→ 人物図鑑詳細情報 神原元弁護士 2016



   



2016/02/29(月)23:10~
韓国のMBCで放送されるドキュメンタリー
MBCドキュメンタリースペシャル<三一節特集>「日本のもう一つの顔、カウンター行動隊、男組」
「日本のもう一つの顔、カウンター行動隊、男組」

企画:キム・ジンマン
演出:イ・イラ(李一河)
作家:イ・ミジョン

高橋直輝(男組組長)
神原元(市民運動弁護士)
辛淑玉(在日韓国人市民運動家)

三一節とは、当時日本の植民地支配下に置かれていた朝鮮で1919年3月1日に起こった独立運動を記念する、数々ある韓国の祝日の中でも最も大切な日の一つ。



https://togetter.com/li/942323
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MBCドキュメンタリースペシャル<三一節特集>「日本のもう一つの顔、カウンター行動隊、男組」ダイジェスト(2016/2/24)
@yoox5135さんが連読ツイートした「MBCドキュメンタリースペシャル<三一節特集>「日本のもう一つの顔、カウンター行動隊、男組」2016/2/29放送予定の内容をまとめました。

ドキュメンタリーのテーマのため、以下のまとめや予告編映像などにはヘイトスピーチが含まれますので、閲覧の際にはご注意ください。

※本題と関係ない話題やデマなどをコメント欄に書き込んだ場合、まとめ主の判断で削除することがあります。

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2016/03/31



23:23

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第69期司法修習生7月集会
2016年4月7日 ·
【分科会:ヘイトスピーチ】
3月31日、ヘイトスピーチ企画の実行委員二名で、武蔵小杉合同法律事務所の神原元先生にインタビューしてきました。
神原先生は、「ヘイトスピーチに抗する人びと」というヘイトスピーチ問題に対する本を執筆なさるなど、ヘイトスピーチ問題に取り組む弁護士として著名な先生です。
インタビューの内容は、大阪市のヘイトスピーチを規制する条例が制定されたことによる関東方面での影響、ヘイトスピーチによる被害をなくすために弁護士としてできること、ヘイトスピーチを規制する法律の立法化に関するご意見などです。
神原先生には、地元の人々によるカウンター活動とSNSなどで各地から集まった人々によるカウンター活動の有効性の違いなど、現場での活動を通して感じたことをお話いただきました。
また、アメリカと日本の歴史的・文化的背景の違いから、表現の自由の規制についてアメリカの理論を容易に持ち出すことの不適切さといった、他国の法律や歴史的文化的背景との比較を踏まえたお話もしていただきました。
そして、SNSでのヘイトスピーチについて行政上や民事上の法的手段を採ることができるようになったとしても、その投稿者を特定するための情報収集能力やコストの面で一個人が行うのは難しいため捜査機関が捜査を行えるようにすべきなど、実務家ならではのご意見もいただきました。
(参加者の感想)
ヘイトスピーチのデモに対するカウンター活動をされている方が、カウンターを阻む「警官の壁」というものがあると言っていました。実際に私が銀座のヘイトスピーチデモを見に行った際にも、警官が過剰にカウンターを規制しているような違和感を覚えました。
神原先生は、弁護士がヘイトスピーチをなくしていくためできることは、まずは、カウンターの方々を不当な逮捕から守ることができるよう、ヘイトスピーチのデモの現場に弁護士として腕章をつけて行くことだとおっしゃっていました。ヘイトスピーチのデモは、現行法上許可されているために警官によって保護されています。ヘイトスピーチを法律で規制できるようになるには、まだ議論が尽くされていない部分もあり、今後時間がかかると思います。しかし、そうしている間にも、直接的な差別の言動に心を痛めている当事者の方々がいます。そうした方々のためにも、カウンター活動を保護する「弁護士の壁」が必要なのだと感じました。
(参加者の感想)
神原先生に、弁護士としてできる活動として、現場で知った実情を国連の人種差別撤廃委員会に報告して政府に勧告してもらうことや、マスコミに報道してもらって世論を動かし、裁判所の判断にも影響を与え、裁判の外と中の両方で戦う「大衆的裁判闘争」という手法があるというお話をしていただきました。
弁護士が現場で知った、埋もれている人権侵害を明らかにし、世論を変えていく、という活動の大切さを痛感しました。
私も7月集会で一人でも多くの方にヘイトスピーチの現状をよりリアルに知っていただけるように頑張ろうと思いました。






