し当てた遺体132体を共同で埋葬し、埋葬地を「百祖一孫之地」と名づける


 
 
   

1957年
4. 2 最後の遊撃隊員・呉元権が捕獲される



 
 
       
   

1957年


8.- 金石範が4・3事件を題材とした小説「看守朴書房」を『文芸首都』に発表



 
 
   

1959年<br>
5. 8 「百祖一孫之地」に遺族が慰霊碑建立


 
 
   
1960年
4.19 4・19革命
5. - 済州大学生7名が「4・3事件真相糾明同志会」を組織
6. 6 国会調査団、犠牲者遺族らから聴き取り1961年
5.16 5・16軍事クーデター
5.17 「4・3事件真相糾明同志会」の2名が検挙。済州新報社の慎トゥバン専務ものちに拘束
6.15 警察が「百祖一孫之地」の慰霊碑を破壊



 
 
   


1960年
4.19 4・19革命



 
 
   

1960年


5.16 5・16軍事クーデター



 
 
   
1960年
4.19 4・19革命
5. - 済州大学生7名が「4・3事件真相糾明同志会」を組織


5.17 「4・3事件真相糾明同志会」の2名が検挙。済州新報社の慎トゥバン専務ものちに拘束



 
 
   

1960年


6. 6 国会調査団、犠牲者遺族らから聴き取り

 
 
   

1960年

5. - 済州大学生7名が「4・3事件真相糾明同志会」を組織


6. 6 国会調査団、犠牲者遺族らから聴き取り1961年

5.16 5・16軍事クーデター

5.17 「4・3事件真相糾明同志会」の2名が検挙。済州新報社の慎トゥバン専務ものちに拘束



 
 
   

1961年

6.15 西帰浦警察署長の指示で警察が「百祖一孫之地」の慰霊碑を破壊
 
 
   

 
1964



 
   大韓民国国軍のベトナム参戦。

1964年の第一次派兵から1966年の第四次派兵


1964年
5月9日 - ジョンソンアメリカ大統領が友好国25カ国に南ベトナムの支援を要請。
7月15日 - 南ベトナム首相、韓国軍の派兵を要請
7月31日 - 韓国国会が第1次派遣同意案を可決
9月12日 - 第1回派遣団サイゴン到着




南ベトナム政府の参戦要請と韓国側の軍事支援提案により、大韓民国国軍の派兵は1964年から始まり1966年まで行われた。軍事支援だけでなくインフラ支援といった非戦闘員の支援も行われたが、戦闘地域では大規模な戦争犯罪も起きた。

韓国軍からは4968人の戦死者、負傷者8004人を出した。
 
     

1965年
1月26日 - 韓国国会が第2次派遣同意案を可決
3月16日 - 建設支援団(鳩部隊)サイゴン到着
8月13日 - 国会第3次派遣(戦闘部隊)動き可決
10月14日 - 第2海兵旅団(青龍部隊)リイン上陸
10月20日 - 駐越韓国軍司令部サイゴン箇所
11月2日 - 首都社団(猛虎部隊)本隊クイニョン上陸


 
 1965
 
コトバンク
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1965年(昭和40)6月22日に署名され、12月18日に批准書が交換されて発効した「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」。1943年のカイロ宣言およびそれを確認した45年のポツダム宣言によって、連合国は第二次世界大戦後の朝鮮の独立を約束していたが、51年のサンフランシスコ講和条約でわが国もこれを承認し、日本と朝鮮の関係の処理は両国の合意にゆだねられることになった。「朝鮮」には、すでに韓国(大韓民国)と北朝鮮が成立していたが、日本と「朝鮮」の関係の正常化はもっぱら「日韓交渉」として行われた。51年9月、連合国最高司令部は在日朝鮮人の地位に関する両国の交渉を促したが、これを機として翌年2月に第一次会談が開かれ、65年の妥結に至るまで、実に15年もの間、中断と再開を繰り返した。この会談はしばしば実質は日米韓三国交渉であったといわれるほど、米国の調停工作が公然と行われた。

 条約のおもな内容は次のとおりである。

(1)両国間に外交・領事関係が開設され、大使級の外交使節が交換される(1条)。

(2)1910年8月22日以前に日本と大韓帝国の間で結ばれた条約等はすべて「もはや無効である」ことが確認される(2条)。

(3)韓国は国連総会決議195号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される(3条)。

(4)両国は相互の関係で国連憲章の原則を指針とする(4条)。

(5)貿易、海運、その他の通商関係に関する条約等の締結のため、速やかに交渉を開始する(5条・6条)。

 日韓基本条約とともに、両国間では「漁業協定」、「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」、「在日韓国国民の法的地位及び待遇に関する協定」、「文化財及び文化協力に関する協定」、「紛争解決に関する交換公文」など多くの合意が署名され、両国の関係は「正常化」された。しかし日韓両国ともに国内では反対運動が強く、韓国では与党だけで、日本では自民、民社両党の賛成だけで批准案の承認が行われた。条約の内容の不備と解釈の不統一、南北分断の固定化、対韓経済侵略、軍事同盟志向の強化などが批判された。院外では、1965年11月9日の統一行動には約24万人が参加し、反対運動が高揚した。韓国における反対運動はさらに激しく、8月23日には学生デモ鎮圧のために軍隊が出動し、26日には衛戍(えいじゅ)令を発動したほどであった。

[石本泰雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)



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1966


   
1966年
3月20日 - 国会第4次派遣同意案可決(戦闘部隊増派)
4月19日 - 首都社団(猛虎部隊)第26連隊本隊クイニョン上陸
10月3日 - 第9師団(白馬部隊)ニンホアと点滅ライン上陸
10月21日 - 朴正煕大統領が南ベトナム訪問


 
   

1971年12月4日 - 駐越韓国軍第1段階の撤退開始(第2海兵旅団)
 
 
   
1972年4月13日 - 駐越韓国軍第1次撤退完了


 
 
   

1972年
10.17


韓国で、維新クーデター、非常戒厳令布告

 
 
    1973年1月28日 - ベトナム戦争、平和協定発効



 
 
    1973年3月13日 - 駐越韓国軍第二次撤退完了(本隊)
1973年3月23日 - 駐越韓国軍後発隊撤収完了



 
 
   
 
 
 1974/08/15
 

文世光(ムン・セグァン)事件。
大韓民国(韓国)大統領・朴正煕夫人の陸英修が在日韓国人の文世光によって射殺された事件である。同時に式典に合唱団の一員として参加していた女子高生の張峰華(当時17歳)も、朴大統領に迫る犯人に向けて応戦した大統領警護室のセキュリティポリスが撃った流れ弾に当たり事故死した。

この日は、大韓民国での日本からの独立記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。

 
 

 
   1978年
9. - 玄基榮が小説「順伊おばさん」を『創作と批評』に発表、のち国家保安法違反容疑で拘束



 
   



1988/04/03(日)14:00~
在日本韓国YMCA アジア青少年センター、東京都千代田区神田猿楽町2丁目5−5、JR水道橋駅
「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」
主催:四・三事件を考える会


立教大学
集合的記憶における済州4・3
2022/05/10
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3. 済州 4・3 を周知するための在日済州人の努力と成果

3.1. 東京での済州 4・3 真相究明運動の開始と作家・金石範(キム・ソッボム)

東京での済州 4・3 真相究明運動の始まりは、1988 年 4 月に開催された「済州 4・3 事件を考える会」の「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」がきっかけとなった(1988 年 4 月 3 日午後 2 時、東京水道橋、韓国YMCA)。

その中心には、1984 年、『火山島』で、第 11 回大佛次郎賞を受賞した在日済州島出身作家の金石範が 1988 年 3 月 29 日付けの朝日新聞に 3 千字に及ぶ「ウネリ-タブー打破、立場を求められる知識人」の解題があった。この解題により、集会は在日済州人をはじめ、日本人も大勢参加することで、約 500 人の聴衆が集まることとなり、これが集会を成功させるのに大きく寄与したといえる。
金石範は、『看守朴書房』(1957.8)、『カラスの死』(1957.12)、『火山島』(1976~1997)などの小説を執筆し、さらに 1998 年の毎日芸術賞受賞もあり、こうした活動を通じて日本社会に済州 4・3 の真相を知らせた。また、金奉賢(キム・ボンヒョン)·金民主(キム・ミンジュ)による『済州島人民の《4・3 武装闘争史》資料集』(1963)などが出版され、済州 4・3 が日本社会で次第に注目され始めた。日本の毎日新聞によると、金石範は 1951 年に対馬を訪れるが、この時、ある女性から性拷問の体験談を聞いて現実以上に圧倒され、それを基点に済州 4・3 をテーマにした『カラスの死』(1957)を執筆したという。この作品は、日本社会での済州 4・3 を知らせる礎となった。
一方で、金石範は、2015 年に韓国で開催された第 1 回済州 4・3 平和賞の受賞者に選ばれたが、李承晩を批判する発言をしたということで保守派の国会議員から批判を受ける。同年の 10 月には『火山島』が韓国で出版され、出版記念会に出席しようとした際には、入国を拒否されるなどの困難を経験した。これは、いまだに韓国社会で深刻に残存しているイデオロギー対立を代表する例といえる


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1980/05/01


文世光(ムン・セグァン)事件。
大韓民国(韓国)大統領・朴正煕夫人の陸英修が在日韓国人の文世光によって射殺された事件である。同時に式典に合唱団の一員として参加していた女子高生の張峰華(当時17歳)も、朴大統領に迫る犯人に向けて応戦した大統領警護室のセキュリティポリスが撃った流れ弾に当たり事故死した。

この日は、大韓民国での日本からの独立記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。




 
 
   
1987年
3. - 李山河が長編叙事詩「漢拏山」を『緑豆書評』に発表、のち国家保安法違反で拘束、懲役1年判決


 
 
   

1987年

6.29 民主化宣言


 
 
   

1988年4. 3 ソウルと東京で集会など40周年記念行事



 
 
   
1988/04/03(日)14:00~
在日本韓国YMCA アジア青少年センター、東京都千代田区神田猿楽町2丁目5−5、JR水道橋駅
「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」
主催:四・三事件を考える会


立教大学
集合的記憶における済州4・3
2022/05/10
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3. 済州 4・3 を周知するための在日済州人の努力と成果

3.1. 東京での済州 4・3 真相究明運動の開始と作家・金石範(キム・ソッボム)

東京での済州 4・3 真相究明運動の始まりは、1988 年 4 月に開催された「済州 4・3 事件を考える会」の「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」がきっかけとなった(1988 年 4 月 3 日午後 2 時、東京水道橋、韓国YMCA)。

その中心には、1984 年、『火山島』で、第 11 回大佛次郎賞を受賞した在日済州島出身作家の金石範が 1988 年 3 月 29 日付けの朝日新聞に 3 千字に及ぶ「ウネリ-タブー打破、立場を求められる知識人」の解題があった。この解題により、集会は在日済州人をはじめ、日本人も大勢参加することで、約 500 人の聴衆が集まることとなり、これが集会を成功させるのに大きく寄与したといえる。
金石範は、『看守朴書房』(1957.8)、『カラスの死』(1957.12)、『火山島』(1976~1997)などの小説を執筆し、さらに 1998 年の毎日芸術賞受賞もあり、こうした活動を通じて日本社会に済州 4・3 の真相を知らせた。また、金奉賢(キム・ボンヒョン)·金民主(キム・ミンジュ)による『済州島人民の《4・3 武装闘争史》資料集』(1963)などが出版され、済州 4・3 が日本社会で次第に注目され始めた。日本の毎日新聞によると、金石範は 1951 年に対馬を訪れるが、この時、ある女性から性拷問の体験談を聞いて現実以上に圧倒され、それを基点に済州 4・3 をテーマにした『カラスの死』(1957)を執筆したという。この作品は、日本社会での済州 4・3 を知らせる礎となった。
一方で、金石範は、2015 年に韓国で開催された第 1 回済州 4・3 平和賞の受賞者に選ばれたが、李承晩を批判する発言をしたということで保守派の国会議員から批判を受ける。同年の 10 月には『火山島』が韓国で出版され、出版記念会に出席しようとした際には、入国を拒否されるなどの困難を経験した。これは、いまだに韓国社会で深刻に残存しているイデオロギー対立を代表する例といえる


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1989年
4. 3 済州島の社会運動諸団体で結成された「4月祭共同準備委員会」が、初めての追悼行事として「41周忌4・3抗争追慕祭」を開催
済州新聞社が「四・三の証言」連載開始。のち、済民日報が「四・三は語る」として継承



 
 
   
1989年

5.10 済州4・3研究所発足

 
 
    1993年
3.20 済州道議会「4・3特別委員会」設置(1995.4『4・3被害調査報告書』刊行)
 
   




1993/04/03(土)

済州島「四・三事件」45周年追悼の集い(KCC会館)
「済州島のメーデー」上映
パネルディスカッション
・金石範(キム・ソクポム)(作家)
・金民柱(キム・ミンジュ)(元在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部)
・文京洙(ムン・ギョンス)

主催:「済州島四・三事件45周年追悼の集い実行委員会」
賛同:済州島「4・3事件」を考える会



和解学の創成〜正義ある和解を求めて〜|早稲田大学
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「済州4・3」70周年、大阪での取り組み25年から見えてきた家族の記憶

済州四・三事件70周年犠牲者慰霊祭実行委員会:大阪市生野区在住

張征峰(チャン・チョンボン)


済州島四・三事件45周年追悼の集い(1993.4.3)

1993年4月大阪市生野区のKCC会館ホールで『済州島「四・三事件」追悼の集い』を催した。東京の済州島四・三事件を考える会と共に準備した。当時同胞でも関心を持つ人は少なかった。当時事件に関する情報も圧倒的に不足していた(正確に言えば、済州島4・3事件を暴徒の事件と決めつけ、事件をタブーとした権力作用がつい最近2000年1月、「四・三特別法」制定、公布まで続いてきた)。事前に京都新聞が取り上げてくれた。金石範氏、金民柱氏、文京洙氏のパネルディスカッションだったが、論議が尽きずフロアからの体験談等も相次ぎ予定の時間を大幅に過ぎ進行に四苦八苦した。大阪では初めての公開的な追悼集会になった。以降も毎年学習会が継続、50周年からは予算や事務局体制が整備され、今では1世を中心に参加者が500名を越す大規模な慰霊祭となっている。

なぜ「済州4・3」に関わろうとしたのか。当時事件を十分に認識していた訳ではない。知らないから関わった。それまで済州に関心がなかった。韓国民主化運動には関心があったが、済州の歴史を知ろうとしなかった。辺境の地・済州島とみなす差別意識が自分のなかになかったとは決して言えない。

最近知ったが、私が幼少の頃、北朝鮮への帰国運動が始まると、父が帰国を決めてしまった。母方親類が北の状況は良くないと察知し、猛反対で乗船しなかった。以降も下請工場製造業を家族全員で担ったが生活は困窮。民族差別が当たりまえの日本社会で家族を背負って生きる在日1世の父の不安、やるせなさ、とりわけ仕事上のストレスは家族への暴力へ向かわせた。生活苦のなか、故郷の土地を済州の家族に譲渡し、学用品など仕送りする父に、私たち家族への愛情はないのかと母、子ども同士で非難したりもした。

幼少の記憶はトラウマになっている。当時の済州は1世である尊敬できなかった父のイメージと重なる。

事件に関わるきっかけは外登法運動に関わる中知り合った新幹社の高二三さんらの熱心な働きかけが大きい。大阪は同胞が多く、生野区は済州出身者が多い。事件のことを知りたい。45周年の節目で集いを催すことで、得体のしれない闇に包まれている事件のタブーを解きたいとそう思った。

2001年父親の葬儀の通夜で父方の親類が「あんたのお父さんは当時は警察官で、「済州4・3」の前の年にあった三一節集会でデモ参加者へ警察官が発砲等したので武装隊から警察官への報復があるからと兄弟が日本に逃がした」と教えてくれた。父は武装隊が1948年4月3日蜂起する前に妻と2歳の娘、父母、兄弟を置いて解放前から行き来していた大阪へと逃れた。朝鮮籍であったこともあり1978年頃、民団の母国訪問墓参団に参加するまで済州に帰郷できなかった。

済州島から逃れたが、大阪で郷里、済州市三陽里の親睦会には熱心に活動をした。南北分断が深化するなか、帰れない済州。親睦会は父にとって済州だった。

生前、恐る恐るなぜ警察官になったのかと尋ねたら、「1945年8月は光州市で日本軍として解放を迎えた。警察官を募集していたので応募したら採用された。公務員だし安定して生活ができると思った。」とだけ言った。

1998年1月大阪で「済州4・3」を描いた映画『レッド・ハント』(※注)が上映された。体験者の証言が続くのだが父の兄・張五林が突然登場。1947年3月1日観徳亭広場での集会、デモに参加していた。「一番後ろの方を歩いていたもんだから…。銃で撃たれて…。弾は首のところを貫通したんだ。これが弾をうけたときの傷じゃ。」と首の傷跡をみせた。1986年初めて済州島を訪ねた際に観徳亭を案内してもらったが、傷のことも事件のことも話してもらえなかった。映画の後立ち上がれなくなった。父は2001年に亡くなったが、最後まで事件前後のことは一切語らなかった。私が「政治難民」の子どもである事実を知ったのは本当に最近のことだ。

25年を経過した今、沈黙をかかえて亡くなった父ら死者と対話しながら、記憶を頼りに、国境をこえて、か細く頼りないが、済州との関係を紡ぎ直す歩みのなかにいる。


昭和18年12月当時、日本軍人(左が父:21歳頃)

在大阪三陽張氏親睦会(1966.4.17.)

