→ 紫金城、近鉄電車、今里駅

     
紫金城
しきんじょう


         


 
  大阪市生野区

近鉄電車、今里駅
         
     中華や韓国料理や元満州やらが混然となった料理屋さん。




紫金城 (しきんじょう)


食べログ
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fromosakafromosaka(44)さんの口コミ[携帯電話番号認証済]
1回

夜の点数:3.5
- / 1人詳細
1回目
2021/08訪問

dinner:3.5
[ 料理・味 3.6 | サービス 3.1 | 雰囲気 2.8 | CP 3.5 | 酒・ドリンク 3.0 ]

韓国にしかないはずの韓式中華が、ここにありました。

 知人に連れられて韓国の役所の食堂で食べたジャージャー麵。その味が恋しくなって、一人旅の時、韓式食堂で注文しても、怪訝な顔をされ「うちは中華料理店ではありません」と言われたものでした。実はこの麺。日本の天津飯のように、韓国で生まれた中華料理で、中国にはありません。もととなった山東料理(日本の中華料理店では大抵これが出てきます)の麺とは、味がまったく違います。あの味が味わえる店をようやく見つけました。

 今里新地のはずれで、アフリカ料理店を探している時、偶然みつけました。場所は近鉄の今里と鶴橋の真ん中あたり、今里駅の方が若干近いです。駅を出て南の商店街をまっすぐ南進。少し大きめの道路との交差点をわたって右折します。今里新地と書いた看板の横断している東リと交差するまでひたすら直進。10分程歩いたとき左手みえるコンビニが目印です。で、そこを左折。一つ目の交差点の南東角のお店です。

 お店のドアには正宗東北料理と書いてあります。正宗というのは中国語では元祖という意味。ドアを開けると、壁一面に所狭しと料理の写真が貼られています。写真の四隅に、中国語とハングルと日本語で料理名が、あとのひと隅に値段がかかれています。

 韓国料理屋さんの定番、冷麺の写真もあります。うどんやチャンポンもありますが、日本のものとは大違い。見ているだけで楽しい。メニューの数は、100種類ではききません。一階も二階も壁中、料理の写真だらけ、まずは、たのしみにしていたジャージャン麺を注文。100%韓国で食べた味です。具の変化でジャージャン麺だけでも三種類。毎日通って、沢山の種類の料理を味わいました。

 毎回共通しているのが、無料の突き出し。キムチではなくて、日本の沢庵と生の玉ねぎのぶつ切りと甜面醤がでてきます。口の悪い韓国人に言わせると、日本から入ってきたものの中で、この沢庵だけは絶賛できるそうで、われわれにはただの沢庵ですが、韓国の方々にとっては、異国の雰囲気の味わえる一品だそうです。


 このような韓国の中華料理は、中華料理を基にして、韓国固有の食材を用いて韓国人の味覚に合うように変化した「韓国式の中華料理」のことです。地理的に中国と韓国は互いに近いため、大部分の韓国式中華料理は中国北部、特に山東料理の影響を受けています。しかし、一部の韓国式中華料理は中華料理と言うよりは、朝鮮料理にずっと近いものもあります。韓国でチャジャンミョンは代表的な出前料理ですが、中華料理店では基本的に全てのメニューが出前可能です。

 李氏朝鮮時代の朝鮮半島では商業が発達せず、当時存在した飲食店は酒幕(チュマク) 程度で、旅行者、あるいは負褓商と呼ばれる行商人に寝床と飲食を提供するのが目的でした。鎖国状態だった朝鮮が1876年に海外への門戸を開いて以降、本格的な外食産業が登場し、中でも多数を占めたのが中華料理店でした。

 その頃の中華料理店は、韓国で中華屋と呼ばれる大衆的な食堂とは異なり、本格的な中華料理を供するもので、利用者は富裕層でした。当時の中華料理店は、朝鮮半島では珍しい2階建ての建築が普通であり、1階にはホール、2階に客室が設置され、酒の接待をする妓生(キーセン)を常駐させた店もありました。

 日本統治時代の京城府の雅叙園、金谷園、大観園、四海楼のような中華料理店は、富裕な日本人と朝鮮人のみが頻繁に利用できる最高級の料理店で、中華料理というよりは「清料理」と呼ばれ、政治家らによる密室政治の舞台となっていました。

 現在、大衆的に人気があるチャジャンミョンやチャンポン等の韓国式中華料理の大部分は、華人によりチャイナタウンが営まれていた仁川広域市で生まれたものです。

 朴正煕政権は、通貨改革と外国人の土地所有禁止策を通じ、華人の経済力を弱体化させたため、多くの華人が韓国を離れ、残った者達が運営できる生業も外食産業に限られていました。1960年代から1970年代にかけ、政府が粉食を奨励すると、比較的調理時間が短い中華料理は時代の要請にも合致して大衆的な外食料理として定着し、現在の中華料理店は華人ではなく、韓国人の所有、運営によるものがほとんどとなっているそうです。