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21:07
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辛 淑玉


2016年9月10日 ·


【関係各位へ】
2014年末に起きた傷害事件とその後のネットの騒ぎについて
 今年の春頃、私がこの事件の加害者3名宛てに書いた手紙が、私の了解を得ることなくネットに流されました。そして、その手紙に書かれていたことを「証拠」として、李信恵さんに対する異常なまでの攻撃が始まりました。
 まず、私は、Twitterを始めとするネットの中で何が起きているのか、逐一追うことはできません。今でも全容は把握できていないと言わざるを得ません。
 この事件に関して様々な方が見解を述べていますが、私は、誰に対して何を伝えなければならないのか、整理ができませんでした。また、様々な制約もあり、コメントを出す機会を逸しました。
 その間、渦中に置かれていた李信恵さんは苦しんだことと思います。どれほど絶望的な思いで過ごしたことでしょう。
 本当に、ごめんなさい。
 私にとって、問題は、私の手紙が私の知らないうちにネットに持ち出されたことに尽きます。
 私が被害者に初めて会ったのは、事件後のことです。被害者の友人Kさん(私は被害者とKさんの関係については何も知りません)から連絡があり、まずKさんと連絡を取り、ついで被害者から写真とテープを頂き、それに基いて手紙を書きました。そして、被害者に手紙を見せ、被害者が望まない箇所は削除し、その了解を得た上で関係者に送りました。
 この手紙を持っているのは、事件に関わったとされる5名と被害者1名、双方の弁護士、それと、この事件を知らせてくれたKさんだけのはずです。
 当初、被害者とKさんは、このことが外に漏れることを非常に心配していました。「大変なことになる」というのが口癖でした。彼らの、問題を解決したいという思いが強く感じられたからこそ、私は手紙を書こうと決心しました。
 しかし、今年に入って、関係者ではないのに私の手紙を見たという人たちに出会いました。どこからか出回っていたのです。
 次は、手紙がネットに流されました。それを有料のコラムで紹介した人もいると聞いて、私信をネットに流すだけでも非常識なのに、それで小銭を稼ぐという行為には耳を疑いました。
 被害者とKさんが私に言っていたことは何だったのだろうと混乱しました。
 あの手紙を出した後、加害当事者であるLさんや関係者に会い、あの日起きたことの別の一面を知ることになりました。
 それは、被害者側から聞いた話とは相容れないものでした。
 私がLさんに会ってまず思ったのは、「こんなにちっちゃい子だったんだ」ということでした。あんなに体格のいい被害者を、どうやって殴ったのだろうかと。事件に至るいきさつはいろいろとあったようですが、それは私の知らないことなので、そこに関してはコメントできません。
 あの手紙に書いた内容の中で、決定的に間違っていたのは次の点です。
 事件当夜の飲み会は李信恵さんの裁判関係の流れで予定されていたのですが、その途中で知人の訃報が入り、飲み直そうということで現場となった店に移動したこと、また、みんな悲しみに沈んでいたので、店の外で行われていることには、全く関心が行かなかったということです。
 そして、私が恐怖を覚えたあの「笑い声」は、その場を何とか明るく盛り上げようと必死になっていた李信恵さんの声だったのです。
 音声だけから状況を判断するのがどれほど危ないことか、私は思い知りました。
 多くの方は、加害者側は反省も謝罪もしていないと考えているようですが、裁判所が勧めた和解を被害者が拒絶して告訴した結果、刑事事件となりました。
 私は、解決方法は被害者が決めるべきだと思っていたので、その決断を重く受け止めました。
 しかしその結果、加害者のLさんは仕事も辞めざるを得なくなり、家も引き払い、罰金に弁護士費用も加わるなど、Lさんが彼の人生で受けた制裁は十分に重かったと言えます。今度は、これに民事訴訟が加わります。
 そして、そのLさんのことを心配した李信恵さんが、30数箇所を自傷して血だらけになった自分の写真を送り、「代わりに死んであげたから、死なないで」と言ったことなど、ネットで楽しく叩いている人たちには、想像もつかないことでしょう。
 彼女はそれ以前から、在特会や保守速報との訴訟によるストレスで、身体はボロボロの状態でした。かつて、私は彼女の周囲の人に、裁判はもうやめたらどうかと言ったことすらあります。もう十分だろうと。
 この事件について「正義」を唱え、楽しんでいる人たちは、いったい何がしたいのでしょうか。
 一年半以上も前のことを、まるで今起きたかのように騒ぎ、事件の全体像もその後の経過も知らないのに、ネット上で尋問でもするかのような問い詰め方をし、しかも、自分にはそうすることが許されているのだと思っている。その傲慢さを恐ろしく感じます。生意気な女は叩いてもいい、目障りだから思い知らせてやろう、とでもいうかのようです。
 そして、被害者とその友人Kさんが望んだ「解決」とは何だったのかと考えざるを得ません。
 少なくとも、限られた情報しかなかった初期の段階で書いた私信を、私の許可なく世に出したことからは、彼らがやりたかったのは解決ではなく、復讐だったのだろうと思わざるを得なくなりました。
 そして、マイノリティがマジョリティを叩いたら、報復として何十倍もの血を求められること、その暴力はとりわけ女に向かうということを、あらためて思い知らされました。まして、それを扇動している人たちの中に在日の男たちがいることには、吐き気すら覚えます。
 一方的な情報だけに基いてあの手紙を書いたことは、悔やんでも悔やみきれません。そして、それがネットに公開され、マスコミにまで渡されることを想像できなかった私の責任は重いです。本当に申し訳ありません。
                      2016年9月10日
                          辛淑玉