※注:『RED-HUNT 日本語版シナリオ』(東アジアの冷戦と国家テロリズム事務局:1998年刊)P4


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済州四・三 75周年大阪慰霊祭
済州島四・三事件をめぐる主な大阪での取り組み
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1993年
4月 済州島「四・三事件」45周年追悼の集い(KCC会館)
    「済州島のメーデー」上映
    パネルディスカッション(金石範・金民柱・文京洙)
    主催:「済州島四・三事件45周年追悼の集い実行委員会」
    賛同:済州島「4・3事件」を考える会


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 1997
 






立教大学
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集合的記憶における済州4・3
―在日済州人の済州 4・3に関する記憶を中心に―


(略)



3.2. 「済州島 4・3 事件を考える会」と済州 4・3 事件50周年記念事業

済州 4・3 真相究明運動は、40 周年追悼集会後、10 年近く停滞期に入ることになる。 この要
因について、曺東鉉(2018)は、済州島出身の一部の知識人などが、済州人としての枠を越える
ことができなかった点にあると述べている。
また、当時北朝鮮系列の団体により結成された左派の「在日本朝鮮人総連合会(略称:朝鮮総
連)」と民族運動を統一的に行う目的で結成された右派の「在日本大韓民国民団(略称:民団)」の
2 つの組織と対峙する心構えの無さ、大衆運動に対する拡がりの無さがあったという。また、済
州 4・3 の 50 周年を迎え、当時東京では朝鮮総連と民団の活動を支持しない人々によって「在日
同胞のための文化運動」である「在日論」などが唱えられており、済州 4・3 真相究明運動が展開
できない状況だったという。



1997 年、済州 4・3 運動をしていた何人かの知識人たちが集まり、在日済州人だけの問題と
いう認識から抜け出し、済州 4・3 の大衆化を目指した「済州島 4・3 事件を考える会(東京)」を
中心に「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」を組織することになった。同委員会メンバ
ーを表 2 に示す。

表 2. 「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」メンバー

《共同代表》
金石範、李哲、玄光洙、金民柱、金日、安守栄、韓泰淑、李修吾、梁石日、文京洙

《事務局》
高二三、曺東鉉、高熙卓、韓聖炫 , 金重明、金民柱(不参加)

(出典:「済州四・三運動にかかわってきた二十年をふりかえって―東京での四・三運動の歴史と現在―」『済州島四・三事件 70 周年記念国際シンポジウム』から抜粋)

「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」は、在日済州人に限られた済州 4・3 運動を誰もが参加できる市民運動として飛躍させる契機を作り、さらに民謡と追悼コンサートなど多様な文化芸術を加えながら日本社会で済州 4・3 の大衆化のために努めてきた。また、日本でも済州4・3 のような歴史を隠蔽する動きがあるなか、朝鮮半島でも同様な動きがあったことを日本社会に知らせていることから、「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」の活動がもつ済州 4・3 の意味は大きいと考えられる。

以下は、済州 4・3 事件 50 周年に因んで取り組んだ行事である。

 「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」の推進により行われたイベント
○ 1997 年 10 月 「四・三を語る夕べ」、作家金石範と梁石日氏の白熱の討論
○ 1998 年 3 月 ブルース・カミングスを招聘、講演(『済州島四・三事件と米軍政』)の出版

記念パーティー
○ 新幹社、『済民日報』四・三取材班による『四・三は語る』翻訳本(『済州島四・三事件』)
○ 4 月 4 日(土) 50 周年追悼コンサート(御茶ノ水・カザルスホール 500 名収容)
また、済州 4・3、50 周年記念事業を土台に大阪ピロティホールでも公演が開かれた。 この公演は、約 1100 名の人々が参加する大衆的な行事として開催された。

済州 4・3 運動をめぐっては、「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」と葛藤のあった
朝鮮総連と民団を参加させるため、大阪実行委員会は民団を、東京実行委員会は朝鮮総連を、そ
れぞれに対して交渉を重ねることで朝鮮総連及び民団も同行事を支持するという意志を示し、そ
の結果両団体も 70 周年の追悼式に参加することになった。これまでの両団体の方針の壁を乗り
越え、済州 4・3 が目指す和解と治癒の道を共に歩む根拠を提示した一つの例として挙げられる。




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1997年、呉光現が40才になってから、「済州4・3」運動に関わるようになってきたとか。

 
     1999年
3. 8 「済州4・3真相糾明と名誉回復のための道民連帯」結成


  
 
   
 1999年


12.16 「済州4・3事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」国会通過
 


 
 
 2000/01
 


 「四・三特別法」制定




2000年に金大中政権のもとで4.3真相究明特別法が制定され、4.3委員会が設置された。



 
 
 2000/04
 

金大中政権発足後、2000年1月に4.3真相究明特別法が制定され、4.3委員会が設置されてから、在日業界でも影響がでてきて、次々と済州四三事件についてふれるのがでてきだしたね。






済州四・三 75周年大阪慰霊祭

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2000年

1月 「四・三特別法」制定

4月 52周年記念集会「四・三特別法の制定と在日の済州島四・三事件」(KCC会館)
    金栄薫・梁東允「四・三特別法制定とその意義」
    金時鐘・金石範対談「なぜ書いてきたのか、なぜ書いてこなかったのか」
    主催:済州島四・三事件を考える会・大阪
       在日本済州島四・三事件遺族会準備委員会

10月 在日本済州島四・三事件遺族会発足式(KCC会館) 会長:康実

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コトバンク
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金時鐘
きむしじょん
(1929― )

(略)


 四・三事件に直接関わりながら50年以上も沈黙をまもってきた金時鐘が初めて公の場で事件について語ったのは2000年の「済州島四・三事件52周年記念講演会」における講演である。対照的に『鴉(からす)の死』(1957)、『火山島』(1983~97)をはじめとして四・三事件を素材とした小説を書き続けてきた金石範(きんせきはん/キムソクポム)との対談集『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(2001)ではその経緯について詳細に語っている。

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2000年
8.28 「済州4 •3事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会」発足

 
 
 2000/10
 

2000年10月、
在日本済州島四・三事件遺族会発足式(KCC会館) 
会長:康実(カン・シル)


康実(カン・シル)は、李徳九(イ・ドック)の姉の息子とか。

李徳九(イ・ドック)は、南朝鮮労働党の済州島支部の主導者で、済州四三事件を主導したけど、(1949年6月6日)、警察との抗争の末、銃殺され、警察の壁にはりつけでさらされた。



康実(カン・シル)の死後(2015年)、呉光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン)が二代目会長を引き継いだ。

 
 2003/02/25
 

盧 武鉉(ノ・ムヒョン)、大韓民国第16代大統領(2003年2月25日-2008年2月24日)

民主化以降の文民政権は、政権の正当性を確立するために現代史の見直しや清算を進めてきたが、盧武鉉はこれを一歩進めて日韓併合や日本統治時代の親日派、朝鮮戦争時の韓国軍による民間人虐殺、軍事政権下での人権抑圧事件の真相究明を主張した。韓国国会は過去清算に関わる立法を進め、金泳三・金大中政権で成立したものを含めて13の特別法が効力を持つことになった。また、これらの法律を総括するために、日本統治時代から軍事政権期にいたる全ての事案に適用して真相究明や責任の追及、補償を行うための過去史基本法(真実・和解のための過去史整理基本法)を成立させた。


 
 
2003/10


 
   


盧武鉉は、自国の歴史清算事業を進め、2003年10月に行われた事件に関する島民との懇談会で初めて謝罪し、済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復委員会を設置した。

10月 「済州四・三真相調査報告書」確定


2003年
10.15 4・3事件真相報告書最終確定
10.31 盧武鉉大統領公式謝罪

 
       
 2003/11

  2003/11
盧武鉉大統領、済州道で公式謝罪
 
 
 2006/04/03
 

盧武鉉は、2006年4月3日に、済州四・三事件犠牲者慰霊祭に大統領として初めて出席し、島民に対して正式に謝罪するとともに事件の真相解明を宣言した。

 
 
   

2006年
10.31 犠牲者遺骸発掘事業開始

 
 
    2008年
3.28 済州4・3平和記念館開館

 
    2008年


11.10 済州4・3平和財団出汎式
 
 
     2012/03/24(土)16:00会場、17:00開演
教育福祉会館、沖縄県那覇市古島1丁目14−6

第一部 : 済州四・三を考える
[挨拶] 在日本済州四・三事件犠牲者遺族会会長 : 呉光現(オー・グァンヒョン)

[講演] 話と朗読「失くした季節」 失くした季節」 今語る、父母との最後の別れ。ー 密航船で済州島を脱す津下詩人が、失くしたものとは何であったのかー
詩人 : 金時鐘(キム・シジョン)

第二部 いのりの舞台
金姫淑
李広訓、
徐卿珠、
弘錫玲、
安福子、

第三部 済州~与那国漂流記・平和交流
田里千代基
李広訓、
徐卿珠、
弘錫玲、
安福子、


主催 : 沖縄・済州島平和交流実行委員会
海勢頭豊((うみせど ゆたか)



08:52
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呉 光現
2012年3月24日 · 池田市 ·
今から沖縄出張。済州43事件の講演会と沖縄戦で死んだ朝鮮人の慰霊祭に参列。


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西山 章子
チョシメ カプソヤ〜ン!


栗原 佳子
今日の集会、行く予定でしたが、仕事が終わらなくなり泣く泣く断念です。報告を楽しみにしています。


朴昌利
気をつけていってらっしゃい!


Satoshi Mochizuki
来沖、お待ちしています。


Yoshiko Goya
沖縄でお会いできず残念ですが、大阪でぜひ〜。


Makiko Miyamoto
忙しいですね~!気をつけて!いってらっしゃーい!



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15:33
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
リハ終了。通訳も一服?


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小崎清信
たいせつな集会ですね。金時鐘先生来られるんですね。すごい
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15:34
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
リハ終了。通訳も一服?

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17:23
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
2012済州43沖縄集会始まりました。

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18:42

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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
沖縄集会は金時鐘さんの講演、いつも、心にしみる話しでし。その後、済州からの伝統芸能のよる祈りが中心の構成。カヤグムの故郷の春はいいね。

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20:56
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
第三部は済州と与那国交流。15世紀に漂流した済州人を与那国の人が助けた。それを記念。
今、与那国は自衛隊の誘致問題でもめている。済州の海軍基地問題と共通点あり。
与那国の島唄と済州の歌、踊りで交流。


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2012/04/23(月)18:30(開場18:00) 日暮里サニーホール 入場券:2,000円(前売り1,800円)

Ⅰ部:パネルディスカッション「済州島四・三事件と朝鮮半島をとりまく現在(いま)」
   鵜飼哲(一橋大学教授)、桜井泉(朝日新聞記者)、文京洙(立命館大学教授)

Ⅱ部:ライブ 趙博(パギやん)

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 TEL:03-5689-4070 shinkansha@sapphire.bforth.com




図書出版「新幹社」
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済州島四・三事件64周年記念追悼集会
毎年4月の恒例の行事となりました。
今年も済州島四・三事件64周年記念追悼集会を開催します。
ぜひ、たくさんの方々に参加していただきたいと思います。
みなさんのお越しをお待ちしております。

済州島四・三事件とは・・・朝鮮現代史における民族最大の悲劇の一つ。一言で言えば、1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、その武力鎮圧の過程で3万人近くの島民が犠牲となった事件。
韓国の歴代政権は、その存亡を賭けて事件を闇の中に封じ込めた。沈黙の圧力の中でも、日韓の双方で一部の作家や知識人が四・三の真実を問い続けてきたが、四・三事件についての論議が本格的に起こり、真相究明運動が始まったのは、87年民主化運動以後であった。
日本でも87年に「済州島四・三事件を考える会」がつくられた。

済州島四・三事件64周年記念追悼集会 
日時:4月23日(月)18:30(開場18:00) 日暮里サニーホール 入場券:2,000円(前売り1,800円)
Ⅰ部:パネルディスカッション「済州島四・三事件と朝鮮半島をとりまく現在(いま)」
   鵜飼哲(一橋大学教授)、桜井泉(朝日新聞記者)、文京洙(立命館大学教授)
Ⅱ部:ライブ 趙博(パギやん)
   
・・・今回の記念行事では、四・三事件の歴史的評価と共に北朝鮮の金正日委員長の逝去や4月11日に行われる韓国国会議員選挙など、揺れ動く今日の朝鮮半島情勢について改めて考えるものである・・・

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 TEL:03-5689-4070 shinkansha@sapphire.bforth.com



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2013/02/09( 土) 午後1 時半~午後5 時
文京区民センター 3 ― A 会議室、東京都文京区

【講師】
◆ 李昤京(Lee RyongKyong)立教大学非常勤講師 政治学専攻
◆ ゲスト:金志修(Kim jisoo)東京在住 テキスタイルデザイナー「私が出会ったカンジョン」

【上映映画】
◆「JAM DOCU 江汀」ヤン・ドンギュ監督他 20 11 年12 月上映作品(韓国にて)。104 分。
◆「ニュース打破」6・7 回(2012 年3 月)、江汀特集
【済州島四・三事件65 周年記念連続学習会】
第2 回 済州島四・三事件と 江汀海軍基地問題 ー入 門 編

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
曺東鉉(チョ・ドンヒョン)
高二三(コ・イサム)、
高英姫(コ・ヨンヒ)
元日東
李昤京(リ・リョンギョン)
金良淑(キム・ヤンスク)

村上尚子
石井寛
渡辺一夫
田嵜晳(たざき あきら)(文芸春秋の編集者)

中野敏男
原田克子
木瀬慶子
栗原順子
山田修
麻生水緒


◆問い合わせ先:新幹社 〒112-0005 東京都文京区水道2丁目1-12
 TEL:03-5689-4070 FAX:03-5689-2988
 EM:shinkansha◎sapphire.bforth.com (◎を@にして送信)




