反日朝鮮半島系の人らはどこからきたのか? 人物図鑑と歴史 パスワード


どっかに消えてしまった金杉に捧げる


作者の意図を釈明します。


金杉は問題人物だけど。
韓国語、中国語ができて、韓国や中国や在日の歴史に詳しくって、在日業界の動向にも詳しいし、ある部分は論客なの。
ただ、問題言動も多い。
「他人様を精神病にする名人」とも批判されている。

大勢がタブーにしていたり、歪曲している部分を探り当ててツッコミをいれる名人でもある。陰謀論コミュとの親和性も高い。
1%の真相究明に、99%のデマ、歪曲を入れることで洗脳させる。



金杉の「しばき隊界隈が殺した」説には信ぴょう性なし。

以前に、男組の高橋(添田)の突然死の後、金杉が電話で「添田は、李信恵界隈に殺された」「次はエル金が殺される」「例の主水のICレコーダー録音で凡がおびえてたのは、李信恵に殺されるとわかってたから」

後で、にゃにゃこが電話で「伊藤大介さんに電話で説明を聞きましたよ。添田さんの突然死やその後の流れに疑問をなげかける方々が多いけど。それは、これこれ、こういう事情でしたよ。殺されたなんてデマです」


私がその後、相互フォロワーたちにDMで「男組添田暗殺説については、信じない方がいいみたい」と書いても、まだまだ疑う人々がいましたけどね。
「いくらなんでも唐突すぎるし。だって、しばき隊界隈って死者が多すぎる」「他の方々は、死ぬ前に前兆があったし。泥さんは癌で死ぬのを告知してから長いことかかってたし、死ぬ前は死相が出てたそうだし。ECDは死相が出てたし。ツネノも顔が赤黒くはれ上がってたし。死ぬ前は前兆が必ずあったし」ってまだまだ疑問に感じてたけど。

その後、エル金が殺されず、凡も殺られずに生き続けている。



李信恵の自伝や経歴や先祖のルーツの話の怪しさと、しばき隊界隈の死者の多さや男組元会長添田の突然死とをからめた金杉の陰謀論。

金杉の電話で。
「李信恵の自伝はおかしい」「在日や韓国に詳しい学者に検証してもらったけど、こんなもの絶対ありえん!って」
「父親も母親もあやしい」「在日業界の超大物で、在日業界は彼女に絶対服従だろう」
「済州島43事件被害者の神話と伝説の大物の金時鐘(キム・シジョン)が、自称慶尚道出身の彼女ととツーショット写真を撮られてアップされるなんてありえん。彼女は間違いなく、済州島の超大物のご令嬢で絶対にさからえんのやろ」
「父親は、金時鐘とコネのある超大物で神話と伝説の人物なんだろうな」
「母親のほうが、もっと業が深いと思う。在日業界が絶対逆らえん超大物なんだろうな」

金杉が電話で
「李信恵は超大物のご令嬢で。両親は、裏で暗殺部隊を率いてたんやろ。在日業界で次々と人を殺してたんやろうなあ」「添田は、李信恵のご両親の人脈に殺された」「次はエル金が殺される。次は凡だ」
私もこわくなって。


論理を鍛えろ。
李信恵の自伝での先祖のルーツは確かにあやしい。歪曲だらけでしょう。先祖の不幸、親族の不幸な死、餓死したとかなんとかを、日本のせいにするけど、その信ぴょう性も疑わしい。
それと、添田の突然死を、「李信恵界隈が殺した」説に一気にワープさせましたよ。


その後、将鼓さんが、「金杉と五条にデマをいいふらされた」ということで抗議をしてて。
「オスカーが『添田のスマホには、しばき隊界隈からの誹謗中傷が殺到してたので自殺に追い込まれた』って言ってた」というけど、オスカーが否定して。それから大騒動になって。
信ぴょう性なしで。


金杉も五条もツイアカ消して逃亡。
デマだらけってことで終わって。

その後、エル金も凡も生き続けているし。


在日業界の嘘、捏造だらけだけど。
不審死、突然死があると、今後は「暗殺された」説が出回るだろうけど。

論理の飛躍にならないように注意。

そのためにも、在日の歴史の捏造については検証し、批判していきますので。






       李信恵
1910年8月29日 韓国併合(かんこくへいごう、英: Japan's Annexation of Korea)とは、1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国[1]を併合した事実を指す。日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦とも表記される[2]。この後、日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。     
1910
 
     祖母「通名「:山花玉子」が慶尚道にて誕生。
(*●●●の母親側の母親)
1925年(?)
 
     祖母「通名「:山花玉子」が数え年16の時に生野区に来日。
(*数え年のため、正確な年号は不明)
1928年      鄭東泉(通名:鳥川龍男)生誕。
鳥川 鄭氏という本貫(名と性の混合)
1929


 
     金時鐘、(現在では北朝鮮側である)元山市で生まれた。その後、一家で済州島に移住。

1930年7月18日       ●●●の母「李福金(通名:山花智恵子)生誕。
P212
       
1941年12月12日  太平洋戦争(たいへいようせんそう、英: Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国や満州帝国、ドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた[1]。

日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。
   
1945年8月15日  日本、敗戦。




 連合軍管轄期(ko.wikipediaでは「군정기」)
1945年8月15日 - 第二次世界大戦で日本敗北。朝鮮半島の日本統治が終わり、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソ連が、同以南を米国が管轄)。

  日本敗戦

   

連合軍管轄期(ko.wikipediaでは「군정기」)


1945年9月6日 - 南側で、呂運亨らによって結成された「朝鮮建国準備委員会」、「朝鮮人民共和国」樹立を宣言。
   



   

連合軍管轄期(ko.wikipediaでは「군정기」)


1945年9月8日 - ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸。9日、朝鮮総督府、降伏文書調印。

   


       
   

連合軍管轄期(ko.wikipediaでは「군정기」)


1945年9月11日 - 米、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を宣布。



   

1946年10月1日


 


1945年10月 - 米、「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」を否定する。






 大邱10・1事件


朝鮮共産党で主導して9月の総ストライキを展開した時、大邱では前平指導部から9月23日から総ストライキに突入、10月1日までストライキとデモが続いた。[160] 10月1日、 大邱地域で労働団体が集まってメイデーイベントを開催した。パク・ホニョンは京城部に降りて、京城のメイデーイベントに出席、祝辞を朗読し、他地域のメイデーイベントでも彼の祝典が朗読された。しかし、メイデー行事は誰かの扇動により米軍政に対する抗挙と暴力事態に変質していった。10月1日の夕方、大邱市役所の前で飢餓対策の準備を要求するデモの途中、大邱監営近くで警察の発砲で民間の黄末龍、キム・ジョンテという労働者が銃に当たって死亡する事件が起きた。[160]事態が深刻になると、パク・ホニョンは武力デモを中断するよう促したし、不必要に米軍政を刺激してはならないと中断を促したが、事態は掴むことなく拡散され、警察官と行事参加者間の物理的な暴力事態で進行された。パク・ホニョンはすぐに京城部を離れて隠れた。


   
 1946年 11月23日、

1946年 11月23日、パク・ホニョンは南朝鮮労働党を創党、組織した。[162] 1946年7月、南北両側で左翼勢力の新版編成が始まった。旧ソ連軍政の指示のもと、北では北朝鮮共産党と朝鮮新民党を合わせて北朝鮮労働党(北路党)を、南では朝鮮共産党、朝鮮人民党、南朝鮮新民党などを集めて南朝鮮労働党(南路党)を結成する作業が密かに行われたのだ。 。北路党結成は順調に進行され、8月28日に創党されたが、南路党は米軍政の弾圧と3党間の利害関係で紆余曲折を経験した。[162]


 
   
 1947年10月



1947年 2月27日、 米軍政庁警務局長名義で「パク・ホニョン逮捕有功者に黄金120ドンコムを授与する」という賞金が掲げられた。パク・ホニョンは米軍政と右翼団体、親日派の攻撃を避けて各所に隠れていた。その後、パク・ホニョンはイ・スンマンですの南韓単独政府樹立に強く反発し、1947年 10月頃3.8選を越えて北朝鮮に渡った。


その後、パク・ホニョンが韓国には戻らなかったのは痛恨のミスであったという解釈がある。



 
   
 1948年4月3日

1954年9月21
済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[4]。

南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された[5]。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた[5]。 
   


連合軍管轄期


1948年4月3日 - 済州島四・三事件が起こり、多数の済州島民が日本に密入国する。
1948年 - 米ソ両国が、南北にそれぞれ自国の傀儡政権を立てる(8月15日に南側で「大韓民国」、9月9日に北側で「朝鮮民主主義人民共和国」樹立宣言)。尚、実際に大韓民国が樹立したのは1948年8月13日である。



高英哲(コ・ヨンチョル)、済州島四・三事件での虐殺事件から逃れるため、日本に避難する。


 1948年4月14日

1948年4月26日
 


阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)[1][2][3]は、GHQの指令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日韓国・朝鮮人[4]と日本共産党による民族教育闘争[5]で、日本国憲法下で唯一の非常事態宣言が布告された。朝鮮人学校事件[6]、大阪での事件は大阪朝鮮人騒擾事件[7]、また神戸での騒乱事件は神戸朝鮮人学校事件[8]とも呼ばれる(その他の呼称については本項で記す)。

大阪で当時16歳の金太一が警官隊の発砲で死去。また当時の朝鮮総連兵庫県本部委員長だった朴柱範が有罪判決を受け、神戸刑務所に服役。1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが、4時間後に死亡した[5]。 





阪神教育闘争。
李信恵の母は参加。

金時鐘は不参加。

高英哲(コ・ヨンチョル)は不明。

 1949      



1949年の初夏、金時鐘の父親がありったけの金を工面して、金時鐘だけを密航船にのせて日本に逃す手筈をととのえてくれた。済州島から密航船で日本の兵庫県の海岸に到着。




 1949年 6月7日



済州4・3事件を主導してきた、南朝鮮労働党の中心的な活動家、武装隊司令官、李徳九(イ・ドック)(1920年~1949年 6月7日)、韓国の済州島で、警察と交戦、射殺されることで武装隊は事実上潰滅した。


李徳九(イ・ドック)の死体は磔、さらしものにされた。




 
   
 1950年3月20日




金達三(金達三、1923年 8月4日~1950年 3月20日)は本名は李承晉(李承晉)であり、南朝鮮労働党済州道党軍事部長兼遊撃隊司令官として4・3事件を主導した。1948年8月に月北して最高人民会議代議員および主席団に選出され、北朝鮮の人民共和国創建に参加し、金日成から国旗勲章2級を受けた。[1] 1949年8月には遊撃隊員300人余りを率いて38選を浸透し、慶尚北道保県山一帯で大韓民国の転覆活動をしてから6.25戦争直前の1950年3月20日に国軍に射殺された。現在、北朝鮮の平壌愛国烈士陵に彼の墓碑が建てられている。


 
   
 1950年6月25日
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争[2][3][4][5]。1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東とソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した[6][7]。

分断国家朝鮮の両当事国、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。

終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されておらず、緊張状態は解消されていない。休戦以来、北朝鮮は幾度となく大韓民国への領空、領海侵犯のみならず砲撃をも行い、韓国や日本などの国民の拉致や恫喝を繰り返している。
 
   
 1950年11月20日

1950年11月27日
長田区役所襲撃事件(ながたくやくしょしゅうげきじけん)とは、1950年(昭和25年)11月20日から11月27日にかけて、兵庫県神戸市長田区で発生した在日朝鮮人による公安事件。

第一神戸事件(阪神教育事件)に続く、神戸で起きた第二の騒乱事件という意味から第二神戸事件ともいう。 
   
       
1951年12月1日  東成警察署襲撃事件(ひがしなりけいさつしょしゅうげきじけん)とは、1951年(昭和26年)12月1日に、大阪府大阪市東成区で発生した事件。     
 1951年10月18日
WIKIPEDIA

日野事件(ひのじけん)は、1951年(昭和26年)10月18日に、滋賀県蒲生郡日野町で発生した公安事件。
1951年10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。
国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。
そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された。
 
   
1951年12月16日  親子爆弾事件(おやこばくだんじけん)とは、1951年(昭和26年)12月16日に大阪府大阪市で発生した事件。在日朝鮮人によって、工場・民団襲撃、集団暴行などが起こされた。     
1951年12月18日   
伝聞情報
間違いか?

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1951年12月18日
滋賀県蒲生郡日野町(安土村・愛知郡愛知川・神崎郡能登川)を中心に朝鮮人デモ隊に威嚇射撃30発。2名命中し、5名逮捕。(祖国防衛委員会主催)

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WIKIPEDIAの「日野事件」とはかなり情報が違う。




   
1952年      ●●●の母と高英哲(コ・ヨンチョル)、が結婚。 


1952年6月24日

1952年6月25日
 吹田事件(すいたじけん)は、1952年6月24日(火曜日)から6月25日(水曜日)にかけて、大阪府吹田市・豊中市一帯で発生した吹田騒擾事件と、その裁判で起きた事件(吹田黙祷事件)の両方を指して吹田事件という。ただし吹田騒擾事件のみを指して吹田事件とする場合もあり、定まっていない。同年に起こった血のメーデー事件、大須事件と並んで三大騒擾事件の一つとされている。    吹田事件。
(金時鐘によると、高英哲(コ・ヨンチョル)、が吹田事件に参加している可能性は高い:金杉解釈)
(祖国防衛委員会主催)
*後に日本政府・韓国政府(KCIA)指名手配)

 なおKCIAは1961年、朴正𤋮(パク・チョンヒ)によるクーデター後に作られた機関である。
 
1953年
1月?
2月?