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21:36
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伊藤 大介

2016年9月10日 ·

辛淑玉さんが出したあの手紙を見て、笑いながら宴を続けたという文面には本当に傷ついた。
でも、仲間がそれで救われるならと飲み込んだ。
今回の声明を出す事は辛淑玉さんにとっても覚悟が必要だし、またこれで不当に叩かれる材料となってしまうだろう。
しかし真実はいつか明らかになるし、何もかも明らかにするべきだと私は当初から繰り返し言っていた。
辛淑玉さんお疲れ様です。


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22:10
伊藤 大介
その時の訃報は私の友達の自殺。
救えなかった自分を悔やんで泣いた。みんなが献杯してくれた。リンダさんは、私の責任じゃないと慰めてくれていた。リンダさんにも紹介した友達だった。「笑いながらの宴」などではなかった。


23:43

神原 元
真実は必ず明らかになるし、裁判は被告側が圧勝するよ。もう我慢する時期は終わった。闘いましょう!


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 佐藤 剛裕


清水 義巳


マツモト エイイチ

山本 匠一郎


Cat House


Ikuo Gonoï


鈴木 伸哉


中沢 けい


李 信恵


和田 彰二


Youngse Kim


吉田 尚史


青木竜馬


Emiko Okada

Ken-nye Koporoff


神原 元


Bohyong Lee

人見 知子


野間 易通


長尾 太

川口泰司


矢野 百合子


呉 光現

井上 雅文






   



23:21
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神原 元

2016年9月10日 ·

結論だけ短く言う。辛淑玉さんも、李信恵さんも、何一つ悪くない。悪いのは、事件を利用して、売名を図ったり、金を集めたりしている、魑魅魍魎のような連中だ。裁判の過程でその事が露になり、裁判は被告側が圧勝するだろう。


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10:53

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伊藤 大介
2016年9月13日 ·
妄想が膨らんで勝手な物語を作ってしまう現象がネット上で多発しているようですが、ちょくちょく会って飯食ったりしてるし今もエル金さんと話したよ。周りの仲間はみんなエル金さんの現住所知ってるし。昨日現住所がわかってなかったのは室井側弁護士の怠慢だからね。金集めて裁判やってるんだから当月の住民票くらい取れよと。