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安渓 遊地
2013年2月3日 ·
 4月3日はどんな日でしょう。3月1日や2月28日とならんで忘れがたい日なのですが。
 李リョンギョン(昤京)さんからの情報をシェアします。
 下記内容の拡散と皆様のご参加をお願いします。
 今年は48年4月3日韓国の済州島で起きた「済州島四・三事件」の65周年に当たる年です。
 4月24日の65周年の集会を向けて学習会を開いております。
 第2回目は、済州島で暴力的に進められている 江汀海軍基地問題をテーマにします。
皆さんのご参加、お待ちしております。
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【済州島四・三事件65 周年記念連続学習会】
第2 回 済州島四・三事件と 江汀海軍基地問題 ー入 門 編
*2013 年2 月9 日( 土) 午後1 時半~午後5 時
*文京区民センター 3 ― A 会議室
*参加費:800 円
第2 回目は、「済州島四・三事件」の歴史的な経緯を認識し、済州島の現在おかれている問題を知るために、江汀( カンジョン) マウル(マウルは村や町の意)に建設中の海軍基地問題を取り上げます。韓国済州島西帰浦市にある江汀マウル、このマウルを包む豊かな自然と、睦まじく平和だったマウル住民の暮らしが、韓国政府による海軍基地建設の強行によって破壊されようとしています。海軍基地建設の反対闘争をテーマに8 人のフリーの監督がそれぞれの視点で描いた記録からなるオムニバス形式のドキュメンタリー映画「JAM DOCU 江汀」の一部と、現在の状況を分かるニュースや映像などを見ながら、江汀海軍基地問題はどこにあるのかということを考えます。済州島江汀海軍基地建設の持つ意味を、済州島四・三事件を体験してきた立場から、多角的に見据えたいと思います。
江汀海軍基地問題のことをあまり知らない方への学習会です。
【講師】
◆ 李昤京(Lee RyongKyong)立教大学非常勤講師 政治学専攻
◆ ゲスト:金志修(Kim jisoo)東京在住 テキスタイルデザイナー「私が出会ったカンジョン」
【上映映画】
◆「JAM DOCU 江汀」ヤン・ドンギュ監督他 20 11 年12 月上映作品(韓国にて)。104 分。
◆「ニュース打破」6・7 回(2012 年3 月)、江汀特集
◆ その他
【文京区民センター 最寄駅からのアクセス】
● 都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1 分
● 営団地下鉄丸の内線 後楽園駅 徒歩3分
● JR 水道橋駅 徒歩7分
◆主催:済州島四・三事件を考える会・東京
◆問い合わせ先:新幹社 〒112-0005 東京都文京区水道2丁目1-12
 TEL:03-5689-4070 FAX:03-5689-2988
 EM:shinkansha◎sapphire.bforth.com (◎を@にして送信)



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2013/04/24(水曜日)午後6時20分スタート(開場:午後5時半)
場所:日暮里サニーホール
「済州島四・三事件65周年記念追悼の集い」
オープニング 追悼の舞「四・三の風」金英蘭舞踊研究所
第一部 記念講演 危機の中の東アジア 現代日本の歴史認識を問う
高橋哲哉 東京大学大学院 総合文化研究科教授
第二部 合唱と民俗クッ
民俗クッ 済州神房(シャーマン)来日公演-死者への祈り-
混声合唱 日本と在日の新たな心のうた=「眠らざる南の島」をうたう会結成公演
「なぜ?」(組曲「生命の木、空へ」より(詞・曲/林光)
「朝露」(詞・曲/キム・ミンギ)
「眠らざる南の島」(詞・曲/アン・チファン)

主催:済州島四・三事件を考える会・東京


主催:済州島四・三事件を考える会・東京

曺東鉉(チョ・ドンヒョン)
高二三(コ・イサム)、
高英姫(コ・ヨンヒ)
元日東
李昤京(リ・リョンギョン)
金良淑(キム・ヤンスク)

村上尚子
石井寛
渡辺一夫
田嵜晳(たざき あきら)(文芸春秋の編集者)

中野敏男
原田克子
木瀬慶子
栗原順子
山田修
麻生水緒



連絡先:新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988
email:shinkansha@sapphire.bforth.com



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4/24開催「済州島四・三事件65周年記念追悼の集い」
【入場整理券(前売券)絶賛発売中】
今年は65周年の追悼集会です。売切れが予想されています。ご購入ご希望の方はなるべく早くお問い合わせください。
申し込み方法.
入場整理券(前売券)、ご購入の方は、新幹社までご連絡ください。(メール、FAX、電話)
入場整理券(前売券)と振込み用紙を発送しますので、届きましたらお支払いいただければと思います。
発送までに一週間ほどお時間をいただく場合もございます。ご了承ください。

新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988、
メール:shinkansha@sapphire.bforth.com

済州島四・三事件65周年記念追悼の集い
オープニング 追悼の舞「四・三の風」金英蘭舞踊研究所
第一部 記念講演 危機の中の東アジア 現代日本の歴史認識を問う
高橋哲哉 東京大学大学院 総合文化研究科教授
第二部 合唱と民俗クッ
民俗クッ 済州神房(シャーマン)来日公演-死者への祈り-
混声合唱 日本と在日の新たな心のうた=「眠らざる南の島」をうたう会結成公演
「なぜ?」(組曲「生命の木、空へ」より(詞・曲/林光)
「朝露」(詞・曲/キム・ミンギ)
「眠らざる南の島」(詞・曲/アン・チファン)
日時:2013年4月24日(水曜日)午後6時20分スタート(開場:午後5時半)
場所:日暮里サニーホール
主催:済州島四・三事件を考える会・東京
連絡先:新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988
email:shinkansha@sapphire.bforth.com
入場整理券:2,500円(前売り:2,000円)学生1,000円


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たそがれの品川宿

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交遊録: 2015済州四三事件犠牲者慰霊祭「慰霊の旅」
3月 3rd, 2015 | Author: yasumaroh


3月2日FBより

参加者顔合せ食事会。
団長:呉光現さん(犠牲者遺族会会長)はじめ12名、いい集まりでした。
4/2~4/4 短期間ですが、ご遺族の想い・1948年という時代・島内親族内事態の悲嘆・本土⇔島という地政・・・少しでもそれを噛み締め、東アジアの構造的闇に迫りそれを開いて行く想いへと育めたら…‥と話しました。団長から少し事前レクチャーを受け、あとは楽しい食事会。いい旅になりそうです。

ー この写真に写っている友達: 福井 正敏、金 文男、呉 光現、Makiko Hashimoto、浅井 敏嗣、李 信恵、栗原 佳子、松浦茂、岸野 令子

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https://archive.md/kVmGr



その元ネタのFACEBOOKを探したけど、見つからない。その関係者のsnsをチェックしたけど、見つからない。
李信恵に遠慮して削除したのかな?


昔はFACEBOOKのアカウント名は「yasumaroh」だったけど、今は別名「橋本 康介(kophsuke.hashimoto)」に変更したみたいね。



福井 正敏、
金 文男(キム・ムンナム)(グラフィック・デザイナー、在日本済州四・三犠牲者遺族会)、
呉 光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン、表記のゆれあり)(聖公会生野センター総主事、在日本済州4・3犠牲者遺族会会長)
Makiko Hashimoto、
浅井 敏嗣、
李 信恵(リ・シネ)(ライター)、
栗原 佳子( 新聞うずみ火)
松浦茂、
岸野令子(映画の宣伝・配給会社、キノ・キネマの代表)




これと同じ写真を、金文男がFACEBOOKに2022年にアップしていた。2015/04/02~04/04までの旅行記は全然見当たらない。


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金 文男
2022年7月7日

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https://archive.md/wip/imNZA





 
 
   



2015/03/29(日)午後2時~4時半
KCC会館(在日韓国キリスト教会)(大阪市生野区中川西2-6-10)、地下鉄今里から南へ10分  電話06-6731-6801
語り継ぐ済州島四・三事件
済州の作家である許榮善さんと生野区在住の済州43体験者の高春子さんの証言集い

【証言】「私が体験した済州島四さん事件」
高春子(コ・チュンジャ)さん(在日1世。生野区在住)
子どもの時に済州43事件を経験。夜間中学に通いながら体験を書き綴り、部落解放文学賞記録部門?入賞。大阪在住。

済州島43事件被害者の人脈に、部落解放同盟が関わってるのね。

【講演】「語り継ぐ済州島四・三事件」
許榮善(ホ・ヨンソン)

主催 : 在日本済州43事件犠牲者遺族会 / 済州43事件を考える会
大阪市生野区小路3丁目11番19号
TEL 06-6754-4356
FAX 06-6224-7869

この住所は、NPO法人 特定非営利活動法人聖公会生野センターで、担当者は呉光現(オ・グゥアンヒョン)でしょうね。




2015/04/19(日)
大阪市立生野区民センター 
済州島四・三事件67周年犠牲者慰霊祭(生野区民センター)
講演:金時鐘 
コンサート:朴保
共催:在日本済州四・三事件犠牲者遺族会、済州四・三事件を考える会・大阪
聖公会生野センター着付

















 

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rinda0818

講演と証言の集い『語り継ぐ済州島四・三事件』


March 29, 2015
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李信恵は、集団リンチ事件後の自粛期間中に、済州島43事件の被害者遺族の政治活動に濃厚にかかわってるのね。







 
 
     




李信恵は、一時期twitterをやめてたけど。
2015/04/02~2015/04/04の済州島犠牲者慰霊祭に、呉光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン、表記のゆれあり)主催のツアーで、秘密で参加したみたいね。




それが後々に、済州島の済州4.3記念館に、パネル写真として展示されているみたい。葛西リサが済州島へ旅行に行って見つけて2019年にFACEBOOKにアップしていましたよ。

 → 人物図鑑詳細情報 李信恵 2019年


李信恵は、自称、「慶尚道出身」と書いてるけど。
ずっと前に金杉からの電話で「彼女はもう間違いなく、済州島出身。慶尚道出身だなんて言ってるけど嘘ついてる」
金杉がそのための検証のためのブログを書いてたけど。批判されて、削除して逃げたよ。
私は、それ、構わない思うけどなあ。



私の推測ですけど、やっぱり、李信恵は、済州島43事件の関係者の超大物じゃないか?とにらんでいます。



 
   



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姜 聖律
2015年4月19日 ·
参加者の献花。고이 잠드소서...
— 場所: 済州43事件67周年犠牲者慰霊祭・大阪

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関西済州特別自治道民協会 会報 2015年11月発行


逝去の報告
呉承明(常任顧問)、
康実(歴代会長)、
金致富(顧問)
逝去

当時の会長、金辰男(関西済州特別自治道民協会会長)

 
 
   






2016/03/13(日)14時、
在日韓国基督教会館(KCC会館)5階、大阪市生野区中川西2-6-10、今里(地下鉄)駅2出口から徒歩約10分、今里(近鉄線)駅出口から徒歩約13分、鶴橋駅東口(近鉄線)出口から徒歩約16分
講師:徐仲錫(ソ・ジュンソク)(韓国・成均館大学名誉教授)
済州4・3事件68周年を迎えて・公開学習会「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」
コメンテーター 
(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)


主催者挨拶 : 呉光現(在日本済州四・三事件犠牲者遺族会会長)
講演「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」
講師 : 徐仲錫(ソ・ジュンソク)(韓国・成均館大学名誉教授)
通訳 : 裵姈美(ペヨンミ)(立命館大学コリア研究センター専任研究員)
開場との質疑応答
コメンテーター 藤永壮(たけし)



共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会/済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
Tel 06-6754-4356 fax 06-6224-7869
当日連絡先 080-3777-2566


その連絡先の住所が、聖公会生野センター。済州4・3事件の被害者問題で大阪といえば、必ず呉光現(オ・グゥアンヒョン)やね。


予告として
2016/04/24(日)14:00
大阪市立東成区民センター 小ホール
講演 金石範((きん せきはん、キム・ソクポム)(作家)、
慰霊の舞 張智恵(チャン・チヘ)(舞踊家)







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藤永 壮

2016年2月11日 ·

左肘の怪我はまだ完治せず、右手でしかキーボードを打てない状態が続いているので、情報発信は必要最小限になっていますが、私が関係しているイベントをいくつかお伝えします。
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済州4・3事件 68周年を迎えて=公開学習会のご案内
=「韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3」=
■ 日時:2016年3月13日(日)午後2時(受付開始 午後1時30分)
■ 場所:KCC会館5階(大阪市生野区中川西2-6-10)
  地下鉄千日前線・今里線 今里駅南へ10分
■ 講演:「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」 
  講師:徐仲錫(韓国・成均館大学名誉教授・韓国現代史)
■ コメンテーター:藤永壯(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)
 参加費:1000円
 現代史の悲劇である済州4・3事件も今年で68周年を迎えることになりました。
 保守化が進む日韓社会ですが韓国では歴史教科書の国定化が保守政権の元で進められています。このことは済州4・3にとっても大きな問題に発展する可能性を秘めています。すでに一部保守団体から済州4・3事件の犠牲者に対する再審査や4・3平和財団に対する攻撃がなされています。
 この中で韓国現代史研究家の重鎮である徐仲錫先生を招いて学習会を行うことになりました。多くの方の参加をお待ちしています。
徐仲錫(成均館大学校名誉教授)
1948年、韓国忠清南道・論山に生まれる。
ソウル大学校国史学科を卒業し、同大学院で博士号を取得。
東亜日報社『新東亜』記者、『歴史批評』編集主幹、歴史問題研究所所長、
済州4・3事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会委員等を歴任。
成均館大学史学科教授を経て現在同大学名誉教授。
共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会
   /済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
℡ 06-6754-4356 fax 06-6224-7869



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FACEBOOK
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2016年3月13日日曜日 14:00
韓国歴史教科書国定化問題と済州43
Kcc会館
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呉 光現
2016年1月22日 ·
チラシの表面です
済州4・3事件 68周年を迎えて=公開学習会のご案内
=「韓国歴史教科書国定化問題と済州43」=
現代史の悲劇である済州43事件も今年で68周年を迎えることになりました。
 保守化が進む日韓社会ですが韓国では歴史教科書の国定化が保守政権の元で進められています。このことは済州43にとっても大きな問題に発展する可能性を秘めています。すでに一部保守団体から済州43事件の犠牲者に対する再審査や43平和財団に対する攻撃がなされています。
この中で韓国現代史研究家の重鎮である徐仲錫(ソ・ジュンソク)先生を招いて学習会を行うことになりました。(趣旨は裏面参照)
多くの方の参加をお待ちしています。
■日時:2016年3月13日(日)午後2時(受付開始 午後1時30分)
■場所:KCC会館5階(大阪市生野区中川西2-6-10)
地下鉄千日前線・今里線 今里駅南へ10分
■講演:「朴槿恵政権下の済州43運動の課題」 
講師:徐仲錫(韓国・成均館大学名誉教授・韓国現代史)
■コメンテーター 藤永壯(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)
参加費:1000円
共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会/済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
℡ 06-6754-4356 fax 06-6224-7869  当日連絡先080-3777-2566 
予告   大阪・2016年済州43事件犠牲者慰霊祭
         2016年4月24日(日) 午後2時
         大阪市立東成区民センター 小ホール
         ・講演 金石範氏(作家)、慰霊の舞 張智恵氏(舞踊家)

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呉 光現韓国歴史教科書国定化問題と済州43

2016年1月22日 ·

チラシの表面です
済州4・3事件 68周年を迎えて=公開学習会のご案内
=「韓国歴史教科書国定化問題と済州43」=
現代史の悲劇である済州43事件も今年で68周年を迎えることになりました。
 保守化が進む日韓社会ですが韓国では歴史教科書の国定化が保守政権の元で進められています。このことは済州43にとっても大きな問題に発展する可能性を秘めています。すでに一部保守団体から済州43事件の犠牲者に対する再審査や43平和財団に対する攻撃がなされています。
この中で韓国現代史研究家の重鎮である徐仲錫(ソ・ジュンソク)先生を招いて学習会を行うことになりました。(趣旨は裏面参照)
多くの方の参加をお待ちしています。
■日時:2016年3月13日(日)午後2時(受付開始 午後1時30分)
■場所:KCC会館5階(大阪市生野区中川西2-6-10)
地下鉄千日前線・今里線 今里駅南へ10分
■講演:「朴槿恵政権下の済州43運動の課題」 
講師:徐仲錫(韓国・成均館大学名誉教授・韓国現代史)
■コメンテーター 藤永壯(大阪産業大学教授・朝鮮近現代史)
参加費:1000円
共催:在日本済州4・3事件犠牲者遺族会/済州4・3事件を考える会・大阪
連絡先:大阪市生野区小路3丁目11番19号
℡ 06-6754-4356 fax 06-6224-7869  当日連絡先080-3777-2566 
予告   大阪・2016年済州43事件犠牲者慰霊祭
         2016年4月24日(日) 午後2時
         大阪市立東成区民センター 小ホール
         ・講演 金石範氏(作家)、慰霊の舞 張智恵氏(舞踊家)