    金時鐘と高英哲(コ・ヨンチョル)、がサークル活動を通じ、密会。これが「チンダレ」に通じる。



高英哲(コ・ヨンチョル)の筆名は李述三、李逑三(イグサム)。






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二月七日に中西朝鮮小学校に集まったのは、
金時鐘のほか、
韓羅(ハンラ)、
権敬沢(クォンギョンテク)、
李逑三(イグサム)、
宋益俊(ソンイクチュン)、
朴実(パクシル)、
洪宗根(ホンヂュングン)(=洪允杓(ホンユンビョ)
の七人であった(

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コトバンク
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53年2月大阪の朝鮮詩人集団「ヂンダレ」(「朝鮮ツツジ」の意)を発足させる。同人誌『ヂンダレ』には梁石日(ヤンソギル)らも加わるが、56年頃から金時鐘は自分が関西地区青年文化書記長も務めていた朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に対し公然と批判を始めたため、同人が40~50人いた『ヂンダレ』が解散した後発足させた同人誌『カリオン』の同人は3人だった。



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1953年 8月3日
金日成による南路党派粛清作業で朴憲永(パク・ホニョン)を逮捕    
1954年9月21日

 
 済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[4]。

南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された[5]。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた[5]。 
   



1956年12月5日



 
 

南朝鮮労働党(南労党)の指導者として、韓国側から朝鮮戦争の開始に関わってきた朴 憲永(パク・ホニョンが、1953年に金日成に「米帝国主義のスパイ」罪に問われて処刑された。



   
1959年12月25日夜
 
    高英哲(コ・ヨンチョル)、逮捕。
1960年      高英哲(コ・ヨンチョル)、、長男、長女が帰国事業にて北朝鮮へ(*住所は平壌。生き別れ)
(*次男は日本にて待機)

 
1961年  大韓民国中央情報部(略称KCIA)は、朴正煕時代の韓国の情報機関である。
1961年、朴正煕によるクーデター成功の一ヵ月後に、大韓民国国軍の諜報機関であるCIC(Counter Intelligence Corps、対敵諜報部隊)のメンバーを中心に設立された。主要な任務は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)工作員の摘発であったが、軍政時代は反政府運動の取締りにも辣腕を発揮した。本部の所在地名から、通称「南山」と呼ばれ、韓国国民から恐れられた。 
   
1963年      鄭東泉(*2番目の父)と母親の白黒写真。
(コメント:お見合い期間が長すぎる)

 
1964


 
 大韓民国国軍のベトナム参戦。

1964年の第一次派兵から1966年の第四次派兵


1964年
5月9日 - ジョンソンアメリカ大統領が友好国25カ国に南ベトナムの支援を要請。
7月15日 - 南ベトナム首相、韓国軍の派兵を要請
7月31日 - 韓国国会が第1次派遣同意案を可決
9月12日 - 第1回派遣団サイゴン到着




南ベトナム政府の参戦要請と韓国側の軍事支援提案により、大韓民国国軍の派兵は1964年から始まり1966年まで行われた。軍事支援だけでなくインフラ支援といった非戦闘員の支援も行われたが、戦闘地域では大規模な戦争犯罪も起きた。

韓国軍からは4968人の戦死者、負傷者8004人を出した。
   


1965年
1月26日 - 韓国国会が第2次派遣同意案を可決
3月16日 - 建設支援団(鳩部隊)サイゴン到着
8月13日 - 国会第3次派遣(戦闘部隊)動き可決
10月14日 - 第2海兵旅団(青龍部隊)リイン上陸
10月20日 - 駐越韓国軍司令部サイゴン箇所
11月2日 - 首都社団(猛虎部隊)本隊クイニョン上陸
 
   
 1965






コトバンク
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1965年(昭和40)6月22日に署名され、12月18日に批准書が交換されて発効した「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」。1943年のカイロ宣言およびそれを確認した45年のポツダム宣言によって、連合国は第二次世界大戦後の朝鮮の独立を約束していたが、51年のサンフランシスコ講和条約でわが国もこれを承認し、日本と朝鮮の関係の処理は両国の合意にゆだねられることになった。「朝鮮」には、すでに韓国(大韓民国)と北朝鮮が成立していたが、日本と「朝鮮」の関係の正常化はもっぱら「日韓交渉」として行われた。51年9月、連合国最高司令部は在日朝鮮人の地位に関する両国の交渉を促したが、これを機として翌年2月に第一次会談が開かれ、65年の妥結に至るまで、実に15年もの間、中断と再開を繰り返した。この会談はしばしば実質は日米韓三国交渉であったといわれるほど、米国の調停工作が公然と行われた。

 条約のおもな内容は次のとおりである。

(1)両国間に外交・領事関係が開設され、大使級の外交使節が交換される(1条)。

(2)1910年8月22日以前に日本と大韓帝国の間で結ばれた条約等はすべて「もはや無効である」ことが確認される(2条)。

(3)韓国は国連総会決議195号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される(3条)。

(4)両国は相互の関係で国連憲章の原則を指針とする(4条)。

(5)貿易、海運、その他の通商関係に関する条約等の締結のため、速やかに交渉を開始する(5条・6条)。

 日韓基本条約とともに、両国間では「漁業協定」、「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」、「在日韓国国民の法的地位及び待遇に関する協定」、「文化財及び文化協力に関する協定」、「紛争解決に関する交換公文」など多くの合意が署名され、両国の関係は「正常化」された。しかし日韓両国ともに国内では反対運動が強く、韓国では与党だけで、日本では自民、民社両党の賛成だけで批准案の承認が行われた。条約の内容の不備と解釈の不統一、南北分断の固定化、対韓経済侵略、軍事同盟志向の強化などが批判された。院外では、1965年11月9日の統一行動には約24万人が参加し、反対運動が高揚した。韓国における反対運動はさらに激しく、8月23日には学生デモ鎮圧のために軍隊が出動し、26日には衛戍(えいじゅ)令を発動したほどであった。

[石本泰雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)



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1966年   1966年
3月20日 - 国会第4次派遣同意案可決(戦闘部隊増派)
4月19日 - 首都社団(猛虎部隊)第26連隊本隊クイニョン上陸
10月3日 - 第9師団(白馬部隊)ニンホアと点滅ライン上陸
10月21日 - 朴正煕大統領が南ベトナム訪問
  ●●●の母親は鄭東泉と再婚(創価学会にて出会う)。 


1971年8月11日      ●●●、誕生。(アボジ45歳、オモニ42歳)(*再婚して5年目)


 

1971年12月4日 - 駐越韓国軍第1段階の撤退開始(第2海兵旅団)

 
   
 
1972年4月13日 - 駐越韓国軍第1次撤退完了



 
   
  1973年1月28日 - ベトナム戦争、平和協定発効

 
   
  1973年3月13日 - 駐越韓国軍第二次撤退完了(本隊)
1973年3月23日 - 駐越韓国軍後発隊撤収完了
 
   
1974年8月15日  文世光(ムン・セグァン)事件。
大韓民国(韓国)大統領・朴正煕夫人の陸英修が在日韓国人の文世光によって射殺された事件である。同時に式典に合唱団の一員として参加していた女子高生の張峰華(当時17歳)も、朴大統領に迫る犯人に向けて応戦した大統領警護室のセキュリティポリスが撃った流れ弾に当たり事故死した。

この日は、大韓民国での日本からの独立記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。
 
 1978年4月20日 大韓航空機銃撃事件(だいかんこうくうきじゅうげきじけん)は、1978年4月20日に韓国の大韓航空機が誤ってソ連の領空を侵犯したため、ソ連防空軍機の攻撃を受けた事件である。事故機は不時着には成功したが、乗客のうち15人が死傷した。

事故機が不時着した地から「ムルマンスク事件」と呼ばれることもある[1]。なお、「銃撃事件」と呼ばれるが、実際は銃撃ではなく、空対空ミサイル攻撃である。 
   
1980年5月1日 

光州事件(韓国では光州事態→光州民主化運動)


 
   
1983年9月1日  大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソ連の領空を侵犯(航路逸脱の原因については後述) したために、ソ連防空軍[1] の戦闘機により撃墜された事件のこと。乗員・乗客合わせて269人全員が死亡した。

なお、大韓航空はこの5年前にも航法ミスでソ連領空(コラ半島上空)を侵犯し、ソ連軍機に迎撃されている(大韓航空機銃撃事件)。
   
1986年      ●●●が15歳の時に、民族名を名乗る。 
1987年      高英哲(コ・ヨンチョル)、、逝去。
 
1987年11月29日  大韓航空機爆破事件は、1987年11月29日に大韓航空の旅客機が、偽造パスポートを使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員によって、飛行中に爆破されたテロ事件である。    
1988年4月3日


 
   

1988/04/03(日)14:00~
在日本韓国YMCA アジア青少年センター、東京都千代田区神田猿楽町2丁目5−5、JR水道橋駅
「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」
主催:四・三事件を考える会


立教大学
集合的記憶における済州4・3
2022/05/10
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3. 済州 4・3 を周知するための在日済州人の努力と成果

3.1. 東京での済州 4・3 真相究明運動の開始と作家・金石範(キム・ソッボム)

東京での済州 4・3 真相究明運動の始まりは、1988 年 4 月に開催された「済州 4・3 事件を考える会」の「済州島 4・3 事件 40 周年追悼集会」がきっかけとなった(1988 年 4 月 3 日午後 2 時、東京水道橋、韓国YMCA)。

その中心には、1984 年、『火山島』で、第 11 回大佛次郎賞を受賞した在日済州島出身作家の金石範が 1988 年 3 月 29 日付けの朝日新聞に 3 千字に及ぶ「ウネリ-タブー打破、立場を求められる知識人」の解題があった。この解題により、集会は在日済州人をはじめ、日本人も大勢参加することで、約 500 人の聴衆が集まることとなり、これが集会を成功させるのに大きく寄与したといえる。
金石範は、『看守朴書房』(1957.8)、『カラスの死』(1957.12)、『火山島』(1976~1997)などの小説を執筆し、さらに 1998 年の毎日芸術賞受賞もあり、こうした活動を通じて日本社会に済州 4・3 の真相を知らせた。また、金奉賢(キム・ボンヒョン)·金民主(キム・ミンジュ)による『済州島人民の《4・3 武装闘争史》資料集』(1963)などが出版され、済州 4・3 が日本社会で次第に注目され始めた。日本の毎日新聞によると、金石範は 1951 年に対馬を訪れるが、この時、ある女性から性拷問の体験談を聞いて現実以上に圧倒され、それを基点に済州 4・3 をテーマにした『カラスの死』(1957)を執筆したという。この作品は、日本社会での済州 4・3 を知らせる礎となった。
一方で、金石範は、2015 年に韓国で開催された第 1 回済州 4・3 平和賞の受賞者に選ばれたが、李承晩を批判する発言をしたということで保守派の国会議員から批判を受ける。同年の 10 月には『火山島』が韓国で出版され、出版記念会に出席しようとした際には、入国を拒否されるなどの困難を経験した。これは、いまだに韓国社会で深刻に残存しているイデオロギー対立を代表する例といえる


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1988年9月17日から10月2日まで


 

1988年ソウルオリンピック

 1988年9月17日から10月2日までの16日間にわたって韓国の首都・ソウルで開催されたオリンピック競技大会。
   
1988年      高英哲(コ・ヨンチョル)の逝去の知らせが文玲より手紙が来る from 平壌。




 1991
 国連加盟(1991年、北朝鮮と同時加盟)    


1993年4月3日



 
     


1993/04/03(土)

済州島「四・三事件」45周年追悼の集い(KCC会館)
「済州島のメーデー」上映
パネルディスカッション
・金石範(キム・ソクポム)(作家)
・金民柱(キム・ミンジュ)(元在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部)
・文京洙(ムン・ギョンス)

主催:「済州島四・三事件45周年追悼の集い実行委員会」
賛同:済州島「4・3事件」を考える会



和解学の創成〜正義ある和解を求めて〜|早稲田大学
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「済州4・3」70周年、大阪での取り組み25年から見えてきた家族の記憶

済州四・三事件70周年犠牲者慰霊祭実行委員会:大阪市生野区在住

張征峰(チャン・チョンボン)


済州島四・三事件45周年追悼の集い(1993.4.3)

1993年4月大阪市生野区のKCC会館ホールで『済州島「四・三事件」追悼の集い』を催した。東京の済州島四・三事件を考える会と共に準備した。当時同胞でも関心を持つ人は少なかった。当時事件に関する情報も圧倒的に不足していた(正確に言えば、済州島4・3事件を暴徒の事件と決めつけ、事件をタブーとした権力作用がつい最近2000年1月、「四・三特別法」制定、公布まで続いてきた)。事前に京都新聞が取り上げてくれた。金石範氏、金民柱氏、文京洙氏のパネルディスカッションだったが、論議が尽きずフロアからの体験談等も相次ぎ予定の時間を大幅に過ぎ進行に四苦八苦した。大阪では初めての公開的な追悼集会になった。以降も毎年学習会が継続、50周年からは予算や事務局体制が整備され、今では1世を中心に参加者が500名を越す大規模な慰霊祭となっている。

なぜ「済州4・3」に関わろうとしたのか。当時事件を十分に認識していた訳ではない。知らないから関わった。それまで済州に関心がなかった。韓国民主化運動には関心があったが、済州の歴史を知ろうとしなかった。辺境の地・済州島とみなす差別意識が自分のなかになかったとは決して言えない。

最近知ったが、私が幼少の頃、北朝鮮への帰国運動が始まると、父が帰国を決めてしまった。母方親類が北の状況は良くないと察知し、猛反対で乗船しなかった。以降も下請工場製造業を家族全員で担ったが生活は困窮。民族差別が当たりまえの日本社会で家族を背負って生きる在日1世の父の不安、やるせなさ、とりわけ仕事上のストレスは家族への暴力へ向かわせた。生活苦のなか、故郷の土地を済州の家族に譲渡し、学用品など仕送りする父に、私たち家族への愛情はないのかと母、子ども同士で非難したりもした。

幼少の記憶はトラウマになっている。当時の済州は1世である尊敬できなかった父のイメージと重なる。

事件に関わるきっかけは外登法運動に関わる中知り合った新幹社の高二三さんらの熱心な働きかけが大きい。大阪は同胞が多く、生野区は済州出身者が多い。事件のことを知りたい。45周年の節目で集いを催すことで、得体のしれない闇に包まれている事件のタブーを解きたいとそう思った。

2001年父親の葬儀の通夜で父方の親類が「あんたのお父さんは当時は警察官で、「済州4・3」の前の年にあった三一節集会でデモ参加者へ警察官が発砲等したので武装隊から警察官への報復があるからと兄弟が日本に逃がした」と教えてくれた。父は武装隊が1948年4月3日蜂起する前に妻と2歳の娘、父母、兄弟を置いて解放前から行き来していた大阪へと逃れた。朝鮮籍であったこともあり1978年頃、民団の母国訪問墓参団に参加するまで済州に帰郷できなかった。

済州島から逃れたが、大阪で郷里、済州市三陽里の親睦会には熱心に活動をした。南北分断が深化するなか、帰れない済州。親睦会は父にとって済州だった。

生前、恐る恐るなぜ警察官になったのかと尋ねたら、「1945年8月は光州市で日本軍として解放を迎えた。警察官を募集していたので応募したら採用された。公務員だし安定して生活ができると思った。」とだけ言った。

1998年1月大阪で「済州4・3」を描いた映画『レッド・ハント』(※注)が上映された。体験者の証言が続くのだが父の兄・張五林が突然登場。1947年3月1日観徳亭広場での集会、デモに参加していた。「一番後ろの方を歩いていたもんだから…。銃で撃たれて…。弾は首のところを貫通したんだ。これが弾をうけたときの傷じゃ。」と首の傷跡をみせた。1986年初めて済州島を訪ねた際に観徳亭を案内してもらったが、傷のことも事件のことも話してもらえなかった。映画の後立ち上がれなくなった。父は2001年に亡くなったが、最後まで事件前後のことは一切語らなかった。私が「政治難民」の子どもである事実を知ったのは本当に最近のことだ。

25年を経過した今、沈黙をかかえて亡くなった父ら死者と対話しながら、記憶を頼りに、国境をこえて、か細く頼りないが、済州との関係を紡ぎ直す歩みのなかにいる。


昭和18年12月当時、日本軍人(左が父:21歳頃)

在大阪三陽張氏親睦会(1966.4.17.)