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2016/09/13 19:23
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Ken-nye Koporoff
妄想スキル高すぎる人にちょっとビックリしました。笑

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2016/09/13 20:23

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伊藤 大介
ですよね笑

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川口泰司
野間 易通
李 信恵
井上 雅文
鈴木 伸哉
赤木 壮吉
小泉 兵義
Ken-nye Koporoff
Tkhr Ikgm
Ikuo Gonoï
渡辺雅之
金 明秀
Katsufumi Lee
石野 雅之
風間 あまね
砂布 均
植田 祐介
Emiko Okada
金 明和
Nobuhide Sakurai
大島清
Hiroshi Shirakawa
マツモト エイイチ
山口 雄一
シャドウ マウンテン
鍵田 いずみ
Hide Tachi
Sangnam Shin
久保 憲司
長島 結
山崎 洋
河上 隆昭
あぶなが けんいち
荒川 明
神原 元
小笠原 陶子
谷藤 律子
緒丹 ゆり


   
   
2016/11/12(土)午後2~4時
四ツ谷のニコラ・バレ修道院105号室
難キ連(難民・移住労働者問題キリスト教連絡会)のセミナー

講師:渡辺英俊 元日本基督教団なか伝道所牧師
        移住者と連帯するネットワーク副代表理事・
        カラバオの会共同代表・難キ連運営委員


神原元弁護士が資料提供で協力




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イエズス会社会司牧センター(Jesuit Social Center Tokyo)
2016年10月26日 ·
【11/12(土)午後2時~ 難キ連セミナー@四ツ谷】
11月12日(土)午後2~4時に、四ツ谷のニコラ・バレ修道院105号室で行われる難キ連(難民・移住労働者問題キリスト教連絡会)のセミナーのご案内です。
※要事前申込みです。
=======以下、転載=======
<難キ連セミナーのお知らせ>
「移住者・難民支援の30年 ──私の歩いた道」
日時:2016年11月12日土曜日 午後2時ー4時
会場:幼きイエス会 ニコラバレ105号室
   JR四ツ谷駅 麹町口 徒歩1分
講師:渡辺英俊 元日本基督教団なか伝道所牧師
        移住者と連帯するネットワーク副代表理事・
        カラバオの会共同代表・難キ連運営委員
 30年余りの渡辺先生の支援活動ご経験から外国人労働者支援、難民支援の在り方を学ぶセミナーです。
 横浜寿地区なか伝道所の牧会はもとより、長く東京女子大学等でも教鞭をとられ、2年余りにわたるマッサンバさんの難民申請不認定の取り消しを求める裁判においては、難民認定義務付けという画期的な勝訴判決を得ました。これはひとえに渡辺先生、神原元(はじめ)弁護士の丹念な資料準備提出が勝訴に導いたものです。笑顔を絶やさない温厚なお人柄のご指導で多くの後進を輩出、これまでの支援活動現場でのご経験を、先生を囲んで拝聴いたします。 
 これまでのセミナーとは少し趣向を変えて、コーヒー、紅茶、お菓子をいただきながら先生のご講演を拝聴し、忌憚のない質疑応答の時間を設けたいと考えております。
 多民族多文化共生社会が真に居心地の良いものとするためには?私たちはどうあるべきか 渡辺先生を囲んで語り合い考える、その様な土曜の午後をすごしませんか?
 どなたでもお気軽にどうぞご参加ください。
資料代:500円(茶菓代 含む)
準備の都合上 事前申し込みください(先着25名)
主催:<難キ連>難民・移住労働者問題キリスト教連絡会
お問い合わせは 03-5826-4915、090-6012-8252 事務局長佐藤まで。
http://members3.jcom.home.ne.jp/nankirensato/index.html


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2016年12月14日 16時15分〜18時
参議院議員会館