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Noriko Ijichi

2016年3月13日 ·

☆金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞のお祝い会
今日は、済州4・3事件公開学習会をKCC会館にて。
徐仲錫先生(韓国・成均館大学校名誉教授)をお迎えし、
「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」というタイトルで
韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3についての学習会で
した。2017年が朴正煕生誕100年という節目にあたり、これ
に向けた動きを指摘しておられたのはなるほどと思いました。
いろいろ催しや集会が重なるなか、たくさんの方が来てくだ
さり、終了後は、このたび『朝鮮と日本に生きるー済州島から
猪飼野へ』(岩波新書)で「大佛次郎賞」を受賞された
金時鐘先生のお祝い会となりました。
東京から金石範先生も来られ、いつもの顔ぶれが集まり、
最初からリラックスした感じで始まりました。花束贈呈では、
金時鐘先生が花束を受け取るなり体のバランスを崩され、
「重い花束をもらった演技をしようと思って」とみんなを
笑顔にしてくださいました。
ご両親が、売れるものはすべて売り払い金時鐘先生を日本へ
送り出した後、看取るものもなく亡くなられた話しをされ、
金石範先生が「死者は生者のなかで生きている」と語られました。
困難な時代に済州4・3に向き合い、次世代へと引き継ぐ
課題をうんでくださったお二人を囲んでの心に染みる席でした。


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一枚目
金時鐘(キム・シジョン)
 
二枚目
「金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞 ?年3月13日」
金時鐘(キム・シジョン)
金石範(きん せきはん、キム・ソクポム)





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嘘みたいな本当の在日話

2016年3月14日 ·

兵庫県 Noriko Ijichiさんのウォールより(h)
☆金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞のお祝い会
今日は、済州4・3事件公開学習会をKCC会館にて。
徐仲錫先生(韓国・成均館大学校名誉教授)をお迎えし、
「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」というタイトルで
韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3についての学習会で
した。2017年が朴正煕生誕100年という節目にあたり、これ
に向けた動きを指摘しておられたのはなるほどと思いました。
いろいろ催しや集会が重なるなか、たくさんの方が来てくだ
さり、終了後は、このたび『朝鮮と日本に生きるー済州島から
猪飼野へ』(岩波新書)で「大佛次郎賞」を受賞された
金時鐘先生のお祝い会となりました。
東京から金石範先生も来られ、いつもの顔ぶれが集まり、
最初からリラックスした感じで始まりました。花束贈呈では、
金時鐘先生が花束を受け取るなり体のバランスを崩され、
「重い花束をもらった演技をしようと思って」とみんなを
笑顔にしてくださいました。
ご両親が、売れるものはすべて売り払い金時鐘先生を日本へ
送り出した後、看取るものもなく亡くなられた話しをされ、
金石範先生が「死者は生者のなかで生きている」と語られました。
困難な時代に済州4・3に向き合い、次世代へと引き継ぐ
課題をうんでくださったお二人を囲んでの心に染みる席でした。

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2016/03/13







2016/03/16




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姜 聖律さんは大阪コリアタウンにいます。
2016年3月13日 · 大阪市 ·
14:00から、韓国現代史研究の第一人者である徐仲錫선생님を講師にお招きして、済州4・3事件の公開学習会です。
東京から金石範선생님も来られました。


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姜 聖律さんは呉 光現さんと大阪コリアタウンにいます。
2016年3月14日 · 大阪市 ·
済州4・3事件68周年 公開学習会「韓国歴史教科書国定化問題と済州4・3」
○講演「朴槿恵政権下の済州4・3運動の課題」徐仲錫선생님(成均館大学名誉教授・韓国現代史)
1.21世紀の歴史戦争
 極右反共の冷戦イデオロギーが支配する1980年代までの韓国では、現代史に対する研究も論争も存在しなかった。北朝鮮との接触・交流を禁じた国家保安法と反共法を法的土台として、1948年12月12日の国連総会決議にある「朝鮮半島における唯一合法政府」である大韓民国政府の管轄権は38度線以北にも及ぶと解釈し、解放直後の米軍を「占領軍」ではなく「解放軍」と位置付ける歴史観が唯一のものだった。
 1980年の光州事件を契機に、学生を中心に、反米・統一を志向する歴史観が拡散していき、87年の6月抗争を経て民主化の時代が訪れると、韓国現代史に対する自由な研究が花開いた。解放50周年の1995年には保守言論による李承晩の再評価という揺り戻しはあったが、盧武鉉政権の2003年に高校の選択科目として導入された「韓国近現代史」の8種類の検定教科書は、進歩・保守も含めて多様な内容となっており、これは、80~90年代の歴史研究の成果を反映したものだった。
 しかし、2008年に金大中・盧武鉉政権を「左派政権の失われた10年」と批判する李明博政権が登場すると、保守派の巻き返しによる歴史戦争が始まる。教育部主導の青年層に対する歴史講演会や、警察・国防部・経済界からの教科書修正要求、採択率60%を占めた進歩的な内容の教科書(金星出版)を「左偏向」と攻撃して採択の変更を要求するなどの攻撃が続いた。
 朴槿恵政権の2013年には、「教学社教科書」の問題が起きた。2000年代後半から活動を始めたニューライト系の学者が執筆した「韓国史」の教科書が検定を通過したが、基本的な歴史事実に誤りが多く、独立運動の記述を縮小して李承晩を称賛するなどの歴史歪曲が甚だしいため猛烈な批判を浴び、結局、採択は補助教材としての採択も含めて3校にとどまった。
 2014年からは、保守言論の朝鮮日報が検定の強化を主張したが、民主国家で教科書を国定化することについては抵抗も強く、教育部もあいまいな態度だった。しかし、2015年10月に、政府は、2017年度から中高校の「韓国史」教科書を国定化するという方針を発表した。これは、最高権力者である朴槿恵大統領が、父である朴正煕の業績を歴史に残したいという執念から断行したのである。国定教科書が使用される2017年は、朴槿恵大統領の任期最後の年であり、朴正煕の生誕100周年である。
2.国定教科書と済州4・3の記述
 過去の国定教科書を見ると、済州4・3事件は、「(北朝鮮の指令を受けた)共産主義者」が起こした「武装暴動」と記述されている。2001年版の高校教科書では、「鎮圧の過程で無辜の住民までも犠牲になった」という記述があるが、その背景や数字については明記されていない。
3.2017年国定教科書で済州4・3はどのように記述されるか
 一部の極右勢力は、4・3特別法や真相調査委員会の報告書を認めておらず、大統領の謝罪や4・3平和祈念館に反対している。また、4・3犠牲者の決定無効を確認する行政訴訟を提起するなどの妨害活動を行っている。また、国防部内では、いまだに済州4・3を、南労党などの左翼勢力が大韓民国の建国を阻止しようとした武装暴動・反乱と記述した歪曲された教科書を使用している。
 教育部は、国定教科書について、1948年8月15日の大韓民国の政府樹立を「大韓民国樹立」、1961年の5・16軍事クーデターを「5・16軍事政変」と書くと言及し、ニューライトの主張を一部取り入れた形になっている。
 今年3月に発行された小学校6年の国定歴史教科書は、独立運動の記述が縮小され、親日派についても簡略な記述にとどめ、「慰安婦」については、12.28の韓日政府間合意以前の試験本にあった「慰安婦」の用語と写真が削除された。また、歴代大統領の名前では李承晩が14回、朴正煕が12回も登場するのに対して、民主化された金泳三以降の大統領の名前はまったく言及されない。5・16クーデターや維新クーデターについては否定的側面を弱める一方で、産業化の進展などの肯定的評価を多くしている。5・18光州民主化運動の部分では、「戒厳軍」「発砲」などの単語と関連した記述が消えている。
4.歴史戦争と李承晩
 歴史戦争の核心は、「李承晩」である。1950年代のように李承晩を「建国大統領」「国父」として偶像化し、世宗大王や李舜臣と並んで銅像を光化門広場に建てようという動きがあるが、この中心を担っているのが、親日派、分断勢力、独裁協力勢力だ。
5.李承晩と建国大統領
 李承晩は、独立運動家としてまったく評価されていない。韓国の学生に独立運動家の名前を挙げさせると、金九や他の人物の名前を答え、李承晩と答える人はいない。彼もともと、3・1独立運動後に上海で樹立された大韓民国臨時政府の初代大統領だったが、1925年に弾劾を受けて追放され、米国に亡命した。
 解放後は、南朝鮮での単独政府樹立を主張して左右合作への協力を拒み、南北分断につながる単独選挙を推進した。4・3や朝鮮戦争で起きた民間人の大量虐殺に責任があり、1960年の4・19革命で大統領を辞任した。このような人物を「国父」と評価することは、3・1運動、臨時政府、4・19革命の精神を継承するとした憲法に違反する行為だ。
6.親日派と歴史戦争
 世界の人々は、なぜ韓国であれほど親日派が猛烈に非難されるのか理解に苦しむ。それは、韓国の近現代史が置かれた特異性のためであり、韓国の親日派は、インドの親英派、インドネシアの親仏派、フィリピンの親米派とはまったく別物だ。
 日本は、非白人で唯一の帝国主義国だった。彼らは、植民地朝鮮において、言論、出版、結社の自由を徹底的に否定した。その日本の皇民化政策に積極的に加担した親日派は、民主主義を否定する戦争犯罪者であった。
 韓国の二大祝日である3・1節と8・15光復節は、自由・平等・統一国家の象徴である。そのような価値観と対立する教学社の教科書採択率が低調だった理由はここにある。
○藤永壮教授(大阪産業大学・朝鮮近現代史)
 ニューライトの歴史認識について。経済学者が中心のニューライトは、日本の植民地支配が韓国の発展に寄与したという「植民地近代化論」を主張する。これは日本の右派だけではなく、リベラル派の一部にも影響を与えていることを憂慮している。このような植民地支配を肯定する歴史観は、韓国の従前の右派には受け入れ難いものだと思うが、その点はどうか。
(答)「オールドライト」には歴史観というものがない。彼らは、ニューライトが「偏向教科書」を批判するのを見て、最初は単純に感動していたが、ニューライトが批判を浴びるようになると、今は疑いの目をもって見ている。
 ニューライトの「8・15を建国記念日に」という主張は、1948年8月15日の大韓民国政府樹立を建国記念日とすることで、分断体制を肯定するものである。そしてこれは、分断に反対した4・3を、大韓民国の樹立に反対した反乱と評価することにつながる。
○会場からの声
 「和解と再生」というスローガンの中で、済州4・3の「抗争」という本質が見えなくなっていることを危惧する。武装隊として戦った人々の視線から済州4・3を見直す作業が必要ではないか。
 日本と韓国は、ともに歴史の清算と過去の克服に失敗した。これは、戦後、米国の反共政策が軍国主義者と親日派を利用したのだと見ることができるだろう。


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2016/04/24(日)14:00~(開場13:30~)
大阪市東成区民センター
済州四・三事件68周年「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭
遺族会会長挨拶
四・三平和財団挨拶
金石範先生の講演
張智恵さんの慰霊の舞
献花

連絡先 聖公会生野センター



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済州島四・三事件を考える会/東京
2016年4月15日 ·
東京での記念行事翌日の4月24日には、大阪でも済州四・三事件68周年「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」が行われます!午後2時より(開場は1時30分)大阪市立東成区民センター6階小ホールにて、金石範先生の講演と張智恵さんの慰霊の舞が行われます(参加資料代1000円)。お近くにお住まいの方は是非ご参加ください!!


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有我 譲慶
2016年4月25日 ·
【呉光現さん挨拶:済州4・3事件68周年犠牲者慰霊祭】2016年4月24日大阪市東成区民センターにて。
生野区で精神障害者への支援活動を担ってきた友人のKwanghyun Ohさんは、在日本済州四・三事件遺族会会長でもありました。在日韓国・朝鮮人が大阪に多く、済州島出身者が多いのも、この事件と深い関わりがあるのでしょう。私の友人らにもチュエジュド出身の2世3世が多く、特別な地と感じています。
「済州4・3事件」とは、済州島民の蜂起と韓国による鎮圧です。済州島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、済州島の村々は70%が焼き尽くされました。凄惨な事件の犠牲者の日本における慰霊祭です。
ウキペディアにも紹介されています。
1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった(南朝鮮単独選挙に反対する)島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
https://goo.gl/ok7R9r
この悲劇的な事件は日本と大きな関わりがあります。
この慰霊祭がこのように行われるようになったのは、まだ最近のことです。そして、この事件は韓国の国歌としての成立に関わり、李承晩、朴正煕、朴槿恵につながる、韓国の右派政権にとって隠しておきたい歴史でもありました。
この慰霊祭は、歴史の犠牲者の追悼にとどまらず、現在の韓国、朝鮮半島、朝鮮民族にとって大きな歴史的課題であり、また同時に、現在の韓国に置ける民主化運動、戦争法、改憲へと突き進む安倍政権ー日本の戦前復古調、在日へのヘイトスピーチと、今の私たちにもつながる課題ではないかと思いました。呉さんのあいさつ、「済州4・3事件」を小説「火山島」をライフワークとして書いてきた金石範さんの、事件への執念が込められた、熱いお話しを聞きました。


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hyontae_k

hyontae_kのプロフィール写真
유독 제주도 출신 동포가 많은 이 곳 오사카에서는 올해도 어김없이 "재일본제주4.3사건희생자위령제"가 열리고 있습니다.

4月 24, 2016


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機械翻訳

ドイツ・済州島出身の村人が多い大阪では、今年「再日本済州4.3事件被害者指令」が行われています。
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金賢泰(キム・ヒョンテ)(コリアNGOセンター、コリアNGO主催のミナミダイバーシティ・フェスティバルの実行委員の一人)
写真は、「済州4・3事件犠牲者慰霊祭 2016年4月24日 大阪市立東成区民センター」 呉光現(オ・グゥアンヒョン)








 


 
   




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hyontae_k



hyontae_kのプロフィール写真
우리 동네 중국집, 자금성에서는 고량주를 주문하면 참이슬잔을 준다. ㅋ 오사카에선 매우 독특한 곳.

4月 24, 2016


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金賢泰(キム・ヒョンテ)(コリアNGOセンター、コリアNGO主催のミナミダイバーシティ・フェスティバルの実行委員の一人)


機械翻訳
近所の中華料理店 JaGeumseong は高品質なものを注文するとチャミスルカップをくれる。 笑 大阪はとてもユニークです

写真の皿には紫金城。お酒は北京の高粱酒。

紫金城、
近鉄今里駅、
中華や韓国料理や元満州やらが混然となった料理屋さん。








 
 
   



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hyontae_k
우리 동네 중국집에선 조기구이(?)튀김(?)도 판다. ㅋ

4月 24, 2016

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金賢泰(キム・ヒョンテ)(コリアNGOセンター、コリアNGO主催のミナミダイバーシティ・フェスティバルの実行委員の一人)

機械翻訳
近所の中華料理店で早めのグリル(? )揚げた(? )も販売しています。 (笑)<br>

たぶん、紫金城




 
 
2017/05/10



 
   文在寅(ムン・ジェイン)が、韓国大統領に就任した  
2018/03/16





 
   

水曜日 08:10
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鄭 甲寿

2018年3月14日 ·

コリアタウン
昨日の昼は、久しぶりにコリアタウンのフィールドワークをした。
カナダから来た方がお二人いて、英語の堪能な人がぼくの説明を英語で訳してくれた。
コリアタウンは昔朝鮮市場と呼ばれていたというのを、コリアマーケットと訳していたが、たしかに朝鮮はコリアとしか訳せないと思うがニュアンスがちょっと違う、、チョウセンマーケットと訳せばいいのかな、、。
最後に班家食工房のギャラリー渡来の事務所で、コリアタウンの歴史を話した後、「4・3事件パネル展」が16日からここギャラリー渡来で始まるので、みなさんにチラシを配って宣伝をお願いした。
夜は、四国で知り合った看護師のお三人が、東方神起の大阪ドームコンサートを観に大阪に来たということで、コリアタウン近くのタンポポで楽しく食事しながら話した。
中でも佐藤和子さんは大の相撲好きでもあり、明日は伊勢ヶ濱部屋と時津風部屋を見学に行くと言う。
相撲の話で盛り上がり、とくに元横綱日馬富士が辞めざるをえなかったことを憤りながら話題にしていたら、なんと日馬富士がタンポポによく飲みに来てくれると、ママが日馬富士のサイン色紙を見せてくれた。
顔の似顔絵があるサインはとくに価値があるらしい。
みなさん、お疲れ様でした。
シェア、友達申請大歓迎です!




