→ 沖縄独立運動の活動家の人脈の時系列順

   

2010/08/07(土)14時~17時
日本教育会館8階第3会議室(TEL03-3230-2831)都営新宿線・半蔵門線神保町駅A1出口下車徒歩3分
パネルトーク「差別の構造~沖縄という現場」 
金城実(きんじょう みのる)  彫刻家
石川文洋(いしかわ ぶんよう) 報道写真家。
鎌田慧(かまた さとし) ルポライター、 シューレ大学 アドバイザー。
辛淑玉(シン・スゴ)、
ほかに知花昌一も参加予定。







  
 
20212/02/03


 
   

2012/01/28(土)~2012/02/05(日)(11:00~18:00)
「イーヴァ」 京都市左京区田中上柳75
『水平社創立90年、沖縄「復帰」40年を問う/反差別・反抑圧 新たな10年を闘う』金城実・井本武美「ふたり展」
金城実(きんじょう みのる)  彫刻家
井本武美


2012/02/03(金)
ピアノ 渡辺幸恵 
シンポジュウム パネラー 辛淑玉(シン・スゴ)、玉光順正









 
 
    2012/11/02(金)18:30

沖縄「復帰」40年・全国創立90年を迎えての=反差別・反抑圧、人権・平和のたたかいを進めるために=シンポジウム
コーディネーターは丹羽雅雄(弁護士)氏
司会は知花昌一氏。
パネラーが
金城実氏、
山本義彦氏(解放同盟大阪府連浅香支部)、
比嘉啓治氏、
在沖縄コリアンやアイヌ民族の方など・・・。



ヌチドゥタカラ「命こそ宝」 ヌチドゥタカラとは、沖縄の言葉で「命こそ宝」の意味。脱原発と反戦。命こそ守らなければならないもの。一番大切なもの。
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実り多かった沖縄の旅

2012-11-08 17:58:28 | 日記

4月にjetstar就航記念SALEのチケットを買ってツアーを企画した時は、昨年3・11以降休む間も無く動き続けてきたので、少しは休みたいという気分が無くも無かったのですが、勿論、火事場泥棒さながらの政府に攪乱されている基地問題で大変な沖縄を見てこなければという想いが一杯だった。

しかし、オスプレイの問題や、暴行事件で、益々揺れる沖縄。

予想もしなかった、数多の出会いもあり、濃厚な旅だった。

10月31日、まず旧知の玉城さんの暖かい出迎えを受けて、車で佐喜眞美術館に到着。
館長夫妻が熱く現在の戦いの様子や想いを語って下さる。
契約地主であったのを、これからは反戦地主としてしっかり戦ってゆくとのこと。丸木さんの沖縄戦の図は、いつもながら迫力を持って迫ってくる。今回は水墨画などの今まで見たことのない瀟洒な作品も並んでいた。
晩ご飯は玉城さんの奥様のテーブルに載せきれないほどの心尽くしの沖縄料理を頂いて「沖縄に帰ってきたねー」という気分を味わせて頂く。

1日には高速艇で渡嘉敷島に渡って、生存者吉川先生に集団自決の鬼気迫る地まで降りていきながら、証言を聞かせていただく。
その後、かつて江口昌子さんが仲間とともに建設に精魂を傾けて、完成させたアリランのモニュメントを見に行った。
考えていたよりも広い敷地に大きな碑とともに広がって設置されている。
案内を兼ねてバンの観光タクシーを運転してくださった米浜さんは、三線の体験まで手ほどきをしてくれる大サービスの肝っ玉母さんという暖かいお人柄。

翌2日は、本島に戻ってレンタカーを調達。一路「辺野古」を目指す。

美しい海辺の前の座り込みテントには、3120日目のたて看板が立ち、出入りはありましたが、7名の方たちが居られました。1時間ほど激励をし、カンパを集めてお渡して、記念撮影。

米軍の基地のフェンスには様々な抗議文を書き込んだカラフルな布看板が結わえ付けられている。
基地のフェンスにこんなものがつけられているのは、日本でここだけ。外されても外されても結わえ続けて呆れられたとのこと。
私たちも今度作って送ろうと語り合う。
粘り強さはピカイチの辺野古ヘリ基地反対同盟。