※注:『RED-HUNT 日本語版シナリオ』(東アジアの冷戦と国家テロリズム事務局:1998年刊)P4


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済州四・三 75周年大阪慰霊祭
済州島四・三事件をめぐる主な大阪での取り組み
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1993年
4月 済州島「四・三事件」45周年追悼の集い(KCC会館)
    「済州島のメーデー」上映
    パネルディスカッション(金石範・金民柱・文京洙)
    主催:「済州島四・三事件45周年追悼の集い実行委員会」
    賛同:済州島「4・3事件」を考える会


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1993年      鄭東泉、逝去。(*なお、葬儀は済州島出身である高英哲のチェサに則(のっと)る。 



1996年      ●●●、結婚と同時に戸籍作成をする。
 
       





立教大学
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集合的記憶における済州4・3
―在日済州人の済州 4・3に関する記憶を中心に―


(略)



3.2. 「済州島 4・3 事件を考える会」と済州 4・3 事件50周年記念事業

済州 4・3 真相究明運動は、40 周年追悼集会後、10 年近く停滞期に入ることになる。 この要
因について、曺東鉉(2018)は、済州島出身の一部の知識人などが、済州人としての枠を越える
ことができなかった点にあると述べている。
また、当時北朝鮮系列の団体により結成された左派の「在日本朝鮮人総連合会(略称:朝鮮総
連)」と民族運動を統一的に行う目的で結成された右派の「在日本大韓民国民団(略称:民団)」の
2 つの組織と対峙する心構えの無さ、大衆運動に対する拡がりの無さがあったという。また、済
州 4・3 の 50 周年を迎え、当時東京では朝鮮総連と民団の活動を支持しない人々によって「在日
同胞のための文化運動」である「在日論」などが唱えられており、済州 4・3 真相究明運動が展開
できない状況だったという。



1997 年、済州 4・3 運動をしていた何人かの知識人たちが集まり、在日済州人だけの問題と
いう認識から抜け出し、済州 4・3 の大衆化を目指した「済州島 4・3 事件を考える会(東京)」を
中心に「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」を組織することになった。同委員会メンバ
ーを表 2 に示す。

表 2. 「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」メンバー

《共同代表》
金石範、李哲、玄光洙、金民柱、金日、安守栄、韓泰淑、李修吾、梁石日、文京洙

《事務局》
高二三、曺東鉉、高熙卓、韓聖炫 , 金重明、金民柱(不参加)

(出典:「済州四・三運動にかかわってきた二十年をふりかえって―東京での四・三運動の歴史と現在―」『済州島四・三事件 70 周年記念国際シンポジウム』から抜粋)

「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」は、在日済州人に限られた済州 4・3 運動を誰もが参加できる市民運動として飛躍させる契機を作り、さらに民謡と追悼コンサートなど多様な文化芸術を加えながら日本社会で済州 4・3 の大衆化のために努めてきた。また、日本でも済州4・3 のような歴史を隠蔽する動きがあるなか、朝鮮半島でも同様な動きがあったことを日本社会に知らせていることから、「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」の活動がもつ済州 4・3 の意味は大きいと考えられる。

以下は、済州 4・3 事件 50 周年に因んで取り組んだ行事である。

 「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」の推進により行われたイベント
○ 1997 年 10 月 「四・三を語る夕べ」、作家金石範と梁石日氏の白熱の討論
○ 1998 年 3 月 ブルース・カミングスを招聘、講演(『済州島四・三事件と米軍政』)の出版

記念パーティー
○ 新幹社、『済民日報』四・三取材班による『四・三は語る』翻訳本(『済州島四・三事件』)
○ 4 月 4 日(土) 50 周年追悼コンサート(御茶ノ水・カザルスホール 500 名収容)
また、済州 4・3、50 周年記念事業を土台に大阪ピロティホールでも公演が開かれた。 この公演は、約 1100 名の人々が参加する大衆的な行事として開催された。

済州 4・3 運動をめぐっては、「済州 4・3 事件 50 周年記念事業実行委員会」と葛藤のあった
朝鮮総連と民団を参加させるため、大阪実行委員会は民団を、東京実行委員会は朝鮮総連を、そ
れぞれに対して交渉を重ねることで朝鮮総連及び民団も同行事を支持するという意志を示し、そ
の結果両団体も 70 周年の追悼式に参加することになった。これまでの両団体の方針の壁を乗り
越え、済州 4・3 が目指す和解と治癒の道を共に歩む根拠を提示した一つの例として挙げられる。




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1997年

 
     

1997年、呉光現が40才になってから、「済州4・3」運動に関わるようになってきたとか。




2000年1月


 
 「四・三特別法」制定




2000年に金大中政権のもとで4.3真相究明特別法が制定され、4.3委員会が設置された。



   


2000年4月



 
     

金大中政権発足後、2000年1月に4.3真相究明特別法が制定され、4.3委員会が設置されてから、在日業界でも影響がでてきて、次々と済州四三事件についてふれるのがでてきだしたね。






済州四・三 75周年大阪慰霊祭

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2000年

1月 「四・三特別法」制定

4月 52周年記念集会「四・三特別法の制定と在日の済州島四・三事件」(KCC会館)
    金栄薫・梁東允「四・三特別法制定とその意義」
    金時鐘・金石範対談「なぜ書いてきたのか、なぜ書いてこなかったのか」
    主催:済州島四・三事件を考える会・大阪
       在日本済州島四・三事件遺族会準備委員会

10月 在日本済州島四・三事件遺族会発足式(KCC会館) 会長:康実

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コトバンク
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金時鐘
きむしじょん
(1929― )

(略)


 四・三事件に直接関わりながら50年以上も沈黙をまもってきた金時鐘が初めて公の場で事件について語ったのは2000年の「済州島四・三事件52周年記念講演会」における講演である。対照的に『鴉(からす)の死』(1957)、『火山島』(1983~97)をはじめとして四・三事件を素材とした小説を書き続けてきた金石範(きんせきはん/キムソクポム)との対談集『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(2001)ではその経緯について詳細に語っている。

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 2000年10月
 
   

2000年10月、
在日本済州島四・三事件遺族会発足式(KCC会館) 
会長:康実(カン・シル)


康実(カン・シル)は、李徳九(イ・ドック)の姉の息子とか。

李徳九(イ・ドック)は、南朝鮮労働党の済州島支部の主導者で、済州四三事件を主導したけど、(1949年6月6日)、警察との抗争の末、銃殺され、警察の壁にはりつけでさらされた。



康実(カン・シル)の死後(2015年)、呉光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン)が二代目会長を引き継いだ。


2002年  日韓犯罪人引渡条約が6月21日より効力発生。    
2022
 


2002 FIFAワールドカップ
2002年5月31日から6月30日にかけて日本と韓国で開催された17回目のFIFAワールドカップ。

 
   
 2003年2月25日 盧 武鉉(ノ・ムヒョン)、大韓民国第16代大統領(2003年2月25日-2008年2月24日)

民主化以降の文民政権は、政権の正当性を確立するために現代史の見直しや清算を進めてきたが、盧武鉉はこれを一歩進めて日韓併合や日本統治時代の親日派、朝鮮戦争時の韓国軍による民間人虐殺、軍事政権下での人権抑圧事件の真相究明を主張した。韓国国会は過去清算に関わる立法を進め、金泳三・金大中政権で成立したものを含めて13の特別法が効力を持つことになった。また、これらの法律を総括するために、日本統治時代から軍事政権期にいたる全ての事案に適用して真相究明や責任の追及、補償を行うための過去史基本法(真実・和解のための過去史整理基本法)を成立させた。


 
   
 2003年10月




盧武鉉は、自国の歴史清算事業を進め、2003年10月に行われた事件に関する島民との懇談会で初めて謝罪し、済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復委員会を設置した。

10月 「済州四・三真相調査報告書」確定

 
   
  2003/11
盧武鉉大統領、済州道で公式謝罪

 
   


2004/04/24





 
     

2004/04/24(土)18:30~(開場18:00~)
東京公演 / 日暮里サニーホール(JR山手線・京浜東北線・常磐線・京成本線 日暮里駅 南口から徒歩1分・ホテルラングウッド4階)
「済州島四・三事件」56周年  韓国大統領公式謝罪 特別講演と済州民俗クッ 
東京公演の担当は、新幹社、高ニ三(コ・イサム、コ・イーサムなど表記のゆれあり)

2004/04/27(火)18:30~(開場18:00~)
大阪公演 / 森ノ宮ピロティホール(JR森ノ宮駅徒歩2分)、大阪市
≪大阪公演問い合わせ≫ 大阪;聖公会生野センター、〒544-0003大阪市生野区小路東1-17-28
呉光現(オ・グゥアンヒョン)のところやね。



2004年2月 済州島四・三事件56周年事業実行委員会
共同代表(東京):
金 石範(きん せきはん、キム・ソクポム)(作家)
梁 石日(ヤン・ソクイル、ヤン・ソギル)(作家)
呉 賛益((オ・チャニク)(民団直選中央委員、あすか信用組合理事、東京韓国商工会議所会長、関東済州道民協会24代会長、済州道民会長、済州・新世界7不思議自然版選定日本地域推進委員長))
梁 明圓/
李 大浩(イ・デホ)(在日本関東済州道民協会28代会長)
文 京洙(ムン・ギョンス)(学者)
高 ニ三(コ・イサム、コ・イーサムなど表記のゆれあり)、新幹社の経営者。


共同代表(大阪):
姜 在彦(カン・ジェオン) (歴史学者)
金 時鐘(キム・シジョン)(詩人)
玄月(げん げつ)(日本の小説家、教育者。大阪芸術大学教授)
康実(カン・シル)(李徳(イ・ドック)の甥。 李徳(イ・ドック)は、南朝鮮労働党の中心人物で、済州島43事件を主導し、韓国政府から処刑、磔の刑にされた)(在日本済州島四・三事件遺族会の初代会長、 関西済州特別自治道民協会の九代目会長)
朴 國男(関西済州特別自治道民協会6代目、7代目会長))
梁 重烈(総聯大阪・生野南支部委員長))
夫 忠甫(民団大阪・生野西支部支団長))
金 成元






済州島四・三事件を考える会 事務局(新幹社)
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「済州島四・三事件」56周年  韓国大統領公式謝罪 特別講演と済州民俗クッ

東京公演
●日時
2004年4月24日(土)
午後6時30分より(開場6時)
●場所
東京/日暮里サニーホール(JR山手線・京浜東北線・常磐線・京成本線 日暮里駅 南口から徒歩1分・
ホテルラングウッド4階)
●料金
2,000円





大阪公演
●日時
2004年4月27日(火)
午後6時30分より(開場6時)
●場所
大阪/森ノ宮ピロティホール(JR森ノ宮駅徒歩2分)
●料金
2,000円

≪大阪公演問い合わせ≫
大阪;聖公会生野センター
〒544-0003大阪市生野区小路東1-17-28  TEL 06-6754-4356  FAX 06-6754-4357

★★★実行委員会では、56周年事業にあたって賛同人を募っております。
「呼びかけ文」にご賛同いただき、賛同人に加わってくださる方は、<一口 10,000円(何口でもかまいません)>にてお振り込みください。賛同人には「講演と済州民俗クッ」の招待券2枚を差し上げます。詳しくは事務局にお電話にてお問い合わせください。
郵便振替
(加入社名)新幹社 (口座番号)00170-3-26306
(加入社名)済州島四・三事件を考える会・大阪 (口座番号)00910-2-50548


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呼びかけ文

 めぐり来る季節の移ろいはあっても、済州島四・三事件に関しては、春の訪れがいつになるのか、かつては誰にも予測できないことでした。が、しかし、「煎った豆からも新芽がでる」という諺のように、済州四・三事件をめぐる情況はここ数年で急変しました。
 2000年1月12日、韓国では金大中政権下、「済州四・三真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」(「四・三特別法」)が公布されました。その「四・三特別法」にもとづいて、「済州四・三真相糾明および犠牲者名誉回復委員会」が結成され、2003年3月には『済州四・三事件真相調査報告書』が出されました。そして、それは半年間の審議を経て、韓国政府の公式見解となりました。これらの一連の真相調査事業の進展にともない、2003年4月には高建国務総理が、そして10月31日には盧武鉉大統領が済州島におもむき、国家権力の過ちについて国家次元での謝罪を表明しました。
 かつて済州島四・三事件の真相糾明を求める声は少数派で、声を上げたものは「共産主義者」とのレッテルを貼られかねない情況でした。しかし現在は、大きな声で堂々と四・三事件を語れる時代となりました。日本に暮らす在日済州島人も、直接・間接を問わず四・三事件と大きくかかわり、本国の人々と同様に、長いあいだ記憶を殺そうとし、息をひそめて生きてきました。
 それでも本国の冬の時代、四・三事件の真相糾明を粘り強く求めてきたのも在日だったと言えます。1988年の済州島四・三事件40周年記念集会を皮切りに「済州島四・三事件を考える会」の果たした歴史的役割には大きなものがあったと自負します。しかしながら、在日済州島人の中には韓国政府の公式謝罪も知らずにいる人々がまだ多数いることを認めないわけにはいきません。また息をひそめたまま名乗り出られないでいる人々もいるにちがいありません。
 これからは四・三事件をもっと人々の中へ溶け込ませ、よりもっと身近に語り合えるようにして、正当な評価の下に現代史の中に位置付けさせねばなりません。四・三事件という歴史的悲劇を味わった済州島出身者であることを誇りをもって打ち出して行きたいと思います。四・三事件を経験したからこそ「平和と人権」を語れる者になりたいと思います。
 今年の56周年の集まりもまた、多くの方々に集まっていただいて、「虐殺と悲劇」の島から「平和と人権」の島へと歩む第一歩の足跡にしたいと思います。今回は東京と大阪で連動して記念事業を持つことになりました。このような私たちの取り組みに対して、多くの方々のご理解と参加をたまわり、賛同していただきたくここに呼びかける次第です。

2004年2月 済州島四・三事件56周年事業実行委員会
共同代表(東京): 金 石範/ 梁 石日/ 呉 賛益/ 梁 明圓/ 李 大浩/ 文 京洙/ 高 ニ三
共同代表(大阪): 姜 在彦/ 金 時鐘/ 玄月/ 康実/ 朴 國男/ 梁 重烈/ 夫 忠甫/ 金 成元



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盧武鉉大統領の済州島民への公式謝罪の言葉(全文訳)

 尊敬する済州島民と済州四・三事件遺族の皆様。そして国民の皆様。
55年前に、平和な島であったここ済州島で、韓国現代史の大きな悲劇の中の一つである四・三事件が発生しました。済州島民たちは、国際的な冷戦と民族分断がもたらしたレールのもとで、計り知れない人命被害と財産の損失を被りました。
 私はこのたび、済州島訪問を前に「済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」に依拠して、各界の人々で構成された委員会が、2年余りの調査を通して議決された真相調査結果の報告を受けました。
  委員会は、この事件により無辜な犠牲が発生したことに対する政府の謝罪と犠牲者の名誉回復、そして追悼事業の積極的な推進を建議してきました。

  私は、今こそ、解放直後の政府樹立過程で発生したこの不幸な事件の歴史的な終結を果たさなければならないと考えます。 済州島で1947年3月1日を起点として1948年4月3日に起きた南労党済州島党の武装蜂起、そして1954年9月21日まで続いた武力衝突や鎮圧過程で、多くの人々が無辜な犠牲を被りました。
  私は、委員会の建議を受け入れ、国政に責任を負う大統領として、過去の国家権力の過ちに対し、遺族と済州島民の皆様に心からの謝罪と慰労の言葉を捧げます。無辜な犠牲を被った英霊たちを追悼し、謹んでご冥福をお祈りいたします。
  政府は四・三平和公園造成、迅速な名誉回復など、委員会の建議事項が速やかに実行されるように、積極的に支援いたします。
 
  尊敬する国民の皆様。
過去の事件の真相を明らかにし、憤懣やるかたない犠牲者の名誉を回復させることは、単にその犠牲者や遺族たちのためばかりではありません。大韓民国建国に寄与した人たちの真心を尊重すると共に、歴史の真実を明確にして過去の過失を反省し、真の和解を遂げて、より明るい未来を期するところにその意義があります。
  いま私たちは、四・三事件の貴重な教訓をいっそう昇華させ、「平和と人権」という人類普遍の価値を広めなければなりません。和解と協力で、この地上からすべての対立と分裂を終息させ、韓半島の平和、さらには東北アジアと世界平和の道を開いていかなければなりません。
 
  尊敬する済州島民の皆様! 皆様は廃墟に立ち、素手でこのような美しい平和の島・済州を再建させました。済州島民の皆様へ、心からの敬意を表します。これからの済州島は、人権の象徴であり、平和の島として高く聳えるでしょう。そうなるように、全国民と共に応援いたします。 ありがとうございました。    

大韓民国大統領 盧武鉉


済州島四・三事件真相調査報告書(「結論」部分からの抜粋)