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コリアタウン 昨日の昼は、久しぶりにコリアタウンのフィールドワークをした。 カナダから来た方がお二人いて、英語の堪能な人がぼくの説明を英語で訳してくれた。 コリアタウンは昔朝鮮市場と呼ばれていたというのを、コリアマーケットと訳していたが、...

鄭 甲寿さんの投稿 2018年3月13日火曜日




2018/03/16(金)~2018/03/22(木)10:00~17:00
ギャラリー渡来(コリアンタウン・班家食工房2階)、大阪市生野区桃谷4丁目5-15
「済州4・3事件70周年 4・3事件パネル展」
主催 済州四・三事件 70周年犠牲者慰霊祭実行委員会、大阪市生野区小路3-11-19
この住所は、NPO法人 特定非営利活動法人聖公会生野センターね。ってことは、主催は呉光現(オ・グゥアンヒョン)か。





 
2018/03/22




 
   

水曜日 08:10
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鄭 甲寿

2018年3月14日 ·

コリアタウン
昨日の昼は、久しぶりにコリアタウンのフィールドワークをした。
カナダから来た方がお二人いて、英語の堪能な人がぼくの説明を英語で訳してくれた。
コリアタウンは昔朝鮮市場と呼ばれていたというのを、コリアマーケットと訳していたが、たしかに朝鮮はコリアとしか訳せないと思うがニュアンスがちょっと違う、、チョウセンマーケットと訳せばいいのかな、、。
最後に班家食工房のギャラリー渡来の事務所で、コリアタウンの歴史を話した後、「4・3事件パネル展」が16日からここギャラリー渡来で始まるので、みなさんにチラシを配って宣伝をお願いした。
夜は、四国で知り合った看護師のお三人が、東方神起の大阪ドームコンサートを観に大阪に来たということで、コリアタウン近くのタンポポで楽しく食事しながら話した。
中でも佐藤和子さんは大の相撲好きでもあり、明日は伊勢ヶ濱部屋と時津風部屋を見学に行くと言う。
相撲の話で盛り上がり、とくに元横綱日馬富士が辞めざるをえなかったことを憤りながら話題にしていたら、なんと日馬富士がタンポポによく飲みに来てくれると、ママが日馬富士のサイン色紙を見せてくれた。
顔の似顔絵があるサインはとくに価値があるらしい。
みなさん、お疲れ様でした。
シェア、友達申請大歓迎です!




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コリアタウン 昨日の昼は、久しぶりにコリアタウンのフィールドワークをした。 カナダから来た方がお二人いて、英語の堪能な人がぼくの説明を英語で訳してくれた。 コリアタウンは昔朝鮮市場と呼ばれていたというのを、コリアマーケットと訳していたが、...

鄭 甲寿さんの投稿 2018年3月13日火曜日




2018/03/16(金)~2018/03/22(木)10:00~17:00
ギャラリー渡来(コリアンタウン・班家食工房2階)、大阪市生野区桃谷4丁目5-15
「済州4・3事件70周年 4・3事件パネル展」
主催 済州四・三事件 70周年犠牲者慰霊祭実行委員会、大阪市生野区小路3-11-19
この住所は、NPO法人 特定非営利活動法人聖公会生野センターね。ってことは、主催は呉光現(オ・グゥアンヒョン)か。




韓国料理 たんぽぽ
大阪市生野区鶴橋3丁目8−30、鶴橋駅



 
   


2018/03/29~2018/03/31
韓国、済州島で、済州島四三事件をめぐるツアー、
団長は伊地知紀子
研究合宿ツアー団参加者は、伊地知団長の他、班代表の外村(東京大学)、宮本(立教大学)、松田(神戸学院大学)、加藤(早稲田大学)、坂田(苫小牧駒澤大学)、菅野(名桜大学)の計7名であった(以上、敬称略)。

現地では、伊地知団長の他にも、済州四・三研究所前所長・金昌厚さん、済州四・三研究所研究員・金兪廷さん、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員の高誠晩さんがアデンドしてくださった。

四・三慰霊祭前夜祭、在日コリアンのパンソリ唄者である安聖民さんによるパフォーマンス



早稲田大学国際和解学研究所




 
 
 2018/04/03
 

2018/04/03 文在寅(ムン・ジェイン)は、就任後初めての4・3事件犠牲者追念日である2018年4月3日の追悼式に2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)以来、大統領として12年ぶりに出席した。
 
 
 2018/04/03
 

2018/04/03 韓国、済州島での済州島四三事件慰霊祭に、日本から在日たちがツアーを組んで参加
呉光現らが中心的に企画。









早稲田大学国際和解学研究所
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和解としての「済州4・3」70周年=立場を認め合って

特定非営利活動法人聖公会生野センター総主事・在日本済州4・3犠牲者遺族会会長
呉光現

7「済州4・3」70年を迎えて
「済州4・3」から70年。未だにその名称が確定していない出来事だ。「事件」「蜂起」「抗争」「暴動」…。名前がないから仕方なく私たちは「済州4・3事件」と呼んでいる。

「済州4・3」は韓国の民主主義の発展と共に真相究明、名誉回復の措置がとられてきた。もちろん済州での闘いがあればこそであった。

2000年、金大中政権の時に特別法が制定され盧武鉉大統領の直接謝罪を受けたがその後の保守政権の9年間は「耐える」時期だった。韓国のロウソク革命で生まれた文在寅大統領は12年ぶりに4月3日に済州を訪れた。島民の前に立ち12年ぶりに謝罪をした。そして「済州4・3は大韓民国の歴史です」というスローガンのもと、彼の口からは在日作家金石範先生の名前も呼ばれた。そうだ、私たちの先達は「済州4・3」が暗黒の時代にあっても「済州4・3」の歴史を死に絶えることなく伝えてきたのだ。その金石範先生の名前が「済州4・3」で大統領の口から発せられた時、涙が押さえられなかった。

70周年を迎えて日本、特に大阪では1年前から準備を始めた。3月に国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」を開催。4月3日には100人規模で済州で慰霊祭に参加した。そして4月22日は大阪でこれまでにない規模で「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」を持つに至った。




 国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」(2018.3.10~11.)

「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」(2018.4.22.)

「済州4・3」70年慰霊の旅

2017年8月15日、大統領の光復節のメッセージは在日「朝鮮籍」の同胞の韓国入国を認めた。それに接した時「4月3日の済州島での慰霊祭には朝鮮籍の同胞も一緒に行く!」と決意した。結局は50名の募集に対して100名の規模での旅になった。そこには8名の朝鮮籍同胞もいた。86歳から21歳まで。1世から4世までである。私は在日の「韓国籍」「朝鮮籍」の意味のない分断を感じながら4日間を過ごした。大統領は知らなかったが朝鮮籍の同胞が彼と握手をして「私は文在寅大統領のファンになったわ」と喜ぶ80歳になろうとする女性の言葉が忘れられない。彼女は人生一貫として朝鮮総連・朝鮮籍を大切にしてきた人だ。初めて踏んだ父母の地済州島。どうしてもコヒャン(故郷)に行きたい、当然の思いであり、権利だ。ある人は旅の前に私にこう言った。「今回の済州島の旅は人生初めてで多分最後です。」彼女は82歳である。そこまでの決意を私はいかに受け止めるのか?記号でしかなく、しかし記号だけではない「韓国籍」「朝鮮籍」の存在が大きな心の壁にもなっていた。その壁を乗り越えるのは韓国の民主主義の発展だと思うのは私だけだろうか?

いみじくも南北首脳会談が4月27日に開催されたが過去の2回も韓国ではリベラル政権だった。朝鮮籍であろうとも自分のルーツにあるところに行くのに韓国の政情がいつもついて回るというバカなことは終わりにしなければならない。

今回の「済州4・3」の旅には事件を体験なさった方4名も参加した。若い方で78歳である。14,000名を越える位牌の前で食い入るように親族の名前を探していたハルモニ。自分のルーツのある村の位牌に同じ姓の犠牲者が延々とあるのを見て「親戚がいるのだろう」と思った在日4世の若者。3,000基を越える行方不明者の墓地の前にたたずんだ時「この墓には遺体が一つもないのだ」と思った。実は私の叔父も二人ここにいるのだ。

文在寅大統領の済州4・3追念式での演説(2018.4.3)

済州4・3平和公園内にある行方不明犠牲者の墓域

「済州4・3」運動に関わって
1997年、40歳の時。事件から50周年を迎える1年前になって、私は「済州4・3」運動に関わり出した。1世の両親を持つ猪飼野生まれ育ちの私にとって、심방(標準語では무당=巫堂。民俗信仰とも精神文化ともいえる韓国の宗教)は日常の世界だった。

初めて大阪で慰霊祭を開くことになった時、当事者は誰であるのか?と論議をし、思いを馳せた。当然在日1世しかあり得ないと思った。1998年3月21日、会場の生野区民センターには500名を越える人が集まった。そこには私のオモニ(母)をふくめて多くの済州1世の姿があった。慰霊祭は笑いと涙、そしてハンプリ(恨を解き放つこと)の群舞となって終わった。

大阪でも始まった「済州4・3」運動は様々な経過をもって、毎年4月3日に済州島で行われる慰霊祭に遺族たちが参加できるまでになった(「済州4・3の旅」)。4月下旬には大阪でも慰霊祭を開くことになっていった。

2000年には大阪で在日遺族会が結成された。50周年を契機とした運動は、韓国の動向とも連動しながら進められていく。

当初6人の2世、3世で始めたこの運動は、年を経るにつれて多くの人が参加するようになった。2003年、盧武鉉大統領が済州島民の前で公式謝罪したことを受け、2004年には生野、東成の総聯支部委員長、民団の支団長が共同代表を務めて、1,000人を越える規模で大阪の慰霊祭を開催した。これは「済州4・3」が、組織を越えたアクションになるということを示したエポックだった。

朝鮮半島を取り巻く情勢の悪化から、長らく総聯と民団の共同開催ができていなかった大阪での慰霊祭だが、70周年を迎えた今年は再び総聯と民団、そして関西済州特別自治道民協会が共に後援として名を連ねて開催することができた。こうして「一つ」になって実施できることに対し隔世の感があると共に、「済州4・3」で亡くなった方々に応えることができると思うと感謝に堪えない。



もう一つの現場大阪
「済州4・3」で日本に逃れてきた人は5,000人以上と言われている。大阪生野にはその多くの人が住んでいる。在日遺族会もその中から生まれた。しかし済州以上に「済州4・3」の暗黒を抱いてきた在日済州人は語ることすらできなかった。自分が話すとクニの親戚に迷惑がかかるのではと強く思っている人、大阪の慰霊祭の会場まで来るや身体が震えて中に入れなかったハルモニ(おばあさん)。拷問の体験を語り出す止まることなく当時の記憶をはき出すように叫び出すハラボジ(おじいさん)。語ってくれても決して録音、録画をさせてくれない方…、その先輩たちが経てきた歴史はまさに済州であり日本大阪である。

70年と言う歳月は短くはない。いつかは私たちも大阪で慰霊祭ができなくなる時が来る。その時に記憶だけが残されたらいつかは風化するのではと最近思うようになった。ある友人の言葉が私たちに一つの決断をさせた。大阪で「済州4・3」の慰霊碑を建立するのだ。「済州4・3」は大阪の在日朝鮮人の歴史の一つだ。植民地時代に日本に渡ってきたアボジ(父)も弟が犠牲になったのに一言も語らずにこの世を去った。今こそ私たちは「大阪は済州4・3のもう一つの現場だ」と声をあげたい。いつまでも大阪の「済州4・3」を残すために。



次世代への継承
「済州4・3」を逃れて日本に多くの人が渡ってきたが、当時、民族学校の教師だった人が「済州島から逃げてきた子どもたちは地獄を見たのだ。目が死んでいた」と語ったことを思う。日本では、1949年に朝連(在日本朝鮮人連盟)大阪が追悼集会をした程度である。それは在日の済州人社会で大きな苦しみを伴うタブーだったからだ。50年代から70年代は南北の対立が在日同胞社会でも先鋭的で、ましてや「済州4・3」について民族団体の言及はほとんどなかった。「済州4・3」を世に訴えていたのは済州出身の1世の総聯系の知識人しかいなかった。鋭く政治的にならざるを得ない時代が、亡くなった方々の慰霊すら許さなかったのだ。

40歳から「済州4・3」運動を始めた私も還暦を超える齢になった。昔なら어르신(老人)だが、いまだに若いと言われるのは時代の流れか?しかし、私たちも次世代を育成しなければならない。数年前から3世の青年が事務局に入り、「済州4・3」の旅に行けるようになった。より多くの若者を連れて行くため、昨年はクラウドファンディングを活用してさらに7名が参加した。

マッチにわずかな炎を灯すように「命」をつないできた「済州4・3運動」は、今こそ次世代と共に歩まねばならない。



そして一つになること
最後に「済州4・3」は大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も成立する前に起こったことを忘れずにいたい。朝鮮半島が二つに裂かれようとするまさにその時に命をかけて立ち上がった人々がいる。ぎりぎりまだ「二つ」になっていなかったのだ、その時は。私たちは「一つ」であることを「済州4・3」から改めて感じ、学び、そして在日から発信していきたいと思う。

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08:46
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鄭 甲寿さんはSharon Yoonさんと一緒にいます。

2018年4月3日 ·

開会直前ナウ



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2018/04/03 韓国、済州島での済州島四三事件慰霊祭やね。

鄭 甲寿(チョン・カプス)
Sharon Yoon
呉未来(オ・ミレ)(呉光現(オ・グゥアンヒョン)の娘)


開会直前ナウ

鄭 甲寿さんの投稿 2018年4月2日月曜日


https://archive.md/wip/YVZDy

 

 
 
   



朝鮮新報
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済州4.3事件から72年/課題として残る特別法の改正
2020年04月08日 11:03
主要ニュース 南朝鮮
 犠牲者、遺族への賠償・補償求め
1948年4月3日、米軍政下で抑圧された済州島民らが、分断固定化につながる南での単独選挙に反対し起こした武装蜂起に対し、軍や警察が鎮圧を目的に3万人に及ぶ道民を虐殺した4.3事件から、72年が経過した。遺族や市民による真相究明が進む過程で、歴代大統領による2度の公式謝罪、国防部・警察トップによる謝罪が行われたが、4.3事件の完全な解決の基盤となる賠償と補償を含んだ4.3特別法改正案は、依然として国会を通過できていない状況にある。

被害回復の法律的根拠
4月3日、済州4.3平和公園で行われた4.3犠牲者72周年追悼式で文在寅大統領は「済州4.3という原点に戻り、その日、その虐殺の現場で何がねつ造され、何が私たちにくびきを負わせ、また何が済州を死に至らせたのか残さず明らかにしなければならない」と訴え、4.3真相究明活動の動きについて言及した。