夕方には読谷村に到着。翌日は「やちむんの里」へ行き、途中、保育園の駐車場で9条99条を大書した大看板を発見して記念撮影。
それから阿波根昌鴻・金城 実 写真と彫塑「ふたり展」会場へ。

久しぶりの謝花悦子さんとの再会を喜び合う。6時半からは沖縄「復帰」40年・全国創立90年を迎えての=反差別・反抑圧、人権・平和のたたかいを進めるために=シンポジウムに参加。コーディネーターは丹羽雅雄(弁護士)氏で司会は知花昌一氏。
パネラーが金城実氏、山本義彦氏(解放同盟大阪府連浅香支部)、比嘉啓治氏、在沖縄コリアンやアイヌ民族の方など・・・。
それぞれが熱く語られるので、時間はあっという間に過ぎた。

交流会には参加せず今帰仁の宿舎に向かい、着いたときは10時を廻っていた。
翌朝は9時のフェリーで伊江島に渡り、ヌチドゥタカラの家に直行。

謝花さんとたっぷり話をして、昼食を食べに出かけた後、前回行けなかった基地や団結小屋を見て廻る。
小張の晴れマジックで、予報に反した晴天、曇りが続きまくっていたのを、耐え切れなくなったお天道様がとうとう雨を降らせてきたので、これは休もうと、安らぎの里に入ってしばし休憩。夜は謝花さん手づくりの夕食を美味しく頂く。
4年前と同じメンバーで訪れた私たちを「5名が心を揃えて、活動できるのは尋常ではありません。素晴らしいことです。まさしく阿波根がいつも言っていた、5本指の教えそのものです」と言われる。

6日目の5日は朝食後もう一度展示を見ようとしているところへ共産党の書記局長や参議院議員団長を勤める市田さん一行が予定を早めて里に見える。
「オスプレイ問題の実情を見、現場の声を聞かなければということを考えて来た」と言っていたけれど、阿波根昌鴻氏が一生をかけて作った「ヌチドゥタカラの家」の所蔵品をじっくり見ている時間は取れなかったようだ。

午後は、もう一度島を一周して米軍予備滑走路の写真を撮ったりして沖縄最後の宿に到着。阿波根さんのDVD3本を大きな画面のTVに映して皆で観る。見応えがあり、内容が濃いので、初めて知ったことも多々あって、是非茨城で上映会をしたいものだと話し合う。

最後の日11月6日は市場や対馬丸記念館を駆け足で訪れた後、夕刻沖縄の地を離れ、21時、時間通り成田についた。
片道3,000円で落ちやしないかと心配されたが、案外サービスも良く快適な飛行だった。

原発も沖縄の問題も、根は同じということを、肌で感じさせられた旅であったが、ひとつ残念だったのは、嘉手納近くの
高速道路走行中、オスプレイが荷物をぶら下げてごく近くに見えたのに、カメラがバックの奥で見つからないで撮影できなかったこと。