○ 米軍政期に済州島で起こった済州四・三事件は、韓国現代史の中で朝鮮戦争の次に人命被害が甚大だった悲劇的な事件であり、集団殺傷に関する責任は、当時軍の統帥権者であった李承晩大統領と韓国軍の作戦統制権を握っていた米軍にある。
○ 四・三事件による犠牲者数は、さまざまな資料と人口変動の統計などを勘案して、四・三事件人命被害を25,000~30,000名と推定した。
○ 委員会に申告された犠牲者(14,028名)の加害別統計は、討伐隊によるもの78.1%、武装隊によるもの12.6%、空欄9%であるが、加害を表示しない空欄を除いて討伐隊と武装隊の犠牲となった比率のみを算出すると、それぞれ86.1%と13.9%になる。
○ 連座制による被害も甚大であった。罪の有無に関係なく、四・三事件のときに軍警討伐隊に殺されたという、その理由一つで犠牲者の家族たちは連座制によって監視され、社会活動を制約された。
○ 1948年の済州島では、国際法が要求する文明社会の基本原則が無視された。特に法を守らなければならない国家公権力が法を犯し、民間人を殺傷した。討伐隊が裁判手続きなく非武装の民間人を殺傷した点、特に子供や老人までをも殺害した点は、重大な人権蹂躙であり過誤である。結論として、済州島は冷戦の最大の犠牲となったと判断できる。まさに、この点が四・三事件の真相糾明を50年間抑制してきた要因になったのである。
○ 本格的な四・三事件真相糾明運動がはじまってから10年目の結実だった。2000年1月11日に青瓦台において、それまで真相糾明運動の先頭に立ってきた遺族・市民団体の代表8人が見守るなか、済州四・三事件特別法制定の署名式があった。当時、金大中大統領は「四・三特別法は人権がどんな価値より優先される社会、滔滔と流れる民主化の道程に金字塔となるだろう」と述べた。結局、済州四・三事件真相糾明の歴史は韓国の政治民主化の流れとその脈を一にし、少しずつ進展してきたのである。


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済州島四・三事件56周年事業実行委員会
  事務局(新幹社) 〒112-0001 東京都文京区白山2-27-8 白山ハイツ2F
TEL:03-5689-4070  FAX:03-5689-2988
©Sinkansha

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■■ プログラム ■■

特別講演と済州民俗クッ

<1部>
◆ 講演「済州四・三事件の真実と未来」
◆講演者:姜昌一氏

<講演者紹介>1952年、韓国済州島生まれ。ソウル大学卒業、東京大学博士課程終了。培材大学教授。
済州四・三研究所所長として真相糾明運動に長くたずさわる。東アジアの平和と人権韓国委員会事務局長。民主化運動記念事業会理事。著書『韓日間の未清算課題』『明成皇后 殺害事件』ほか多数。
※4月15日に行われた第17代総選挙において国会議員に当選しました。


<2部>
◆ 済州民俗クッ 
◆「済州島四・三事件」―その希望の始まり

<あらすじ>この作品は済州道「民芸総」(韓国民族芸術人総連合会済州支会)が道内の最も優れた演劇芸術家を選抜し、今回の日本公演のために総力をあげて製作したものである。
舞台は済州島に永く伝わる民謡や踊りなどの民俗とクッ(巫俗儀礼)、ヨンムル(プンムル、伝統楽器演奏)等をふんだんに取り入れ、古き良き時代の共同体としての平和な島の風景を映し出すところから始まる。
それが何故にあの悲惨な「四・三事件」が起こったのか。舞台は死者と生者による語りへと進む。
そして舞台中央に準備されたスクリーンに韓国大統領の「四・三事件」への公式謝罪の場面が実写フィルムで再現され、慟哭の半世紀の歴史を越え、今、希望の始まりとして「済州島四・三事件」が蘇る。
舞台は神房(済州島のシャーマン)の奏でるクッにより天をさまよう怨恨を呼び、慰め、人々の恨を解こうとする。フィナーレでは素朴で明るい済州民謡メドレーと踊りで平和を願い、希望の未来へと導いていく。

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 2004/04/27

     


2004/04/24(土)18:30~(開場18:00~)
東京公演 / 日暮里サニーホール(JR山手線・京浜東北線・常磐線・京成本線 日暮里駅 南口から徒歩1分・ホテルラングウッド4階)
「済州島四・三事件」56周年  韓国大統領公式謝罪 特別講演と済州民俗クッ 
東京公演の担当は、新幹社、高ニ三(コ・イサム、コ・イーサムなど表記のゆれあり)

2004/04/27(火)18:30~(開場18:00~)
大阪公演 / 森ノ宮ピロティホール(JR森ノ宮駅徒歩2分)、大阪市
≪大阪公演問い合わせ≫ 大阪;聖公会生野センター、〒544-0003大阪市生野区小路東1-17-28
呉光現(オ・グゥアンヒョン)のところやね。



2004年2月 済州島四・三事件56周年事業実行委員会
共同代表(東京):
金 石範(きん せきはん、キム・ソクポム)(作家)
梁 石日(ヤン・ソクイル、ヤン・ソギル)(作家)
呉 賛益((オ・チャニク)(民団直選中央委員、あすか信用組合理事、東京韓国商工会議所会長、関東済州道民協会24代会長、済州道民会長、済州・新世界7不思議自然版選定日本地域推進委員長))
梁 明圓/
李 大浩(イ・デホ)(在日本関東済州道民協会28代会長)
文 京洙(ムン・ギョンス)(学者)
高 ニ三(コ・イサム、コ・イーサムなど表記のゆれあり)、新幹社の経営者。


共同代表(大阪):
姜 在彦(カン・ジェオン) (歴史学者)
金 時鐘(キム・シジョン)(詩人)
玄月(げん げつ)(日本の小説家、教育者。大阪芸術大学教授)
康実(カン・シル)(李徳(イ・ドック)の甥。 李徳(イ・ドック)は、南朝鮮労働党の中心人物で、済州島43事件を主導し、韓国政府から処刑、磔の刑にされた)(在日本済州島四・三事件遺族会の初代会長、 関西済州特別自治道民協会の九代目会長)
朴 國男(関西済州特別自治道民協会6代目、7代目会長))
梁 重烈(総聯大阪・生野南支部委員長))
夫 忠甫(民団大阪・生野西支部支団長))
金 成元






済州島四・三事件を考える会 事務局(新幹社)
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「済州島四・三事件」56周年  韓国大統領公式謝罪 特別講演と済州民俗クッ

東京公演
●日時
2004年4月24日(土)
午後6時30分より(開場6時)
●場所
東京/日暮里サニーホール(JR山手線・京浜東北線・常磐線・京成本線 日暮里駅 南口から徒歩1分・
ホテルラングウッド4階)
●料金
2,000円





大阪公演
●日時
2004年4月27日(火)
午後6時30分より(開場6時)
●場所
大阪/森ノ宮ピロティホール(JR森ノ宮駅徒歩2分)
●料金
2,000円

≪大阪公演問い合わせ≫
大阪;聖公会生野センター
〒544-0003大阪市生野区小路東1-17-28  TEL 06-6754-4356  FAX 06-6754-4357

★★★実行委員会では、56周年事業にあたって賛同人を募っております。
「呼びかけ文」にご賛同いただき、賛同人に加わってくださる方は、<一口 10,000円(何口でもかまいません)>にてお振り込みください。賛同人には「講演と済州民俗クッ」の招待券2枚を差し上げます。詳しくは事務局にお電話にてお問い合わせください。
郵便振替
(加入社名)新幹社 (口座番号)00170-3-26306
(加入社名)済州島四・三事件を考える会・大阪 (口座番号)00910-2-50548


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呼びかけ文

 めぐり来る季節の移ろいはあっても、済州島四・三事件に関しては、春の訪れがいつになるのか、かつては誰にも予測できないことでした。が、しかし、「煎った豆からも新芽がでる」という諺のように、済州四・三事件をめぐる情況はここ数年で急変しました。
 2000年1月12日、韓国では金大中政権下、「済州四・三真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」(「四・三特別法」)が公布されました。その「四・三特別法」にもとづいて、「済州四・三真相糾明および犠牲者名誉回復委員会」が結成され、2003年3月には『済州四・三事件真相調査報告書』が出されました。そして、それは半年間の審議を経て、韓国政府の公式見解となりました。これらの一連の真相調査事業の進展にともない、2003年4月には高建国務総理が、そして10月31日には盧武鉉大統領が済州島におもむき、国家権力の過ちについて国家次元での謝罪を表明しました。
 かつて済州島四・三事件の真相糾明を求める声は少数派で、声を上げたものは「共産主義者」とのレッテルを貼られかねない情況でした。しかし現在は、大きな声で堂々と四・三事件を語れる時代となりました。日本に暮らす在日済州島人も、直接・間接を問わず四・三事件と大きくかかわり、本国の人々と同様に、長いあいだ記憶を殺そうとし、息をひそめて生きてきました。
 それでも本国の冬の時代、四・三事件の真相糾明を粘り強く求めてきたのも在日だったと言えます。1988年の済州島四・三事件40周年記念集会を皮切りに「済州島四・三事件を考える会」の果たした歴史的役割には大きなものがあったと自負します。しかしながら、在日済州島人の中には韓国政府の公式謝罪も知らずにいる人々がまだ多数いることを認めないわけにはいきません。また息をひそめたまま名乗り出られないでいる人々もいるにちがいありません。
 これからは四・三事件をもっと人々の中へ溶け込ませ、よりもっと身近に語り合えるようにして、正当な評価の下に現代史の中に位置付けさせねばなりません。四・三事件という歴史的悲劇を味わった済州島出身者であることを誇りをもって打ち出して行きたいと思います。四・三事件を経験したからこそ「平和と人権」を語れる者になりたいと思います。
 今年の56周年の集まりもまた、多くの方々に集まっていただいて、「虐殺と悲劇」の島から「平和と人権」の島へと歩む第一歩の足跡にしたいと思います。今回は東京と大阪で連動して記念事業を持つことになりました。このような私たちの取り組みに対して、多くの方々のご理解と参加をたまわり、賛同していただきたくここに呼びかける次第です。

2004年2月 済州島四・三事件56周年事業実行委員会
共同代表(東京): 金 石範/ 梁 石日/ 呉 賛益/ 梁 明圓/ 李 大浩/ 文 京洙/ 高 ニ三
共同代表(大阪): 姜 在彦/ 金 時鐘/ 玄月/ 康実/ 朴 國男/ 梁 重烈/ 夫 忠甫/ 金 成元



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盧武鉉大統領の済州島民への公式謝罪の言葉(全文訳)

 尊敬する済州島民と済州四・三事件遺族の皆様。そして国民の皆様。
55年前に、平和な島であったここ済州島で、韓国現代史の大きな悲劇の中の一つである四・三事件が発生しました。済州島民たちは、国際的な冷戦と民族分断がもたらしたレールのもとで、計り知れない人命被害と財産の損失を被りました。
 私はこのたび、済州島訪問を前に「済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」に依拠して、各界の人々で構成された委員会が、2年余りの調査を通して議決された真相調査結果の報告を受けました。
  委員会は、この事件により無辜な犠牲が発生したことに対する政府の謝罪と犠牲者の名誉回復、そして追悼事業の積極的な推進を建議してきました。

  私は、今こそ、解放直後の政府樹立過程で発生したこの不幸な事件の歴史的な終結を果たさなければならないと考えます。 済州島で1947年3月1日を起点として1948年4月3日に起きた南労党済州島党の武装蜂起、そして1954年9月21日まで続いた武力衝突や鎮圧過程で、多くの人々が無辜な犠牲を被りました。
  私は、委員会の建議を受け入れ、国政に責任を負う大統領として、過去の国家権力の過ちに対し、遺族と済州島民の皆様に心からの謝罪と慰労の言葉を捧げます。無辜な犠牲を被った英霊たちを追悼し、謹んでご冥福をお祈りいたします。
  政府は四・三平和公園造成、迅速な名誉回復など、委員会の建議事項が速やかに実行されるように、積極的に支援いたします。
 
  尊敬する国民の皆様。
過去の事件の真相を明らかにし、憤懣やるかたない犠牲者の名誉を回復させることは、単にその犠牲者や遺族たちのためばかりではありません。大韓民国建国に寄与した人たちの真心を尊重すると共に、歴史の真実を明確にして過去の過失を反省し、真の和解を遂げて、より明るい未来を期するところにその意義があります。
  いま私たちは、四・三事件の貴重な教訓をいっそう昇華させ、「平和と人権」という人類普遍の価値を広めなければなりません。和解と協力で、この地上からすべての対立と分裂を終息させ、韓半島の平和、さらには東北アジアと世界平和の道を開いていかなければなりません。
 
  尊敬する済州島民の皆様! 皆様は廃墟に立ち、素手でこのような美しい平和の島・済州を再建させました。済州島民の皆様へ、心からの敬意を表します。これからの済州島は、人権の象徴であり、平和の島として高く聳えるでしょう。そうなるように、全国民と共に応援いたします。 ありがとうございました。    

大韓民国大統領 盧武鉉


済州島四・三事件真相調査報告書(「結論」部分からの抜粋)


○ 米軍政期に済州島で起こった済州四・三事件は、韓国現代史の中で朝鮮戦争の次に人命被害が甚大だった悲劇的な事件であり、集団殺傷に関する責任は、当時軍の統帥権者であった李承晩大統領と韓国軍の作戦統制権を握っていた米軍にある。
○ 四・三事件による犠牲者数は、さまざまな資料と人口変動の統計などを勘案して、四・三事件人命被害を25,000~30,000名と推定した。
○ 委員会に申告された犠牲者(14,028名)の加害別統計は、討伐隊によるもの78.1%、武装隊によるもの12.6%、空欄9%であるが、加害を表示しない空欄を除いて討伐隊と武装隊の犠牲となった比率のみを算出すると、それぞれ86.1%と13.9%になる。
○ 連座制による被害も甚大であった。罪の有無に関係なく、四・三事件のときに軍警討伐隊に殺されたという、その理由一つで犠牲者の家族たちは連座制によって監視され、社会活動を制約された。
○ 1948年の済州島では、国際法が要求する文明社会の基本原則が無視された。特に法を守らなければならない国家公権力が法を犯し、民間人を殺傷した。討伐隊が裁判手続きなく非武装の民間人を殺傷した点、特に子供や老人までをも殺害した点は、重大な人権蹂躙であり過誤である。結論として、済州島は冷戦の最大の犠牲となったと判断できる。まさに、この点が四・三事件の真相糾明を50年間抑制してきた要因になったのである。
○ 本格的な四・三事件真相糾明運動がはじまってから10年目の結実だった。2000年1月11日に青瓦台において、それまで真相糾明運動の先頭に立ってきた遺族・市民団体の代表8人が見守るなか、済州四・三事件特別法制定の署名式があった。当時、金大中大統領は「四・三特別法は人権がどんな価値より優先される社会、滔滔と流れる民主化の道程に金字塔となるだろう」と述べた。結局、済州四・三事件真相糾明の歴史は韓国の政治民主化の流れとその脈を一にし、少しずつ進展してきたのである。


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済州島四・三事件56周年事業実行委員会
  事務局(新幹社) 〒112-0001 東京都文京区白山2-27-8 白山ハイツ2F
TEL:03-5689-4070  FAX:03-5689-2988
©Sinkansha

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■■ プログラム ■■

特別講演と済州民俗クッ

<1部>
◆ 講演「済州四・三事件の真実と未来」
◆講演者:姜昌一氏

<講演者紹介>1952年、韓国済州島生まれ。ソウル大学卒業、東京大学博士課程終了。培材大学教授。
済州四・三研究所所長として真相糾明運動に長くたずさわる。東アジアの平和と人権韓国委員会事務局長。民主化運動記念事業会理事。著書『韓日間の未清算課題』『明成皇后 殺害事件』ほか多数。
※4月15日に行われた第17代総選挙において国会議員に当選しました。