近年、4.3事件をめぐっては、済州4.3平和財団が3月に「済州4.3事件追加真相究明書」を刊行。03年に南政府が「済州4.3事件真相調査報告書」を発刊して以来16年ぶりとなる真相究明書では、1万4,442人の被害を分類する一方で、行方不明になった犠牲者が過去に確定した3,610人よりも多い、4,255人におよぶという新事実が提示された。


済州4.3平和公園で行われた4.3犠牲者72周年追悼式(聯合ニュース)

また教育現場では、今年度から高校で採用される教科書に、4.3事件が「国家の公権力による民間人の犠牲である」ことが明示され、「鎮圧過程で国家の暴力的な手段が動員された」ことが記述された。

昨年末には、4.3軍事裁判の不当性を主張した18人の受刑者(当時)が原告となり提訴した再審裁判と刑事補償裁判で、原告の勝訴が確定するなど、法廷の場でも事件の解決に向けた動きが進んでいる。

一方で、文大統領は演説で「4.3の完全な解決の基盤となる賠償と補償の問題を含む『4.3特別法改正』が依然として国会に留まっている」と解決における最大の問題点についても強調した。

▼集団虐殺の遺棄地点の調査と遺体発掘▼虐殺事件の真相究明調査▼犠牲者と遺族に対する賠償や補償▼被害者の名誉回復▼4.3トラウマ治癒センターの設立――などが盛り込まれた4.3特別法改正案は、17年に発議されて以降、公職選挙法や高位公職者犯罪捜査処の設置などの改革立法をめぐる与野党の政争の下、国会に係留されたまま審査すらされていない。第20代国会の任期(~今年5月29日)が終われば自動廃棄される状況だ。

済州4.3汎国民委員会は2日、第20代国会での4.3特別法の通過を求める声明を発表し、「高齢の生存犠牲者や遺族らの年齢を考慮したとき、1日でも早く4.3特別法改正案を通過させ、遺族たちの悲しみをぬぐい、被害を回復する法律的根拠が必要だ」と強調した。

米国の責任追及を
南政府の国家責任を問い、賠償を求める動きとともに、朝鮮半島に分断体制を強いた米国の責任を追及する動きも生まれている。

済州4.3平和財団は、最近発刊された「済州4.3事件追加真相調査報告書I」の中で、「追加真相調査のもう一つの当面の課題は、米国における資料調査である」とし、事件における米国の責任究明の必要性を指摘した。19年からは、4.3当時の米国の役割と責任を究明するため、米国現地での調査が行われている。

昨年6月20日、国連本部(米国)で行われたシンポジウム「済州4.3の真実、責任そして和解」でも、米国の責任を問う指摘が相次いだ。

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相沢 侃
2020年4月9日 ·
済州4.3事件から72年/課題として残る特別法の改正
「朝鮮新報」2020.04.08 (11:03)
 犠牲者、遺族への賠償・補償求め
 1948年4月3日、米軍政下で抑圧された済州島民らが、分断固定化につながる南での単独選挙に反対し起こした武装蜂起に対し、軍や警察が鎮圧を目的に3万人に及ぶ道民を虐殺した4.3事件から、72年が経過した。遺族や市民による真相究明が進む過程で、歴代大統領による2度の公式謝罪、国防部・警察トップによる謝罪が行われたが、4.3事件の完全な解決の基盤となる賠償と補償を含んだ4.3特別法改正案は、依然として国会を通過できていない状況にある。
被害回復の法律的根拠
 4月3日、済州4.3平和公園で行われた4.3犠牲者72周年追悼式で文在寅大統領は「済州4.3という原点に戻り、その日、その虐殺の現場で何がねつ造され、何が私たちにくびきを負わせ、また何が済州を死に至らせたのか残さず明らかにしなければならない」と訴え、4.3真相究明活動の動きについて言及した。
 近年、4.3事件をめぐっては、済州4.3平和財団が3月に「済州4.3事件追加真相究明書」を刊行。03年に南政府が「済州4.3事件真相調査報告書」を発刊して以来16年ぶりとなる真相究明書では、1万4,442人の被害を分類する一方で、行方不明になった犠牲者が過去に確定した3,610人よりも多い、4,255人におよぶという新事実が提示された。
 また教育現場では、今年度から高校で採用される教科書に、4.3事件が「国家の公権力による民間人の犠牲である」ことが明示され、「鎮圧過程で国家の暴力的な手段が動員された」ことが記述された。
 昨年末には、4.3軍事裁判の不当性を主張した18人の受刑者(当時)が原告となり提訴した再審裁判と刑事補償裁判で、原告の勝訴が確定するなど、法廷の場でも事件の解決に向けた動きが進んでいる。
 一方で、文大統領は演説で「4.3の完全な解決の基盤となる賠償と補償の問題を含む『4.3特別法改定』が依然として国会に留まっている」と解決における最大の問題点についても強調した。
 ▼集団虐殺の遺棄地点の調査と遺体発掘▼虐殺事件の真相究明調査▼犠牲者と遺族に対する賠償や補償▼被害者の名誉回復▼4.3トラウマ治癒センターの設立――などが盛り込まれた4.3特別法改正案は、17年に発議されて以降、公職選挙法や高位公職者犯罪捜査処の設置などの改革立法をめぐる与野党の政争の下、国会に係留されたまま審査すらされていない。第20代国会の任期(~今年5月29日)が終われば自動廃棄される状況だ。
 済州4.3汎国民委員会は2日、第20代国会での4.3特別法の通過を求める声明を発表し、「高齢の生存犠牲者や遺族らの年齢を考慮したとき、1日でも早く4.3特別法改正案を通過させ、遺族たちの悲しみをぬぐい、被害を回復する法律的根拠が必要だ」と強調した。
米国の責任追及を
 南政府の国家責任を問い、賠償を求める動きとともに、朝鮮半島に分断体制を強いた米国の責任を追及する動きも生まれている。
 済州4.3平和財団は、最近発刊された「済州4.3事件追加真相調査報告書I」の中で、「追加真相調査のもう一つの当面の課題は、米国における資料調査である」とし、事件における米国の責任究明の必要性を指摘した。19年からは、4.3当時の米国の役割と責任を究明するため、米国現地での調査が行われている。
 昨年6月20日、国連本部(米国)で行われたシンポジウム「済州4.3の真実、責任そして和解」でも、米国の責任を問う指摘が相次いだ。基調報告を行った天主教済州教区のカン・ウイル主教は「済州4.3は米国と韓国政府当局が犯した人権と人間生命に対する大々的な違反であり、犯罪であった」とし、「処刑と虐殺を韓国警察と軍人が行ったが、政策を樹立し、命令を履行したのは米軍指導部であった」と4.3当時の民間人虐殺の責任が当時の米軍政にあったという点を強調した。
 また、歴史学者のブルース・カミングス氏(シカゴ大教授)も、「済州4.3と米国の責任」と題した発表の中で「米国人の大多数が第2次大戦終戦後、韓国の状況と無関係な傍観者のように行動したが、実際は日帝に賦役した韓国人を支援し、3年間、韓国軍部と軍警を率いた」とし、「4.3当時、済州島の人口の10分の1にあたる3万余人が虐殺されたことに対して、米国の実質的な責任は免れない」と指摘した。
【解説】4.3事件をめぐる動き
 4.3事件は、1948年4月3日、米軍政の支配下にあった朝鮮半島の南側だけでの単独選挙実施と単独政府樹立に反対し、祖国の独立・統一と完全な民族解放を求めた民衆の武装蜂起に対し、軍や警察が鎮圧を名目に多くの島民を虐殺した事件。3万人以上が虐殺された。
 事件は南社会で長らくタブー視され、生き残った蜂起者や遺族はさまざまな社会的差別を受けてきた。40年以上の沈黙を経て、87年以降、遺族や研究者、市民団体、文化人の手で公的な真相究明運動が行われ、2000年には「済州4.3事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」が制定された。それに基づき03年には李承晩政権と米国の責任について記した真相調査報告書が確定、同年10月の盧武鉉大統領による済州4.3事件の公式謝罪へと繋がった。
 その後、李明博、朴槿恵政権と10年続いた保守政権の下で、歴史の揺り戻しが起こり、歴史教科書「国定化」による史実の隠ぺいなど、4.3事件の歴史的評価を歪曲・否定する動きが顕在化した。
 キャンドル革命により誕生した文在寅大統領は、4.3犠牲者70周年追悼式(18年)で事件における国家暴力について公式に謝罪。「4.3の完全な解決に向けて突き進むことを約束する」とした。翌年の4.3犠牲者71周年追悼式では、国防部と警察のトップが初めて謝罪した。



https://chosonsinbo.com/jp/2020/04/yr20200408-1/?fbclid=IwAR14ocU1qAKRWSK9Es3M84SJhPQD-2u8DlVilSkpLCGlsoB5X3CIknqMoP0
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 2021/02/26
   


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済州四・三 75周年大阪慰霊祭 · フォローする
2021年2月27日 ·
済州4・3特別法が昨日(2月26日)韓国国会を通過しました。オンライン新聞『済州の声』の記事「国家賠償-特別再審、済州4・3特別法、21年を経て国会を通過した!」の日本語訳です。
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*国会、384回本会議で済州4・3特別法可決...賛成199名、反対5名、棄権25名*
犠牲者に対する国家賠償、特別再審など名誉回復が含まれた済州4・3特別法全面改正案が、ついに国会を通過した。
21年前の2000年、済州4・3特別法が制定されて以来、4・3犠牲者と遺族の念願が込められた全面改正案が通過し、名誉回復はもちろん、国から賠償までされることになった。
国会は26日午後、第384回臨時会第7回本会議を開き、「済州4・3事件真相究明および被害者名誉回復に関する特別法」の全面改正案を通過させた。
済州4・3特別法全面改正案は、この日の本会議で31番目の案件として処理された。出席議員229名のうち賛成199名、反対5名、棄権25名で最終的に可決された。
改正案の処理に反対した議員は、国民の力所属朴大出議員、徐秉洙議員、金泰欽議員、徐正淑議員、金雄議員の5名である。
4・3特別法全面改正案には、追加真相調査、被害者特別再審新設、慰謝料などの特別な支援方案講究などの名誉回復と心の傷を治癒するための内容を盛り込んでいる。
この間、4・3遺族と済州道民が粘り強く要求してきた国家賠償と犠牲者特別再審、追加真相調査が含まれ、その意味は格別だと言える。
4・3特別法全面改正案は、すでに20代国会で呉怜勲議員が代表発議したが、賠補償と再審などの問題により、企画財政部と法務部などが反対し、与野党の合意もなかなか成し遂げられず、行政安全委員会法案小委員会の審査も通過できなかった。
21代国会に入って呉怜勲議員が2020年7月代表発議し、再審の部分は法務部が「特別再審」を一括適用して乗り越え、賠補償に関しては「慰謝料」の名称を使用して政府を説得した。
与野党は行政安全委員会の審査などを経て、この間争点になってきた追加真相調査と関連し、4・3委員会に追加真相小委員会を構成することにして、与野党2名ずつ推薦する委員を追加することにした。
賠補償に関しては、国が犠牲者として決定した人に対して慰謝料などの特別な支援を講じ、必要な基準を設けるよう規定したが、犠牲者に慰謝料などの財政支援を行うための研究用役を遂行し、支援方案を早急に設けるようにした。
また受刑者名誉回復条項と関連しては、軍事裁判受刑者は4・3委員会が法務部に一括職権再審を勧告できるようし、一般裁判受刑者は、個別の特別再審を可能にした。
このほかにも行方不明と決定された犠牲者に関連する法律関係を整理するための失踪宣告請求の特例、4・3事件による身体的・精神的被害を治癒するための4・3トラウマ治癒事業実施などの根拠を盛り込み、犠牲者と遺族の被害を救済し支援方案を設けるようにした。
4・3特別法全面改正案が国会で議決され公布された場合、被害者のための賠補償と軍事裁判受刑者一括職権再審および一般再審受刑者特別再審開始、行方不明者の法律的整理、家族関係登録簿整理などを通じて、4・3の完全解決と正義にもとづいた過去事清算作業がより弾みのつくことが期待される。

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Noriko Ijichi
2021年3月4日 ·
高誠晩先生、登場です!
オンライン学習会
「済州四・三運動の現状〜四・三特別法改正を中心に〜」
2021年3月21日(日)14時〜
今年も大阪での済州四・三慰霊祭を前に勉強会を開催します。 韓国では昨年、済州四・三「受刑者」に対する再審で無罪判決が相次ぎました。済州四・三一般裁判および軍事裁判での再審請求に対する無罪判決が、いずれも初めて言い渡されたのです。さらに、遺体すら見つからなかった四・三行方不明受刑者の史上初の再審事件について、全員開始という歴史的決定を法院が下しました。加えて、このたび、済州四・三の犠牲者に対する慰謝料(実質賠償金)支給などを盛り込んだ「済州四・三事件真相究明および被害者名誉回復に関する特別法」改正案が2021年2月26日、韓国国会を通過しました。これによって多くの犠牲者、遺族の名誉回復がなされることになります。こうした最近の状況について、済州四・三研究者である済州大学校の高誠晩さんをお迎えし解説いただきます。
*お申し込みは、http://bit.ly/3pDLXjA からお願いします。Facebook上ではお受けできません。
・講師:高誠晩(コ・ソンマン)
 韓国・済州大学校社会学科助教授。
 著書に『〈犠牲者〉のポリティクス:済州4・3/沖縄/台湾2・28 歴史清算をめぐる苦悩』(京都大学学術出版会、2017年)など。
・開催形式:zoomによるオンライン開催(先着順100名)。
 開催前日の3月20日にメールでzoomのアクセスURLをお送りします。
・参加費:無料
・受付期間:2021年3月18日(木)まで(定員に達し次第、締め切らせていただきます。)
・申し込み方法:下記サイトの申し込みフォームに必要事項を記入し、送信してください。
  http://bit.ly/3pDLXjA
 日本語での講演となります。
【詳細はこちら】
  https://43osaka.hatenablog.com/entry/2021/02/22/210247
 または jeju43osaka@gmail.com までメールでお問い合わせください。
主催 済州四・三 73周年犠牲者慰霊祭実行委員会(大阪)

