→ リンチ事件加害者側人脈 ハンセン病問題の人脈分析 時系列順 2014年


   
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江田 五月
2014年1月11日 ·
11時から、民団おかやまの新年賀詞交換会に出席し、日本側来賓の冒頭に挨拶しました。13時から、岡山市内の小中学校に勤務する学校司書の皆さんが要望に来られました。14時から、国立ハンセン病療養所長島愛生園に10数年も精神科医として勤務された神谷美恵子さんの生誕100年記念の集いに出席し、日野原重明さんの講演を聞きました。中座して外に出ると、偶然お見送りすることができました。その後、大阪に行き、大阪府建設組合の賀詞交歓会に出席して来賓冒頭に挨拶をし、尾立源幸さんらと鏡開きをしました。私のホームページの活動日誌もご覧ください。



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20:49
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朝鮮新報 / The Choson Sinbo
2014年2月1日 ·
西東京朝鮮第一初中級学校と西東京朝鮮第2初級学校の初級部6年生たちが1月30日、国立療養所多磨全生園(東京都東村山市)を訪れ、ハンセン病の元患者である同胞入所者たちを慰問し、公演を披露した。ここには、総聯西東京本部の高徳羽委員長、総聯東部支部の魏哲浩委員長、女性同盟本部の李順姫委員長をはじめとした西東京本部管下の活動家たちも同行し、昨年末に行われた「愛の募金運動」で購入した慰問品を届けた。

http://chosonsinbo.com/jp/2014/02/il-213/




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13:55




 
 
   
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市場 恵子

2014年3月5日 ·

今日は国立療養所長島愛生園附属看護専門学校第35回生の卒業式でした。園長でもあり看護専門学校の校長でもある藤田邦夫先生から卒業証書&賞状授与と式辞。続いて来賓の光明園長の畑野研太郎先生より祝辞。畑野先生の祝辞は毎年「脳とは」を学生に復唱させるところから始まります。ユーモアと慈愛に満ちたスピーチにはいつも感動しますが、今年は畑野先生ご自身も定年を迎えられ、これが来賓として最後の卒業式とのこと。いつにも増して万感こもっており、卒業生のみならず、私ももらい泣きしてしまいました。畑野先生は最近の話題として、ソチオリンピック、ウクライナ、クリミア、ナイチンゲールとつないだ後、ヴィクトール・フランクル(ユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇跡的に生還したオーストリアの精神科医)の『夜と霧』を引用しながら、「活動と愛こそ生きる意味。生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役」と諭されました。在校生からの送辞も、卒業生の歌と答辞も、それぞれに思いがこもっていて、聴いていて涙があふれました。卒業生の歌はレミオ・ロメンの「3月9日」♪ ご卒業、おめでとう。今年は3名が愛生園に、3名が岡山医療センターに、他の人は故郷の病院に帰るなど、それぞれ各地に散っていかれるとのこと。最後に記念撮影をして、別れました。心に触れる卒業式でした。また会えるといいね。


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大黒 澄枝さんは神戸総合運動公園ユニバー記念競技場にいます。
2014年4月20日 · 神戸市 ·
☆お出かけ☆
♪19日(土)は2ヶ月ぶりに長島愛生園に金泰九さんを訪ねました。
今回はドキュメンタリー映画を製作するための打ち合わせに同席させていただきました。
2013年度の全国中学校人権作文コンクール(応募数941,146)で法務大臣賞を授賞した、広島県盈進中学校の後藤泉稀(みずき)さんの
「NO ! と言える強い心をもつ
    ~ハンセン病問題から学んだこと~」
という作文をもとに、ドキュメンタリー映画を製作する運びとなりました。
17年にわたる交流で、たくさんの生徒さんがハンセン病、入所者、在日韓国人の回復者金泰九さんと出会い、今もその活動は脈々と引き継がれています。
かねてから「一人の情熱で学校は変わる」と思い続けてきましたが、盈進中学高校の延和聰先生を中心に今も続けられている、ヒューマンライツ部の活動がまさにそうだと、改めて感じた一日でした。
♪今日は兵庫県リレーカーニバルの応援に来ています。
夫は昨年9月以来7ヶ月ぶりに、競技場再デビューを果たしました。
今回はお目当ての教え子の出場はなかったんですが、知り合いに会って、生き生きしています。