定価でも往復17000円ほどでいけることが分かったので、なんとかして福島の子ども達を連れて行きたいとも思わされた、実り多い旅だった。


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小張 佐恵子


2015年2月7日 ·

 以下の文はブログにUPしたもの。
2012年のこの旅に一緒に行った大切な友人赤嶺さんが昨日亡くなった。胃がんが判ってから、5年の間、化学療法を受けないで頑張ってきたのに、貧血が酷くなって入院して、とうとう抗がん剤治療を受け入れた。4クール目を終えて副作用がひどくて、食事が摂れなくなりとうとう帰らぬ人になってしまった。寂しく悲しい・・・。
 ファインダーの中の彼女はいつもカメラを手にしていた。
 文中の阿波根 昌鴻氏の五本の指の教えとは
「五本の指全部が協力し、理解し、団結すれば、何事も簡単にできる。」というもの。 私たちの5本指の1本、仲間が欠けたことに、大きな喪失感が迫ってくる。
米軍に対して非暴力で立ち向かった阿波根 昌鴻氏の素晴らしい活動を知り、学ぶ為に、日本人はみんな伊江島のヌチドゥタカラの家http://www3.ocn.ne.jp/~wabiai/ を訪れて欲しい。そして氏の心を受け継いで、ヌチドゥタカラの家の大量の沖縄伊江島戦の遺物や資料を守っている謝花悦子さんの話を聴き、支援して欲しい。
 そして、辺野古の闘いに参加しよう!
http://blog.goo.ne.jp/nutidu/m/201211
2日は、渡嘉敷島から本島に戻ってレンタカーを調達。一路「辺野古」を目指す。
美しい海辺の前の座り込みテントには、3120日目のたて看板が立ち、出入りはありましたが、7名の方たちが居られました。1時間ほど激励をし、カンパを集めてお渡して、記念撮影。
米軍の基地のフェンスには様々な抗議文を書き込んだカラフルな布看板が結わえ付けられている。基地のフェンスにこんなものがつけられているのは、日本でここだけ。外されても外されても結わえ続けて呆れられたとのこと。私たちも今度作って送ろうと語り合う。
粘り強さはピカイチの辺野古ヘリ基地反対同盟。
夕方には読谷村に到着。翌日は「やちむんの里」へ行き、途中、保育園の駐車場で9条99条を大書した大看板を発見して記念撮影。
それから阿波根昌鴻・金城実 写真と彫塑「ふたり展」会場へ。
久しぶりの謝花悦子さんとの再会を喜び合う。6時半からは沖縄「復帰」40年・全国水平社創立90年を迎えての=反差別・反抑圧、人権・平和のたたかいを進めるために=シンポジウムに参加。コーディネーターは丹羽雅雄(弁護士)氏で司会は知花昌一氏。
パネラーが金城実氏、山本義彦氏(部落解放同盟大阪府連浅香支部)、比嘉啓治氏、在沖縄コリアンやアイヌ民族の方など・・・。
それぞれが熱く語られるので、時間はあっという間に過ぎた。
交流会には参加せず今帰仁の宿舎に向かい、着いたときは10時を廻っていた。
翌朝は9時のフェリーで伊江島に渡り、ヌチドゥタカラの家に直行。
謝花さんとたっぷり話をして、昼食を食べに出かけた後、前回行けなかった基地や団結小屋を見て廻る。小張の晴れマジックで、予報に反した晴天、曇りが続きまくっていたのを、耐え切れなくなったお天道様がとうとう雨を降らせてきたので、これは休もうと、安らぎの里に入ってしばし休憩。夜は謝花さん手づくりの夕食を美味しく頂く。
4年前と同じメンバーで訪れた私たちを「5名が心を揃えて、活動できるのは尋常ではありません。素晴らしいことです。まさしく阿波根がいつも言っていた、5本指の教えそのものです」と言われる。
午後は、もう一度島を一周して米軍予備滑走路の写真を撮ったりして沖縄最後の宿に到着。
最後の日11月6日は市場や対馬丸記念館を駆け足で訪れた後、夕刻沖縄の地を離れ、21時、時間通り成田についた。
原発も沖縄の問題も、根は同じということを、肌で感じさせられた旅であったが、ひとつ残念だったのは、嘉手納近くの高速道路走行中、オスプレイが荷物をぶら下げてごく近くに見えたのに、カメラがバックの奥で見つからないで撮影できなかったこと。



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14:06
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西山 正啓
2013年3月26日 ·
沖縄読谷村★彫刻家・金城実アトリエ
琉球民族独立の像&水平社宣言。
人の世に熱あれ!人間に光あれ!



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貞末 麻哉子
完成されたのでしょうか。
2月におじゃましたとき、制作中でした。


西山 正啓
2月末、建立です!


趙 博
ヤマトでは水平社宣言が泣いてます。


川本 かず子
シェアします!