https://43osaka.hatenablog.com/entry/2021/02/22/210247?fbclid=IwAR227yTki6fuyuUwMOW5hkcXJd96PLQRxXqYQf_VucaOgf84kUuDLoSmGwU
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岡田 麗和
2021年4月5日 ·
呉光現さんがFacebookに掲載された日本語訳を、シェアさせて頂きます。
【全文】文在寅大統領 第73周年済州4.3犠牲者追念式追悼辞
尊敬する国民のみなさま、4.3生存犠牲者と遺族のみなさま、済州道民のみなさま
73周年4.3犠牲者追念式、済州全域に春の雨が訪れました。生存犠牲者と遺族の痛みが雨に流されることを心から願いながらこの場に立っています。
国防部長官と警察庁長もこの場に共にいます。政府主管の公式追念式は史上初です。当然なものではありますが、初めての一歩には特別な意味があります。
軍や警察の心を込めた謝罪を犠牲者と遺族、済州道民のみなさまが抱擁と和合の心で受け入れていただくことをお願い申し上げます。国家が国家暴力の歴史をより深く反省し、省察していく所存です。遺族の苦しみを少しでも和らげられることを願いながら、国民とともに4.3英霊の安息を祈願します。
本日、「4.3特別法」の改訂を報告できることを嬉しく思います。追加真相究明や被害者の名誉回復、国家暴力の犠牲者への支援方法を盛り込みました。特別法の改訂により、4.3は元のあり方を取り戻すことができました。
済州道民が経験したむごい死、二重、三重にがんじがらめになっていたものが隈なく明らかになったとき、良き国を夢見ていた済州島の4.3は初めて歴史にしっかり位置付けられることでしょう。
今回改訂された特別法は4.3という歴史の家を建てる設計図です。まだ道のりは遠いですが、政府は4.3英霊と生存犠牲者、遺族と国民の念願を込めた設計図を綺麗に整え、誠実に遂行していくことを約束します。
国民のみなさま、済州道民のみなさま
4.3には二つの歴史が流れています。国家暴力によって国民の生命と人権を蹂躙した韓国現代史最大の悲劇の歴史であり、平和と人権に向けた回復と相生の歴史でもあります。
完全な独立を夢見て、分断に反対したという理由で当時の国家権力は済州道民に「アカ」「暴動」「反乱」の名前を被せ、無慈悲に弾圧し死に追いやりました。「被害者」を「加害者」に様変わりさせ、軍部独裁政権は弾圧と連座制を動員し被害者たちが声を上げることすらできないようにしました。
しかし4.3は対立を苦しみに閉じ込められませんでした。生き残った済州道民たちは互いを労り、世話をしながら自らの力で春を取り戻すために尽くしてきました。和解の精神を持って葛藤を解決し、平和と人権に向かって絶えず前進しました。
家財道具も全て失った人々は隣人の助けで手間代を得て生計を立て、大工を雇って家を立て直しました。両親を失ったこどもたちは近くの親戚と隣人によって育てられ、薪集め、畑の耕し、祭祀法事と結婚式、学校の再建などの大事は村が一環として処理してきました。島の外に出た人々、外国に出た人々も物品とお金を送ることで故郷の人々を助けました。
相生の精神を持って互いを再び起き上がらせ、とうとう4.3の真実を呼び覚ますことができました。
半世紀ぶりに禁忌を解き、金大中政府が真相究明と名誉回復の礎をつくることができたのは勇気を振り絞った証言と行動が続いたためです。
2003年盧武鉉政府が政府レベルの真相調査報告書を確定し、大統領としては初めて過去の国家権力の過ちに関して遺族と済州道民に公式的な謝罪をしたことも、そして今の政府が4.3の真実に近づけたことも長い間揺らぐことなく隣人とともに一歩ずつ進んできた済州道民と国民の皆さまがいたから可能でした。
今回の「4.3特別法」の改訂も4.3を歴史にちゃんと位置付けるために多くの生きる者たちが手を繋いだから叶えることができました。済州道、済州道議会、済州道教育庁を含む124箇所の機関と団体、宗教界、学生、政党をはじめとするさまざまな分野の済州道民が一つになって「4.3特別法改訂を勝ち取るための共同行動」を立ち上げ、力を集めました。
「全国市道知事協議会」「全国市道議会議長団協議会」「全国市道教育監協議会」が特別法改訂に声を上げ、全国各地の市道議会でもそれぞれ改訂を促す決議案を採択し、済州道民の念願を叶えるために力を加えました。国会でも与野関係なく力を合わせました。「4.3特別法」改訂が与野合意によってなされたことは21代国会の最も大きい成果の一つとして評価されるでしょう。この場を借りて特別法の改訂に力を合わせた各界各層の全てのみなさまに深く感謝と尊敬の言葉を差し上げます。
国民のみなさま、済州道民のみなさま、
今回の特別法改訂によって1948年、1949年当時軍法会議で受刑人となった2430人の方々に、一括再審を通して名誉回復の道が開かれました。すでに2019年と昨年、2回の再審で生存受刑人の25名が無罪宣告を受け 70年間解くことのできなかった足枷から自由になりました。先月の16日には行方不明受刑人333名、一般裁判生存受刑人2名が再審裁判で無罪判決を受けました。
殺人的な取り調べや拷問の後に続く名前だけを読み上げるといった裁判を経て、罪人の烙印を押されたまま生きてきた70年余り。幼い少年たちが90歳を超えたおじいさんとなってようやく「無罪」の二文字を貰い受けることになりました。家族を失い、名誉と尊厳、故郷と夢さえも取り上げられた2162名の方々の特別再審がまだ残っています。政府は一人一人の真相究明と名誉回復、賠償と補償を通して 国家暴力によって失ったものを少しでも返すことで 国家の責任を果たしていきます。
どのような方法でも過去の蟠りを完全に解くことはできませんが、政府は、追加真相調査はもちろん、受刑人の名誉回復のための継続的な措置にも万全を期していきます。賠償、補償においても公正で合理的な基準を設けるために最善を尽くします。
未だ行方不明の家族を見つけられず、胸を焦がす遺族が多いです。数日前、加時里で発掘された3体の遺骸を含め、今まで遺骸として戻ってこられた408名のうち275名はまだ身元の確認ができていません。政府は遺骸の発掘と共に遺伝子鑑識を支援し、必ず故人を家族の元にお返しします。
昨年5月から「4.3トラウマセンター」が示範運営されており、開所9ヶ月で約1万2千人の方がトラウマセンターを訪れました。犠牲者の方々と遺族が思い出したくないその日の記憶を取り出し、一人でかかえていなければならなかった蟠りをとくことができることには、遅いながらも遣り甲斐を感じます。傷つけられた方々の心を治癒するためにご尽力くださった済州4.3平和財団及び4.3トラウマセンター関係者のみなさまに深く感謝申し上げます。政府は関連法律が制定され次第、国立トラウマセンターに昇格し、多くの方々の痛みが完全に癒えるよう支援します。
尊敬する国民のみなさま、4.3生存犠牲者と遺族のみなさま、済州道民のみなさま、
4.3平和公園内の記念館には未だに名前のつけられない白碑が横になっています。済州には73回目の春が訪れましたが、4.3が到達すべきところはまだ遠いです。空白になっている碑石にどのような名前が刻まれるかはまだ分かりませんが、明らかになった真実は統合に向かう原動力となり、取り返した名誉は私たちをより大きい和合と相生、平和と人権へ導いてくれることは明確です。
ついに済州に完全な春が訪れるまで、私たちは互いの手と手をよりかたくつなぎ合いましょう。ありがとうございます。

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済州四・三 75周年大阪慰霊祭 · フォローする
2021年10月29日 ·
済州4・3事件犠牲者の補償基準が設けられた…政府「2022年から段階的支給」(京郷新聞2021.10.27)
《記事内容の要約》
韓国の行政安全部(行安部)は10月27日に、済州4・3犠牲者補償基準制度化方案を発表しました。4・3犠牲者遺族会はさる10月8日、今年2月に国会を通過した4・3事件全部改正法にもとづき実施された行安部の「過去事賠・補償基準制度化に関する研究用役」の結果を受け入れると決定していました。
今回の制度化方案によれば、死亡・行方不明者の補償水準は1人当たり9000万ウォン、後遺障害・受刑者は、障害の程度や労働力喪失率、受刑・拘禁日数などを考慮して、9000万ウォン以下で委員会が決定する金額となっています。
この金額は、医療支援金のほか、1954年の平均賃金を現在の価値に換算し推算した犠牲者逸失利益の平均値、精神的損害に対する慰謝料を合計したものです。慰謝料の基準は、国家賠償法上の死亡者本人基準が提示されました。
また方案は、4・3全部改正法上の「犠牲者に対する慰謝料など特別な支援」の性格を「補償」と見ています。これは4・3の犠牲に賠償事案と補償事案が混在していることを勘案したものということです。
行安部はまた申請人が犠牲者補償金支給決定に同意した場合、民法上では裁判上の和解が成立したものと見なし、4・3による被害補償の最終的解決を図っています。この法にもとづく補償を受けても、被害者個々人の刑事補償請求はそのまま保障されます。
方案には、犠牲者が死亡したり行方不明になった場合、補償請求権者がは償決定当時の民法を準用して相続できる特例も含まれました。犠牲者は1960年以前にほとんど死亡、行方不明になっているからです。
行政安全部は5年間の段階的支給計画により、2022年の政府予算案に補償金を反映し、補完立法も積極的に支援していく計画です。


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2021年10月29日 ·

済州4・3事件被害者補償金総9千億ウォン…過去事事件最大(聯合ニュース2021-10-27)
《記事内容の要約》
韓国・行政安全部は韓国法制研究院、韓国刑事法務政策研究院などに用役を依頼し、済州4・3被害者1人当たり9千万ウォンを均等に支給する内容の補償基準制度化方案を設けたと、さる10月27日に明らかにした。
行安部は犠牲者のうち、類似の個別訴訟を通じて補償を受けたり、遺族がいなかったり、国家有功者で補償を受けた人を除いた10,101人を補償対象とした。
1人当たりの補償金を補償対象の犠牲者数で掛ければ、全体の補償額規模は990億9千万ウォンとる。
これは韓国政府が、これまで単一の過去事関連事件に対して賠・補償した金額の中で最も大きい。ただし一人当たりの賠償額は、蔚山保導連盟事件よりは小さい。2007年に蔚山保導連盟事件の犠牲者に対して、1人当たり1億3200万ウォンの賠償判決があり、総賠償額は200億ウォン余りだった。
行安部はこれまでグループインタビュー、個別面談、懇談会など16回にわたって遺族の意見を集めた。
今回の補償案は、朝鮮戦争前後の民間人集団犠牲事件に対する初の立法的補償という意味がある。
チョン・ヘチョル行安部長官は「遅きに失したが、罪なき犠牲に対する国家の責任を果たし、過去事問題解決の転換点を提示することになって、格別な意味がある」と述べ、「国会と協力して立法を推進し、来年度の補償が滞りなく執行されるようにする」と説明した。

https://www.yna.co.kr/view/AKR20211027121400530?input=fb&fbclid=IwAR1Js6F3Hjvzmontg5_gKV5MIfOuuUST8izjMvFInVdwbwSpBMk0Ql_mz50
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済州四・三 75周年大阪慰霊祭
2021年12月10日 ·
4・3犠牲者・遺族に補償金を支給する特別法改正案が韓国国会を通過しました。その概要です。
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「済州4・3特別法改正案国会通過…補償金9050億支給/'補償'明示 1人当たり9000万ウォン均等支給…認知請求-婚姻申告特例は除外 '追加補完必要'」(済州の声2021.12.09)
【大意】
済州4・3犠牲者に対する国家レベルの補償金を明示した補完立法がさる12月9日に韓国の国会を通過し、来年から犠牲者と遺族を対象に補償金が支給されることになりました。今回の4・3特別法改正は、先の全面改正で定められた「慰謝料等の支援」に関する補償基準と手続きを具体化するための補完立法です。
改正法には、4・3犠牲者に対して精神的損害(慰謝料)、積極的損害などに対する完全な補償のため、死亡者・行方不明者に対して1人当たり9000万ウォンを均等支給する内容が盛り込まれました。
全面改正で4‧3特別法第16条に明示された「慰謝料」の法的性格は「補償」とまとめられました。国家の適法行為と違法行為の両方を合わせた損害塡補まで含めるという趣旨で「賠償」ではなく「補償」とされました。
ただし、4・3以後、複雑になった家族関係を整理し、犠牲者の名誉を回復するための認知請求と婚姻申告の特例条項は除外されました。家族関係を訂正しやすいように、認知請求時に民法上、親子関係の不存在があるとみなす特例、死亡日を訂正したために発生するかも知れない婚姻届無効を例外とする特例、犠牲者が死亡したり行方不明になった後に提出された出生届を例外的に認める特例は、法院が反対しました。
今回の改正法公布後、4‧3特別法施行令改正を経て、来年(2022年)3月から5年間、段階的に補償金が支給されます。政府は予想される総額9050億ウォンのうち、すでに1810億ウォンを新年度予算に計上しています。
補償金を申請できるのは、国家から4・3犠牲者と決定された1万4533名、またその遺族8万0452名です。このうち、遺族のいない犠牲者などを除けば、実質的な支給対象は約1万名となります。補償金申請は、「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会」が順序を定めて公告します。


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済州島四・三事件の犠牲者1人あたり9000万ウォンの保証金の支払いを開始。事件発生から救済まで74年の時間がかかった。


 
 
     



済州四・三 75周年大阪慰霊祭
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2022-09-10



済州四・三の追加真相調査へのご協力のお願い
改正特別法 真相調査 한국어
済州四・三特別法全面改定にともない、在日済州人の被害実態調査が実施されることになりました。大阪・関西地方の調査は「済州四・三平和財団済州四・三追加真相調査チーム(関西)」が担当します。詳細は下記の協力依頼の文書をお読みください。(リンクが現れない時は、チラシ写真の下にある「続きを読む」ボタンをクリックしてください。)

済州四・三の追加真相調査へのご協力のお願い
제주4・3 추가진상조사를 위한 협력을 부탁드립니다
各種資料ダウンロード
なお、この調査に関するお問い合わせは、下記までお願いします。

〒544-0002 大阪府大阪市生野区小路3-11-19
特定非営利活動法人聖公会生野センター気付
在日本済州四・三犠牲者遺族会 呉光現
Tel: 06-6754-4356
Fax: 06-6224-7869
Email: jeju43osaka@gmail.com

  

済州四・三の追加真相調査へのご協力のお願い
済州四・三犠牲者ご遺族のみなさま

韓国では2021年、「済州四・三事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」(2000年 1月12日公布、法律第6117号、略称「済州四・三特別法」)が全面改定され、①被害者への補償、②受刑被害者の特別再審、③四・三トラウマセンターの運営、④追加真相調査などがすすめられることになりました。

私たちは、この法律に基づいて済州四・三平和財団が進めている追加真相調査の一環として、在日済州人の被害実態調査を委託され、主に日本の大阪・関西地方の調査を担当しています。

この調査を実りあるものとするために、あらためて日本に在住する済州四・三の犠牲者ご遺族、関係者のみなさまにご案内し、調査へのご協力をお願いしています。

本調査は、本年中に第一次の犠牲者・ご遺族のみなさまの証言収録を実施し、これに基づいて 2023年中に追加調査を重ねた上で、2024年には調査結果をまとめた公式の報告書の作成に進むという計画で行われています。調査にご協力下さる被害者、ご遺族、関係のみなさまには、同封しました「済州四・三被害実態調査に関するお願い」でご連絡をいただければご都合のよろしい日時と仕方でお話しをうかがいに参ります。

済州四・三はとても痛ましく残酷な出来事でした。

この悲劇の発生に責任を負う韓国政府が犠牲者と遺族に謝罪し、法律を制定して犠牲者の名誉回復と補償を進めるとともに、事件の真相をさらに徹底して解明することは、失われた正義を回復するばかりでなく、歴史への教訓ともなる意義深いことと存じます。このための被害実態調査にみなさまのご協力を重ねてお願いいたします。

なお、この調査は、在日本済州四・三犠牲者遺族会の協力を得て実施しています。

済州四・三平和財団済州四・三追加真相調査チーム(関西)
文京洙(代表)、呉光現、伊地知紀子、梁優子、高元秀、金賢泰、洪政ウン

2022年9月

※調査にご協力いただくご意向のある方は、下記のサイトまたは右のQRコードから入力フォームにアクセスし、必要事項を入力して送信してください(ハングル未対応)。

済州四・三被害実態調査に関するお願い:関係者情報提供(入力フォーム)



※あるいは、下記のサイトまたは右のQRコードから様式(PDFファイル)をダウンロードし、郵送またはFAX送信してください。

済州四・三被害実態調査に関するお願い:関係者情報提供(PDFファイル)



※郵送・FAX送信先、調査に関する問い合わせは下記にお願いいたします

〒544-0002 大阪府大阪市生野区小路3-11-19
特定非営利活動法人聖公会生野センター気付
在日本済州四・三犠牲者遺族会 呉光現
Tel: 06-6754-4356
Fax: 06-6224-7869
Email: jeju43osaka@gmail.com

제주4・3 추가진상조사를 위한 협력을 부탁드립니다
제주4・3희생자 유족 여러분께

한국에서는 2021년 “제주 4・3 사건 진상 규명 및 희생자 명예 회복에 관한 특별법”(2000년 1월 12일 공포, 법률 제6117호, 약칭 “제주 4・3 특별법”)이 전면 개정되면서, ① 피해 보상, ② 수형 피해자를 위한 특별 재심, ③ 4・3 트라우마 센터의 운영, ④ 추가 진상 조사 등이 추진되고 있습니다.