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21:01
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北野 聡子
2014年4月20日 ·
大黒澄枝さんの投稿をシェアします。
長島愛生園の金さんへの長年にわたる大黒先生の献身的なご支援に頭がさがります。
そして、「ヒューマンライツ部」素晴らしいですねェ
さらに、基文先生の競技場復活もうれしいです!


https://www.facebook.com/sumie.daikoku/posts/397598490378452
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17:35
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金 満里
2014年4月27日 ·
長島愛生園の秋やんが亡くなったとの知らせ今朝受ける。
朋友、同胞、同士、が逝く。
終始闘争の塊として、復活しつづけた、真の英雄に敬意を表する。

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繁 朋子
秋山さんには以前情報誌イマージュの取材で、皆でおじゃまして大変お世話になりました。障害者差別の根本を勉強させてもらいました。感謝の気持ちで心からご冥福をお祈りいたします。


吉澤 裕二
( ̄^ ̄)ゞ




金 満里
井上、愛生園の寄稿を福森が書いた「異文化の交差-イマージュ」28号は2003年でした。私もその時から愛生園へは行けず、秋やんとも久しく合えてませんでした。 ペンギンの会へもお知らせください。
昨日の秋やん葬儀へ、愛生園にあれ以来の11年ぶりに行ってきました。 秋やん、元気そうだった。「金マン!お、来たんか?!」の声が聞こえそうなぐらいでした。



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이현정
仙城 真
小倉 瑞恵
増田 レア

村上 さとみ
杉本 真一
金 民樹
竹之内 淳志
李 知承
松井 寛子

豊田 さをり
栗本 知子
渡辺学
尾崎 真紀
井上 登
三上 映子

宮原 麻美

橋本 まな

茂木 歩

吉田 明彦

田中玲

松尾 晴彦




    23:48

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金 民樹
2014年4月27日 ·
『島のおっちゃん』が死んだ。
『秋やんのおっちゃん』とも呼んでいた。
母はたまに本名の『秋さん(ちゅーさん)』と呼んでいた。
今朝、訃報を聞いたものの、全く実感がわかなかった。
少しずつ、少しずつ、おっちゃんの部屋やにおいや、長い長い止まらへんしゃべり方が思いだされてくる。
ハンセン病で、長島愛生園という国立の療養所に暮らしていた。
ヨチヨチ歩きの頃から母に連れられ、決まって秋やんの部屋で泊まり、遊び、食べた。
小学6年生くらいの時に、カブを運転の仕方…いや乗れ!乗ってみろとカブを貸してくれたのも、
中学生の時に、月桂冠を飲み日本酒の味を教えてくれたのも、
指が無い手で鉛筆で字を書き、フォークで食べ
指が無い手でもなんでも出来るんやと教えてくれたのは
『島のおっちゃん』やった。
生まれて初めて、海に叫べと言われて『民が来たよー!!』と海へ行けば叫ぶもんやと叩き込まれた。
ポメラニアンや鳥たちを繁殖させてはせっせと稼ぎ
年中訪ねてくる知人にごちそうを振る舞ったおっちゃんやった。
親戚のおっちゃん以上に近い存在やった。孫みたいに思ってくれてたんかなあ。
しんどいしんどい人生やったと思う。
顔や手足が溶けて、化け物扱いされ親兄弟に絶縁され、
ハンセン病は移らないと世間がいえども
たくさんの偏見を背負って
それでも笑って生きてきた。
先に旅たった木村のおっちゃん、池やんのおっちゃんと飲んだくれてね。
『もう、おっちゃんはひつこいねん!』とか『それ以上言うたら起こるで!』とかよく言うたな。
『お!民も大人になったな!』『おっちゃんは嬉しいぞ!』『もっと怒れ!』とよく返されたのも懐かしい。
懐かしいよ。


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00:38
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劇団タルオルム/극단 달오름 · フォローする
2014年4月28日

https://www.facebook.com/minsu.kim.94009/posts/677387742326273
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市場 恵子
2014年5月11日 ·
昨日(5月9日)は、愛生園附属看護学校での講義(心理学2コマ)。長島大橋と小便小僧(何も着ていない!)、美しい海が迎えてくれた。1年生は24名(うち男性3人)。遠くは鹿児島・熊本・長崎から学びに来ている。すでに準看の資格を取得しており、ここで2年間学んで正看の資格をめざす。今年度も心に響く授業を提供したい。