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ETV特集
「沖縄を叫ぶ ~彫刻家・金城実~」
放送 2017年6月3日(土) 午後11時00分(60分)
再放送 2017年6月8日(木) 午前0時00分(60分)




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貞末 麻哉子

2017年6月4日 · 東京都杉並区 ·

金城 実さんのドキュメンタリー「沖縄を叫ぶ ~彫刻家・金城実~」
お見逃しの方ぜひ!
 金城さんは「ぼくは写真で世界とつながる」の中で、「自分の人格形成は、夜間中学の教師や高校の非常勤講師をしながら、多くの在日韓国朝鮮人、被差別部落の出身者、そして障害者だった生徒たちと関わったからこそ培われた」と語ってくださいました。そして「それが反権力闘争の側にも立つということになった」と。
 今回のETV特集では、若かりし頃の金城さんの姿や活動を丁寧に追っていて、金城さんの当時の思いがとても理解できる番組になっていました。
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ETV特集
「沖縄を叫ぶ ~彫刻家・金城実~」
放送 2017年6月3日(土) 午後11時00分(60分)
再放送 2017年6月8日(木) 午前0時00分(60分)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259580/index.html
http://freeokinawa.hatenablog.com/entry/2017/06/02/114414
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(以下、観てから読んでね)
memo1
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■インタビューより『「沖縄には”かわいそう”という言葉はない「肝苦(ちむぐる)さん」という。この”肝苦さん”と”かわそう”という言葉はどこが違うのかということを分析すると、”かわいそう”というのは「かわいそう」と言う人間が「かわいそう」と言われる人間を上から見ているということなのだ。”肝苦さ(ちむぐりさ)”というのはそうではなくて、相手の苦しみの中に自分も溶け込んでいって、ともに苦しみを味わうというのが”肝苦さ”の意味になる。水平思考なのだ。あなたと私はともに苦しむ、苦しんでいるという・・・そこに、沖縄の言葉の”肝苦さ”がでてくるわけなんですよ。』
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 「ぼくは写真で世界とつながる」の沖縄ロケの際、金城さんのアトリエで「水平社宣言」を朗読したことを思い出した。この番組をみてあらためて「水平社宣言」を読みたくなった。その宣言の志の深さをあらためて思い知った。
http://www.asahi-net.or.jp/.../kiso/suiheisya_sengen.html
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■金城 実 著「神々の笑い」より『悲しみをのり越える方法のひとつに、肝苦さをくぐってきた者のみが勝ち得た「笑い」というのがある。わが念仏。わが沖縄。人類普遍の文化である「笑い」をたぐっていくと、屈辱の日々をなめつくし、肝苦さをかいくぐってきた者たちが、限りなく、にんげんの優しさというやつに近づこうとしてはじかれていく。くるりと向きを変えた笑いが毒気をおびて逆転を狙う。まさにそのときである。にんげんに誇りが見えてくる。』
そしてインタビューが続く『だから「泣くなよ沖縄」と言うんだよ俺はいつも、抵抗の遺伝子は進化する、だから泣くなと。俺が死んでも必ず次のこどもたちが「抵抗の遺伝子」を受け継いでいく。』
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memo2
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日本国憲法
The Constitution of Japan
第二章 戦争の放棄
CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
第九条 Article 9.
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.



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02:39
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Nao WatanabeさんはHa Fkさん、澤口真弥さんと一緒にいます。