<2部>
◆ 済州民俗クッ 
◆「済州島四・三事件」―その希望の始まり

<あらすじ>この作品は済州道「民芸総」(韓国民族芸術人総連合会済州支会)が道内の最も優れた演劇芸術家を選抜し、今回の日本公演のために総力をあげて製作したものである。
舞台は済州島に永く伝わる民謡や踊りなどの民俗とクッ(巫俗儀礼)、ヨンムル(プンムル、伝統楽器演奏)等をふんだんに取り入れ、古き良き時代の共同体としての平和な島の風景を映し出すところから始まる。
それが何故にあの悲惨な「四・三事件」が起こったのか。舞台は死者と生者による語りへと進む。
そして舞台中央に準備されたスクリーンに韓国大統領の「四・三事件」への公式謝罪の場面が実写フィルムで再現され、慟哭の半世紀の歴史を越え、今、希望の始まりとして「済州島四・三事件」が蘇る。
舞台は神房(済州島のシャーマン)の奏でるクッにより天をさまよう怨恨を呼び、慰め、人々の恨を解こうとする。フィナーレでは素朴で明るい済州民謡メドレーと踊りで平和を願い、希望の未来へと導いていく。

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2005年  韓国にて戸籍法(韓国の民放)改正案通過。  


 
 2006年4月3日

盧武鉉は、2006年4月3日に、済州四・三事件犠牲者慰霊祭に大統領として初めて出席し、島民に対して正式に謝罪するとともに事件の真相解明を宣言した。




 
   
2007年6月   
 朝鮮総連本部ビル売却問題。

2007年6月に発覚した、朝鮮総聯本部ビルの建物及び敷地の不透明な売買に関する問題のことを指す。朝鮮総連の利権を守るために複数の国会議員や政府関係者が関与したとされる。 

2008年  同上戸籍法が施行。これにより、母方の本貫を子が名乗ることが可能となる。    
       
2009年12月4日
 
   京都朝鮮学校公園占用抗議事件 





 
     2012/03/24(土)16:00会場、17:00開演
教育福祉会館、沖縄県那覇市古島1丁目14−6

第一部 : 済州四・三を考える
[挨拶] 在日本済州四・三事件犠牲者遺族会会長 : 呉光現(オー・グァンヒョン)

[講演] 話と朗読「失くした季節」 失くした季節」 今語る、父母との最後の別れ。ー 密航船で済州島を脱す津下詩人が、失くしたものとは何であったのかー
詩人 : 金時鐘(キム・シジョン)

第二部 いのりの舞台
金姫淑
李広訓、
徐卿珠、
弘錫玲、
安福子、

第三部 済州~与那国漂流記・平和交流
田里千代基
李広訓、
徐卿珠、
弘錫玲、
安福子、


主催 : 沖縄・済州島平和交流実行委員会
海勢頭豊((うみせど ゆたか)



08:52
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呉 光現
2012年3月24日 · 池田市 ·
今から沖縄出張。済州43事件の講演会と沖縄戦で死んだ朝鮮人の慰霊祭に参列。


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西山 章子
チョシメ カプソヤ〜ン!


栗原 佳子
今日の集会、行く予定でしたが、仕事が終わらなくなり泣く泣く断念です。報告を楽しみにしています。


朴昌利
気をつけていってらっしゃい!


Satoshi Mochizuki
来沖、お待ちしています。


Yoshiko Goya
沖縄でお会いできず残念ですが、大阪でぜひ〜。


Makiko Miyamoto
忙しいですね~!気をつけて!いってらっしゃーい!



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15:33
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
リハ終了。通訳も一服?


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小崎清信
たいせつな集会ですね。金時鐘先生来られるんですね。すごい
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15:34
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
リハ終了。通訳も一服?

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17:23
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
2012済州43沖縄集会始まりました。

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18:42

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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
沖縄集会は金時鐘さんの講演、いつも、心にしみる話しでし。その後、済州からの伝統芸能のよる祈りが中心の構成。カヤグムの故郷の春はいいね。

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20:56
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呉 光現
2012年3月24日 · 那覇市 ·
第三部は済州と与那国交流。15世紀に漂流した済州人を与那国の人が助けた。それを記念。
今、与那国は自衛隊の誘致問題でもめている。済州の海軍基地問題と共通点あり。
与那国の島唄と済州の歌、踊りで交流。


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2012/04/23(月)18:30(開場18:00) 日暮里サニーホール 入場券:2,000円(前売り1,800円)

Ⅰ部:パネルディスカッション「済州島四・三事件と朝鮮半島をとりまく現在(いま)」
   鵜飼哲(一橋大学教授)、桜井泉(朝日新聞記者)、文京洙(立命館大学教授)

Ⅱ部:ライブ 趙博(パギやん)

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 TEL:03-5689-4070 shinkansha@sapphire.bforth.com




図書出版「新幹社」
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済州島四・三事件64周年記念追悼集会
毎年4月の恒例の行事となりました。
今年も済州島四・三事件64周年記念追悼集会を開催します。
ぜひ、たくさんの方々に参加していただきたいと思います。
みなさんのお越しをお待ちしております。

済州島四・三事件とは・・・朝鮮現代史における民族最大の悲劇の一つ。一言で言えば、1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、その武力鎮圧の過程で3万人近くの島民が犠牲となった事件。
韓国の歴代政権は、その存亡を賭けて事件を闇の中に封じ込めた。沈黙の圧力の中でも、日韓の双方で一部の作家や知識人が四・三の真実を問い続けてきたが、四・三事件についての論議が本格的に起こり、真相究明運動が始まったのは、87年民主化運動以後であった。
日本でも87年に「済州島四・三事件を考える会」がつくられた。

済州島四・三事件64周年記念追悼集会 
日時:4月23日(月)18:30(開場18:00) 日暮里サニーホール 入場券:2,000円(前売り1,800円)
Ⅰ部:パネルディスカッション「済州島四・三事件と朝鮮半島をとりまく現在(いま)」
   鵜飼哲(一橋大学教授)、桜井泉(朝日新聞記者)、文京洙(立命館大学教授)
Ⅱ部:ライブ 趙博(パギやん)
   
・・・今回の記念行事では、四・三事件の歴史的評価と共に北朝鮮の金正日委員長の逝去や4月11日に行われる韓国国会議員選挙など、揺れ動く今日の朝鮮半島情勢について改めて考えるものである・・・

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 TEL:03-5689-4070 shinkansha@sapphire.bforth.com



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2012/12/01(土)13:30~14:00
場所:明治大学リバティータワー地下1階1001号、東京都千代田区神田駿河台1丁目、(お茶の水駅・徒歩3分)

パネラー:鵜飼哲(うかい・さとし) 1955年東京生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科教授。
       文京洙(ムン・ギョンス)1950年東京生まれ。立命館大学国際関係学部教授。
       髙二三(コ・イーサム) 1951年東京生まれ。図書出版・新幹社社長。
                     「済州島四・三事件を考える会」東京事務局長。

パネルディスカッション「四・三事件とは何か(入門編)」


主催 : 済州島四・三事件を考える会・東京
後援 : 明治大学軍縮平和研究所




図書出版「新幹社」
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12/1(土)パネルディスカッション「四・三事件とは何か(入門編)」
パネルディスカッション「四・三事件とは何か(入門編)」
※新幹社社長がパネラーで登場!ぜひみなさん、お集まりください。

日時:2012年12月1日(土)午後1時半~午後4時
場所:明治大学リバティータワー地下1階1001号(お茶の水駅・徒歩3分)
資料代:500円
パネラー:鵜飼哲(うかい・さとし) 1955年東京生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科教授。
       文京洙(ムン・ギョンス)1950年東京生まれ。立命館大学国際関係学部教授。
       髙二三(コ・イーサム) 1951年東京生まれ。図書出版・新幹社社長。
                     「済州島四・三事件を考える会」東京事務局長。


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2013/02/09( 土) 午後1 時半~午後5 時
文京区民センター 3 ― A 会議室、東京都文京区

【講師】
◆ 李昤京(Lee RyongKyong)立教大学非常勤講師 政治学専攻
◆ ゲスト:金志修(Kim jisoo)東京在住 テキスタイルデザイナー「私が出会ったカンジョン」

【上映映画】
◆「JAM DOCU 江汀」ヤン・ドンギュ監督他 20 11 年12 月上映作品(韓国にて)。104 分。
◆「ニュース打破」6・7 回(2012 年3 月)、江汀特集
【済州島四・三事件65 周年記念連続学習会】
第2 回 済州島四・三事件と 江汀海軍基地問題 ー入 門 編

主催:済州島四・三事件を考える会・東京
曺東鉉(チョ・ドンヒョン)
高二三(コ・イサム)、
高英姫(コ・ヨンヒ)
元日東
李昤京(リ・リョンギョン)
金良淑(キム・ヤンスク)

村上尚子
石井寛
渡辺一夫
田嵜晳(たざき あきら)(文芸春秋の編集者)

中野敏男
原田克子
木瀬慶子
栗原順子
山田修
麻生水緒


◆問い合わせ先:新幹社 〒112-0005 東京都文京区水道2丁目1-12
 TEL:03-5689-4070 FAX:03-5689-2988
 EM:shinkansha◎sapphire.bforth.com (◎を@にして送信)




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安渓 遊地
2013年2月3日 ·
 4月3日はどんな日でしょう。3月1日や2月28日とならんで忘れがたい日なのですが。
 李リョンギョン(昤京)さんからの情報をシェアします。
 下記内容の拡散と皆様のご参加をお願いします。
 今年は48年4月3日韓国の済州島で起きた「済州島四・三事件」の65周年に当たる年です。
 4月24日の65周年の集会を向けて学習会を開いております。
 第2回目は、済州島で暴力的に進められている 江汀海軍基地問題をテーマにします。
皆さんのご参加、お待ちしております。
ーーー
【済州島四・三事件65 周年記念連続学習会】
第2 回 済州島四・三事件と 江汀海軍基地問題 ー入 門 編
*2013 年2 月9 日( 土) 午後1 時半~午後5 時
*文京区民センター 3 ― A 会議室
*参加費:800 円
第2 回目は、「済州島四・三事件」の歴史的な経緯を認識し、済州島の現在おかれている問題を知るために、江汀( カンジョン) マウル(マウルは村や町の意)に建設中の海軍基地問題を取り上げます。韓国済州島西帰浦市にある江汀マウル、このマウルを包む豊かな自然と、睦まじく平和だったマウル住民の暮らしが、韓国政府による海軍基地建設の強行によって破壊されようとしています。海軍基地建設の反対闘争をテーマに8 人のフリーの監督がそれぞれの視点で描いた記録からなるオムニバス形式のドキュメンタリー映画「JAM DOCU 江汀」の一部と、現在の状況を分かるニュースや映像などを見ながら、江汀海軍基地問題はどこにあるのかということを考えます。済州島江汀海軍基地建設の持つ意味を、済州島四・三事件を体験してきた立場から、多角的に見据えたいと思います。
江汀海軍基地問題のことをあまり知らない方への学習会です。
【講師】
◆ 李昤京(Lee RyongKyong)立教大学非常勤講師 政治学専攻
◆ ゲスト:金志修(Kim jisoo)東京在住 テキスタイルデザイナー「私が出会ったカンジョン」
【上映映画】
◆「JAM DOCU 江汀」ヤン・ドンギュ監督他 20 11 年12 月上映作品(韓国にて)。104 分。
◆「ニュース打破」6・7 回(2012 年3 月)、江汀特集
◆ その他
【文京区民センター 最寄駅からのアクセス】
● 都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1 分
● 営団地下鉄丸の内線 後楽園駅 徒歩3分
● JR 水道橋駅 徒歩7分
◆主催:済州島四・三事件を考える会・東京
◆問い合わせ先:新幹社 〒112-0005 東京都文京区水道2丁目1-12
 TEL:03-5689-4070 FAX:03-5689-2988
 EM:shinkansha◎sapphire.bforth.com (◎を@にして送信)



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2013/03/16(土)13:30~16:30
明治大学 リバティタワー15F 1154教室、東京都千代田区神田駿河台1丁目

基調講演:林哲(リム・チョル)(津田塾大学学芸学部教授)
コメンテーター:文京洙(ムン・ギョンス)(立命館大学国際関係学部教授。1998年~1998年まで「済州島四・三事件を考える会」会長)

連続学習会第三回3/16「済州島四・三事件と分断国家の成り立ち」
済州島四・三事件65周年記念連続学習会
「済州島四・三事件と分断国家の成り立ち」

主催 : 済州島四・三事件を考える会・東京
後援 : 明治大学軍縮平和研究所

問合せ先は、新幹社。経営者が高二三(コ・イーサム)


図書出版「新幹社」
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連続学習会第三回3/16「済州島四・三事件と分断国家の成り立ち」
済州島四・三事件65周年記念連続学習会
「済州島四・三事件と分断国家の成り立ち」

■東アジアの平和、民主、統一の原点■
・・・1948年は朝鮮半島にとって大きな節目となった年であった。この年の四月三日が済州島四・三蜂起の日であったことは言うまでもない。そして8月15日の大韓民国の樹立、9月9日の朝鮮民主主義人民共和国の樹立。それら分断国家の樹立と済州島四・三事件が切っても切れない関係性を持つことも言うまでもない。ところが、これらの事実は、歴史的に検証されてこず、また同時に突き詰めて討論されることもなかった。現在の東アジアの人権、民主主義、南北の統一、アメリカ極東戦略、さらには日韓、日中、韓中の抱える問題を考える上で、原点ともなるだろう・・・

基調講演:林哲
コメンテーター:文京洙

(日時)
2013年3月16日(土)13:30~16:30
明治大学 リバティタワー15F 1154教室
資料代:500円

ぜひ、みなさんご参加ください。


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2013年3月 
 
朝鮮学校問題に係る在日スパイ被疑事件。
2012年6月、男性は自身が営んでいた運送業の運転資金として、1000万円の公的資金を兵庫県庁から騙し取った疑いで公安警察により逮捕・起訴されて公判中のところ、北朝鮮の在日スパイとして情報収集を行った際に著作権法違反の罪を犯した事実が発覚したため、2013年1月に公安警察によって再逮捕されている[8]。公安警察は、朝鮮総連の幹部だった親族宅の捜索も実施。詐欺の指南役とみられる滋賀県在住の日本人男性も逮捕された。男性は、保釈された際に取材に訪れた報道関係者に対し、「詐欺はともかくスパイや違法な工作活動は認めない」として、スパイ容疑を全面的に否認したが、公安警察は男性が北朝鮮当局との間で暗号化されたメールのやり取りをしてきたことを確認しており、捜査で主動的な役割を果たした大阪府警には、重要事例として警察庁長官賞が授与された。 2013年3月、男性は兵庫県庁から会社の運転資金をだまし取った罪で懲役4年の有罪判決を受け、捜査は終結した。  


       



2013/04/02(火)~2013/04/04(金)
済州島四・三事件65周年慰霊祭等済州島訪問ツアー
主催 : 済州島四・三事件を考える会、新幹社社長、スタッフ




図書出版「新幹社」
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4月2日~4月4日済州島四・三事件65周年慰霊祭等済州島訪問ツアー
済州島四・三事件を考える会の主催済州島四・三事件65周年慰霊祭等済州島訪問ツアーのため
4月2日~4月4日まで新幹社社長、スタッフは済州島へ行ってまいります。
留守をしますが、ご用件はメールshinkansha@sapphire.bforth.com、FAX:03-5689-2988にお願いいたします。帰国後追ってご連絡いたします。

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2013/04/02(火)~2013/04/04(木)
済州島四・三事件65周年慰霊祭 済州島訪問ツアー


日 程:4月2日(火)~4月4日(木)
2日(火)関西空港7:00集合 KAL734便(関空9:00発 済州空港10:40着)
     昼食後、4.3跡地フィールドワーク(1)北村里等・前夜祭・晩餐会
3日(水)ホテル朝食後、4.3平和公園・前夜祭~慰霊祭参席、平和記念会館見学
     昼食(弁当)後、4.3跡地フィールドワーク(2)東広里・百祖一孫等
4日(木)ホテル朝食後、4.3フィールドワーク(3)済州大学在日済州人センター
     昼食、夕刻(韓国食料品店&免税店へご案内後、済州空港へ。
     KAL733便(済州空港19:30発 関空21:00着 解散