東京訴訟報告集会

植村隆
神原元・弁護士(東京訴訟弁護団事務局長)
崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ

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植村応援隊
2016年12月16日 ·
東京訴訟報告集会(2016年12月14日 16時15分〜18時@参議院議員会館)
神原弁護士の「裁判のこれまでの到達点と今後の焦点」、植村さんの近況報告、参加者のおひとり崔江以子さんからの挨拶をご紹介します(支える会のブログから抜粋)
◎神原元・弁護士(東京訴訟弁護団事務局長)
▼この裁判で訴えているのは名誉毀損です。名誉毀損とは、その人の社会的評価を低下させる行為、とりわけ「あいつは噓つきだ」「犯罪を犯した」と事実だとあげて社会的評価を低下させる行為です。他方、植村さんが受けた被害はそれだけではない。大学にたくさんの嫌がらせのメールやファクスが来る。娘さんの写真がネットにさらされ誹謗中傷される。学生を痛めつけると脅迫状が送りつけられるという被害です。これは犯罪行為であり、社会的評価を下げるわけではないが、文藝春秋は「それはうちのやったことではない。因果関係がない」といっている。
▼こういうやり方、攻撃は非常に増えています。私は在特会との訴訟もやっているが、「電凸」というのがある。電話突撃の略称で、プライバシーをネットでさらして嫌がらせを集中させ、その人を社会的に葬るというやり方です。「電凸」とか「炎上」とか「燃料投下」ともいう。彼らは「言論活動だ」「抗議活動だ」「因果関係はない」と言う。文藝春秋の手口もよく似ている。慰安婦問題を議論しましょう、と言いながら、20何年か前に朝日で記事を書いた記者がいまどこに勤めているか、を書く必要があるのか。個人を社会的に抹殺するために有効なのは勤務先を攻撃することなのです。確信を持っている本人は、攻撃しても痛めつけられない。そこで、職場を攻撃し、家族を攻撃する。そうやって本人を痛めつける。
▼きょうの弁論では、名誉毀損とは別に、「平穏な生活に対する侵害である」という理論構成を主張しました。これは、提訴当時から弁護団内部で議論をしてことですが、きょう初めてクリアにして主張をしました。裁判例では、平穏な生活の侵害であるといろんなことを取り込んでいますが、わかりやすいのは空港の騒音被害、あるいは工場による粉じん被害。犬の鳴き声とかピアノの音とか、近くに葬儀場ができたとかというのも、平穏な生活の侵害だとしている。植村さんへの攻撃がこれにあたらないわけがない。
▼もうひとつ新たに主張したのは、共同不法行為です。大学に対してファクスやメールで嫌がらせしたり脅迫状を送るのは不法行為であり、文春の記事も不法行為であり、この二つは共同不法行為であるという主張です。共同不法行為は裁判ではかなり広く認められていて、あっちの工場とこっちの工場の煙突からそれぞれ煙が出た、どっちの煙で被害を受けたか分からない、そんなときにどっちの責任も認める。刑法の共犯よりも幅広く認める。本件でのメールやファクスはみな文春の記事を引用している。文春の記事が出たとたんにメールやファクスが殺到したのだから、共同不法行為を構成するとして文春に責任を負わせる。責任がないというわけにはいかないでしょう。
▼準備書面はこちらが毎回50ページから80ページのものを提出しているが、向こうは5ページから10ページで、やる気がない。これまでの到達点として申し上げると、「捏造記者ではない」との論証は尽きている。さらに「生活への侵害」という主張も始めており、これも主張としては完成しつつある段階です。この共同不法行為を中心とした法律理論は、大学の先生に意見書をお願いした。これが認められるとほかにも応用が利く理屈、理論になるので、新たな判例を作るくらいの勢いでしっかり論証したい。
◎崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さん
▼川崎の桜本からまいりました。先日、ほかのシンポジウムで今日の会のことを知り、お礼を伝えたいと思ってまいりました。私がたたかっているヘイトスピーチと、植村さんのたたかいは、いわれなき被害に遭っているという点では同じです。植村さんのたたかいから勇気をいただいていたので、お礼を伝えたいと思っていました。