 この店の看板は東北料理。お店の人は中国語を話していましたが、お子さんはチマチョゴリを着ていました。中国東北地方の韓族なのかもしれませんね。国内にいて海外旅行気分です。いただいた料理を動画に編集しましたので、よかったらご覧下さい。

https://youtu.be/5Jhuzbpy4hM


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生野の韓国料理店 家韓(ウチカン)
大阪府大阪市生野区巽中1-24-14
大阪メトロ千日前線「北巽駅」5番出口より徒歩1分



         
               
   


2016/04/24(日)14:00~(開場13:30~)
大阪市東成区民センター
済州四・三事件68周年「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭
遺族会会長挨拶
四・三平和財団挨拶
金石範先生の講演
張智恵さんの慰霊の舞
献花

連絡先 聖公会生野センター



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済州島四・三事件を考える会/東京
2016年4月15日 ·
東京での記念行事翌日の4月24日には、大阪でも済州四・三事件68周年「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」が行われます!午後2時より(開場は1時30分)大阪市立東成区民センター6階小ホールにて、金石範先生の講演と張智恵さんの慰霊の舞が行われます(参加資料代1000円)。お近くにお住まいの方は是非ご参加ください!!


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有我 譲慶
2016年4月25日 ·
【呉光現さん挨拶:済州4・3事件68周年犠牲者慰霊祭】2016年4月24日大阪市東成区民センターにて。
生野区で精神障害者への支援活動を担ってきた友人のKwanghyun Ohさんは、在日本済州四・三事件遺族会会長でもありました。在日韓国・朝鮮人が大阪に多く、済州島出身者が多いのも、この事件と深い関わりがあるのでしょう。私の友人らにもチュエジュド出身の2世3世が多く、特別な地と感じています。
「済州4・3事件」とは、済州島民の蜂起と韓国による鎮圧です。済州島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、済州島の村々は70%が焼き尽くされました。凄惨な事件の犠牲者の日本における慰霊祭です。
ウキペディアにも紹介されています。
1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった(南朝鮮単独選挙に反対する)島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
https://goo.gl/ok7R9r
この悲劇的な事件は日本と大きな関わりがあります。
この慰霊祭がこのように行われるようになったのは、まだ最近のことです。そして、この事件は韓国の国歌としての成立に関わり、李承晩、朴正煕、朴槿恵につながる、韓国の右派政権にとって隠しておきたい歴史でもありました。
この慰霊祭は、歴史の犠牲者の追悼にとどまらず、現在の韓国、朝鮮半島、朝鮮民族にとって大きな歴史的課題であり、また同時に、現在の韓国に置ける民主化運動、戦争法、改憲へと突き進む安倍政権ー日本の戦前復古調、在日へのヘイトスピーチと、今の私たちにもつながる課題ではないかと思いました。呉さんのあいさつ、「済州4・3事件」を小説「火山島」をライフワークとして書いてきた金石範さんの、事件への執念が込められた、熱いお話しを聞きました。


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hyontae_k

hyontae_kのプロフィール写真
유독 제주도 출신 동포가 많은 이 곳 오사카에서는 올해도 어김없이 "재일본제주4.3사건희생자위령제"가 열리고 있습니다.

4月 24, 2016


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機械翻訳

ドイツ・済州島出身の村人が多い大阪では、今年「再日本済州4.3事件被害者指令」が行われています。
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金賢泰(キム・ヒョンテ)(コリアNGOセンター、コリアNGO主催のミナミダイバーシティ・フェスティバルの実行委員の一人)
写真は、「済州4・3事件犠牲者慰霊祭 2016年4月24日 大阪市立東成区民センター」 呉光現(オ・グゥアンヒョン)








  
         
   




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hyontae_k



hyontae_kのプロフィール写真
우리 동네 중국집, 자금성에서는 고량주를 주문하면 참이슬잔을 준다. ㅋ 오사카에선 매우 독특한 곳.

4月 24, 2016


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金賢泰(キム・ヒョンテ)(コリアNGOセンター、コリアNGO主催のミナミダイバーシティ・フェスティバルの実行委員の一人)


機械翻訳
近所の中華料理店 JaGeumseong は高品質なものを注文するとチャミスルカップをくれる。 笑 大阪はとてもユニークです

写真の皿には紫金城。お酒は北京の高粱酒。

紫金城、
近鉄今里駅、
中華や韓国料理や元満州やらが混然となった料理屋さん。







 
         
   



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hyontae_k
우리 동네 중국집에선 조기구이(?)튀김(?)도 판다. ㅋ

4月 24, 2016

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金賢泰(キム・ヒョンテ)(コリアNGOセンター、コリアNGO主催のミナミダイバーシティ・フェスティバルの実行委員の一人)

機械翻訳
近所の中華料理店で早めのグリル(? )揚げた(? )も販売しています。 (笑)<br>

たぶん、紫金城





 
         
   











紫金城 (しきんじょう)


食べログ
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fromosakafromosaka(44)さんの口コミ[携帯電話番号認証済]
1回