主 催:「在日本済州四・三事件遺族会」「済州島四・三事件を考える会・大阪」
問合せ:聖公会生野センター 大阪市生野区小路3-11-19 TEL06-6754-4356 FAX06-6224-7869
         o-kh.po★nskk.org 呉光現(オグァンヒョン)さん



09:07

在日外国人教育
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在日外国人教育
藤井 幸之助 · 2013年3月11日 ·
続いて【参加者募集!】
■済州島四・三事件65周年慰霊祭 済州島訪問ツアー
 本年2013年は、済州島四・三事件から65周年になります。「在日本済州四・三事件遺族会」「済州島四・三事件を考える会・大阪」共催で、希望者をつのり、済州島を訪問し、済州特別自治道・平和財団主催の慰霊祭に参加します。前夜祭、交流会等、意義深い催しを企画しております。みなさまに記憶に残る有意義な楽しい旅行にしたいと思います。
日 程:4月2日(火)~4月4日(木)
2日(火)関西空港7:00集合 KAL734便(関空9:00発 済州空港10:40着)
     昼食後、4.3跡地フィールドワーク(1)北村里等・前夜祭・晩餐会
3日(水)ホテル朝食後、4.3平和公園・前夜祭~慰霊祭参席、平和記念会館見学
     昼食(弁当)後、4.3跡地フィールドワーク(2)東広里・百祖一孫等
4日(木)ホテル朝食後、4.3フィールドワーク(3)済州大学在日済州人センター
     昼食、夕刻(韓国食料品店&免税店へご案内後、済州空港へ。
     KAL733便(済州空港19:30発 関空21:00着 解散
※4.3跡地フィールドワークは、済州4.3研究所の協力で実施します。
旅行代金:62000円※往復航空券代(エコノミークラス/関空⇔済州島往復)
        宿泊代(ロベロホテル/ツイン利用・2泊・朝食2回、昼食2回・晩餐会)
        空港税、燃油サーチャージ、貸し切りバス、諸手続き事務費込み
定 員:20名
参加要領:参加希望者は氏名(アルファベット)・年齢を明記して、パスポートのコピーを事務局までお
        送りください(FAX可)
※まだ余裕はありますが、希望者はできるだけ早くお申し込みください。
※最終締め切りは3月22日(金)                            
主 催:「在日本済州四・三事件遺族会」「済州島四・三事件を考える会・大阪」
問合せ:聖公会生野センター 大阪市生野区小路3-11-19 TEL06-6754-4356 FAX06-6224-7869
         o-kh.po★nskk.org 呉光現(オグァンヒョン)さん



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09:08
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藤井 幸之助
2013年3月11日 ·
続けて【参加者募集!】
■済州島四・三事件65周年慰霊祭 済州島訪問ツアー
 本年2013年は、済州島四・三事件から65周年になります。「在日本済州四・三事件遺族会」「済州島四・三事件を考える会・大阪」共催で、希望者をつのり、済州島を訪問し、済州特別自治道・平和財団主催の慰霊祭に参加します。前夜祭、交流会等、意義深い催しを企画しております。みなさまに記憶に残る有意義な楽しい旅行にしたいと思います。
日 程:4月2日(火)~4月4日(木)
2日(火)関西空港7:00集合 KAL734便(関空9:00発 済州空港10:40着)
     昼食後、4.3跡地フィールドワーク(1)北村里等・前夜祭・晩餐会
3日(水)ホテル朝食後、4.3平和公園・前夜祭~慰霊祭参席、平和記念会館見学
     昼食(弁当)後、4.3跡地フィールドワーク(2)東広里・百祖一孫等
4日(木)ホテル朝食後、4.3フィールドワーク(3)済州大学在日済州人センター
     昼食、夕刻(韓国食料品店&免税店へご案内後、済州空港へ。
     KAL733便(済州空港19:30発 関空21:00着 解散
※4.3跡地フィールドワークは、済州4.3研究所の協力で実施します。
旅行代金:62000円※往復航空券代(エコノミークラス/関空⇔済州島往復)
        宿泊代(ロベロホテル/ツイン利用・2泊・朝食2回、昼食2回・晩餐会)
        空港税、燃油サーチャージ、貸し切りバス、諸手続き事務費込み
定 員:20名
参加要領:参加希望者は氏名(アルファベット)・年齢を明記して、パスポートのコピーを事務局までお
        送りください(FAX可)
※まだ余裕はありますが、希望者はできるだけ早くお申し込みください。
※最終締め切りは3月22日(金)                            
主 催:「在日本済州四・三事件遺族会」「済州島四・三事件を考える会・大阪」
問合せ:聖公会生野センター 大阪市生野区小路3-11-19 TEL06-6754-4356 FAX06-6224-7869
         o-kh.po★nskk.org 呉光現(オグァンヒョン)さん





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続けて【参加者募集!】 ■済州島四・三事件65周年慰霊祭...

藤井 幸之助さんの投稿 2013年3月10日日曜日



       



2013/04/24(水曜日)午後6時20分スタート(開場:午後5時半)
場所:日暮里サニーホール
「済州島四・三事件65周年記念追悼の集い」
オープニング 追悼の舞「四・三の風」金英蘭舞踊研究所
第一部 記念講演 危機の中の東アジア 現代日本の歴史認識を問う
高橋哲哉 東京大学大学院 総合文化研究科教授
第二部 合唱と民俗クッ
民俗クッ 済州神房(シャーマン)来日公演-死者への祈り-
混声合唱 日本と在日の新たな心のうた=「眠らざる南の島」をうたう会結成公演
「なぜ?」(組曲「生命の木、空へ」より(詞・曲/林光)
「朝露」(詞・曲/キム・ミンギ)
「眠らざる南の島」(詞・曲/アン・チファン)



主催:済州島四・三事件を考える会・東京
金石範((きん せきはん、キム・ソクポム)
梁 石日 (ヤン・ソクイル、ヤン・ソギル)
梁明圓
曺東鉉(チョ・ドンヒョン)
高二三(コ・イサム)、
高英姫(コ・ヨンヒ)
元日東
李昤京(リ・リョンギョン)
金良淑(キム・ヤンスク)

村上尚子
石井寛
渡辺一夫
田嵜晳(たざき あきら)(文芸春秋の編集者)

中野敏男
原田克子
木瀬慶子
栗原順子
山田修
麻生水緒



連絡先:新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988
email:shinkansha@sapphire.bforth.com


図書出版「新幹社」
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4/24開催「済州島四・三事件65周年記念追悼の集い」
【入場整理券(前売券)絶賛発売中】
今年は65周年の追悼集会です。売切れが予想されています。ご購入ご希望の方はなるべく早くお問い合わせください。
申し込み方法.
入場整理券(前売券)、ご購入の方は、新幹社までご連絡ください。(メール、FAX、電話)
入場整理券(前売券)と振込み用紙を発送しますので、届きましたらお支払いいただければと思います。
発送までに一週間ほどお時間をいただく場合もございます。ご了承ください。

新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988、
メール:shinkansha@sapphire.bforth.com

済州島四・三事件65周年記念追悼の集い
オープニング 追悼の舞「四・三の風」金英蘭舞踊研究所
第一部 記念講演 危機の中の東アジア 現代日本の歴史認識を問う
高橋哲哉 東京大学大学院 総合文化研究科教授
第二部 合唱と民俗クッ
民俗クッ 済州神房(シャーマン)来日公演-死者への祈り-
混声合唱 日本と在日の新たな心のうた=「眠らざる南の島」をうたう会結成公演
「なぜ?」(組曲「生命の木、空へ」より(詞・曲/林光)
「朝露」(詞・曲/キム・ミンギ)
「眠らざる南の島」(詞・曲/アン・チファン)
日時:2013年4月24日(水曜日)午後6時20分スタート(開場:午後5時半)
場所:日暮里サニーホール
主催:済州島四・三事件を考える会・東京
連絡先:新幹社 電話:03-5689-4070、FAX:03-5689-2988
email:shinkansha@sapphire.bforth.com
入場整理券:2,500円(前売り:2,000円)学生1,000円


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新幹社の経営者が、高二三(コ・イサム)、







       


2013/12/15(日)16:00~18:00
大阪教育大学天王寺キャンパス
場 所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館4階410演習室、大阪市天王寺区南河堀町4-88

報告者:高 暎 子(KO, Young-ja)済州伝統文化研究所 / 済州大学校耽羅文化研究所 研究員
【研究会のお知らせ:「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」】

国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会
国際高麗学会日本支部事務局人文社会研究部会代表 伊地知紀子(大阪市立大学)




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Noriko Ijichi
2013年11月22日 ·
【研究会のお知らせ:
「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」】

 12月15日(日)16時から、大阪教育大学天王寺キャンパスにて
上記をテーマに研究会を開催します。
 
 講師に、このプロジェクトの代表である、旧友の高暎子さんを済州からお招きします。
 高暎子さんは、大阪大学で島崎藤村の『破戒』をテーマとした論文で美学の博士号を取得後、フランスの社会科学高等研究院
に8年在籍された後に故郷である済州へ戻られ、現在、済州伝統文化研究所におられます。

 昨年度公刊した添付写真の報告書作成にあたっては、私もお手伝いさせていただきました。非常に興味深い日帝時代の済州島の写真と、
当時済州にいた日本人による済州島の絵画も掲載することができました。このたび、高暎子さんに解説していただく貴重な機会となります。

お気軽にお越しください。

*****
国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会のお知らせ

下記の通り、人文社会研究部会を開催致しますので、ご参加の程、宜しくお願い致します。
参加費は無料です。

タイトル:「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」

報告者:高 暎 子(KO, Young-ja)済州伝統文化研究所 / 済州大学校耽羅文化研究所 研究員

日 時:2013年12月15日(日)16:00~18:00

場 所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館4階410演習室
<住所>〒543-0054 大阪市天王寺区南河堀町4-88
<地図>http://osaka-kyoiku.ac.jp/campus_map.html

*本報告は、済州特別自治道の委託を受けた済州伝統文化研究所による「日帝下済州写真資料収集事業」(代表:高暎子)の成果である『日帝時代済州島写真資料発刊に伴う資料収集報告書』(2012年12月25日刊行)についてお話しいただきます。
この報告書に掲載された写真は、未だ済州では知られていない植民地期及びその前後の済州島の写真資料を収集したものです。
撮影者は日本人と朝鮮人双方です。また、当時済州島に居住していた日本人が解放後にかつてを思い起こし描いた絵画も掲載されています。
報告では、この事業の代表である高映子さんから写真や絵画の説明とともに、それらが映し出す済州島像を内の視点と外の視点との違いを読み解きながら解説していただきます。

国際高麗学会 日本支部事務局
人文社会研究部会代表 伊地知紀子(大阪市立大学)
-------------------------------------------------------------------------------
〒530-0047
大阪市北区西天満4丁目5-5 マーキス梅田506号
tel 06-6314-3775  fax 06-7660-7980
※事務室が移転しました。
isksj@ams.odn.ne.jp http://www.isks.org/
-------------------------------------------------------------------------------


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呉 光現
行きますね。でも研究者でなくてもいい?


Noriko Ijichi
呉光現さん、もちろん!ぜひお越しください。お待ちしております。


呉 光現
あかん、手帳みたら精神科医の蟻塚さんと一献ですわ。すんまへん、行きたいけど、、、


呉 光現
彼はなかなかの人ですわ。本当は9月に一献する予定が台風で伸びました


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【研究会のお知らせ: 「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」】  12月15日(日)16時から、大阪教育大学天王寺キャンパスにて 上記をテーマに研究会を開催します。    講師に、このプロジェクトの代表である...

Noriko Ijichiさんの投稿 2013年11月22日金曜日





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Noriko Ijichi

2013年12月8日 ·

【再告知: 来週、15日(日)開催です】
16時から、お気軽にお越しください。
***
国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会のお知らせ
下記の通り、人文社会研究部会を開催致しますので、ご参加の程、宜しくお願い致します。
参加費は無料です。
タイトル:「内/外から映し出された済州島100年(1890s〜)」
報告者:高 暎 子(KO, Young-ja)済州伝統文化研究所 / 済州大学校耽羅文化研究所 研究員
日 時:2013年12月15日(日)16:00~18:00
場 所:大阪教育大学天王寺キャンパス中央館4階410演習室
<住所>〒543-0054 大阪市天王寺区南河堀町4-88


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高 龍秀
もちろん参加しますよ❗️



金 文男
絵画教室の後、参加予定三十分遅れですが、いいですか?



Noriko Ijichi
>高龍秀会長!来てもらわないと〜。
>文男さん、ぜひぜひ、よろしくお願いします。


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【再告知: 来週、15日(日)開催です】 16時から、お気軽にお越しください。 *** 国際高麗学会日本支部 第76回人文社会研究部会のお知らせ 下記の通り、人文社会研究部会を開催致しますので、ご参加の程、宜しくお願い致します。 参...

Noriko Ijichiさんの投稿 2013年12月8日日曜日






       


2014/04/19(土)17:00~
場所: 日暮里サニーホール
(ホテルラングウッド4階 日暮里駅南口徒歩2分)
内容:第1部 記念講演 玄基榮(ヒョン・キヨン)氏(小説「順伊おばさん」作者)
    第2部 朴保(パクポー)Live
入場料:前売2000円 当日2500円
主催:済州島四・三事件を考える会・東京 03-5689-4070(新幹社)



図書出版「新幹社」
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4/19 済州島四・三事件66周年追悼の集い
今年は、1部では、済州島出身、四・三作家で知られる玄基榮さんを迎えて、2部では朴保バンドのライブを下記の通り集会を行います。みなさん、お誘いあわせのうえ、お越しください。

日時:4月19日(土)17:00(開場:16:20)
主催:済州島四・三事件を考える会・東京
問い合わせ:新幹社 電話:03-5341-4750、FAX:03-5341-4751
shinkansha@sapphire.bforth.com
入場券:2500円(前売り:2000円)学生1000円。


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新幹社の経営者が高二三(コ・イーサム)




レイバーネット
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●3.今後の反レイシズム情報
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★公式サイト 学習会カレンダーにも順次掲載致します!
★http://www.norikoenet.org/workshop.html#callendar
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1)在日朝鮮人差別の歴史と現在シリーズ1(全8回)
第1回 在日朝鮮人に対する人権侵害の現状
 
日時: 4月19日(土)14:00~16:30
場所: 文化センターアリラン閲覧室 (西武新宿駅・東新宿駅 徒歩7分)
講師:李 春煕(リ・チュニ)弁護士
参加費:1000円
主催:NPO法人 文化センターアリラン 03-5242-5141


2)済州島四・三事件66周年追悼の集い

日時: 4月19日(土)17:00~
場所: 日暮里サニーホール
(ホテルラングウッド4階 日暮里駅南口徒歩2分)
内容:第1部 記念講演 玄基榮氏(小説「順伊おばさん」作者)
   第2部 朴保Live
入場料:前売2000円 当日2500円
主催:済州島四・三事件を考える会・東京 03-5689-4070(新幹社)


3)0419NOPASARAN~大阪・鶴橋で人種差別街宣に反対の意思表示を!!