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2025/05/11(日)午前11時~午後0時半、
2025/05/11(日)午後4時~午後5時半
奈良県人権センター、奈良市大安寺1丁目23−1 解放センター、JR奈良駅か近鉄奈良駅からでも、バスで「大安寺」停留所まで


主人公は岡山県の瀬戸内海の離れ小島のハンセン病療養所「長島愛生園」で暮らす在日コリアン「秋やん」と、母親に連れられて愛生園を訪れた少女「みん」の2人。


 11日午前11時~午後0時半、午後4時~午後5時半の2回公演。前売り券2000円、当日券2500円、高校生以下1500円。申し込みは電話(090・8575・1239)かメール(taru.nara2025@gmail.com)で。





毎日新聞
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秋やんに会いに来て 二重の差別と闘った「島のおっちゃん」上演へ

毎日新聞

2025/5/5 08:45(最終更新 5/5 08:45)

1450文字

金民樹さん=東大阪市で2024年8月7日、堀山明子撮影

 岡山県の療養所で暮らす在日コリアンのハンセン病回復者と療養所を訪れた少女との30年以上にわたる交流を描いた演劇「島のおっちゃん」が11日、奈良市大安寺1の県人権センターで上演される。在日コリアンと日本人で作る「劇団タルオルム」の作品で、代表を務める在日コリアン3世の金民樹(キムミンス)さん(50)が自身の体験を基に脚本と演出を手がけた。描かれるのは、ハンセン病と在日コリアンという「二重の差別」と闘ったある回復者の壮絶な人生だ。

 主人公は瀬戸内海のハンセン病療養所「長島愛生園」で暮らす在日コリアン「秋やん」と、母親に連れられて愛生園を訪れた少女「みん」の2人。いずれも実在の人物で、「みん」は金さん自身がモデルだ。

劇団スタッフに自身の体験を生かすよう勧められたことを機に劇作を決めたが、テーマの重さに一度は断念。その後、約1年間の取材を経て完成させた。「『秋やん』とは30年以上交流してきたが、取材をすればするほど知らないことばかりだった」

「島のおっちゃん」の主人公「秋やん」のモデルとなった男性=劇団タルオルム提供

 「秋やん」は2014年に亡くなるまでの約70年間、愛生園で暮らした。一言で表せば「めちゃくちゃな人物」。来客があれば朝まで酒の席に付き合わせ、怒り出すと止まらない。時には取っ組み合いのけんかまで――。それでも、人間的な魅力にあふれていた。

 若者には日本酒のおいしさやバイクの乗り方を教え、丁寧に書かれた年賀状を毎年送る。来客に振る舞う料理と酒は、全て自費で賄っていた。金さんは「今思えば、ハラスメントの塊のような人だった」と笑いつつ「不自由になった手を器用に使い、来客のために布団を敷いてあげる姿が忘れられない」と懐かしむ。

 物語は大学生が療養所の暮らしやハンセン病を学ぼうと愛生園を訪れるところから始まる。「島のおっちゃん」たちは歓迎し料理を作ってもてなすが、誰もその料理に手をつけようとしない――。金さんは「絶対にあってはならないが、実際にあった出来事。誰しもが心の奥底に持つ差別的な感覚をリアルに描きたかった」と語る。

 話は療養所内の南北分断にも及ぶ。愛生園には朝鮮総連系と韓国民団系の在日コリアンが共に暮らしていた。団体からの義援金や葬式を巡って、入所者は激しく対立。劇中では、根深い対立をなんとか解決しようともがいた人々の闘いが描かれている。「俺らみんなハンセン病やったやろ。この愛生園くらい、北も南もない、一つの朝鮮人の組織を作ろうや!」。金さんは取材の中で初めてそのことを知ったという。「あんな狭い島に、社会の縮図があったんです」

 作品は舞台劇でなく、「マダン劇」という朝鮮演劇の手法で演出した。観客は演者を囲むようにして座り、劇への参加を求められることもある。金さんがこの作品を手がけたのは、全員で同じ地面を共有し、1人でも多くの人に『秋やん』と出会ってほしいという思いからだ。「二重の差別をはねのけんばかりに人生を全うした彼に出会うことで、皆さんの人生もきっと豊かになるはず。ぜひ『秋やん』に会いに来てください」