2019年7月16日 ·

朝各々起き出して朝食を頂いた後、知花昌一さんの民宿からチビチリガマまで知花さんに案内頂き、2年前に子供たちに荒らされた以降、入ることは禁じられているようなのですが、洞窟の中に案内頂いた。子供達の保護観察の役目を金城実さんがして、子供達に地蔵を作らせて奉納させたものも見せて頂きました。この事だけでも重いテーマでありましたが、この夏の暑いさなか、やはり74年前の暑い沖縄で知花さんに強制自決の話を現地で、しかも遺留品を目の前にして暗闇の鍾乳石が今にも伸びつつある洞窟の奥で聞くことになるとは!!本土決戦に備えての沖縄の本土からの差別の歴史と臣民教育の結果、天皇中心主義のもたらした戦争の悲劇💧。この事は私達戦後20年以上経て生まれた世代が具体的なイメージを今からでも持っておく必要があると、切に思いました!当事者である皆さんの経験は忘れていいのだと思います。その経験を私達に伝えてすっかり忘れて下さい。余りに辛すぎます。そんな特別な体験をさせてくれた知花さんに感謝です。その後昨夜一緒にお酒を飲んだその男金城実さんのアトリエにお邪魔しました。大阪の被差別部落の話を聞かせてくれました。水平社宣言を書いた沖縄出身の斎藤万吉に付いて、(いたわる)労るという字が水平社宣言にしか使われていない造字をしていると言う話、それが導入部で色々あり、それから大阪の定時制高校の教師時代の話〜凄い話が2時間続きました!!ん沖縄は今は居なくなったゴールデン街の熱い人の感じの人達が、いる島です!!


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    2022/12/04(日)14:00~16:00 開場は13:30~
会場:京都府部落解放センター、京都市北区小山下総町5-1 最寄り駅:地下鉄「鞍馬口」駅下車 北へ約5分
集会名: 全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する会

主催 : 全国水平社創立水平社宣言文の琉球語訳を披露する会実行委員会/委員長:丹羽雅雄弁護士
事務局 : 川瀬俊治、崎浜盛喜、宇多滋樹、馬出昭浩 
記録 : 北口学
後援 : 部落解放同盟京都府連合会


部落解放同盟京都府連合会
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2022.12.02

彫刻家・金城実さんの全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する京都集会


=彫刻家の金城実さんが「全国水平社創立宣言」の琉球語に訳す!=

全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する会
現在、「琉球遺骨返還請求訴訟」の原告として、京都大学に対して、「沖縄の墓から盗掘した遺骨を、元の墓に還してほしい」と大阪高裁控訴審で闘っている彫刻家の金城実さんが、この一年をかけて「全国水平社創立宣言」(以下。水平社宣言)の琉球語訳を完成させました。
金城さんは、沖縄県の浜比嘉島で生まれ育ち、高校からは沖縄島にわたりました。浜比嘉島では古来以来の琉球語が使われており、高校から、大学へと進むなかで、ヤマト言葉がわからず、大変なご苦労をされました。しかし、金城さんにとって琉球語は、ものの考え方、表現の源(みなもと)であり続けてきました。
大阪での夜間中学などの教員生活のなかで、部落解放運動に出会い、水平社宣言を知った金城さんは、「この宣言がなぜ教科書に載らないのか」と、解放運動側にも取り組みを求めるまでしてきました。
1993年に沖縄県の読谷村に移った金城さんは、「沖縄で部落解放運動の精神を伝えたい」と、自らを形作った琉球語、それも浜比嘉島で使われた琉球語訳に取り組んでこられました。それは、琉球・沖縄の言語回復の営みであり、金城さん自身の原点を確かめる営みにもなりました。
10か月間の作業を終えて、100年前の1922年3月3日、全国水平社創立大会が開かれた京都市で、水平社宣言の琉球語訳を披露する会を開くことになりました。
披露する会では、水平社宣言の起草者である西光万吉さん生誕の地である奈良県御所市の西光寺で琉球語を読み上げたことの報告と、なぜ水平社宣言の訳に取り組んだのかについて話されます。
また、西光寺での模様を記録した動画も上映します。
ご多忙の事と存じますが、是非とも、「披露する会」に、お越し下さるようお願い申し上げます。

(記)
集会名: 全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する会
日時: 2022年12月4日(日)午後2時から4時 開場は午後1時30分
会場:京都府部落解放センター 京都市北区小山下総町5-1
最寄り駅:地下鉄「鞍馬口」駅下車 北へ約5分
会費: 500円+カンパ
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人民新聞.COM
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12月4日(日) 13:30開場 14:00~16:」00
会場: 京都府部落解放センター(京都市北区小山下総町5-1)
会費: 500円+カンパ
主催:全国水平社創立水平社宣言文の琉球語訳を披露する会実行委員会/委員長:丹羽雅雄弁護士
事務局:川瀬俊治、崎浜盛喜、宇多滋樹、馬出昭浩 記録:北口学
後援:部落解放同盟京都府連合会
連絡TEL090- 8234- 0077(事務局) 090 -5166-1251(寺田)