夜の点数:3.5
- / 1人詳細
1回目
2021/08訪問

dinner:3.5
[ 料理・味 3.6 | サービス 3.1 | 雰囲気 2.8 | CP 3.5 | 酒・ドリンク 3.0 ]

韓国にしかないはずの韓式中華が、ここにありました。

 知人に連れられて韓国の役所の食堂で食べたジャージャー麵。その味が恋しくなって、一人旅の時、韓式食堂で注文しても、怪訝な顔をされ「うちは中華料理店ではありません」と言われたものでした。実はこの麺。日本の天津飯のように、韓国で生まれた中華料理で、中国にはありません。もととなった山東料理(日本の中華料理店では大抵これが出てきます)の麺とは、味がまったく違います。あの味が味わえる店をようやく見つけました。

 今里新地のはずれで、アフリカ料理店を探している時、偶然みつけました。場所は近鉄の今里と鶴橋の真ん中あたり、今里駅の方が若干近いです。駅を出て南の商店街をまっすぐ南進。少し大きめの道路との交差点をわたって右折します。今里新地と書いた看板の横断している東リと交差するまでひたすら直進。10分程歩いたとき左手みえるコンビニが目印です。で、そこを左折。一つ目の交差点の南東角のお店です。

 お店のドアには正宗東北料理と書いてあります。正宗というのは中国語では元祖という意味。ドアを開けると、壁一面に所狭しと料理の写真が貼られています。写真の四隅に、中国語とハングルと日本語で料理名が、あとのひと隅に値段がかかれています。

 韓国料理屋さんの定番、冷麺の写真もあります。うどんやチャンポンもありますが、日本のものとは大違い。見ているだけで楽しい。メニューの数は、100種類ではききません。一階も二階も壁中、料理の写真だらけ、まずは、たのしみにしていたジャージャン麺を注文。100%韓国で食べた味です。具の変化でジャージャン麺だけでも三種類。毎日通って、沢山の種類の料理を味わいました。

 毎回共通しているのが、無料の突き出し。キムチではなくて、日本の沢庵と生の玉ねぎのぶつ切りと甜面醤がでてきます。口の悪い韓国人に言わせると、日本から入ってきたものの中で、この沢庵だけは絶賛できるそうで、われわれにはただの沢庵ですが、韓国の方々にとっては、異国の雰囲気の味わえる一品だそうです。


 このような韓国の中華料理は、中華料理を基にして、韓国固有の食材を用いて韓国人の味覚に合うように変化した「韓国式の中華料理」のことです。地理的に中国と韓国は互いに近いため、大部分の韓国式中華料理は中国北部、特に山東料理の影響を受けています。しかし、一部の韓国式中華料理は中華料理と言うよりは、朝鮮料理にずっと近いものもあります。韓国でチャジャンミョンは代表的な出前料理ですが、中華料理店では基本的に全てのメニューが出前可能です。

 李氏朝鮮時代の朝鮮半島では商業が発達せず、当時存在した飲食店は酒幕(チュマク) 程度で、旅行者、あるいは負褓商と呼ばれる行商人に寝床と飲食を提供するのが目的でした。鎖国状態だった朝鮮が1876年に海外への門戸を開いて以降、本格的な外食産業が登場し、中でも多数を占めたのが中華料理店でした。

 その頃の中華料理店は、韓国で中華屋と呼ばれる大衆的な食堂とは異なり、本格的な中華料理を供するもので、利用者は富裕層でした。当時の中華料理店は、朝鮮半島では珍しい2階建ての建築が普通であり、1階にはホール、2階に客室が設置され、酒の接待をする妓生(キーセン)を常駐させた店もありました。

 日本統治時代の京城府の雅叙園、金谷園、大観園、四海楼のような中華料理店は、富裕な日本人と朝鮮人のみが頻繁に利用できる最高級の料理店で、中華料理というよりは「清料理」と呼ばれ、政治家らによる密室政治の舞台となっていました。

 現在、大衆的に人気があるチャジャンミョンやチャンポン等の韓国式中華料理の大部分は、華人によりチャイナタウンが営まれていた仁川広域市で生まれたものです。

 朴正煕政権は、通貨改革と外国人の土地所有禁止策を通じ、華人の経済力を弱体化させたため、多くの華人が韓国を離れ、残った者達が運営できる生業も外食産業に限られていました。1960年代から1970年代にかけ、政府が粉食を奨励すると、比較的調理時間が短い中華料理は時代の要請にも合致して大衆的な外食料理として定着し、現在の中華料理店は華人ではなく、韓国人の所有、運営によるものがほとんどとなっているそうです。

 この店の看板は東北料理。お店の人は中国語を話していましたが、お子さんはチマチョゴリを着ていました。中国東北地方の韓族なのかもしれませんね。国内にいて海外旅行気分です。いただいた料理を動画に編集しましたので、よかったらご覧下さい。

https://youtu.be/5Jhuzbpy4hM


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生野の韓国料理店 家韓(ウチカン)
大阪府大阪市生野区巽中1-24-14
大阪メトロ千日前線「北巽駅」5番出口より徒歩1分