【田辺泰裕】

 11日午前11時~午後0時半、午後4時~午後5時半の2回公演。前売り券2000円、当日券2500円、高校生以下1500円。申し込みは電話(090・8575・1239)かメール(taru.nara2025@gmail.com)で。

 架け橋長島・奈良を結ぶ会、ハッキョ支援ネットワーク・なら主催、県人権教育推進協議会、県人権教育研究会、県外国人教育研究会、多文化共生フォーラム奈良、奈良人権部落解放研究所後援。
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やっぱ、同和利権かい! 公金チューチューかい!


 
 
   
2014/05/16(金)18時半から20時
とよなか国際交流センターは豊中市立の公共施設で、指定管理団体が「公益財団法人とよなか国際交流協会」で同じビルに事務所を構えている。大阪府豊中市玉井町1-1-1 601、 阪急電車・豊中駅直結ビル「エトレ豊中」6階会議室2abc

講師 : 黄光男(ファン・カンナム)
市民セミナー(語らい広場)「今まで語れなかった家族とハンセン病」

まいぷれ広場
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市民セミナー(語らい広場)「今まで語れなかった家族とハンセン病」
kokuryu さん2014/04/25 12:16:14
全てに公開 コメント数(0)
市民セミナー(語らい広場)「今まで語れなかった家族とハンセン病」今年度より新たに始まる市民セミナーの第1回目は、「今まで語られなかったハンセン病」と題して、1歳の時に母と姉がハンセン病で隔離され、本人も福祉施設に預けられ、9歳になるまで家族は離ればなれで暮らさざる得なかった在日コリアン:黄光男(ファン・カンナム)さんの引き裂かれた家族との思いを歌とトークを交えて語っていただきます。

[開催日]
2014/5/16
18時半から20時

[開催場所]
とよなか国際交流センター
大阪府豊中市玉井町1-1-1 601
会議室2abc 阪急豊中駅直結ビル「エトレ豊中」6階
阪急宝塚線「豊中」駅下車すぐ(阪急梅田駅より急行で11分)
※地下3階・有料駐車場あり(210台)
※1階・有料駐輪場あり(自転車・バイク)

[料金]
無料

[イベントの公式URL]
http://www.a-atoms.info/category/event/

[ホームページ]
http://www.a-atoms.info/

[定員]
80人(申し込み順)

[お問い合わせ先]
とよなか国際交流センター
06-6843-4343
atoms@a.zaq.jp
FAX:06-6843-4375 
休館日:水曜日 
受付時間:9:00〜17:00


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市場 恵子
2014年5月17日 ·
昨日(5月16日)、午前中は愛生園附属看護専門学校で心理学2コマ。「性の多様性と可変性」。講義だけでなく、ワークショップやDVD教材『セクシュアルマイノリティ理解のために』のSTEP1(8分)とSTEP2(31分)視聴を組み込む。やはり映像があると理解しやすいし、差別や偏見を取り除きやすい。今回のテーマは「固定観念や自己概念を柔軟に変容させ、成長すること」。長島の海が美しい。