저희는 이 법률에 따라서 제주 4・3 평화재단이 진행하고 있는 추가 진상 조사의 일환으로, 제일 제주인의 피해실태조사를 위탁받아, 주로 일본의 오사카・관서지방의 조사를 담당하고 있습니다. 이 조사를 성공리에 수행하기 위하여 일본에 거주하는 제주 4・3 희생자유족, 관계자 여러분께 조사 시행을 안내해 드리며, 조사에 협조해 주시기를 부탁드리고 있습니다.

본 조사는 올해 안에 제1차의 희생자・유족 여러분의 증언 채록을 실시해, 이를 토대로 2023년에 시행하는 보충 조사를 거쳐, 2024년에는 조사 결과를 정리한 공적인 보고서를 작성할 계획으로 진행하고 있습니다. 조사에 협력해 주시는 피해자, 유족, 관계자 여러분께서는 동봉한 답신용 지와 봉투로 연락을 해주시면, 원하시는 시일과 방법으로 말씀을 들으러 찾아뵙겠습니다.

제주 4・3은 매우 고통스럽고 참혹한 사건이었습니다.

이 참사에 책임을 져야 할 한국 정부가 피해자와 그 유족들에게 사과하고, 피해자의 명예 회복과 마땅한 보상을 위한 법률을 제정하고, 사건의 진실을 더욱 철저히 해명할 과업은 잃어버린 정의를 회복하고 역사의 교훈을 바로 잡는 뜻깊은 일일 것입니다. 이를 위한 피해실태조사에 협조해주시기를 진심으로 부탁드립니다.

이 조사는 재일제주 4・3 희생자유족회의 협력으로 시행되고 있습니다.

제주4·3평화재단 제주4·3추가진상조사팀(関西)
문경수(대표), 오광현, 이지치 노리코 , 양우자, 고원수, 김현태, 홍정은

2022년9월

※조사에 협력해 주실 의향이 있으신 분은 아래 사이트 또는 오른쪽의 QR코드에서 입력 폼에 접속하여 필요 사항을 입력하고 송신해 주십시오(한글 미대응).

済州四・三被害実態調査に関するお願い:関係者情報提供(入力フォーム)



※혹은 아래 사이트 또는 오른쪽 QR코드에서 양식(PDF파일)을 다운로드 받아 우편 또는 FAX 으로 숭신해 주십시오.

済州四・三被害実態調査に関するお願い:関係者情報提供(PDFファイル)



※조사에 관한 문의는 아래 연락처에 부탁드립니다

〒544-0002 大阪府大阪市生野区小路3-11-19
特定非営利活動法人聖公会生野センター気付
在日本済州四・三犠牲者遺族会 呉光現
Tel: 06-6754-4356
Fax: 06-6224-7869
Email: jeju43osaka@gmail.com

各種資料ダウンロード

調査案内チラシ(PDFファイル)

調査協力依頼文書(PDFファイル)

済州四・三被害実態調査に関するお願い:関係者情報提供(PDFファイル)







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しのはら ひろし新教科書が教えない歴史
しのはら ひろし · 2022年12月19日 ·
朝鮮の被害者ビジネスは続いていきそうです。
慰安婦にしても、徴用工にしても、実際には金稼ぎの為に応募して、他の日本人と同じように働いて給料をもらっていたことには触れずに日本が敗戦したことに言いがかりをつけているだけでしょう。
李承晩ラインの時に拿捕した日本漁船や抑留した日本漁民への賠償は何もしていないでしょう。
日本に密入国して犯罪を犯しながら居座っている韓国人がいるのに、今度は差別されているそうです。
はっきり言って、日本国内で犯罪を犯した韓国人や朝鮮人は祖国に強制送還するべきでしょう。
済州4・3と言っても実際に済州島の住民を虐殺したのは韓国人でしょう。
関係した韓国人、警察や軍隊の当事者は処罰されたのでしょうか。
3万人も殺され11万人も遺族がいるなら、その賠償は当然韓国が行うべきでしょう。
ついでに、この時に日本へ大量に密入国した在日韓国人にも帰国手続きと賠償をするべきでしょう。
命令したのはアメリカかもしれないが、実行した韓国がするべきことをするべきでしょう。
【「今度は米国が『済州4・3』の責任認め、謝罪すべき」】
4・3財団、済州道、ウィルソン・センターがワシントンでシンポジウム
「済州4・3と人権、そして韓米同盟」テーマに 
コ・ヒボム理事長「遺族の苦しみは今も続く」
 「米国は今や4・3の真実と向き合う時であり、そのことが韓国と米国の関係を健全かつ強固なものにするでしょう」
 済州4・3事件に対する米国の責任を問い、謝罪を通じて過去を克服することを求めるシンポジウムが、米国の首都ワシントンで開催された。
済州4・3平和財団、済州特別自治道、米国のシンクタンク「ウィルソン・センター」が8日(現地時間)に共催した「済州4・3と人権、そして韓米同盟」と題するシンポジウムでは、韓米の参加者から、4・3に対する米国の関与と責任は否定できず、「韓国政府の真相調査と謝罪、補償、再審を通じた無罪判決が実現された状況なので、今度は米国が取り組む番」だという声が相次いだ。
 4・3財団のコ・ヒボム理事長は、この日の開会の辞で「4・3は74年前に米軍政の管轄下で、政府樹立後は米国の軍事顧問団の統制下で行われた」とし、3万人が命を失い、14万人の遺族が今日に至るまで非常に苦しんでいると語った。
同氏は続けて「済州道民と遺族は、4・3と直接の関係がある米国はいかなる姿勢をとっているのか問うている」とし、米国が4・3の真実と向き合えば韓米関係はより強固に発展しうるだろうと語った。
 これまで行われてきた真相調査では、4・3の悲劇的な展開の過程で米国が直接的、間接的に大きな役割を果たしたことが明確に立証されている。
1948年8月15日の大韓民国政府樹立以前、米軍政は韓国に対する政治的、軍事的統制力を完全に握って武力鎮圧を導き、以降は駐韓米国臨時軍事顧問団長ウィリアム・ロバーツ将軍らが「1948年11月討伐」などの焦土化作戦を激励し、韓国の軍と警察を後押しした。
 米国タフツ大学のイ・ソンユン教授は、討論セッションで「韓米同盟は民主主義体制、平和、自由、正義という価値と信念の共有を基盤とする真に特別な同盟」だとしつつ、「しかし74年前、米国は民主主義、人権、平和、正義に反する事件(4・3)を監督した」と指摘した。
4・3の基本的背景と米国の責任に関して、4・3財団のヤン・ジョフン元理事長は「悲劇の根源は米国とソ連が引いた38度線であり、犠牲者はこの線を取り払うために5・10単独選挙に反対したという理由で残酷に殺された」と語った。
 「4・3」をテーマとして初の政治学博士号を取得し、『4・3、米国に問う』を著した本紙のホ・ホジュン先任記者も、4・3の初期から米軍政が済州道駐留の米軍の指揮官に送った電文で「済州道の破壊分子を除去し、法秩序を回復するために、韓国の警備隊を貴官の任意で使用せよ」と指示するなど、多くの証拠が米国の責任を示していると語った。
同記者は、良民に対する大量虐殺が行われている間に、米国は韓国軍に対する作戦統制権を握っている状態で「積極的な作戦」を督励してもいると指摘した。
 参加者たちは、第2次大戦後、冷戦が始まる局面において様々な国で発生した大量虐殺事件の中でも、その残酷さを考えれば4・3が「最も注目されず忘れ去られた事件」だということに同意した。
米国が責任を否定する中、韓国政府が国家保安法と連座制によって被害者と遺族を徹底的に抑圧したからだ。
元米国務省情報調査局北東アジア局長のジョン・メリル氏は「4・3は埋もれた歴史だ。(米国にとっては)とても当惑する事件なので、誰もそれについて記録することを望まなかった」と述べた。
4・3で祖父と父親の2人の兄弟が犠牲になった在米4・3記念事業・遺族会のヤン・スヨン代表も「1980年代になっても犠牲者の家族は連座制で苦しめられた」と述べ、自身のつらい家族史を紹介した。
 この日の討論の結論は、米国は事実を認め、被害者に謝罪すべきだというものだった。韓国と縁の深いキャスリーン・スティーブンス元駐韓米国大使は、1970年代に済州道を訪れた際には4・3の話を聞くことはできなかったとし、「私たちは今や、何らかを語らなければならない」と述べた。イ・ソンユン教授も、バラク・オバマ大統領が2016年5月に米国内の一部から反発される可能性もある中で、安倍晋三首相とともに被爆地である日本の広島を訪問した例をあげつつ、「米国の議員や副大統領、そしていつか大統領が4・3平和公園を訪問すれば、歴史はそれを道徳的行為と判断するだろう」と提案した。
スティーブンス元大使も、1996年にビル・クリントン大統領が済州島を訪問した際に機会を作れたかもしれないのに残念だと語った。
ヤン・ジョフン元理事長は「4・3は世界で歴史問題の解決の模範になりつつある」として「残されているのは米国の謝罪」だと語った。
 4・3と韓米同盟の未来を共に議論したラウンドテーブルでは、済州道出身でもある世宗研究所のムン・ジョンイン理事長が、1948~49年に済州道で起きたことは「米国が時々その理想通りに行動できない」例のひとつだとし、米国の前向きな態度が必要だと語った。


https://japan.hani.co.kr/arti/international/45358.html?fbclid=IwAR23E9ZpmFfuITpTXNlaEQop9FXVBptJV6E3QeD1VyFyn4FvSHwuPZNNy8I

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朝鮮新報
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済州四・三真相調査、東京と関西で

2022年12月30日 07:08

歴史

抜け落ちた歴史、垣根なく向き合いたい
1948年、米軍政の支配下にあった朝鮮半島南部での単独選挙に反対し、島の共同体守護と南北分断国家樹立反対を掲げ、武装蜂起を展開した済州島の人々。当時、済州島人口の10分の1以上であるおよそ3万人が、軍や警察、反共自警団の討伐により無差別に虐殺される惨劇が起きた。「済州四・三」と呼ばれるこの大虐殺は、犠牲者やその遺族たちに今日まで大きな傷を残している。


今年4月には大阪で在日本済州四・三74周年犠牲者慰霊祭が執り行われた

南の歴代政権をはじめ、国家権力や反共社会が、その事実を闇へと葬り去ろうとするなか、長い沈黙を破り、真相を明らかにしようとした人々の血の滲むような闘いによって、金大中政権下の2000年に「4.3特別法」(「済州四・三事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」が施行され、文在寅政権の2022年にほぼ全面改正された。真相究明を核とした旧法に対し、犠牲者らの名誉回復や補償を含む改正法では、それらを実行するうえでの「追加の真相究明調査」が掲げられ、国家暴力により虐げられた犠牲者たちの名誉回復や歴史上の正当な位置づけなど、真相究明のための動きが進みつつある。

これと関連し、日本でも今年9月から実態調査が行われている。在日同胞犠牲者遺族らで構成される在日本済州四・三犠牲者遺族会(呉光現会長)などが呼びかけ展開されている調査は、今月末までに犠牲者および遺族らの第1次証言収録を実施。来年中に追加調査を重ねたうえで、2024年には調査結果をまとめた報告書作成に進む計画だ。調査対象は現在の国籍を問わず、①被害者およびその遺族、②体験者および目撃者、③経験者の証言を聞くなどして影響を受けた人。済州四・三の犠牲者や遺族、体験者のなかには、在日同胞も多く存在し、昨今の国家暴力を告発する取り組みのなかで、「(在日同胞の遺族たちが)胸の奥に閉まっていた悲しい記憶を語りだしている」(「在日本済州四・三74周年犠牲者慰霊祭」での呉光現会長の言葉より)という。


来年、第2次調査を行う予定。引き続き調査対象を探している。

調査員の一人で遺族会のメンバーでもある高元秀さんは、「済州四・三は、当事者たちが根本的に語れなかったため、私たちは知りようがなかった現実がある。しかし、当時の惨劇を知れば知るほど、現状として同世代が知らないことに愕然とする」と述べながら、「事実から抜け落ちた在日の歴史に危機感や焦りを感じるが、この現状に向き合い、事実を生きた歴史として蓄積していけるよう活動していきたい」と話した。

また遺族会の呉光現会長は、「済州四・三は、南北が分断される前に起きた出来事で、在日同胞にも多くの当事者たちがいる。特に大阪は、済州島出身が多い。垣根なく、自分たちの歴史に向き合っていけたら」と訴えた。

来年は済州四・三、そして米国による南朝鮮での単独政府捏造から75年になる。

事件の実態調査が真相解明に止まらず、分断の元凶である米国と、それに追随してきた南の分断勢力、対米追随・同族対決に狂奔する現政権を糾弾する全民族的な連帯運動の発展に貢献することが期待される。

(韓賢珠)


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2022-12-30

在日四・三真相調査第1次証言収録終了

真相調査 参考資料

2022年9月より日本で実施されていた済州4・3真相調査の第1次証言収録が終了しました。朝鮮新報の記事がコンパクトにその内容を伝えているので紹介します。(紙面では2022年12月28日掲載。)


https://chosonsinbo.com/jp/2022/12/hj1/


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2023

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呉 光現
4月2日 ·
【長文】【関係者に拡散歓迎】
【済州43犠牲者・遺族への支援事業が日本でも本格化しました】
2021年12月に済州43特別法が全面改正されました。
改正の肝は2つ
① 追加真相調査をする。
② 遺族に補償金(実質賠償金)を支払う
在日の立場から①について昨年オンラインで記者会見をしました。済州43の狂風の中で5000名から1万名の人が日本に逃げてきました。その相調査がなされないと調査の重要な部分が抜け落ち、在日の調査が一番遅れている現状を訴えました。これについては韓国政府から調査の委託を受けた済州43平和財団から委託を受けて、在日を中心にして9月から12月にかけて第1次調査を行い、4月から第2次調査を実施することになりました。
② に関してはさらに困難がありました。日本に長年住んでいるため済州との温度差が大きく、又行政手続きが非常に煩雑です。昨年初めから在日の遺族から問い合わせが来るようになり私たちのサポートをしましたがあくまで民間団体では限界がありました。済州道に要求をして生野区で11月に遺族50人が集まる中で説明会を実施しました。12月には済州に行き、道知事に在日の遺族もスムーズに補償金の申請ができるように要望書を提出。さらに1月には道知事の来阪に合わせて大阪総領事とともに面談。さらに正式に大阪総領事館の事務者とすり合わせをしました。
その結果、写真にあるように駐大阪大韓民國総領事館に済州43犠牲者・遺族支援コーナーが2025年5月31日(補償金申請期限の日)まで設置されたのです。
大阪の済州43運動は小さな団体ですがあくまで「在日」にこだわって求めてきたものがそれなりに成果を上げれたと思っています。
写真は2012年12月14日、済州での要望書提出と駐大阪総領事館に設置された支援コーナーの看板
以下窓口開設の案内です。
【済州43事件犠牲者・遺族補償金申請支援窓口開設】
3月13日から駐大阪大韓民國総領事館の2階に「済州43事件犠牲者・遺族補償金申請支援窓口」が開設されました。
これまで手探りで補償金の申請をしてきた在日同胞にとってはありがたい取り組みです。
設置主体は済州特別自治道で総領事館は協力です。
期間は補償金申請締切の2025年5月31日までの予定です。
 日本で採用されたスタッフ(日本語も堪能です)が担当しています。
済州43から75年の月日が経ちましたが、その間耐え忍んできた遺族が権利としての補償金ですので申請なさる方はどうぞこの窓口を活用してください。
① 設置主体は済州道庁です。総領事館は協力ですので誤解のないようにお願いします。
② 対象の方は大阪総領事館の管轄に居住の方です。大阪府、京都府、奈良県、和歌山県、滋賀県の方です。
場所:駐大阪大韓民國総領事館2階
   〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋2丁目3-4
         難波駅㉕番出口から御堂筋北に5分
電話:06-4256-2345(平日 9:00~16:00)
      領事館の代表番号です。「済州43の補償金の件」とお伝えください。

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