日時:4月19日(土)15時~17時
集合場所;14時15分 北鶴橋ふれあい公園(大阪市生野区鶴橋1-6)
行動場所:鶴橋駅東側の駐輪場前
内容:川東大了主催のヘイト街宣への抗議行動 非暴力で抗議を示そう
呼びかけ:C.R.A.C. WEST、日本・コリア友情のキャンペーン


4)NO! RACISM 日韓友好ソウルパレード

日時: 4月20日(日)13:30~15:30(予定)
集合場所: ソウル安国洞ロータリー(安国駅徒歩2分)
パレードコース:安国洞ロータリー→仁寺洞→鍾路→光化門教保ビル前 
主催:日韓なかよくしようぜ会(ソウル)sakurainobuhide@gmail.com
後援:差別反対 東京アクション、いつデモどこデモ歩き隊(大阪)


5)NO! RACISM 日韓友好東京パレード

日時: 4月20日(日)13:30~15:30
集合場所: 柏木公園(新宿駅西口徒歩7分)
パレードコース:http://goo.gl/4OnDXg
参加時のお願い:お手数ですが、ご参加時に各自お花を1本ご持参いただけ
れば幸いです。持参いただいた花を持ってパレードにご参加いただき、ゴー
ル地点でお花と共に記念撮影をいたします。
主催:差別反対 東京アクション
 http://ta4ad.net/wp/?p=290
後援:日韓なかよくしようぜ会(ソウ
ル)いつデモどこデモ歩き隊(大阪)



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2014年12月17日       エル金、凡、李信恵らが主水に集団リンチ事件。
       



たそがれの品川宿

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交遊録: 2015済州四三事件犠牲者慰霊祭「慰霊の旅」
3月 3rd, 2015 | Author: yasumaroh


3月2日FBより

参加者顔合せ食事会。
団長:呉光現さん(犠牲者遺族会会長)はじめ12名、いい集まりでした。
4/2~4/4 短期間ですが、ご遺族の想い・1948年という時代・島内親族内事態の悲嘆・本土⇔島という地政・・・少しでもそれを噛み締め、東アジアの構造的闇に迫りそれを開いて行く想いへと育めたら…‥と話しました。団長から少し事前レクチャーを受け、あとは楽しい食事会。いい旅になりそうです。

ー この写真に写っている友達: 福井 正敏、金 文男、呉 光現、Makiko Hashimoto、浅井 敏嗣、李 信恵、栗原 佳子、松浦茂、岸野 令子

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https://archive.md/kVmGr



その元ネタのFACEBOOKを探したけど、見つからない。その関係者のsnsをチェックしたけど、見つからない。
李信恵に遠慮して削除したのかな?


昔はFACEBOOKのアカウント名は「yasumaroh」だったけど、今は別名「橋本 康介(kophsuke.hashimoto)」に変更したみたいね。



福井 正敏、
金 文男(キム・ムンナム)(グラフィック・デザイナー、在日本済州四・三犠牲者遺族会)、
呉 光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン、表記のゆれあり)(聖公会生野センター総主事、在日本済州4・3犠牲者遺族会会長)
Makiko Hashimoto、
浅井 敏嗣、
李 信恵(リ・シネ)(ライター)、
栗原 佳子( 新聞うずみ火)
松浦茂、
岸野令子(映画の宣伝・配給会社、キノ・キネマの代表)




これと同じ写真を、金文男がFACEBOOKに2022年にアップしていた。2015/04/02~04/04までの旅行記は全然見当たらない。


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金 文男
2022年7月7日

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https://archive.md/wip/imNZA




       



2015/03/29(日)午後2時~4時半
KCC会館(在日韓国キリスト教会)(大阪市生野区中川西2-6-10)、地下鉄今里から南へ10分  電話06-6731-6801
語り継ぐ済州島四・三事件
済州の作家である許榮善さんと生野区在住の済州43体験者の高春子さんの証言集い

【証言】「私が体験した済州島四さん事件」
高春子(コ・チュンジャ)さん(在日1世。生野区在住)
子どもの時に済州43事件を経験。夜間中学に通いながら体験を書き綴り、部落解放文学賞記録部門?入賞。大阪在住。

済州島43事件被害者の人脈に、部落解放同盟が関わってるのね。

【講演】「語り継ぐ済州島四・三事件」
許榮善(ホ・ヨンソン)

主催 : 在日本済州43事件犠牲者遺族会 / 済州43事件を考える会
大阪市生野区小路3丁目11番19号
TEL 06-6754-4356
FAX 06-6224-7869

この住所は、NPO法人 特定非営利活動法人聖公会生野センターで、担当者は呉光現(オ・グゥアンヒョン)でしょうね。




2015/04/19(日)
大阪市立生野区民センター 
済州島四・三事件67周年犠牲者慰霊祭(生野区民センター)
講演:金時鐘 
コンサート:朴保
共催:在日本済州四・三事件犠牲者遺族会、済州四・三事件を考える会・大阪
聖公会生野センター着付

















 

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rinda0818

講演と証言の集い『語り継ぐ済州島四・三事件』


March 29, 2015
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李信恵は、集団リンチ事件後の自粛期間中に、済州島43事件の被害者遺族の政治活動に濃厚にかかわってるのね。







2015/04/03











 
     



李信恵は、一時期twitterをやめてたけど。
2015/04/02~2015/04/04の済州島犠牲者慰霊祭に、呉光現(オ・クゥアンヒョン、オ・グゥアンヒョン、表記のゆれあり)主催のツアーで、秘密で参加したみたいね。




それが後々に、済州島の済州4.3記念館に、パネル写真として展示されているみたい。葛西リサが済州島へ旅行に行って見つけて2019年にFACEBOOKにアップしていましたよ。

 → 人物図鑑詳細情報 李信恵 2019年


李信恵は、自称、「慶尚道出身」と書いてるけど。
ずっと前に金杉からの電話で「彼女はもう間違いなく、済州島出身。慶尚道出身だなんて言ってるけど嘘ついてる」
金杉がそのための検証のためのブログを書いてたけど。批判されて、削除して逃げたよ。
私は、それ、構わない思うけどなあ。



私の推測ですけど、やっぱり、李信恵は、済州島43事件の関係者の超大物じゃないか?とにらんでいます。


       




2015/04/10 21:35:55

rinda0818
新古房に来たで。

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新古房に来たで。

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2015/04/10 23:50:54
rinda0818
禁酒明けの歌舞伎町、真味亭。
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禁酒明けの歌舞伎町、真味亭。

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2015/04/10 23:52:39

rinda0818
ポッサムひとり分でとお願いしたけど、頑張って食べろって。無茶や。






 

       


新幹社
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2015年済州島四・三事件67周年記念追悼と講演の集い
〈済州島四・三事件67周年記念〉
追悼と講演の集い

日時:2015年4月18日(土)午後5時半(5時開場)
第一部:オープニング
犠牲者追悼の招魂祭
済州四・三平和財団 李文教理事長
第二部:「戦後70年、日本はどこへ行く」
井筒和幸氏(映画監督)と小森陽一氏(東京大学教授・「九条の会」事務局

入場整理券:1,500円(前売券1,000円)、学生500円
前売券絶賛発売中!
問い合わせ先:jeju43_tokyo@yahoo.co.jp
電話:03-5688-6663
FAX:03-5688-6669


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新幹社の経営者が髙二三(コ・イーサム)

       

2015/04/19の催しの告知

2015年4月19日(日)開場13:30/開演14:00
大阪市立生野区民センター(大阪)、大阪市生野区勝山3-13-30

済州島4.3事件追悼集会

第一部 金時鐘さん講演会

第二部 朴保(vo.g) Sassy Tomo(key) Gutti Taniguchi(g) 朴元(pc) 高庚範(pc)

共催/在日本済州四・三事件遺族会
済州島四・三事件を考える会・大阪
特定非営利活動法人聖公会生野センター







呉 光現‎済州43事件67周年犠牲者慰霊祭・大阪
2015年2月17日 ·

http://archive.fo/xzIi7






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Poe Pak
2015年4月12日 ·
4月19日の大阪
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19日の在日本済州四・三事件犠牲者慰霊祭
是非ご参加下さい。
朴保 http://www.pakpoe.com/
済州四・三事件から67周年…金時鐘さんの語りと朴保さんの歌は、済州四・三の悲しみを抱き、自由・解放・への歩みを更に確かなものにすることを確信する。
真の平和と解放、そして和解を願って行われる今年の慰霊祭に多くの方が参加されるのをお待ちしております。(チラシより抜粋)
4月19日(日)済州島4.3事件追悼集会
大阪市立生野区民センター(大阪)
第一部 金時鐘さん講演会
第二部 朴保(vo.g) Sassy Tomo(key) Gutti Taniguchi(g) 朴元(pc) 高庚範(pc)
開場13:30/開演14:00
参加資料代:1,000円(学生/障がい者:500円)
大阪市生野区勝山3-13-30
TEL 06-6716-3020
共催/在日本済州四・三事件遺族会
済州島四・三事件を考える会・大阪
連絡先/大阪市生野区小路3-11-19
特定非営利活動法人聖公会生野センター
TEL.06-6754-4356 FAX.06-6224-7869
e-mail ohkwanghyun@live.jp




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呉光現(オ・ガンヒョン)








       


2015/04/19、在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭

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在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭 #jeju

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 2015




 
   
関西済州特別自治道民協会 会報 2015年11月発行


逝去の報告
呉承明(常任顧問)、
康実(歴代会長)、
金致富(顧問)
逝去

当時の会長、金辰男(関西済州特別自治道民協会会長)

       




図書出版「新幹社」
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2016.4.23・済州島四・三事件68周年記念行事「語らいと歌の夕べ〜記憶は弱者に残る」
済州島四・三事件68周年記念行事
「語らいと歌の夕べ〜記憶は弱者に残る」
日時:2016年4月23日(土)
場所:日暮里サニーホール
開演:18:00(前売り2000円、当日一般2500円、学生1000円)

第1部:パネルディスカッション
〈辛淑玉/北原みのり/高遠奈穂子/姜信子〉

第2部:歌と一人芝居、映像でつづる鎮魂クッ『歳月』
〈チェ・サンドン/きむ・きがん〉
主催:済州島四・三事件を考える会・東京
電話受付:03-5341-4750


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済州島四・三事件を考える会/東京

さんはきむ きがんさんと一緒にいます。
2016年4月19日 ·
済州島四・三事件68周年記念行事!!いよいよ今週土曜日(4/23)となりましたのでリマインダーです。また、以前の記事でパネリスト高遠菜穂子さんのお名前の漢字を間違えておりました。ここに訂正しお詫び申し上げます。
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済州島四・三事件68周年記念行事
日時:2016年4月23日(土)
場所:日暮里サニーホール
(前売り2000円、当日一般2500円、学生1000円)
「語らいと歌の夕べ〜記憶は弱者に残る」
開場 17:20
開演 18:00
<第1部:パネルディスカッション>
“記憶は弱者に残るー女の目から見る
「チェジュ4・3」と国家テロリズムそしてヘイトスピーチ・・・”
〈パネリスト:辛淑玉/北原みのり/高遠菜穂子/姜信子〉
<第2部:歌と一人芝居、映像でつづる鎮魂クッ『歳月』>
〈歌:チェ・サンドン/一人芝居:きむ・きがん〉
主催:済州島四・三事件を考える会・東京
お問い合わせ:新幹社 jeju43_tokyo@yahoo.co.jp

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2016/04/23の催しの告知
済州島四・三事件を考える会/東京






2016/04/23
金田 静江


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金田 静江
2016年4月23日 · 編集済み · ·

司会:辛淑玉さん、作家:北原みのり氏、作家:姜信子氏、イラク支援ボランティア:高遠菜穂子氏

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2016年12月11日       主水が李信恵、エル金、凡、伊藤大介、マツモトエイイチらに民事訴訟をして、ついに公開裁判。

 2017年4月3日


   
2018/04/03 文在寅(ムン・ジェイン)は、就任後初めての4・3事件犠牲者追念日である2018年4月3日の追悼式に2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)以来、大統領として12年ぶりに出席した。

2018/04/03 韓国、済州島での済州島四三事件慰霊祭に、日本から在日たちがツアーを組んで参加
呉光現らが中心的に企画。









早稲田大学国際和解学研究所
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和解としての「済州4・3」70周年=立場を認め合って

特定非営利活動法人聖公会生野センター総主事・在日本済州4・3犠牲者遺族会会長
呉光現

7「済州4・3」70年を迎えて
「済州4・3」から70年。未だにその名称が確定していない出来事だ。「事件」「蜂起」「抗争」「暴動」…。名前がないから仕方なく私たちは「済州4・3事件」と呼んでいる。

「済州4・3」は韓国の民主主義の発展と共に真相究明、名誉回復の措置がとられてきた。もちろん済州での闘いがあればこそであった。

2000年、金大中政権の時に特別法が制定され盧武鉉大統領の直接謝罪を受けたがその後の保守政権の9年間は「耐える」時期だった。韓国のロウソク革命で生まれた文在寅大統領は12年ぶりに4月3日に済州を訪れた。島民の前に立ち12年ぶりに謝罪をした。そして「済州4・3は大韓民国の歴史です」というスローガンのもと、彼の口からは在日作家金石範先生の名前も呼ばれた。そうだ、私たちの先達は「済州4・3」が暗黒の時代にあっても「済州4・3」の歴史を死に絶えることなく伝えてきたのだ。その金石範先生の名前が「済州4・3」で大統領の口から発せられた時、涙が押さえられなかった。

70周年を迎えて日本、特に大阪では1年前から準備を始めた。3月に国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」を開催。4月3日には100人規模で済州で慰霊祭に参加した。そして4月22日は大阪でこれまでにない規模で「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」を持つに至った。




 国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」(2018.3.10~11.)

「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」(2018.4.22.)

「済州4・3」70年慰霊の旅

2017年8月15日、大統領の光復節のメッセージは在日「朝鮮籍」の同胞の韓国入国を認めた。それに接した時「4月3日の済州島での慰霊祭には朝鮮籍の同胞も一緒に行く!」と決意した。結局は50名の募集に対して100名の規模での旅になった。そこには8名の朝鮮籍同胞もいた。86歳から21歳まで。1世から4世までである。私は在日の「韓国籍」「朝鮮籍」の意味のない分断を感じながら4日間を過ごした。大統領は知らなかったが朝鮮籍の同胞が彼と握手をして「私は文在寅大統領のファンになったわ」と喜ぶ80歳になろうとする女性の言葉が忘れられない。彼女は人生一貫として朝鮮総連・朝鮮籍を大切にしてきた人だ。初めて踏んだ父母の地済州島。どうしてもコヒャン(故郷)に行きたい、当然の思いであり、権利だ。ある人は旅の前に私にこう言った。「今回の済州島の旅は人生初めてで多分最後です。」彼女は82歳である。そこまでの決意を私はいかに受け止めるのか?記号でしかなく、しかし記号だけではない「韓国籍」「朝鮮籍」の存在が大きな心の壁にもなっていた。その壁を乗り越えるのは韓国の民主主義の発展だと思うのは私だけだろうか?