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市場 恵子さんは吉田 佳子さん、鈴木 裕美さんと一緒にいます。
2014年6月2日 ·
午後は我が家で、よしだよしこさんのライブ「笑って、唄って」。
玉野から急いで帰宅したら、よしこさんと尾崎さんが早くも到着して、準備されていた。リハーサルの後、夫特製のお好み焼き(豆腐+山芋入り)をお二人にも食べていただく。
午後2時前、参加者が次々と車・バイクなどで到着。河田さん、山崎先生ご夫妻、永井律子さん、愛生園の長島さん、前谷先生、近澤先生、形山千明さん。山田加寿子さん、田村さん、安田真理さん、森しげ子さん、安田直子さん、臼井純子さん、福田典子さん、鈴木さんご一家(子ども3人)、竹本香さん親子(子ども1人)、大塚家(子ども3人)、克己(夫の長兄)夫妻、操子さん(義姉)。
今回は居間と2階を子どもたちの遊び場(夫が保育を担当)にして、和室(2間)をライブ会場に設定。よしこさんが「最近、空気を吸い込むと咳が出るし、ノドがイガイガする」とおっしゃっていたので、心配していたが、本番では透き通った美しい声で、休憩も入れず90分間、20曲ちかく歌って下さった。マイクを通さない生声、生演奏。全員が心をしんとして聴き入ってしまった。私は子どもたちが大きな声や物音をたてないよう気にしながら、居間と和室を往復していたが、途中から子どもたちは夫に任せて、ライブに集中させてもらった。よしこさんの声に魂がやさしく転がされ、心の奥にゴチャゴチャたまっていたものが浄化されていくようだった。どの歌も聴きなれた素敵な響きだが、今回は「だびよんの鳥」が心に染みた。
最後の曲の後、アンコールはあえてせず、お茶とお菓子を配って、参加者の自己紹介と感想タイム。みなさん、異口同音に「癒された」とのこと。長兄(元音楽教員)は畳の部屋で聴くギターやダルシマの音色、よしこさんの歌声、言葉がとても心地よく、居眠りする暇もなく聴き入ってしまったと感想を述べた。
6人の子どもたち(3歳~小3)はゲーム、トランポリン、備前焼の土ひねり、ビデオなど、飽きもせず、仲良く遊んでくれました。夫に大感謝!


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市場 恵子
2014年6月4日 ·
6月2日(月)の午後、岡山県人権政策審議会。南智先生に代わって、今年度から畑野研太郎先生(光明園元園長・日本ハンセン病学会理事長)が加わって下さった。南先生にお会いするチャンスが減ったのは寂しいけれど、畑野先生にお目にかかれるのはうれしい、うれしい。
この日は、よしだよしこさんを長島にある国立療養所(光明園・愛生園)へご案内するために審議会を途中で抜けさせていただいた。愛生園では看護学校で先生にご挨拶して、「愛生歴史館」を訪れた。運よく、職員の田村さんにハンセン病の歴史と現状を概説していただくことができた。1階の常設展示を見学後、2階の特別展「医師 神谷美恵子が見た世界~長島愛生園の人びととのふれあい」にも足を運ぶ。特別展は1年間続くので、みなさま、ぜひこの機会に「愛生歴史館」を訪れてみてください。
歴史館見学の後、車で史跡(隔離政策の歴史:収容桟橋・回春寮・監房)や施設(宿舎・病棟・介護棟、愛生会館・新良田教室跡)などをご案内し、納骨堂で合掌。最後に、金泰九さんのお宅を訪ねたら、お部屋が空っぽになっていた。自活が困難になり、介護棟に移られたとのこと。お見舞いは次回に延ばし、島を後にした。



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市場 恵子
2014年6月5日 ·
理大の講師室で毎日新聞と英字新聞を読んで帰る。長島愛生園の記事と、「毎日かあさん」(西原理恵子さん)。英語で読むと、また違った味わいがあっておもしろい。


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江田 五月
2014年6月20日 ·
10時半から短時間、参議院日本モンゴル友好議員連盟役員会を開き、ウランバートルで開催される「日本モンゴル友好書道展」の開会式が、8月20日と決定したので、議連として参加者を募ることとしました。11時から1時間15分ほど、厚労省正面玄関前の碑の前で開催された「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」の式典に参加しました。最初に物故者に黙祷を捧げ、主催者の田村厚労大臣が式辞を述べ、安倍首相の挨拶を加藤官房副長官が代読し、谷垣法相が挨拶し、衆参議長のメッセージが読み上げられ、献花となりました。その後、2つの議連を代表して中曽根会長と平沼会長が挨拶し、全療協と全原協の代表や遺族代表の挨拶があって、出席国会議員が紹介されて、閉式となりました。当事者と遺族の話はいずれも強い印象を与えましたが、特に長島愛生園に収容された黄さんのご両親とご家族の話は、胸に迫るものがありました。



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江田 五月
2014年7月5日 ·
10時過ぎから、国立ハンセン病療養所長島愛生園を訪ねました。園内をまわってみると、歌碑が幾つもあり、沖縄の人のものも見られました。教会では、大島牧師が庭掃除中でした。10時半から1時間ほど、入所者の皆さんと懇談。さらに藤田園長らから要望を聞き、みんなで昼食。園内放送で挨拶をし、記念写真を撮って、お別れしました。