▼私の暮らす桜本では2013年から13回、ヘイトデモが行われました。参加者が、「ゴキブリ、たたき出せ、死ね、殺せ」といってデモをする。大変おそろしくて、ずっと回避していた。ところが昨年11月、私たちの暮らす桜本に来るという予告がありました。桜本でともに暮らすという共生の町を破壊する行為だということで、路上に立ちました。大変つらい、ひどい思いをしました。中学生の息子の前で「死ね、殺せ」といわれました。息子は、母親が大人から死ね、殺せといわれて、それを警察から守ってもらえない、という体験をしました。行政機関に対応を訴えました。ところが行政は、根拠法がないから具体的な対策を講じられない、と助けてくれませんでした。
▼死ね、死ね、とあまりいわれると、生きるのをあきらめたくなってしまうことがあります。息を吸って暮らしていることをあまりに攻撃されると、そうなのかと思ってしまう。このままでは、在日1世のこれまで苦労をしていまようやく豊かな生を送っているハルモニを、そして子どもたちを、守れない。神原先生に代理人になってもらって国に人権侵害の申告をしました。国会に参考人として呼ばれました。被害を語り届けました。その思いが届き、国会議員が桜本にやって来ました。この町での大変な人権侵害を現場で聞き、何とかしなければと言うことになって、法律ができました。
▼法律ができたことで、川崎市長はヘイトデモに対して公園使用を不許可としました。その法律を根拠に、裁判所で仮処分決定が出た。法律の実効性が示され、司法や行政判断でヘイトデモから守られました。ところが被害を訴えた結果、ネット上でたくさんの攻撃を受けました。先週末、ネットで私の名を検索したら110万件とヒットした。ネット上の攻撃で、1件1件しっかり傷つきました。子どもは写真を用いられ、名前をさらされ、中学校名もさらされ、異常な攻撃をうけました。日本から出て行けとか民族のルーツを否定するような。ツイッター、ユーチューブ。ネット社会で彼の学校のみなが知る。ネットでどんどん拡散します。
▼ネットのヘイトに対しては、しかたがないとか見ないほうがいいとかどうにもならないという考え方がありました。そんな苦しい夏のとき、うれしいニュースがあった。植村さんの娘さんの裁判の勝利でした。娘さんが裁判でたたかって、2年費やして勝った。娘さんのコメントに「ネット上の闇のなかの希望になりたい」とありました。娘さんの裁判の勝利に勇気づけられ、勇気をもらって、法務局に人権侵犯の申告をしました、行政機関に助けてくださいと、ネット上で人権侵害を受けていると。法務局がインターネットの運営会社に削除要請し、削除されました。
▼被害を受けて、たたかいのステージに立ち、負けないというのは厳しい。でも、当事者が負けない社会がある。その社会を支えるみなさんがいる。植村さんのことをシンポジウムで聞いたとき、植村さんが攻撃を受け、大学で守る会の活動が始まり声を発するまでの孤独や孤立、厳しい日々を思い、想像し、胸が張り裂けそうでした。私も負けないことで支えたい。植村さんは司法で、私たちは行政できちんと勝って、声をあげたものが負けないんだということを示して喜び合えることを信じて、たたかいたいと思います。
◎植村隆さん
▼きょうは、ことしこれまでに私がやってきたことを中心にお話しします。
きのう夕方、大学で「東アジアの平和と文化」という講義を終え、午後11時発の最終の飛行機で羽田に着きました。ベンチで休むわけにもいかないのでカプセルホテルに泊まり、きょうは朝からこの集会用にパワポでレジュメをつくっていましたが、最後のスイッチを押したところで全部消えてしまった。神様が「植村、調子に乗るな」ということだと勝手に解釈しました。大きな被害でしたが、なんとか復旧しました。
▼岩波書店から2月に出した「真実 私は捏造記者ではない」は韓国で翻訳本も出ました。韓国では私を捏造記者という人はおらず、むしろ「韓国人の代わりにやってくれて申し訳ない」と言われます。韓国で本が出たことで、多数のメディアが報道してくれました。ジャーナリズムスクールの学生の取材、「支える会」のブログの紹介、 「時事IN」というサイト、そしてテレビニュース、週刊雑誌「スクープ」。いろんなメディアが好意的に伝えてくれました。地方の大学の学生が来て、研究室でインタビューしていったこともあります。