いみじくも南北首脳会談が4月27日に開催されたが過去の2回も韓国ではリベラル政権だった。朝鮮籍であろうとも自分のルーツにあるところに行くのに韓国の政情がいつもついて回るというバカなことは終わりにしなければならない。

今回の「済州4・3」の旅には事件を体験なさった方4名も参加した。若い方で78歳である。14,000名を越える位牌の前で食い入るように親族の名前を探していたハルモニ。自分のルーツのある村の位牌に同じ姓の犠牲者が延々とあるのを見て「親戚がいるのだろう」と思った在日4世の若者。3,000基を越える行方不明者の墓地の前にたたずんだ時「この墓には遺体が一つもないのだ」と思った。実は私の叔父も二人ここにいるのだ。

文在寅大統領の済州4・3追念式での演説(2018.4.3)

済州4・3平和公園内にある行方不明犠牲者の墓域

「済州4・3」運動に関わって
1997年、40歳の時。事件から50周年を迎える1年前になって、私は「済州4・3」運動に関わり出した。1世の両親を持つ猪飼野生まれ育ちの私にとって、심방(標準語では무당=巫堂。民俗信仰とも精神文化ともいえる韓国の宗教)は日常の世界だった。

初めて大阪で慰霊祭を開くことになった時、当事者は誰であるのか?と論議をし、思いを馳せた。当然在日1世しかあり得ないと思った。1998年3月21日、会場の生野区民センターには500名を越える人が集まった。そこには私のオモニ(母)をふくめて多くの済州1世の姿があった。慰霊祭は笑いと涙、そしてハンプリ(恨を解き放つこと)の群舞となって終わった。

大阪でも始まった「済州4・3」運動は様々な経過をもって、毎年4月3日に済州島で行われる慰霊祭に遺族たちが参加できるまでになった(「済州4・3の旅」)。4月下旬には大阪でも慰霊祭を開くことになっていった。

2000年には大阪で在日遺族会が結成された。50周年を契機とした運動は、韓国の動向とも連動しながら進められていく。

当初6人の2世、3世で始めたこの運動は、年を経るにつれて多くの人が参加するようになった。2003年、盧武鉉大統領が済州島民の前で公式謝罪したことを受け、2004年には生野、東成の総聯支部委員長、民団の支団長が共同代表を務めて、1,000人を越える規模で大阪の慰霊祭を開催した。これは「済州4・3」が、組織を越えたアクションになるということを示したエポックだった。

朝鮮半島を取り巻く情勢の悪化から、長らく総聯と民団の共同開催ができていなかった大阪での慰霊祭だが、70周年を迎えた今年は再び総聯と民団、そして関西済州特別自治道民協会が共に後援として名を連ねて開催することができた。こうして「一つ」になって実施できることに対し隔世の感があると共に、「済州4・3」で亡くなった方々に応えることができると思うと感謝に堪えない。



もう一つの現場大阪
「済州4・3」で日本に逃れてきた人は5,000人以上と言われている。大阪生野にはその多くの人が住んでいる。在日遺族会もその中から生まれた。しかし済州以上に「済州4・3」の暗黒を抱いてきた在日済州人は語ることすらできなかった。自分が話すとクニの親戚に迷惑がかかるのではと強く思っている人、大阪の慰霊祭の会場まで来るや身体が震えて中に入れなかったハルモニ(おばあさん)。拷問の体験を語り出す止まることなく当時の記憶をはき出すように叫び出すハラボジ(おじいさん)。語ってくれても決して録音、録画をさせてくれない方…、その先輩たちが経てきた歴史はまさに済州であり日本大阪である。

70年と言う歳月は短くはない。いつかは私たちも大阪で慰霊祭ができなくなる時が来る。その時に記憶だけが残されたらいつかは風化するのではと最近思うようになった。ある友人の言葉が私たちに一つの決断をさせた。大阪で「済州4・3」の慰霊碑を建立するのだ。「済州4・3」は大阪の在日朝鮮人の歴史の一つだ。植民地時代に日本に渡ってきたアボジ(父)も弟が犠牲になったのに一言も語らずにこの世を去った。今こそ私たちは「大阪は済州4・3のもう一つの現場だ」と声をあげたい。いつまでも大阪の「済州4・3」を残すために。



次世代への継承
「済州4・3」を逃れて日本に多くの人が渡ってきたが、当時、民族学校の教師だった人が「済州島から逃げてきた子どもたちは地獄を見たのだ。目が死んでいた」と語ったことを思う。日本では、1949年に朝連(在日本朝鮮人連盟)大阪が追悼集会をした程度である。それは在日の済州人社会で大きな苦しみを伴うタブーだったからだ。50年代から70年代は南北の対立が在日同胞社会でも先鋭的で、ましてや「済州4・3」について民族団体の言及はほとんどなかった。「済州4・3」を世に訴えていたのは済州出身の1世の総聯系の知識人しかいなかった。鋭く政治的にならざるを得ない時代が、亡くなった方々の慰霊すら許さなかったのだ。

40歳から「済州4・3」運動を始めた私も還暦を超える齢になった。昔なら어르신(老人)だが、いまだに若いと言われるのは時代の流れか?しかし、私たちも次世代を育成しなければならない。数年前から3世の青年が事務局に入り、「済州4・3」の旅に行けるようになった。より多くの若者を連れて行くため、昨年はクラウドファンディングを活用してさらに7名が参加した。

マッチにわずかな炎を灯すように「命」をつないできた「済州4・3運動」は、今こそ次世代と共に歩まねばならない。



そして一つになること
最後に「済州4・3」は大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も成立する前に起こったことを忘れずにいたい。朝鮮半島が二つに裂かれようとするまさにその時に命をかけて立ち上がった人々がいる。ぎりぎりまだ「二つ」になっていなかったのだ、その時は。私たちは「一つ」であることを「済州4・3」から改めて感じ、学び、そして在日から発信していきたいと思う。

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2017年5月10日 文在寅(ムン・ジェイン)が、韓国大統領に就任した     
       




2017/10/08(日)15:00~
立命館大学 梅田キャンパス演習室2、京都市
高誠晩 氏(立命館大学)
『<犠牲者>のポリティクス ー済州4・3/沖縄/台湾2・28 歴史清算をめぐる苦悩』京都大学出版会。











 2018/02/09

201/02/25

 

2018年平昌オリンピック

2018年2月9日から2月25日までの17日間、大韓民国の江原道平昌郡を中心とする地域を会場として開催されたオリンピック冬季競技大会。

   
       




2018/03/29~2018/03/31
韓国、済州島で、済州島四三事件をめぐるツアー、
団長は伊地知紀子
研究合宿ツアー団参加者は、伊地知団長の他、班代表の外村(東京大学)、宮本(立教大学)、松田(神戸学院大学)、加藤(早稲田大学)、坂田(苫小牧駒澤大学)、菅野(名桜大学)の計7名であった(以上、敬称略)。

現地では、伊地知団長の他にも、済州四・三研究所前所長・金昌厚さん、済州四・三研究所研究員・金兪廷さん、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員の高誠晩さんがアデンドしてくださった。

四・三慰霊祭前夜祭、在日コリアンのパンソリ唄者である安聖民さんによるパフォーマンス



早稲田大学国際和解学研究所

 
 
   


2018年4月3日


 
 
文在寅(ムン・ジェイン)は、就任後初めての4・3事件犠牲者追念日である2018年4月3日の追悼式に2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)以来、大統領として12年ぶりに出席した。



 


2018/04/03 文在寅(ムン・ジェイン)は、就任後初めての4・3事件犠牲者追念日である2018年4月3日の追悼式に2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)以来、大統領として12年ぶりに出席した。

2018/04/03 韓国、済州島での済州島四三事件慰霊祭に、日本から在日たちがツアーを組んで参加
呉光現らが中心的に企画。









早稲田大学国際和解学研究所
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和解としての「済州4・3」70周年=立場を認め合って

特定非営利活動法人聖公会生野センター総主事・在日本済州4・3犠牲者遺族会会長
呉光現

7「済州4・3」70年を迎えて
「済州4・3」から70年。未だにその名称が確定していない出来事だ。「事件」「蜂起」「抗争」「暴動」…。名前がないから仕方なく私たちは「済州4・3事件」と呼んでいる。

「済州4・3」は韓国の民主主義の発展と共に真相究明、名誉回復の措置がとられてきた。もちろん済州での闘いがあればこそであった。

2000年、金大中政権の時に特別法が制定され盧武鉉大統領の直接謝罪を受けたがその後の保守政権の9年間は「耐える」時期だった。韓国のロウソク革命で生まれた文在寅大統領は12年ぶりに4月3日に済州を訪れた。島民の前に立ち12年ぶりに謝罪をした。そして「済州4・3は大韓民国の歴史です」というスローガンのもと、彼の口からは在日作家金石範先生の名前も呼ばれた。そうだ、私たちの先達は「済州4・3」が暗黒の時代にあっても「済州4・3」の歴史を死に絶えることなく伝えてきたのだ。その金石範先生の名前が「済州4・3」で大統領の口から発せられた時、涙が押さえられなかった。

70周年を迎えて日本、特に大阪では1年前から準備を始めた。3月に国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」を開催。4月3日には100人規模で済州で慰霊祭に参加した。そして4月22日は大阪でこれまでにない規模で「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」を持つに至った。




 国際シンポジウム「国際社会と済州4・3 日本からの視点」(2018.3.10~11.)

「在日本済州4・3事件犠牲者慰霊祭」(2018.4.22.)

「済州4・3」70年慰霊の旅

2017年8月15日、大統領の光復節のメッセージは在日「朝鮮籍」の同胞の韓国入国を認めた。それに接した時「4月3日の済州島での慰霊祭には朝鮮籍の同胞も一緒に行く!」と決意した。結局は50名の募集に対して100名の規模での旅になった。そこには8名の朝鮮籍同胞もいた。86歳から21歳まで。1世から4世までである。私は在日の「韓国籍」「朝鮮籍」の意味のない分断を感じながら4日間を過ごした。大統領は知らなかったが朝鮮籍の同胞が彼と握手をして「私は文在寅大統領のファンになったわ」と喜ぶ80歳になろうとする女性の言葉が忘れられない。彼女は人生一貫として朝鮮総連・朝鮮籍を大切にしてきた人だ。初めて踏んだ父母の地済州島。どうしてもコヒャン(故郷)に行きたい、当然の思いであり、権利だ。ある人は旅の前に私にこう言った。「今回の済州島の旅は人生初めてで多分最後です。」彼女は82歳である。そこまでの決意を私はいかに受け止めるのか?記号でしかなく、しかし記号だけではない「韓国籍」「朝鮮籍」の存在が大きな心の壁にもなっていた。その壁を乗り越えるのは韓国の民主主義の発展だと思うのは私だけだろうか?

いみじくも南北首脳会談が4月27日に開催されたが過去の2回も韓国ではリベラル政権だった。朝鮮籍であろうとも自分のルーツにあるところに行くのに韓国の政情がいつもついて回るというバカなことは終わりにしなければならない。

今回の「済州4・3」の旅には事件を体験なさった方4名も参加した。若い方で78歳である。14,000名を越える位牌の前で食い入るように親族の名前を探していたハルモニ。自分のルーツのある村の位牌に同じ姓の犠牲者が延々とあるのを見て「親戚がいるのだろう」と思った在日4世の若者。3,000基を越える行方不明者の墓地の前にたたずんだ時「この墓には遺体が一つもないのだ」と思った。実は私の叔父も二人ここにいるのだ。

文在寅大統領の済州4・3追念式での演説(2018.4.3)

済州4・3平和公園内にある行方不明犠牲者の墓域

「済州4・3」運動に関わって
1997年、40歳の時。事件から50周年を迎える1年前になって、私は「済州4・3」運動に関わり出した。1世の両親を持つ猪飼野生まれ育ちの私にとって、심방(標準語では무당=巫堂。民俗信仰とも精神文化ともいえる韓国の宗教)は日常の世界だった。

初めて大阪で慰霊祭を開くことになった時、当事者は誰であるのか?と論議をし、思いを馳せた。当然在日1世しかあり得ないと思った。1998年3月21日、会場の生野区民センターには500名を越える人が集まった。そこには私のオモニ(母)をふくめて多くの済州1世の姿があった。慰霊祭は笑いと涙、そしてハンプリ(恨を解き放つこと)の群舞となって終わった。

大阪でも始まった「済州4・3」運動は様々な経過をもって、毎年4月3日に済州島で行われる慰霊祭に遺族たちが参加できるまでになった(「済州4・3の旅」)。4月下旬には大阪でも慰霊祭を開くことになっていった。

2000年には大阪で在日遺族会が結成された。50周年を契機とした運動は、韓国の動向とも連動しながら進められていく。

当初6人の2世、3世で始めたこの運動は、年を経るにつれて多くの人が参加するようになった。2003年、盧武鉉大統領が済州島民の前で公式謝罪したことを受け、2004年には生野、東成の総聯支部委員長、民団の支団長が共同代表を務めて、1,000人を越える規模で大阪の慰霊祭を開催した。これは「済州4・3」が、組織を越えたアクションになるということを示したエポックだった。

朝鮮半島を取り巻く情勢の悪化から、長らく総聯と民団の共同開催ができていなかった大阪での慰霊祭だが、70周年を迎えた今年は再び総聯と民団、そして関西済州特別自治道民協会が共に後援として名を連ねて開催することができた。こうして「一つ」になって実施できることに対し隔世の感があると共に、「済州4・3」で亡くなった方々に応えることができると思うと感謝に堪えない。



もう一つの現場大阪
「済州4・3」で日本に逃れてきた人は5,000人以上と言われている。大阪生野にはその多くの人が住んでいる。在日遺族会もその中から生まれた。しかし済州以上に「済州4・3」の暗黒を抱いてきた在日済州人は語ることすらできなかった。自分が話すとクニの親戚に迷惑がかかるのではと強く思っている人、大阪の慰霊祭の会場まで来るや身体が震えて中に入れなかったハルモニ(おばあさん)。拷問の体験を語り出す止まることなく当時の記憶をはき出すように叫び出すハラボジ(おじいさん)。語ってくれても決して録音、録画をさせてくれない方…、その先輩たちが経てきた歴史はまさに済州であり日本大阪である。

70年と言う歳月は短くはない。いつかは私たちも大阪で慰霊祭ができなくなる時が来る。その時に記憶だけが残されたらいつかは風化するのではと最近思うようになった。ある友人の言葉が私たちに一つの決断をさせた。大阪で「済州4・3」の慰霊碑を建立するのだ。「済州4・3」は大阪の在日朝鮮人の歴史の一つだ。植民地時代に日本に渡ってきたアボジ(父)も弟が犠牲になったのに一言も語らずにこの世を去った。今こそ私たちは「大阪は済州4・3のもう一つの現場だ」と声をあげたい。いつまでも大阪の「済州4・3」を残すために。



次世代への継承
「済州4・3」を逃れて日本に多くの人が渡ってきたが、当時、民族学校の教師だった人が「済州島から逃げてきた子どもたちは地獄を見たのだ。目が死んでいた」と語ったことを思う。日本では、1949年に朝連(在日本朝鮮人連盟)大阪が追悼集会をした程度である。それは在日の済州人社会で大きな苦しみを伴うタブーだったからだ。50年代から70年代は南北の対立が在日同胞社会でも先鋭的で、ましてや「済州4・3」について民族団体の言及はほとんどなかった。「済州4・3」を世に訴えていたのは済州出身の1世の総聯系の知識人しかいなかった。鋭く政治的にならざるを得ない時代が、亡くなった方々の慰霊すら許さなかったのだ。

40歳から「済州4・3」運動を始めた私も還暦を超える齢になった。昔なら어르신(老人)だが、いまだに若いと言われるのは時代の流れか?しかし、私たちも次世代を育成しなければならない。数年前から3世の青年が事務局に入り、「済州4・3」の旅に行けるようになった。より多くの若者を連れて行くため、昨年はクラウドファンディングを活用してさらに7名が参加した。

マッチにわずかな炎を灯すように「命」をつないできた「済州4・3運動」は、今こそ次世代と共に歩まねばならない。



そして一つになること
最後に「済州4・3」は大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も成立する前に起こったことを忘れずにいたい。朝鮮半島が二つに裂かれようとするまさにその時に命をかけて立ち上がった人々がいる。ぎりぎりまだ「二つ」になっていなかったのだ、その時は。私たちは「一つ」であることを「済州4・3」から改めて感じ、学び、そして在日から発信していきたいと思う。

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08:46
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鄭 甲寿さんはSharon Yoonさんと一緒にいます。

2018年4月3日 ·

開会直前ナウ



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2018/04/03 韓国、済州島での済州島四三事件慰霊祭やね。

鄭 甲寿(チョン・カプス)
Sharon Yoon
呉未来(オ・ミレ)(呉光現(オ・グゥアンヒョン)の娘)


開会直前ナウ

鄭 甲寿さんの投稿 2018年4月2日月曜日


https://archive.md/wip/YVZDy

 

 2021年、  

犠牲者救済のため『済州島四・三事件真相究明および犠牲者名誉回復に関する特別法』が成立する。


   


2022年

 
済州島四・三事件の犠牲者1人あたり9000万ウォンの保証金の支払いを開始。事件発生から救済まで74年の時間がかかった。    






参考資料

済州島四・三事件をめぐる主な大阪での取り組み