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Aya Watanabe
2014年8月2日 ·
— 友達: Ka Naeさん、崎山 由佳子さん

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 「シェア」

トバリ アカリ
   
15:10






 
 
   

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トバリ アカリ
2014年8月4日 ·
7月31日長島愛生園にて。チンドン隊も龍も遺影も一緒!夏祭りだ〜!

https://www.facebook.com/photo?fbid=10153446261338306&set=a.10153446260753306
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    2014/09/20(土)10:00-16:30
国立療養所多磨全生園・ハンセン病資料館(東京)
いま、ハンセン病問題をどう考えるか 連続講座 その1 “ ハンセン病と人権回復のたたかい “ 
主催 東京カトリック正義と平和委員会
連絡先:090-8599-1731平澤












 
 
   




 
 
   



17:10




 


 
 
2014/11/16

 
 
2014/11/16(日)~2016/05/31(日)9:30~16:30
休館日 月曜日(祝日の場合は開館) 国民の祝日の翌日、年末年始(12/28~01/03)
国立ハンセン病資料館 2階 企画展示室、東京都東村山市青葉町4-1-13、
写真展『この人たちに光を』 写真家 趙根在(チョウ・グンジェ)が伝えた入所者の姿
ハンセン病療養所追ったカメラマン、故・趙根在(チョウ・グンジェ)、1933年愛知県生まれ。1997年没。


2014/11/29(土)13:30~14:30(開場13:00)
国立ハンセン病資料館 1階 映像ホール
講演会 大竹章さん(多磨全生園入所者)
「趙根在(チョウ・グンジェ)の写真を語る」


チラシPDF

ハンセン病の療養所を初めて訪れたのが、東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で、そこで在日の入所者と出会って。それから全国の療養所10か所に通い、入所者と寝食を共にしながら撮り続けた写真をまとめたもの。











 
 
   

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永田 浩三
2014年11月28日 ·
大好きな『写真万葉録 筑豊』を上野英信さんといっしょに編んだ趙根在(チョウ・グンジュ)さんの写真展、「この人たちに光を」。
60年~70年代の多摩全生園、長島愛生園、栗生楽泉園のひとたちの記録。

https://www.hansen-dis.jp/07exhibition/07exhibition.html?fbclid=IwAR0XyIgLUYFq-Vbbb3ObaZSrFLBtLBzZYEmXlf78l6_Y2ecocZm9mUw_xmw
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09:23





 
 
2014/11/29




 
   
2014/11/16(日)~2016/05/31(日)9:30~16:30
休館日 月曜日(祝日の場合は開館) 国民の祝日の翌日、年末年始(12/28~01/03)
国立ハンセン病資料館 2階 企画展示室、東京都東村山市青葉町4-1-13、
写真展『この人たちに光を』 写真家 趙根在(チョウ・グンジェ)が伝えた入所者の姿
ハンセン病療養所追ったカメラマン、故・趙根在(チョウ・グンジェ)、1933年愛知県生まれ。1997年没。


2014/11/29(土)13:30~14:30(開場13:00)
国立ハンセン病資料館 1階 映像ホール
講演会 大竹章さん(多磨全生園入所者)
「趙根在(チョウ・グンジェ)の写真を語る」


チラシPDF

ハンセン病の療養所を初めて訪れたのが、東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で、そこで在日の入所者と出会って。それから全国の療養所10か所に通い、入所者と寝食を共にしながら撮り続けた写真をまとめたもの。










 
   
2014/12/13



韓国・朝鮮文化研究会
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 第50回研究例会
日時:2014年12月13日(土曜日)15時~18時10分

   15:00~16:30発表①平野鶴子氏
   16:40~18:10発表②金貴粉氏

会場:東京大学(本郷キャンパス)赤門総合研究棟7階738号室

最寄り駅:本郷三丁目駅(地下鉄丸の内線、大江戸線)
■アクセス:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map01_02_j.html
■建物位置:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_02_j.html
赤門を入り右手の建物です。
*当日は土曜日で建物内に入れない可能性があります。(4時までは開いているはずですが)その時には研究室の電話03-5841-3636に御連絡下さい。


▽発表者①:平野鶴子氏(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

◎題目:「植民地期朝鮮における衣生活をめぐる記憶―聞き取り調査を手がかりとして」(仮)