▼どこに行っても歓迎されています。聖公会大学という大学で、学生がシンポジウムを開いて私を呼んでくれた。老若男女に呼ばれ、学生、社会人、研究者、さまざまな人が声をかけてくれている。市役所職員に講演をする予定もあります。大学での授業は、東アジアの平和と文化をテーマとしています。金大中氏の生涯、南北交流、南北共同宣言、そして詩人尹東柱。日本留学中に投獄され亡くなった悲劇の詩人の詩を読む。それと布施辰治さん。戦前の人権派弁護士で朝鮮人のためたたかった弁護士、自由法曹団のルーツを作った人です。この人が植民地時代に迫害を受けた人の弁護のために朝鮮まで行ったドキュメンタリー映画を見せたりもしています。いま日韓関係で日本の歴史認識問題がいわれて、日本からの留学生は元気をなくしている。しかし布施辰治のような日本人がいたことを話すと、日本人学生は元気になるのです。 
▼しかし、教えるということは、学生たちからいろんなことを教わるということでもあります。いま、スマホを2つ使っています。ガラケーを日本で使っていて、韓国では使っていなかった。スマホは電話を受けるだけに使っていた。そうしたら、学生がそれじゃダメだ、と。それでいろいろいじってくれて、世界中のネットラジオが聴けるようにしてくれたり、スマホで写真をとってネットで送れるようになった。圧倒的に早い。スマホっていうのは電話じゃない。パソコンだということにやっと気づいた。スマホの二丁拳銃で私の発信力は高まりました。教えるということは学生から学ぶということです。
▼私は朝日新聞の記者になって5年目の1987年、韓国の延世大学に語学留学生として1年間派遣されました。人生で最良の時期でした。いろんな人と会って韓国語を学びました。87年は軍事政権から民主化へと大きく変わった年でした。民主化の柱は3つあった。1つは大統領を直接選ぶこと。17、8年間、朴正熙時代には直接選挙をやめていた。それを直接選挙にした。2つ目は言論の自由。3番目が金大中さんの権利回復でした。
▼その10年後、私は特派員として韓国に行っていた。そして、金大中さんに会い、金大中さんが大統領に当選した記事を書いた。日韓首脳会談で小渕さんが過去の植民地支配をわびて、未来志向の流れをつくった。金大中さんは日本の大衆文化を開放した。それまでは認められなかった日本の映画が入って、そこから韓国の映画が発展して冬ソナブームが起きた。そして、朴槿恵さん。当時、日本の記者で私が最初にインタビューしたと思う。父の娘だけでなく政治家としての彼女が問われている、と書いた。朴槿恵大統領はカリスマで人気があったが孤独な人です。父も母も暗殺され、人を信じない。しかしいま、国政のかじ取りができなくなって、こうなっている。
▼毎週、ロウソクデモに行っています。国会前のデモの最前線、昔なら催涙弾が飛んできましたが、いま警察は、催涙弾も水鉄砲も撃てない。人々はロウソクの力だけで世の中を変えている。私は大変な現代史の現場に今、ジャーナリストとして立っています。出会いがあって、カトリック大に呼ばれて、また新たな出会いがあって、時代を見ることができる。いい機会を得たと思っています。カトリック大学は1年契約でしたが来年もやれということになり、来年も勤めることになりました。
来年は2017年、また7の年です。来年も忙しいですが、ぜひみなさんの力を借りてたたかい抜いていきたい。



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アジア女性資料センター Asia-Japan Women's Resource Center
2016年12月14日 ·
植村隆裁判の弁護団の神原弁護士が報告をしています。気に入らない主張をする者がいると「あの人間をやっつけろ!」という指令が一気に広まり、その者のプライバシーをさらし、勤務先を攻撃し、社会的に葬ろうとする動きが今、特に増えている。植村さんが受けた損害について網羅的に主張していくことになる、と話しています。



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