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北ぐち 大阪

2022年11月2日 ·

「ご案内 彫刻家金城実さん「全国水平社創立宣言の琉球語訳」の会
 彫刻家の金城実さんがこの一年かけて全国水平社創立宣言(以下。水平社宣言)の琉球語訳を完成させました。
 金城さんは、沖縄県浜比嘉島で生まれ育ち、高校から沖縄島にわたりました。浜比嘉島では古来以来の琉球語が使われており、高校から、大学へと進むなかで、ヤマト言葉がわからず、大変なご苦労をされた。しかし、金城さんにとっては。琉球語は、ものの考え方、表現の源(みなもと)であり続けてきました。
 大阪で夜間中学などの教師生活のなかで、部落解放運動運動に出会い、水平社宣言を知り、「この宣言が教科書に載らないのか」と、運動側に取り組みを求めるまでしてきました。
 1993年に沖縄県読谷村に移ったのですが、「沖縄で部落解放運動の精神を伝えたい」と、自らを形作った琉球語、それも浜比嘉島で使われた琉球語訳に取り組んできました。それは、琉球・沖縄の言語回復の営みであり、金城さん自身の原点を確かめる営みにもなりました。
 10か月間の作業を終えて、100年前の1922年3月3日、全国水平社創立大会が開かれた京都市で、水平社宣言の琉球語訳を披露する会を開くことになりました。金城実さんが沖縄から西光寺に赴き琉球語を読み上げます。また、なぜ水平社宣言の訳に取り組んだのかなど話します。
全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する会
日時 2022年12月4日午後2時から4時
会場 京都市北区小山下総町5-1 京都府部落解放センター
会費 会費500円➕ガンパ
主催 全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する会実行委員会
 委員長 丹羽雅雄弁護士
 事務局 川瀬俊治、崎浜盛喜、宇多滋樹、馬出昭浩
  記録 北口学
後援 部落解放同盟京都府連合会
  問い合わせ 090 8234 0077、
090 8234.0077(事務局)

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14:00
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かのうよしえ ものめいきんぐ
2022年12月4日 ·
全国水平社創立宣言の琉球語訳を披露する京都集会
沖縄から金城実さん来られています。
始まります。

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北ぐち 大阪

2022年12月5日 ·

昨日、京都解放センターで開催されました「水平社宣言 琉球語翻訳 披露会」は、昨日の奈良西光寺での「水平社発祥の地」での披露会に続き、水平社設立された京都の地で盛大に開催されました。
 内容は「水平社宣言琉球語翻訳」の詳細な解説をされた奈良西光寺と一転し、私が撮影した西光寺の昨日の様子を映像で簡単にご覧頂き、時間の大部分を予定変更し、金城さんの語りに振り分けました。始まった厳しい琉球差別や、多様な取り組みや金城実さんの人生、ほとばしる怒りや熱に満ちた独演会、金城節炸裂の時間オーバーの大興奮イベントとなりました。
 両方とも参加させて頂きありがたい事でございます。
 打ち上げ、交流会で素晴らしい方々との出会いは、信じられない程の宝物になりそうです。
 3次会は八文字屋。
 4次会はろくでなし。ここでちょっとしたハプニングも、大事なく、安心。4次会には最終電車に乗るため不参加、早退させて頂きましたが、誰しもが本日の金城節の興奮さめやらぬといったご様子。朝5時までコースだそうです。諸先輩はめちゃくちゃパワフルでございます。それは金城実さんから頂いたパワーが、皆さんの日夜の苦闘からリフレッシュ、爆発の様相。
 そのくらいパワフルで皆を奮い立たせた金城実独演会の内容は素晴らしかった。

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天皇制の強化を許さない京都実行委員会
2023年2月12日 ·
金城実さんの水平社宣言の琉球語訳のパネルは京都府部落解放センターの2階ロビーに常時展示されています




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