【発表要旨】


 本発表は、1930~40年代における人々の生活の様子を、とりわけ衣生活をめぐる記憶から具体的に再構築しようとするものである。さらに、当該時期に見られるいくつかの変化が後世にもたらした意味を捉えるために、解放後の事象も考察対象とする。

 発表者の最大の問題関心は、日本の統治支配が朝鮮の社会と人々の生活に与えた影響は、いかなるものであったかということである。当時においては、人々の生活を構成する衣食住という要素のなかでも、衣は、統治者と被統治者双方の意図がもっとも象徴的にあらわれる「場」であったと言える。そしてこの「場」では、経済、政治、社会、文化といった様々な要素がからみ合っていたのであり、衣生活の実態を捉えることは、植民地支配と人々の生活との相関関係の一端を明らかにすることに繋がるだろう。

 アプローチとしては、衣料品の流通構造、衣服統制などの社会政策といった近代的制度の浸透の側面だけではなく、朝鮮に連綿と受け継がれた生活様式や文化を背景とした日常的な実践をあわせて捉えていく必要がある。このため、その実践を自らの経験として、あるいは近親者の経験として知る人々への聞き取り調査を行った。

 本発表では、その調査結果をもとに衣生活の実態を紹介していく。聞き取り内容は、主に、植民地期から解放後までの時期の衣服の原料調達から縫製、手入れにいたる一連のプロセスについてである。その結果、当時どのような衣服を着用していたのか、衣服の材料となる織物を自家製織したのかあるいは市場で調達したのか、衣服の仕立てや染色、そして洗濯を誰がどのように行ったのか、などについて明らかにすることができた。なお、実際の聞き取り対象は70~80代のお年寄りとなったため、植民地期に関する事例は1930~40年代のものに限られる。

 わずかな事例からは、それぞれの地域の特性や、ましてや朝鮮全体としての傾向を見出すことは容易ではない。しかし、彼らの記憶からは、当時の人々の生活の様子が、文字資料のみではうかがい知ることのできないほどのリアリティをもって伝わってくるのである。



▽発表者②:金貴粉氏(国立ハンセン病資料館学芸員)

◎題目:「解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者と出入国管理体制」

【発表要旨】


 長年にわたりハンセン病患者・回復者を縛り続けてきた「らい予防法」が1996年に廃止され、1998年の熊本地方裁判所国家賠償請求訴訟が2001年に原告側勝訴となったことで国のハンセン病政策の誤りが明確化された。2014年現在、日本国内のハンセン病療養所入所者数は約1800人で、入所する在日朝鮮人ハンセン病回復者はその中で約100人を数える。これは全入所者数の約5%にあたる。多い療養所では1割を超えることもあった。果たしてなぜこれほど多くの在日朝鮮人が入所しているのだろうか。

 ハンセン病はらい菌による慢性の感染症であるが、その感染や発病には環境が大きく影響する。在日朝鮮人のハンセン病患者が多かった理由について、日本近現代史研究者の山田昭次は、「日本帝国主義の過酷な収奪」が、朝鮮民衆の生活を「低く押し下げられていたから」だと指摘する。(山田:1989年)

 日本の敗戦によって、在日朝鮮人たちは「解放」を迎えたはずであった。しかし、解放後まもなく「外国人登録令」がハンセン病療養所の中にも適用され、登録を義務付けられた。さらに1951年に公布された「出入国管理令」によっても、国外退去処分の対象としてハンセン病患者があげられ、極めて不安定な立場に置かれることとなった。同時に「密入国者」とみなされた者については、取締りの対象としてさらに厳しい監視下におかれた。在日朝鮮人ハンセン病患者は、「朝鮮人」であり、かつ「ハンセン病患者」であることにより、「らい予防法」と出入国管理体制という二重の「取り締まり」対象とされたのである。

 果たして解放後の在日朝鮮人ハンセン病患者は具体的にどのような状況におかれ、その実態はいかなるものだったのだろうか。これまで解放直後の在日朝鮮人患者が置かれた実態に関する言及はほとんどなされてこなかった。本発表では、出入国管理体制を中心に考察し、当事者による証言を踏まえ、その実態を明らかにする。また、朝鮮人ハンセン病患者への取締り強化が日本のハンセン病政策に及ぼした影響についても考察する。

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